その四 烈火の如き恋 |
母屋に帰った洋二郎は、火照った顔を鎮める為に、水桶から尺一杯水を汲むと、自分の顔に勢いよく浴びせる。
己の顔から地面へと滴り落ちる水の雫を眺めながら、たとえ京之介に嫌われようとも、この気持ちは伝えなければならないと自覚する。 今、九つの時を知らせる鐘が鳴るのが聞こえた。もうすぐ、京之介が、やってくる時間だ。 それまで、気を鎮めようと、木刀を取る。心を落ち着かせるには、剣の稽古が一番いい。侍を捨てた今でも、剣は捨てる事ができなかった。 幼い頃からの習慣の為か、一日一度は、剣に触れなければ、心が落ち着かない。 洋二郎は、縁側から中庭に出ると、木刀を降り始めた。 絵師でありながら・・・因果な事だ、と洋二郎は思う。 もろ肌を脱いで、剣に勇む洋二郎を、何時の間にやって来たのか、縁側から京之介がその姿を見つめていた。 その日に焼けた逞しい肩を、汗を滴らせている広い胸を目の辺りにした京之介は、突然胸が苦しくなる。 その締め付けれれるような胸の痛みが何であるかに気づいた京之介は、己の浅ましさに恥ずかしくなり、その場を去ろうとした。 「京之介殿!」 気づいた洋二郎に呼び止められた。 それでも、足を止めぬ京之介の腕を、洋二郎が掴む。 「どこに、行か・・れます・・お待ち・・して居りましたぞ」 まだ整わぬ息で洋二郎が、言った。 掴まれた腕が熱い。京之介は、鼓動が早くなるのを、感じながらやっとのことで呟いた。 「は、離して・・くれ。洋二郎・・殿」 「い・・嫌だ・・・離さぬ」 洋二郎の瞳の色がいつもよりいっそう明るい鳶色にぎらぎらと輝き、京之介の心の臓を射抜く。 その獲物を前にした野生動物のような目に、京之介は、一瞬にして、洋二郎の意図としている所を悟った。 「だ・・めだ!・・・よう・・・うっ!!」 それでも、言おうとした京之介の戒めの言葉は、洋二郎の激しい口付けによって塞がれてしまう。 ついに、溢れ出した感情の波が、激流となって、洋二郎を飲み込む。 京之介の顔を両手で押さえ込み、何度も顔の向きを変え、口腔を犯す。 息をつく暇もなく洋二郎の舌が、京之介の舌を追いかけ、逃がすまいと絡ませてくる。 「んんっ!・・・ふっ・・はっ・・・」 息が上がり、膝が震える。 ああ!!唇が・・・体が、火のように熱い! その時、初めて京之介は、どれほど己が、この腕を、この唇を欲していたのかを自覚した。 後から後から湧き上がるいまだかって経験した事のない快感、愛する者と交わす口付けの快さに体中の力が抜けていく。 唇が離された時、京之介は、立っているのがやっとだった。 洋二郎が、その京之介の体をきつく抱き締めると耳元で熱く呟いた。 「ああ・・京之介・・そなたを好いておる。気も狂わんばかりに・・・そなたを・・・」 洋二郎は、京之介を畳の上に押し倒すと、着物の襟を押し広げた。白い滑らかな肌が露になる。 京之介は、激しい動悸と歓喜で震える体を押し殺し、懐に割って入ってくる洋二郎の手を止め、必死の思いで言った。 「な、ならぬ・・・私を・・・抱いて・・は・・ならぬ・・・・・洋二郎・・・・・」 戒めの言葉を吐きながらも、苦しげに美しい眉を寄せ、桜色に染まった肌と潤んだ瞳で懇願する京之介の姿は、壮絶なまでの色香を放ち、洋二郎の最後の理性を吹き飛ばす。 「だめ・・だ!もう、止まらぬ。そなたが誰であろうと・・・・愛している事に変わりはない!」 洋二郎は、着物の襟元をさらに広げ、露になった京之介の胸飾りを口に含んだ。 「ああっ!」 舐め上げられた胸の突起から鋭い痺れが脊髄を突き抜け腰へと走る。 「だっ・・め・・・だ!・・・よ・・うじ・ろう・・・ふっ!・・・私は・・うぅ・・・」 京之介は洋二郎の頭を掴み何とか引き離そうとするが、舌が胸元を舐め上げる度に歓喜の声を上げてしまう。 洋二郎は、仰け反り、涙を浮かべて懇願する京之介の細腰を両の手でしっかりと抱き閉め、桜色の胸飾りを執拗に舌で転がしたかと思うと、さらに唇で吸い上げた。 「はあっ!」 端たなく上げてしまった己の声に、ますます京之介の体は熱くなる。 洋二郎の手が、着物の裾から進入し、京之介の太腿を撫で始めた。 そして、顔といわず、胸といわず、足といわず、京之介の体中を洋二郎の手が愛しさを込めて這い回る。 触れられた肌の先から沸き起こった熱さが、体中を駆け巡り、京之介をさらに欲情させる。 「ああ・・・京之介・・・美しい・・・京之介・・・はっ・・ああ・・好きだ・・・好きだ・・・・」 京之介の頸筋に頬に、唇に、何度も、何度も口付けを落としながら、うわ言の様に、洋二郎が呟く。 