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どうやって家にたどり着いたのか定かでないほど、香藤の心はそこになかった。 路地での岩城の顔が頭にこびりついて離れないのだ。あの場面を繰り返しては自分の馬鹿さ加減に嫌気がさす。「くそっ・・どうしたらいいんだよ・・!」 まるで死人のような足取りで帰ってきた香藤に、両親は驚いた色を隠せないでいたが何も聞いてはこなかった。どんな問題でもきちんと自分で解決できる息子だと信じているからだ。 もし解決し得ない問題であれば必ず自分達に相談をしてくる、そう思っていた。 ベッドにドサッと身体を投げ出してもう一度考え直してみる。 お父さんは、何故死んだの?この言葉に異常な反応を示した岩城。そして自分で殺したと言った。 殺人??いや、まさか、そうではないはずだ。それならば間接的に死に追いやる羽目になってしまったということか?どのみちそのことが岩城の心を苦しめているのは確かなのだろう。 香藤はおもむろに起き上がるとバックから携帯を取り出し、リダイヤルの随分後の方にあった番号をプッシュする。 何回かの呼び出し音のあと聞きなれた声が聞こえてきた。 「ハーイ洋二、めっずらしいわね。どうしたの?」 「美卯、これからそっちいっていいか?」 「友達何人かいるんだけど、一緒でいい?」 「悪いけど、そのこ達帰してよ。」 「たまに電話してきて随分勝手な事言うのね。それにどうして女の子だと思うわけ?」 「男なのか?」 「・・・・ふん、女の子よ。わかった・・・おいでよ。」 はぁっと溜息をつくのが聞こえる。 「すぐ行くから。」 それだけ言うと電話を切ってバックへ再び突っ込み、急いで家を飛び出していった。 「どうせそんなことだろうとは思ったわ。まったく・・・やることが性急すぎんのよ。」 話の半分くらい終わったところで呆れるよう顔をした美卯は冷蔵庫へ歩いていくとビールを投げてよこした。 「なんだよ、これじゃ開けられないだろ?」 大きく振られたビールは開ければ泡だらけになってしまう。 「開けなさいよ。」 「へ?」 「だから開けなさいよ。少しは京介の気持がわかるかもよ。」 「???」 「ビールは京介、ビールの缶を思いっきり振ってるのはあんた、そしてすっごく中途半端にプルトップを引いてしまったのもあんた、それなのに自分に泡がかからないようにしようなんて虫が良すぎるんじゃない?」 「はい?」 「当たり障りのない解決方法なんてないって事。もういいわよ。」 「おまえはいっつも訳わかんねえ・・・」 「で、あんたはどうしたい訳?京介の何を知りたいの?それを知ってどうするの?」 「そんなに質問ばっかするなよ。」 「本気なの?って聴いてんのよ。中途ハンパな気持でこれ以上近づくんだったら私が許さない。」 「え?」 「もっと京介の心に入りたいんだったらそれなりの覚悟を決めて。でないと京介があんまりにも可哀そうすぎるよ。」 「どういうことだよ・・」 その後、美卯から聞いた話は香藤の想像をはるかにこえるものだった。 広い座敷で京介は画用紙に向かい花の絵を描いていた。 座卓の横には一人遊びをする子供が寒くないようにとストーブに火が灯されている。 「京介、京介、ほらまた雪が降ってきたわ。」 母の声に急いで立ち上がると廊下へ出て大きなガラス戸を開けた。 「わー!ほんとだ!ねえ、お母様ゆきだるま作ろうよ!」 「いいわね。さて、おめめは何でつくりましょうか。」 「みかん!」 「ふふ・・じゃあすごく大きなゆきだるま作らなきゃいけないわよ。」 「うん!!」 外に出ると笑いながらふたりで庭の雪をまるめていった。