3



その日も構内の喫茶店で本を読んでいる岩城を見つけ、ぱっと笑顔でいっぱいにすると「岩城さん!」
と大きく手を振ってきた。
香藤の本当に嬉しそうな屈託のない明るい笑顔と子供みたいな仕草にいつものように笑いがもれる。
急ぎ足でやってくるとふうっと溜息をつき、岩城の前の席に腰を下ろした。


「探したんだ。」
そう言うとにこにこしながら身を乗り出してくる。
「岩城さん今日の予定は?」
「このあと講義学習が入ってるけど・・・?」
「その後は?」
「別に予定はない。」
「よかったぁ、ね、映画観に行こうよ!」
「映画?」
「うん!この間岩城さんがまた観たいって言ってたやつ、上映してるとこ見つけたんだ!」
「へえ・・・」
それははあまり話題にはならなかったイタリア映画なのだが映像の美しさと独特のリズム感のあるストーリーが岩城はとても気に入っていたのだ。
「ね!いこっ!!」
何かすごい宝物を見つけて、誰かに褒めて貰いたがってる子供みたいに、頬を上気させ岩城の返事を待っている。
「あの映画が又観れるなんて嬉しいな。」
途端に香藤の顔に満面の笑みがこぼれた。そこだけぱっと明かりがついたようでその顔に思わず見とれてしまう。
「くすっ・・お前はなんだかいつも楽しそうだな。悩みなんて何もなさそうだ。」
「な〜んかそれって褒められてる気がしないのはなんでかな〜〜?」
そういうとふたり笑いあう。優しい時間が流れていた。
本当は悩みだらけで、そして今はあんたの事で頭一杯になってて、それが一番の悩みの種だという事はいわないでおこう。香藤は思った。



「ふ〜〜〜ん。やっぱり噂は本当だったんだ。。」
ふたりで顔を付き合わせ話をしていると、突然後ろから声がして同時に振り向いた。
するとそこには腕組みをして片眉を不満気に吊り上げた顔の美卯が立っていた。
どんっと香藤の隣の椅子に座り、興味津々の様子でふたりを交互に眺め始めたので、そのあからさまな視線に少々たじろいでしまう。
「な、なんだよ、噂って!」
香藤はこのところ冷たくあしらっていた美卯がここに来たことで、ふたりの時間を邪魔されたいらだたしさと、自分の美卯に対する冷たい態度への後ろめたさで、あたふたしてしまい上手く言葉が出てこない。
「そりゃあ、うちの大学で1,2位を争うイケメンふたりがこう毎日つるんでたんじゃ、噂にもなるわよ」
「はあ?」
まったく訳わかんない事言う奴だ。
「なんだか京介も最近、随分雰囲気が変わったもんねぇ・・洋二のお陰ってわけ?」
「そんなことないだろ。」
岩城は少し気まずそうな苦笑いをもらして、前髪をかきあげた。
京介?って岩城さんのこと?なんで美卯が呼び捨てするんだ?変わった?岩城さんが?
疑問符が頭の中で飛び交っている様子の香藤に、美卯はクスリと笑いを漏らすと
「なによ京介、まだ話してなかったの?私達が従兄弟同士だってこと。」
そういうと岩城に顎をしゃくってみせた。
「へ??」
「う・・・・ん。何か話すタイミング掴み損ねて・・・それにお前達付き合ってんだろ?だからもう美卯の方から話したかも・・・とか思ったり・・・・」
ごにょごにょと最後の方は聞き取れない位、岩城にしては歯切れの悪い言い訳を並べ始める。
「やあね。別に責めてるわけじゃないの。ただ言いづらかっただけよね。そのあたりはよーくわかるわ。」美卯は口の端を上げにやりと笑った。



