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ノックもないままドアノブがガチャリと音を立てて廻され、背の高いひとりの男が入ってきた。 薄灯りの中、窓際の岩城に向かって歩いていくが岩城は振り向こうともしない。 「何をそんなに落ち込んでいるんだ?京介・・・」 そう言い出窓に腰掛ける岩城の前に自分も座ると、そっと手を伸ばしてきた。 白髪の混じった髪と、まるでフットボール選手のように鍛え上げられた厚い胸板は少しちぐはぐな様にも感じられるが、正面を見据える鋭い眼光は壮年にして弱っている様子は微塵も感じさせないものだった。 その指が岩城の頬を掠めるとビクッと身体を振るわせる。 「ふっ・・いい加減少しくらい心を開いてくれてもいいだろう?」 伸ばされた手は優しく髪を弄ったあとやがて首筋へと降りていった。 「仕事は・・?NY支社長のご機嫌取りは終わったんですか?」 岩城は身体を這い回る手など存在しないかのように表情を変えず、少しの侮蔑を混ぜた冷ややかな口調で問う。 「ああ。近いうちにまたお前をこちらに寄こすからと言ったら大喜びだったよ。 どんな高いレストランに連れて行くより効果抜群だな。大学卒業したらまた暫くあっち行ってろよ。」 俯き小さく吐いて出た溜息は口を塞ぐ男の口腔へと消えていった。 諦め?いや違う。 これは運命なのだ。 生まれもった。 だから抗う事無くこのまま墓場まで持っていくしかない。自分の運命と共に、全ての想いを・・・。 夏季休暇も終わりに近づいた頃、香藤は美卯に書いてもらった地図を頼りに岩城の住む家へ向かっていた。 閑静な住宅街。ほとんどの家に塀が廻してあり、洋風、和風様々ではあるがその高級そうな外観をを半分 だけ覗かせている。停まっている車も高級車ばかりだ。 「え〜〜っと・・2丁目の129番地・・・っと、ここだ!」 “紺野”と彫られている石の表札を見つけてその屋敷の大きさに唖然としてしまった。 重厚な門構えを見上げ思わずあとずさってしまう。「で・・・でかい・・・」周りの建物をも圧倒するような佇まいがある。 北島二郎の家よりもでかいよ きっと・・・ こんなでかい家、誰が掃除すんだよ・・・・ 自分が余りにもこの場にそぐわない様な気がして、くだらない事ばかり考えてしまう。 気を取り直して、ひとつ咳払いをすると、凝ったデザインが施してある、たぶんインターフォンだろうと思われるボタンを押した。しばらく間が空きガチャガチャという音のあとに「はい。」と女の人の声が聞こえてきた。 <ふん、なんだよ俺んちと変わんないじゃん> 「あの、香藤といいますが、京介さんいらっしゃいますか?」 「香藤さん・・・ですか?」 「はい、同じ大学の後輩です。」 「大学の?・・・・・今開けますので少々お待ち下さい。」 今日は門前払いを覚悟でここに来たのだが、なんだか拍子抜けしてしまった。随分すんなりと開けてくれるんだな。 どんな人が出てくるんだろうと少しドキドキして大きな門の前で待つ。暫くすると立っていた横に小さなドアがあり、そこから初老の女性が出てきて、「こちらからどうぞ。」と手招きをした。 たぶんここの家の女中さんかなにかなのだろう、愛想のいいばあやという感じの人だ。 <なんだよ、正面玄関からじゃないわけっ?> 高い門を見上げて待っていた自分の姿の滑稽さに少し腹を立てながらばあやの後に従い中に入る。 ドアを抜けると幅広い石敷きのアプローチが玄関まで長く続いていた。 広い庭には芝生が青々と茂っていて、所々に大きな木があり色とりどりの綺麗な花を咲かせている。 その中で名前が分るのは、もう終わりかけで少ししか花を付けていないオレンジ色のノウゼンカヅラだけだった。 <この庭にもう2、3軒は家建つよな・・・> 建物は現代和風とでも言うのだろうか、横に広く這い蹲るように建てられている。