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あれから数日たつが、あの男と会うことは無かった。 振り向いたときの寂しげな顔が何故か忘れられなくて、ついキョロキョロと辺りを捜してしまう。 すごく大人っぽかったから俺より年上なんだろうな・・・ 4年生かな・・・? なんであんなにドキドキしちゃったんだろう・・・ なんであんなに悲しそうに笑うんだろう・・・ なんで俺はこんなに気になるんだろう・・・・ ふと頭をよぎるのはそんな事ばかりだ。 「今度会ったらちゃんと話してみたいな・・・」 その日は雨だった。霧のような雨粒はじっとりと身体に纏わりつき嫌でも気分は少しナーバスになる。 学生食堂に入り入口の発券機でB定食の券を買う。今日は豚肉の生姜焼きに揚げ出し豆腐つきだ。 ここの学食は味も結構イケルし何しろ安いので、午後の授業がある時はいつもここで昼食を取っている。 今日の午後の講義は前から楽しみにしていたものだった。教授自体ははあまり好きなタイプではなかったが、授業に使われる有名な戯曲なども、ちょっと人と違う側面から解釈をしてみせたりするので、その考え方にとても興味を引かれていたのだ。 トレイを持ちひとりでカウンター席につくと何人かの女達が小走りにやってきて、香藤の隣に座ると嬉しそうに腕を絡めてきた。 ムスク系の香水の匂いがやたらと鼻に付き思わず眉をしかめてしまう。 「香藤くん今日はひとりなんだ!」 「ね〜今夜皆で一緒に飲みいかない?」と媚びた眼つきで見上げてくる。 183センチの身長と、男っぽい筋肉質の身体に反して少したれ気味の目の甘いマスク、薄茶色の髪を長めに伸ばしゆるくひとつに纏めている。いつもジーンズにシャツというラフな格好をしてはいるものの、どこかのファッション雑誌の表紙から抜け出たような容姿はとても目を引くものだった。そしてその笑い 顔は太陽のように明るい。そんな香藤に女達はいつも頬を染めながら群がってくるのだ。 「ごめん。今日もバイトなんだ。また誘ってよ。」 「え〜〜っそう言ってちっとも付き合ってくれないじゃん!」 そういいながら絡めた腕にぐいぐいと胸を押し付けてきた。こういうあからさまな態度をされるとムカムカしてしまう。なんだよコイツ、俺と寝たいのか?見上げて笑いかける顔がとても下卑たものに見えてきて反吐がでそうだった。 腕を無理やり引き剥がすと「もういいだろ?あっち行けよ。」と冷たい目で見返す。 「ひっどぉ〜い!なによ、馬鹿!」 どうにか身体を張ってまで手に入れ様とした男に手酷くあしらわれ、プライドを思いっきり傷つけられた女たちは大きな声で文句を言いながら去ってく。 女がつけていた香水の匂いが移っていないだろうかと袖口を鼻に近づけて匂いを嗅いだあと 「はぁ〜女ってめんどくせぇ・・・」 香藤は生姜焼きの玉ねぎを箸でつつきながら小さくぼやいた。 「女には優しくしろって言ったろ?」 聞き覚えのある声にはっとして顔をあげて振り向くとると、そこにはあのときの男が立っていた。 見上げる男の顔は少し疲れているように見えたが、その凛とした美しさはこの間と全く変わっていない。 うわ、やっぱり綺麗だ・・・。口をポカンと開けたまま見上げる香藤の姿にくすっと笑いを漏らすと 「なんだよ、先輩に隣どうぞって言ってくれないのか?」と首を傾げる。 「あっ・・ご、ごめん、ど、どうぞ・・!」と急いで隣の椅子を引いた。 自分でも馬鹿みたいだと思うのだが、心臓の鼓動はまたもや早く打ち始め上手く言葉が出てこなかった。今まで、どんなにいい女が目の前にいてもこんなに緊張した事はなかったのに。 