「従兄弟同士?岩城さんと?」
「ええ、そうよ。」
そういえば以前、美卯の話題が出た時、何となく気まずそうな顔をしたような気がする。
と香藤はその時の岩城の表情を思い返してみた。
「従兄弟っていっても血のつながりは全くないけどね。ま、その辺りは京介に聞けば。」
「そうだったんだ・・・」
あとに続く言葉が見つからずただ美卯の顔を見つめていた香藤は、その視線の先を岩城に移した。
岩城はといえば、いきなり始まってしまったこの事態をどう収拾すべきか考えあぐねていた。確かに今までふたりで話をしていて美卯の話が出る事はあったが、何となく言いそびれてしまっていたのだ。
香藤が美卯のマンションへ出入りするような仲であることは知っていたが、一緒にいるときに美卯の話題をふられるのがなぜかとても嫌だった。何故だ?まるで俺が美卯に嫉妬してるみたい?まさか!!
小さく頭をふり自分の腕時計に目をやる仕草をすると、テーブルに手を付き立ち上がった。
「香藤、あとでゆっくり話すよ。とりあえず講義出てくる。」
「あ、う、うん俺ここで待ってるから。」
岩城は片手を軽く挙げるとチラリと美卯の方を見てから出口へ向かって歩き始める。
「京介!私たち付きあってるわけじゃないから!」
美卯が岩城を呼び止めるように少し大きな声で言った。
岩城が驚いて後ろを振り向くと、形の良い足を組み両肘を後ろのテーブルへ掛け胸を突き出した格好の美卯が、たぶん普通の男だったらイチコロで参ってしまうだろう笑顔を浮かば
せてこちらを見ていた。
「ライバルが貴方なら不足はないわ。私って案外しつこいから覚悟しといて。」
そういうとウィンクをして見せた。
しばらくあっけに取られて美卯をみていた岩城だったが、溜息をつき呆れた顔をつくると
「ば〜か。何言ってんだ?」
とだけ言って踵を返すようにして喫茶室から出て行った。

岩城が行ってしまうと、美卯は寂しげな顔になり香藤に凭れかかって目を閉じる。
「あんな事言ったけど、やっぱり相手が京介じゃ勝ち目ないかなぁ〜」
「だ〜からお前何言ってんだってば!」
くるりと向きを変え香藤の頬をぎゅっと抓ると上目遣いに睨んできた。
「あんたねぇばっかじゃないの?自分で恋してるのにも気づかないわけ?」
「へっ?恋っ!?」赤くなった頬をさすりながらかなり上ずった声を上げてしまう。
「そう。それも相思相愛。ほんっと悔しいったらないわよ。」
「恋って・・岩城さん男・・・だぞ・?」
「そんなの当たり前じゃない。あんな綺麗な顔してたって付いてるもんはちゃんと付いてるわよ。」
相変わらず、すました顔で随分とどぎつい事を言う。
「お前なぁ〜・・・そういう意味じゃなくって!」
「なにつまんない事拘ってんの?洋二らしくないよ。私にはわかるの。あんただって本当は自分の気持に気づいてるはずよ。京介だってついこの間まであんな顔で笑った事なかった。あんな楽しそうに・・・京介を変えたのは洋二だよ。この意味わかる?」
「?」
「あんたってホントばか。自分でよ〜く考えなさい。悔しいからこれ以上教えてあげない。じゃね!」
椅子からストンッと軽く飛び降りると後ろを一度も振り返らずに行ってしまった。
「なんなんだよ、あいつ・・・」
香藤はテーブルに突っ伏してひとつ溜息をついた。美卯の言いたい事はわかっている。自分は確実に岩城に恋をしているのだ。白いうなじに欲情してしまったこともあるし、あの人の笑顔を見ているととても満ち足りた気持になる。でも岩城さんは?俺といてどうなんだろう?変わったって言ってた。
じゃあ岩城さんも俺のことを?俺は岩城さんとどうなりたいんだろう?岩城さんは俺とどうなってほしいと思ってるんだろう?美卯に気づかれてるって事は、そんなに俺、端から見て判るほど浮かれまくってるって事?それってやばいじゃん。たぶん・・・
「はあ・・・思考回路がパンクしちまう・・」小さく泣き言をいうと外に顔を向ける。
外では暑そうな太陽が芝生に続く歩道のレンガをじりじりと焼いていた。