その外観の雰囲気を見て何となくF・Rライトの落水荘が頭に浮かんできた。まあ自分の想像力ではこれが限界だろうな。 横に長い木戸を引き中に入ると、ぴっかぴかに磨かれた床に俺の一日のバイト代 より高そうなスリッパをだされた。自分の生活とのギャップの大きさに思わず腰が引けそうになる。 <ううっこんなんでビビってどうする!頑張れ、オレ!>とちょっとだけ自分に 叱咤激励しながら案内されるまま歩いていった。 深く考えず浅はかな行動に出ているようにも思われるだろうが、こんな俺にだって多少の思慮分別ぐらいある。岩城さんの俺に対しての優しさはきっと恋愛感情からのものではないのだろ うという思慮と、彼を傷つけずに今の状況から救いだすには慎重に行動しなくてはいけないという分別だ。 救い出す? それが本当に彼の為になるのだろうか? 単なる自分の思い上がりなのではないだろうか? そんな思いに何度も捉われ、中々前へ進み出せないでいた。 でも最後には俺を切なげに見上げたあの瞳が俺を早く早くと急かせるのだ。 中学の時に父親を亡くした岩城さんは、それを自分の所為であるとして今までずっと自分を責め続けた。 そして継母に連れられるまま、この家へと入るのだがここでもまた岩城さんは苦しむ事となる。 紺野克也は岩城さんの父親の友達だったのだそうだ。紺野がゲイであるという事は公然の秘密で、本人もそれを隠そうともしていなかった。それがある日突然の結婚宣言。晴天の霹靂とはこの事だろう。でも相手の 女性が連れてきた息子を見てそれを知る者は息を呑んだと言う。紺野が今も焦がれて止まないあの男の瞳と同じだったから。岩城さんの父親は紺野にとって、憧れ、愛、憎しみ、全てだった。こうして何年もの時を経て漸く自分の想いの形を変え手に入れたのだ。 それからの岩城さんの生活を想像しただけで、胸がキリキリと痛む。そしてそれも運命であると、全てを容認して受け入れている岩城さんにも歯がゆく思う。約1年半のNYでの生活も随分岩城さんを痛めつけたものらしい。戻ってからの岩城さんは前以上、自分の心に高い高い塀を巡らせ、そして決して誰も寄せ付けようとはしなかった。 陽のあたらない部屋の隅で背中を丸めて声を押し殺してなく子供。切なさで痛む胸を押さえ、寂しいと声も出せずただ嗚咽する。 誰か見つけて!お願いだから誰か僕に気づいて! 岩城さんのそんなこころの叫び声が聞こえるようで俺はただ黙って見ているなんて出来なかった。 居間に通されてやたらふかふかと腰の沈む大きなソファに座らされた。 暫くすると先ほどのお手伝いさんが戻ってきて、俺に申し訳なさそうに頭を下げてくる。 「本当に申し訳ないんですが、京介ぼっちゃまは誰にも会いたくないと仰いっていまして・・・・」 「え?」 「自分のことはもう構わない様にとの事です。」 「岩城さんが・・・?」 「はい・・・あの・・・でも香藤さん、私がこんなでしゃばった真似をしてはいけないとは思うのですが・・どうか・・・どうか京介ぼっちゃまを見捨てないであげて下さい。このままではあの方の心は壊れてしまいます。とても優しい方だから・・・全て自分で背負い込んでしまおうとなさる。笑わないんです。もうずっと・・・・以前はどんな嫌な事があっても私の前では冗談を言って笑わせてくれていました。身体の弱った私をいつも 気遣って。 日に日にやつれていくぼっちゃまを見ているのが辛いんです。お願いです。どうか助けて差上げてくださいませんでしょうか!お願いです!!」 ソファに座ったまま固まっていた俺の足元に縋り付くようにして懇願してくる。 俺は慌てて彼女の肩を掴むと震える背中を優しく撫でた。 「分りました。大丈夫ですよ。