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コンコンと控えめのノックの音が響いた。 「ぼっちゃま、宜しいですか・・?」 「ヒサさん?どうしたの?」 岩城の声と同時にガチャリと音がしてオークの扉が開く。 そこにはティーカップを乗せたトレイを手にしたヒサが立っていた。 「・・?お茶を淹れてくれたの?」 あれ?ふたつ???訝しげにヒサの手元を覗き込む岩城の目に、後ろに立つ影が映った。 「!!!」 「岩城さん・・・。」 「香藤!帰ったんじゃなかったのか!」岩城の瞳が揺れる。 「ぼっちゃま!ヒサからのお願いです。香藤さんと少しお話をして下さい。ほんの少しでもいいですから!それともここまで来てくださったお友達を本気で追い返そうと思ってるのですか?ぼっちゃまはそんな冷たい方ではないはずですっ!」 「・・・ヒサさん?・・・はあ、わかったよ・・。」 ヒサの剣幕に押し切られたように、ひとつ溜息を吐き俯いたままドアを手前に開くと香藤に入るよう促す。 「入れよ。」 ヒサは香藤にトレイを渡すとひとつ頷き、その場から離れた。 岩城さんから俺を攻める言葉は無く、クルリと向きを変え歩き出した。 ついて歩きながら「岩城さん、ぼっちゃまなんだ。」と背中に向かって少し冗談めかして言ってみる。 岩城さんは前を向いたまま小さくクスリと笑いを漏らすと、後ろを振り向き 「やめろといっても聞いてくれないんだよ。」 と肩を竦め綺麗な目を少し細めた。 良かった!話しをしてくれた。追い返されるかも、とここでも内心ドキドキだったのだ。これ以上岩城さんに嫌われたくない。 久しぶりに見た岩城さんの顔は相変わらず綺麗だったけど、以前より少し削げた頬はその陰影を深いものにしていた。岩城さんの微かな笑い顔が俺の心をおおきく揺さぶる。顔が熱かった。 初めて入った岩城さんの部屋は、20畳は悠に超えているだろう、とても広い。俺はトレイをテーブルに置くと周りを見回した。白と黒に近い程のダークオークカラーで統一されている部屋。几帳面な岩城らしく左の壁際にある真っ白なダブルベッドは綺麗にメイクされていた。その足元には背の高いダークオークの本棚があって難しそうな本が所狭しと並べられている。 部屋の中央には自然素材を使った生成りっぽいラグマットにガラスのテーブル、そしてこれもシンプルで真っ白なソファ。 「綺麗なソファ・・・」と思わず呟いたら 「それはヴィゴ・マジストレッティのドネガルだ。いいだろ?」 と返されたが、 「ヴィゴ・・・????」 ごめんね岩城さん・・・何を言ってるか俺には全く解らない・・・・ううっ。でも下を向くな頑張れオレ! 再度の叱咤激励。 大きな出窓の横に楽譜らしきものが台に立ててあり、少し開けられた窓の手前にはヴァイオリンが置いてあった。 「あ、ヴァイオリン・・・触ってみてもいい?」 「ああ。落とすなよ。」 「うん。」 恐る恐る手に取ってみると、思っていたより随分と軽かった。ストラディヴァリって俺でも聞いた事があるくらいなんだから、きっと凄い高いんだろうなぁ。うわ〜ドキドキ・・・ 両手に持ったまま、横から眺めたり、逆さにしてみたり、振ってみたりしていた俺をソファに座ったまま呆れたように見ていた岩城さんは、すっと立ち上がるとそれを奪い取った。 「あのな香藤、これは観るものじゃなくて弾くものなんだ。」と少々冷たい視線。 うっ・・まだまだっこんな事でめげてなるものか!! 「ねえ、じゃあ何か弾いてよ岩城さん。」 岩城さんはじっと俺の目を見つめたまま暫く固まっていたが、目を閉じヴァイオリンを顎に挟むとひとつ小さく息を吐き弓を弦にあてた。少しの間をおいて静かなメロディが流れ出す。無意識の内に俺も目を閉じて聞き入っていた。あ、この曲俺も知ってる。そうかさっきは固まってたんじゃなくて、俺の知ってそうな曲を考えてくれてたんだな。納得。 流れている曲は《アヴェ・マリア》だった。なぜか胸がキュンと苦しくなる。 「今の曲知ってる!アヴェ・マリアだよね。ベートーベンだっけ?」 「バッハだ。バカ。」 「・・・・・(T0T)」 岩城さんはヴァイオリンを元の位置に戻してソファに座ったので、俺も慌ててそのヴィゴなんとやらに腰を下ろした。 ヒサさんが持ってきてくれた紅茶を俺の前に置いてくれたから「ちょっと冷めちゃったね。」などと言いながらそれを啜る。俺は落ち着かなくなっていた。岩城さんはさっきからちっともこっちを見ようとしないし、自分の足元を眺めるように視線は下を向いたままだ。沈黙が続いた。何から話そうかと思案していると岩城さんがこっちを向く気配がして俺の耳にあのバリトンの声が聞こえてきた。 「なあ香藤。」 「なに岩城さん。」 俺を見る岩城さんの目はいつもみたいに優しさを帯びてはいなかった。かといって怒っているでもなく、その瞳は、ただ悲しげに揺れていた。 「同情か?」 