3杯目のコーヒーを半分まで飲んだ頃に岩城は戻ってきて、少し上がっている息は急いで走ってきたのだろう事を示していた。
「香藤、待たせたな。」
「ううん。全っぜん平気!じゃ行こうか?」
「ああ」
ふたりは並んで喫茶室を出ると、暑く焼かれたレンガの歩道を歩いていく。喫茶室近くの歩道の横には街路樹として夾竹桃の花がたくさん植えられていた。もう今は八分近くまで咲いていて、名前よりも幾分派手めな花弁を大きく綻ばせている。
岩城はふと立ち止まり眩しげに目を細めると夾竹桃の花を見上げた。
「夾竹桃の花咲けば・・・」
「え?」
「いや、昔読んだ、というより読まされたって言うのかな?少年少女向けの小説の題名だ。」
「もう一回教えて。」
「夾竹桃の花咲けば・・・佐藤紅緑。内容はうっすらとしか覚えてないけど、夏になるといつも思い出すんだ。」花を見ながら語る岩城は懐かしそうと言うよりはむしろ少し苦しそうな目をしていた。
本当は思い出してしまうのが嫌で仕方ないのだとでもいうように・・
「ふ〜ん。」
「俺はこの花は怖いってイメージあるよ。随分まえ広島に家族で旅行に行ったとき、夾竹桃は原爆の花って書いてあったんだ。」原爆ドームの思わず目を背けたくなるような現実の遺物と、その言葉のイメージが重なってしまって、この花を見るとなんとも物悲しい気分になる。
「小さい頃、脳にインプットされたイメージって大人になってもしっかり残ってるんだな。」
「ふふ・・・ほんとだね。」
岩城の脳にインプットされているイメージ、夾竹桃の花は“死”そのもであった。隣を歩く香藤はそれを知る由もない。