父は縁側に座り微笑んでいる。 ヨイショヨイショと大きくなってきた雪の塊を転がすふたつの手がふっと離れた。 京介ひとりの力では転がってくれない。 「お母様もっと一緒に押してよ。」 後ろを振り向くと母がうつ伏せるようにして倒れている。 「お母様?」 ピクリとも動かない。これは死んでるんだ。とっさに京介はそう思った。 「お母様っ!!」 泣きながら駆け寄ると、ムクリと起き上がり京介を睨みつけた。 「ひっ・・!」 母は庭を横切り道路の反対側まで走って行くと、そこから大きく手招きをする。 「京介!こっちおいで!ほら。きれいな花がさいてるわよ。早くおいで!」 きれいな花?今冬なのに・・・ 京介が立ちすくんでいると 「こっち来なさいっていってるでしょう!!!」 優しそうな母の顔が、継母である恭子の顔に変わる。 暑いよ・・・・冬なのになんでこんなに暑いんだろう・・・ 髪を振り乱し大きく口を開けて笑いながらこっちへ来いと叫んでいる。 「京介ぇ〜〜っ!!早くしなさ〜〜いっっ!!!」 大きな口が顔まで裂けた! 「うわあああああっ〜〜〜っ!!」 叫びと共にベッドから飛び起きると、ハアッハアッと荒い息を吐く。 身体中から汗が噴出しパジャマがべったりと貼り付いていて気持が悪かった。両手で顔を覆い流れてくる 汗を拭う。 母の夢を見るのは久しぶりだった。夢の中でとても満ち足りた気持で母の姿を思い描いているのに最後には必ず現在の継母の姿に変わってしまう。夢の中くらい母と共に心穏やかにいた いという願いも俺には許されないのだろうか。 昨日香藤にあんな事を言ったからだ。 何故俺はあんなことまで喋ってしまったんだろう? きっと香藤は呆れてしまっただろう。全てを知ってしまったらこんな暗い過去を持つ自分など疎ましく思うに違いない。 俺はあの太陽のような明るさにはふさわしくない。 いつの頃だろうか、あいつといるととても心安らいでる自分がいることに気づい た。あいつの笑顔を見ていると、自分も一緒に陽の光のしたを歩いてもいいのだと錯覚してしまう。ずっと側にいたいとさえ思う。 この思いはなんなのだろう。俺が香藤に恋をしたとでも言うのか?この先に何かを期待していたんだろうか? 「くっくっ・・・・ばかばかしい・・」まるで自分自身を嘲るかのように、笑いが漏れる。 その乾いた笑いはいつしか小さな嗚咽に変わっていった。 「人間なんて結構強いもんなんだよ。」 ついこの間岩城が言っていた言葉だ。その日も青空が気持ちよくて、嫌がる岩城を無理やり外に連れ出して今は緑の葉を茂らせている桜の木の下で始めは好きな役者の話など取り留めのない会話を楽しんでいた。 その時、まるで自分自身にも言い聞かせているかのように話してくれたのだ。 「身体の傷なんて時間が過ぎてしまえば治ってしまうし、心の傷は治ることはなくても時間が経てば、ここにあることに慣れてしまうんだ。」 岩城はそういいながら右手を自分の胸に当てて見せた。 「そう、まるで指輪みたいにさ。最初は邪魔に思えてもそのうちあって当たり前のものになってくる。その時は辛くても、いつか必ずそうなるんだよ・・・・」 「指輪か・・・岩城さん・・いっぱい付けてるの?」 何故か少し切なくなって隣に座る岩城の袖口をくいっと引っ張った。そんな香藤の仕草に、綺麗な目をわずかに細める。 「クスッ・・どうなんだろうな。慣れすぎて今じゃ分らないよ。」 「でもさ、たとえ慣れたとしてもきっとここはどんどん重たくなってくるよ。一個増えたら一個外さなきゃ・・・重くなって疲れちゃう。」 そう言って香藤は岩城の胸にそっと手を当てる。