「お前っていつも俺に謝ってるんだな・・?変なの。」 「ごめん・・って、じゃなくて・・・えーと・・」 隣の男はぷっと吹き出すとおかしそうに笑い出した。その笑い顔が花みたいに綺麗でまた見つめてしまう。ストイックなイメージとは違って結構笑い上戸なんだな。なんかこの人可愛いかも・・・ひとしきり笑った後、ふうっと息を吐くと香藤の頭を片手でポンポンと軽く叩いた。 「今日は葉っぱついてないんだな・・・・。俺は岩城京介。よろしく。」 というと右手を差し出してきた。 「あ、俺は香藤・・香藤洋二です。こちらこそ宜しく先輩。」 汗ばんだ手を急いで洋服でぬぐい握手を交わす。 「知ってるよ。」 「え?なんで?」 「桑原教授の特別クラス取ってるだろ?俺もあの授業好きでね、何回か聴きに行ってたんだ。その時に会ってる。」 「そうなんだ・・・。ごめんおれ知らなっかった・・。」 「おいおいもう謝るなよ。お前いちばん前の席で食いつくようにして話し聴いてただろ?面白いな〜と思ってよく後ろから眺めてたんだよ。周りの奴がお前の名前をそう呼んでたから知ったんだ。」 「そっか・・なんだ・・じゃあ話は早いや・・あの、お、俺あれからあんたの事すごく気になっててさ・・あんたの事色々知りたいんだ!」 顔を赤くしながら香藤はそう捲くし立てた。 「は?」いきなりの告白に岩城はきょとんとした顔で香藤を見た。 「これからは岩城さんって呼んでもいい?」と上目遣いで訊いてくる、そんな香藤の仕草が可愛く思えて顔が自然に緩んでしまう。 「くすっ。ああ。あんたって呼ばれるよりはずっといいな。」 「ご、ごめっ・・ん・・ってまただ・・あぁ〜俺って馬鹿。」 「ほんとだ。」 「ぅえ、ひどいっ!」 お互い顔を見合わせ、あははと笑いあう。 さっきまでの暗い気分は何処かに吹き飛んでいて、この奇跡的ともいえる出会いに香藤は心を浮き立たせていたのだった。 その日はそのまま一緒に昼食を食べ、午後の講義も一緒に並んで受けた。 岩城さんは今23歳の4年生。何かの都合で1年間大学を休学していたそうだ。その“何か”の理由を訊かなかったのは会ったばかりなのにあまりプライベートを詮索するのは得策ではないと思ったからだ。 でも岩城さんに関するいろいろな事が知りたくて、もっともっと声を聴いていたくて、まるで初めて恋愛を経験する少女のように頬を染め、隣を付いて歩きながらあれやこれやと質問ばかりすると、それに苦笑いをしながらも岩城はこたえてくれるのだった。 歳の他にもわかったことが沢山ある。生まれは新潟であること。小さい頃はいつも外で遊んでいて日に焼けて真っ黒だったこと。スキーが得意なこと。クラッシック音楽が好きなこと。バイオリンが得意であの有名なストラディバリを持っていること(すごい!!)。笑うと結構俺に負けないくらい垂れ眼になること。父親は亡くなってしまっていること。そして今は母親と再婚相手の家に住んでいること。 最後にこの話を話している時、長い睫の下の眼が僅かに曇ったところを俺は見逃さなかった。 それほど熱い眼でじっと彼を、彼の眼を見つめていたのだと思う。 何がこの人の眼を曇らせるのだろう。 知ってはいけないのだろうか? それを自分に取り除く事は出来ないのだろうか? この人の為に何かしてあげたいというその思いを何の疑念も持たず受け入れている自分が不思議だった。 そんなことに思いを巡らせながら歩いていると、少し前を歩く岩城が急に黙り込んでしまった香藤を振り向き「ん?」と顔を傾け下からのぞきこんできた。 「どした?」 急に目の前に現れた岩城の顔は香藤の心配がまるで思い違いであるかのように、今は明るい。