電車を乗り接ぎ映画館への道を肩を並べて歩く。電車の中ではふたりとも何故か無言だった。
繁華街の外れにある随分昔に建てられたのであろう古びた映画館までの距離がとても長いものに感じられる。岩城も香藤もどうやって先程の話を切り出そうかと考えていたのである。
先に口火を切ったのは岩城だった。
「俺の母親は小さいときに死んでる。」
「えっ・・・?」
突然岩城が話し始めた内容を把握するまで時間が掛かってしまった。死んだ?今の母親は?何故?
こんな切れ切れの疑問しか浮かばず、言葉になって出てこない。
「今の母は死んだ父親の再婚相手なんだ。死んだ父は新潟の旧家の長男だった。
そしてお決まりのコースとでも言うのかな?その頃父には将来を誓い合った女性がいたんだが、本人の意思は全く無視で、親の決めた許婚との結婚。その時代ではありがちな話だったんだろう。
でも愛し合って結ばれたわけではなくとも、一緒に住んでいればそれなりの情も湧くし、夜の生活だってある。そして2年後に男の子が生まれたんだ。それが俺ってわけだ。」
まるで他人の話でもしているように、何の感情も見せずに話を続ける。
「子供が生まれてから、ふたりは良い方へ変わった。その子供を通してお互いを心から愛しむようになったんだ。俺は両親にとても大事にされたよ。まるで壊れ物を扱うようにね。」
しかし幸せは長くは続かなかったのだ。母親は冬の寒い日、子供と一緒に庭で遊んでいる最中に倒れ帰らぬ人となってしまう。心臓発作だった。元々病気がちな身体ではあったのだが、あまりにあっけない死様に周りも掛ける言葉を失っていた。
「そしてその後、今の母と再婚したんだ。昔、一度約束をした女性とね。」
「うそ・・そんなことって・・・・」
「結局もとの鞘におさまったって訳だ。そしてそのうち親父も死んで、母は今の父と再婚をした。だから美卯とは、なんの繋がりもないんだけど、世間から見たら従兄弟同士になるってこと。ん〜ここまで長かったけどわかった?」難しい顔をして黙り込む香藤を覗き込んできた。
「そんな難しい顔するなよ。しかしなんでこんな事までお前に話してるうだろうな、俺。」
「あ、でも岩城さん名字が違う・・・」
「ああ、それは俺は死んだ父方の籍に入ったままだからだ。紺野は俺に会社を継がせたいらしいから、そういうことになったらこっちに籍を移さなきゃならないな。」
岩城の現在では父となっている男は紺野克也。美卯の父親である、紺野泰三の歳の離れた弟だ。
主に海外支社の取り纏めをする立場の地位にいる為、日本にいない事も多いらしい。
「ほら、もういいだろ?早く映画観よう。」
もう、すぐ映画館の前まで来ていたし岩城はこの話を終わりにしたがっていた。
香藤は頭の中で、岩城に聞いた話を整理してみようと試みるが、足が止まってしまうと岩城が早くとせっつくので、どうにも纏まらないまま、また歩き出した。
前をあるく岩城に何ともはなく話しかけてみる。
「ねぇ、そしたら岩城さんて、今けっこう微妙な立場なんじゃないの?居づらくない?」
今の両親どちらとも全く血の繋がりがないのだ。岩城があまり良い環境で生活しているとは思えないのだった。
「あはは、そう言われれば確かに微妙だよな。でも今の自分を後悔はしてないよ。全ては必然の集積ってやつだ。」
「必然・・・?」
「そう。なるべくしてなったって事だよ。俺の今までの人生の分岐点で、選択肢は幾つもあったんだ。
その中で今の道を選んだのは俺自身。もし、あの時こうしてたら・・・って事は絶対にありえない。」
岩城はそう言い切るとぐっと奥歯を噛み締めるようにして前を見据えた。
数時間前、岩城の姿を見つけ、あんなに浮き立っていた心は、いつのまにか萎んでしまっていて、足が地面にくっついてしまったように前へ出す事ができない。
岩城が人には言えない何かを、綺麗な目を曇らせるほどの何かを、背負っている気がしてならなかった。
なんとも言いようのない不安と、切なさがこみ上げてくる。
香藤はふと顔を上げると岩城をみつめた。
「ね、お父さんは何で亡くなったの?」
と思い切って訊いてみた。
すると振り向いた岩城の顔がさっと曇り、香藤の視線が重たいとでもいうようにふいと目をそらした。
唇がわずかに震えてるように見えたのは、目の錯覚だったのだろうか。
「・・・・・・」
思いのほかの岩城の反応に焦ってしまう。
「岩城さんごめん・・・・ごめんね。言いたくないのに・・ホントごめん。今の忘れて・・・?。」
「・・・・・んだ・・。」
下を向いたままの岩城の口から何かが漏れた。
「え・・・?」
「俺が・・・殺したんだ・・。」
あまりの衝撃的な言葉に、香藤は息を呑んだまま固まってしまう。
殺した・・・??
岩城の顔を見つめたままピクリとも動けない。
「ちょっ・・・岩城さん?なに・・言ってん・・の・・?」
苦しげに俯き唇をきつく噛み締めている岩城。泣いてしまうのだろうか?
「すまない、香藤。映画はまた今度にしよう。」
「・・・・帰っちゃうの?」
「すまない・・・・。」
そういうと足早にさっき来た道を戻り始める。
「岩城さん!!」
呼びかけてみたが振り返ることはなく、後ろ姿はどんどん小さくなっていった。
「行っちゃった・・。」
香藤は呆然とたちつくしたまま、自分の無神経さを呪ってみる。
馬鹿だ!俺何を焦ってたんだろう?
何故あの人を追いつめるようなこと言ってしまったのか。
あの人はまた心を閉ざしてしまうのだろうか・・・泣きたくなってきた。
「どうしよう・・・・」
ビルの影が落ちて暗くなり始めた狭い路地で、ひとり取り残され途方にくれる。

MOMO

2へ  4へ



第3話ですv
近づいた分だけ、互いの事が知りたくなる・・・
これからふたりがどういう風に展開していくのか
目が離せないですね!