そのままふたりは目と目を合わせたまま動かなかった。 やがて岩城は自分の胸にある香藤の手に右手を重ね「お前が・・・・外してくれるの・・・?」 岩城のあまりにも真剣な眼差しと、握る手の強さに少しうろたえてしまう。 「い・・わき・・さん?」 「な〜〜んてな。冗談だよ。なかなかの役者だろ?」 ぱっと手を解くと笑顔にすり変え、痛々しいまでの演技をして見せた岩城が今は悲しい。同時にそんな岩城がとても愛おしく思えるのだった。 “あの時の岩城さんはもう限界だったんだ。きっと重くて重くて逃げ出したくて俺に助けを求めようとしたんだ!” 「俺が側にいてあげるよ、岩城さん。待っててね。」 あの事があってから、もう10日になるが一度も岩城と会っていなかった。携帯も繋がらないし大学にも顔を出していないらしい。避けられるのは予想していたので、別段慌てる事はない。 美卯に散々怒られたのだが、俺のやり方でやると決めた。中途半端な気持なんかじゃないし俺は自分自身の気持に正直になる。岩城が好きで、岩城の側にいたくて、岩城の肌に触れたくて・・・・確かに初めはこんな自分の気持を持て余していた。 だが今は自分だけ泡から逃れようなんてこれっぽっちも思っていないし、泡だらけになってもビールは手から絶対離さない。この10日間今までどおり生活しながらも頭の中は岩城の事でいっぱいだった。 女達が相変わらずいろいろと作戦を練って近づいてくるが、すべてが馬鹿馬鹿しく見えてしまう。 岩城さんが誰より綺麗。巨乳もきれいヒップも何もいらない。岩城さんが欲しい。もう一度笑って欲しい。俺の隣で・・・・心から・・・ 美卯は岩城が心を許せる唯一の身内なのだそうだ。岩城の強さも優しさも脆さも悲しみも全てわかってるから、だからこれ以上岩城を傷つける奴は許せないと言っていた。 「興味本位で近づいてきた女は片っ端から追い返してやったわよ。京介はそういう所疎いんだもの。」 あれだけカッコイイのだ、女達が騒ぐのも無理はないだろうと香藤は思うのだが、そういう話を聞くと胸がシクシクと針で刺されるように痛む。これは嫉妬という感情だ。 「付き合ってた娘なんていたの?」 「本気ではいないわよ。セフレみたいのは居たみたいだけど。」 「セフレがいたの?」 「そりゃ京介だって男だもの。私だってあんたからすれば似たようなものなんでしょ?」 「えっ?そんな・・ことない・・けど・・」 「別にどうでもいいわ。でも私はそんな洋二のこと好きだよ。」 「う・・ん。」 その後もカラカラと笑いながら岩城の癖や、高校生の頃のエピソード等を色々話してくれたのだった。 こいつはやっぱりどうにも掴み所のない女なのだ。 岩城はずっと家に篭っていた。<ここにいればまたあいつがやってくる。>そう分っていても明るい場所に出る事が出来ない。香藤という存在を失ってしまったという喪失感のみが岩城の心を支配していた。 二間近くは優にあるだろう広くとられた出窓に腰かけヴァイオリンを弾いていた。唯一の父の遺品であるストラディヴァリ・ロングストラド。生前、芸術家肌であった父がドイツの知人から譲りうけたものだった。父は絵画や演劇などにも趣が深く、いつも沢山の友人達に囲まれていた。 岩城も小さい頃から舞踊やヴァイオリン教室に通わされていたが、友達と遊んでいたくて、いつも稽古の時間が近づくと、皆で作った林の中の秘密の場所に隠れていたのだ。 その頃にはもう今の母親が嫁いでいて、外からは他となんら変わらぬ普通の家族と写っていた事だろう。 だが新しい母が来てから一年と経たないうちに、岩城は家にいる時間が恐怖と変わっていったのだった。 