そして香藤の瞳を見つめ返す岩城の瞳はとても澄んでいて綺麗だった。 「ううん、なんでもない。ちょっとお腹すいちゃった。」 香藤がそう答えたとき、急に強い風が前から吹き、慌てて眼を瞑りやり過ごそうとしたが、手に持っていた数枚のレポート用紙が後ろへ飛んでいってしまった。 岩城が香藤より先にそれを追いかけて走り出す。 数メートル先でヒラリともう一度舞い上がってから地面に落ちた用紙を岩城が腕を伸ばし拾い始めた。 その時下を向く岩城の髪が前へ流れ、白いうなじが覗いた。岩城の後ろに立つ格好で追いついた香藤はそれを目にした途端ゾクリと身体を震わせる。 みるみるうちに下半身に熱が集まってくるのを止めることが出来ない。 「うそ・・・なんで・・?」 いきなり起きた自分の身体の変化に戸惑ってしまう。自分は男である岩城になぜか欲情してしまったのだ。 「ほら。遠くに飛ばないで良かったな。これさっき必死に写してたやつだろ?」 岩城は拾い上げた用紙を纏めると、香藤の前に差し出す。 香藤は肩に掛けたバッグを両手で抱え込んで、俯いたまま腰を後ろに少し引いた様な変な格好で立っていた。 「?」 岩城は香藤の前に用紙を差し出したまま首を傾げ不思議そうにしていたが、顔を赤くして俯く姿と、変な腰の格好を見て、ハッっとするとバツが悪そうに口に手を当てて、同じように顔を赤く染め俯いてしまった。 「ご・・・ごめん・・お、俺・・なんでかわかんないケド・・・・岩城さんに欲情した・・・。」 起こってしまった現象に、どう対処していいか分らないようで泣きそうな顔をして謝ってくる。 「ほんと・・・ごめん・・・気持ち悪いよね・・。」 香藤と同じように下を向いていた岩城だったが、苦笑いを漏らし、まったく・・という風に髪をかきあげながら溜息をはく。 「若いんだから仕方ないさ。でも俺なんかで欲情するなんてお前、相当溜まってんだな。」 「そんな!俺、溜まってなんかないし・・ただ岩城さんが・・・岩城さんが綺麗過ぎるんだよっ・・・」 驚いた風に香藤の顔をまじまじと見つめた後、ちょっと嬉しそうに笑う。 「ふふ・・・なんでだろうな。お前にそういわれるのって嫌じゃないよ。今日初めて話したばかりなのにな そんなこと言われてくすぐったく感じるなんて・・・なんか女みたいだ。」 「そんなことないよ!女みたいだなんて!岩城さんはすごく男らしいし、かっこいいし、背だって高くて睫はビックリする程長いけど、眉はきゅって上がっててすんごい男っぽいし・・・・」 夢中でそんなことを言い募る香藤の顔の前に岩城は手を広げる。 「スト〜ップ香藤!わっかった!わかったから・・・」と岩城は照れて赤くなった顔を片手で隠しながら声を大きくして香藤の言葉を止めさせると「・・ったく、まいったな・・・」 と呟いた。 「わかったよ香藤。そんな事俺に言うのお前くらいだけど、素直に喜んでおくよ。ありがとな。」 少し頬を染めたまま優しく微笑みながら先程のレポート用紙を香藤の手に渡した。 「え、そんな・・」 男に欲情するなんて気持ち悪いと責められても仕方ないと思ってたのに・・・岩城の心根の暖かさに触れたような気がしてまた胸が熱くなる。 やばいぞ俺。この人に本気で恋をしてしまいそうだ。 この日を境にふたりの時間が合う時はいつも一緒に過ごしていた。 アルバイトは変わらず続けているが、美卯のマンションにはこのところ暫く行っていない。 だが後に美卯と岩城に意外な接点があることがわかった。 |
バイオリンを弾く岩城さん・・・
思い浮かべただけで息が荒くなりますv
(なりませんか? 笑)
そして香藤くんの中で岩城さんへの恋心が・・・v