「はっ・・ふっ!・・・うっ・・・んん・・・・・あぁ!・・・よう・・・じ・・ろう」 求め合う二人の情熱が混ざり合い、灼熱の太陽のように燃え上がる。 もう、天人でさえも、二人を止めることはできなかった。 (花園への連結) * * * 桜吹雪が舞っている・・・ ここは・・・・どこだろう・・・・なんと、心地良い所であろうか・・・ 誰かが、頬を撫でている・・・ その優しい感覚に・・・京之介は、うっとりとする。 母上・・・母上ですか・・・・いや・・・・違う・・・これは・・・ 京之介が、ゆっくりと、目を開ける。 そこには、愛しい男が、この上ない微笑みを浮かべて、自分を見つめていた。 「よ・・うじろう・・」 その男の笑顔を見た途端、夢だと思っていた事が、本当に起こった事なのだと自覚した。 京之介の瞳から、再び涙が、溢れ出した。 その涙を、優しく、洋二郎が人差し指で、拭う。 「桜の夢を見ていた・・・・桜が・・・・・あの日・・・母と見た桜が・・・舞っていた。」 京之介が、虚ろな眼で、空を見つめる。 そして、消え入りそうな小さい声で、呟いた。 「また・・・・この春も・・・・桜が・・・・咲かぬ・・・・・」 「え?・・・・今・・・なんと・・・」 洋二郎が不可思議な顔をして、京之介を見つめる。 「母が、亡くなった次の春から、あの桜が・・・・咲かなくなった・・・・」 「もう一度・・・・・・染井吉野を見る事ができたなら・・・・何かが、変わるような気がして・・・春になると、見に行かずにはいられない・・・・」 桜の木の下で出会った時のような、儚く消え入りそうな京之介の横顔を見て、洋二郎が思わず、その体を抱き締める。 「だから・・・せめて・・・桜の絵を見たかった・・・・そうなのだな?」 洋二郎の広い胸に顔を預けたまま、京之介が、こくりと、頷いた。 「京之介・・・・そなたは一体・・・・誰・・な・・」 その続きの言葉は、京之介の手によって塞がれた。 「すまぬ、洋二郎・・・・それは・・・・言えぬ」 己が、囲われ者である事をどうして愛する者に言えるであろう。洋二郎に嫌われるのは、もう死ぬほど怖かった。 京之介が、手を洋二郎の口元から降ろした拍子に、着崩れた着物の襟がずり落ち、白く滑らかな肩が露わになる。 その着乱れた衣姿に情事の余韻を濃く映し出した京之介の色香は尋常ではなく・・・洋二郎の雄を再び目覚めさせる。 「・・・本当に綺麗だ・・・京之介・・・」 洋二郎は、京之介の長く艶のある漆黒の髪を、一握り掴むとそっと、口付ける。 「ああ・・・そなたを・・・死ぬほど・・・愛している・・・」 「洋二郎・・・本当に、私を美しいと思うのか・・・」 その問いに、不可思議な顔をして見つめる洋二郎に京之介が言葉を続ける。 「私は・・・己を、美しいと、思ったことなどない・・・それどころか・・・この容姿が疎ましい・・・・・」 そう言うと、悲しげに、目を伏せた。 洋二郎は、京之介の顔を両の手で優しく包み込み、自分の方に向かせると、言った。 「私は、そなたの心が、美しいと言ったのだ。」 「初めて会ったとき、そなたの瞳に至極惹かれた。その瞳を描いてみたいと思った。心の美しい者でなければ、そのように人を惹きつける事などできない。」 京之介の眼から、みるみる涙が溢れ、頬を伝い、畳の上に零れ落ちた。 「洋二郎・・・・」 「そなたに、逢えて良かった・・・・本当に、良かった・・・」 京之介は、自らの顔を、洋二郎に近づけ唇を合わせる。 触れるだけの口付けから、徐々に、激しいものへと変わっていく。 また、熱くなっていく体と心を、持て余しながらも、洋二郎への愛が本物であることを・・・そして、愛する者に抱かれる事の喜びを、震えながら感じる己を哀れに思う。 もう・・・二度と、洋二郎と会う事はないであろう・・・・事を・・・・ これが、最初で、最後の洋二郎との契りになるであろう・・・・事を・・・・・ 再び、洋二郎の逞しい体躯の重みを己の身の上に感じながら、この一瞬の為に生きていて良かった・・・・と思う。 そして・・・・京之介は、もう、この世に思い残す事は何もないと思った。 ー続くー レイ 2005年 5月 |
とうとう結ばれたふたり・・・
でもそれは新たな悲しみの始まりのようで・・・
京之介さんの切ない思いが心に残ります
お母様との思い出も美しくそして儚い夢のようで・・・
途中某所との連動があります
そちらもお楽しみにv
レイさん お疲れ様です