12歳になった岩城は黒目がちな瞳ときりっとした口元が印象的な少年になっていた。 その両性的な美しさは時に大人たちをもドキリとさせる。 おしろいの匂いをさせて継母が近づいてくる。 「京介、お前は悪い子ね。今日もまたお稽古休んだの?」 「ごめんなさい・・・。」 「謝ってもだめよ。お父様はお出かけしてるからお母様が叱ってあげる。こっちへ来なさい。」 「え・・やだ・・またあれやるの・・?」 「そうよ。悪い子にはお仕置きをしなくては・・。」 そういうと継母はクスリと笑って見せるが眼はぎらついていて、これから起こる事への恐ろしさで身体が震えてしまう。 「いやだ・・ごめんなさい!もう絶対休まないからっ!ごめんなさい!」 「だめよ。許さない。」 京介の腕を掴みずるずると引きずるようにして、いつものように奥の物置部屋に連れて行かれた。 部屋に押し込み後ろ手に襖を閉める。 「ねえ・・お母様許して下さい。・・お願い・・・」 「お前は、あの女にそっくりだわ。私の全てを奪ったあの女に・・・あの人の心が戻ってこないのはお前のせいよ。私の子供の方がきっと可愛かったわ・・・・あんたなんて大嫌い!」 京介をドンッと突き飛ばすと重ねてあった布団の上に転がす。言っている意味がわからずただ恐怖に身を慄かせていた。 「お前は悪い子ね。お前のお母様はお前の所為で死んだのよ。知ってる?お前を産まなきゃまだ生きてたわ。お前は私の幸せもそして自分の母親をも殺したのよ?本当に・・悪い子ね・・・」 これはいつも継母から叱られるとき必ずといっていいほど聞かされる言葉だった。 部屋の端に置いてあった紐を手に取ると、布団に震えながら転がる京介の腕を後ろで縛りあげる。 ポケットから小さな蝋燭とライターを取り出すと京介の目を見据えた。 「今日はこれで叱ってあげるわ・・・」 「やだ・・・やだ・・」 悲鳴は蹲る布団に吸い込まれる。でも涙は決して流さなかった。お仕置きと称する行為が終わるまで目をきつく瞑り唇をかみ締めて耐えるのだ。 継母は終わると必ずこうも言った。 「この事をお父様には言ってはいけないのよ。あなたが悪い子だというのがばれてしまう。お父様をまた悲しませたくはないでしょう?きっと怒って家を追い出されてしまうわ。」 そして優雅な身のこなしで京介の前から去っていく。 お父様には言ってはいけない。それだけが京介の頭の中で何度も繰り返されていた。 岩城は今になればあれほど憎かった継母の気持も多少は理解出来なくもないと思う。 悲しい女なのだ。ただひとりの男に人生を左右された・・・愛して、愛して、愛して・・・そして裏切られた。お腹に宿っていた小さな命の光も誰一人知ることなく消されたのだった。 家のためという名目で跡形もなくなった愛は憎しみという形で再び焔の頭を擡げることになる。 その思いはかつては愛していた男だけでなく、息子にも及び、そして今もなお続いているのだ。 父は岩城が中学に入った年の暑い夏の日に死んだ。 道路の反対側から呼ぶ継母に気づき、とっさに逃げ出した岩城を庇おうと道路に飛び出したのだ。 故意だったのかもしれない、微かに微笑んだかに見えた継母の顔を今もはっきりと憶えている。 父は車に5m飛ばされ即死だった。父が倒れた鋪道にはピンクと白の夾竹桃が大きく花を広げていた。 父が大好きだった夾竹桃の花。 ふと岩城がヴァイオリンを弾く手を止めると、パタパタと静かな足音が近づいて来るのが聞こえた・・・ あいつが、紺野克也が帰ってきたのだ。岩城は息を吐き小さく震える肩を自分で抱きしめた。 |
岩城さんの過去が少しずつ分かってきました
それにしてもこの継母って・・・汗
そして紺野登場です・・・・