俺に何が出来るか今はよくわかんないけど、貴方と同じくらい俺も岩城さんの事大好きだから、きっとどうにかするから、また笑ってくれるように俺がする から、安心して下さい。ね?」 「ああ・・神様ってやはりいるんですね。貴方は太陽の匂いがします。きっと京介ぼっちゃまをここから救い出してくださる。初めてなんです、家にまで訪ねて来てくださったお友達は。・・ああ・・良かった・・・・」 俺の言葉に安心したのか、そんな事を言うと、 「夜まで奥様も旦那様も帰りません。取りあえず作戦会議をしましょう!」 スックと立ち上がってキッチンへ行ってしまった。 作戦会議??ああ・・・オレ責任重大だ・・・・こうして何人かの人間を巻き込みながらも、岩城さんに近づくべく一歩を踏み出したのだった。 <PRESIDENT >のプレートが掛かる一室。 紺野克也は火の点いたタバコを口の端に銜えたまま、足下に広がる夜景を眺めていた。 だが意識はつい数時間前の京介との口付けの瞬間に飛んでいた。固く閉ざされた唇は相変わらず紺野を拒否していたが、今までは息苦しさに少し開いた唇へ差し込まれた舌からは逃げる事などなかった。いつも最後にはおずおずとした仕草でそれに答え、首に手を廻してきたのだ。それが今日はどうした事だろう。どんな執拗にノックしてもその唇が開かれることは無かった。 「好きな女でも出来たか?」 そう聞くと、ふっと何処か投げやりの冷笑を浮かべたまま、視線は窓の外へと向けられたのだ。その横顔があの日の岩城と重なって忘れかけていた思いがザワリと胸を撫であげた。 紺野と岩城。学生の頃、演劇を通じて知り合ったふたりはが仲良くなるのにそんに時間は掛からなかった。 東京で育ち、金持ちの家の末っ子として我侭放題に育ってきた紺野と違い、新潟の旧家で厳しい父親の元、その頃の岩城家の生活は随分と苦しいものだった。それでも名前を出すだけで何でも手に入れられる友を、 「お前には幸せの女神が付いてる」と言って憚らず、嫉妬や妬みなど微塵も無い屈託のない笑顔を向けるのだ。紺野の周りには取り巻き連中が何人もいたが、大体は名前につられて媚を売ってくるような輩ばかり。だが岩城はそのどんな連中とも全く違っていた。岩城の大らかさに、無邪気さに、心の純粋さに紺野はいつしか本気で惹かれていく。そしてそれが恋愛感情であると気づいた時、まるで心臓を鷲づかみにされるような胸の痛みに苦しくて毎晩ベッドの上を転げ回った。 ある日結婚が決まったとの報告を受けた時、自分の全ての想いが崩れ去るのを感じた。 この全身を掻き毟りたくなるような焦燥感をどう伝えれば良いのだろう? 自分の思いは告げていなかったし、付き合っている女がいるのは知っていた。でも結婚相手は新潟の地主の娘だという。 帰ってしまう・・俺の前から居なくなるというのか?俺のこの思いも気付かないままで? 家族や子を創り俺の手の届かない世界で生きるというのか? そんなことは・・・許さない!! お前は俺の隣でずっと生きていくんだ!! 離れるなんて許さないっ!!! その夜俺は無理やり岩城を抱いた。 男など抱いた事の無い俺はただがむしゃらに貪り付いて彼を傷つけた。 始めは抵抗していた岩城も、叫び嗚咽する俺に最後はおとなしくなった。 俺の下で揺さぶられながら何処か遠くを見つめる横顔は、諦め、侮蔑、同情、そのどれでもない。 やめろ!と殴り、お前なんて大嫌いだ!と罵られたほうが俺はどれだけ幸せだっ ただろう。 俺は自分自身を罵り、そして彼を愛したまま憎んだ。 それから顔を会わせぬまま、数日後彼は新潟に帰り、数年後には本当に手の届か ぬ人となった。 夏が大好きだった人。彼は夏の空の住人になれたのだろうか? |
香藤くん動き出しました!
岩城さんを早く・・・と願うばかりです
一方紺野も思うところがあるようで・・・
MOMOさんお疲れ様です
続きを楽しみにしていますv