「え?」 「俺が可哀そうに見えたのか?」 「何を言ってるの?」 「同情や哀れみで近づくのならお願いだからやめてくれないか。どうせ美卯から色々聞いてきたんだろ?ところが今俺は同情を買うほど不幸せではないし、可哀そうなヤツでもないんだ。」 「ちがうよっ!俺はそんなつもりで・・・・」 「じゃあどんなつもりなんだ?」 俺は言葉に詰まってしまった。今ここで「好きだから。」なんて言ったら気持ち悪いって言われてしまうだろうか。もう二度と会いたくないなんて言われたら悲しすぎる。自分で恋だって認めたとたんに失恋なんてそんなのあんまりだ!!どうしよう。 「それに俺はお前が思ってるような人間じゃないよ。」 「・・・!!なんでそんな事言うの?岩城さんがどんな人間かなんて分ってるよ!岩城さんは優しすぎるんだ!岩城さんは・・・」 「香藤!!!」 「頼むから・・・俺をイヤなヤツにさせるなよ・・これ以上俺を惨めにさせないでくれ。お前は何も分ってない。分ってないんだよ・・・」 岩城さんはそれだけ言うと顔を手で覆ったまま肩を震わせ大きく溜息を吐いた。 「岩城さん・・・」 「俺はあと数ヶ月でまたニューヨークへ移ることになったんだ。それまで大学へは行くよ。向こうへ行ったら仕事が忙しくて、今みたいにお気楽ではいられないからな。」 「え?ニューヨークってお継父さんの会社?」 「ああ、そうだ。表向きは向こうにある支社の全てを統括出来るようになるための勉強さ。裏は・・・狸の化かし合いを見物しに行くんだ。」 そういうとおかしそうにくつくつと笑う。 でも俺は笑えなかった。そうだよ全然笑えない。ニューヨークだって?冗談じゃない。あんな所にいったら今度こそ本当にこの人は壊れてしまうだろう。ああこの話の展開はなんなだ!どうしよう。どうしよう。俺は今日どうしようばっかり言ってる気がする。 「帰れよ。」 「へ?」 頭の中がパニックを起していた俺はさぞかし間抜けな顔をしていたに違いない。 立ち上がった岩城さんは苦笑いともとれる表情で俺の顔を見下ろしていた。 「もうここへは来るな。そして学校で俺にベタベタ寄って来るのもやめてほしい。」 ベタベタって・・・きついお言葉・・今のは結構刺さったぞ。 そこで俺はイキナリ覚悟を決めてしまったのだ。 「いやだ。俺は岩城さんが好きだから側へ寄ることはやめない。ニューヨークの事も後でもう一度詳しく話を聞かせてね?ふたりで一緒に考えよう。今日は帰るけどまた来る。鍵なんて閉めてもだめだよ。あとヒサさんは俺の味方だからね。岩城さんの味方にはつかないよ。」 言ってしまった。岩城さんはつらつらと言葉を並べるおれを唖然とした顔で見ていたが、その目はみるみる内に怒りで吊り上ってきた。静かに怒ってる。結構怖い。 「何を言ってるんだ?」 「だから、えーと俺は岩城さんが好きなの。友達の好きじゃなくて、恋愛感情の好き。」 「・・・・ふざけるな。」 「ふざけてなんかない。俺は真剣だよ。だからいつも岩城さんと一緒に居たいし、何か問題があれば一緒に乗り越えていきたいとも思ってる。岩城さんは俺のこと嫌い?」 「・・・嫌いだ。」 「うそだ。」 なんの根拠があってこんな暴挙にでたのか自分でも不思議だった。でも今までの岩城さんの俺に向ける笑顔は偽者じゃなかったはずだ。恋愛の好きではなくても絶対嫌いではないと確信が出来る。友達の好きだった ら恋愛の好きに変えてゆけば良いだけのことだ。 「ねえ。岩城さん、俺まだまだガキだけど信じてよ。岩城京介っていう人間が本当に好きなんだ。あとほんの少しだけ俺に心を開いてみてよ。ほんの少しだけ寄り掛かってみてよ、お願い。」 「好きって・・・お前はバカか?俺は男だぞ?」 「そんなの分ってるよ。俺だって最初は悩んだんだ。でも好きなものはしょうがないでしょう?」 「冗談じゃない。お前の思いに俺を巻き込むな。迷惑だ。」 「いやだ。絶対に諦めないから。岩城さんだって絶対に俺を好きになる。」 「何も分らないくせに、勝手な事いうなっ!!!早くここから出て行け!」 静かで大人しいと思っていた岩城さんがここまで感情を露わにするなんて、俺は吃驚した。風のようでいて本当は内に秘めているものはもっと熱く滾るものがある人なのだろうと思う。岩城さんは激昂してるけど俺は岩城さんの別の面が見れて嬉しかった。でも今日はそろそろ本当に退散したほうが良さそうだ。 立ち上がり岩城さんに満面の微笑を向けた。 「ごめんね。でも今日は顔を見れて嬉しかったよ。また・・・来る。」 それだけ言うとドアに向かって歩く。岩城さんは俺の後ろを付いてきてくれなかった。ソファに座ったまま組んだ手に額を当て下を向いている。 「岩城さん、好きだよ。俺は絶対諦めないから・・」 俺は開けたドアからもう一度後ろを振り向き、顔を上げようとしない岩城さんに向かって言葉を投げてみた。 MOMO |
香藤くん、頑張れ・・・・!
その一言を彼にv