その五 春の嵐
 
今日は、京之介が来るはずの日であった。
その日は、春にもかかわらず、暗雲が立ち込め、輝く春の花々や木々達も息を潜めている、そんな不可思議な趣がした。
 
いつものように、絵筆と絵の具を机の上に置く。
やっと、思いを遂げる事ができた安堵と、そして、不安が入り混じり、とぐろのように渦を巻き洋二郎の心中を暗くする。
 
京之介と、二度体を重ねた後、少しの間眠ってしまった自分が忌々しい。
目が覚めた時には、腕の中で同じように眠っていたと思っていた京之介の愛しい姿を、認める事ができなかった。
自分に、別れの言葉も言わずに、去っていった京之介・・・
そして、しばらくして、文鎮の下に置いておいたあの描きかけの桜の絵がない事に気がついた。
それだけではない・・・床の間に置いてあった短刀も、無くなっていた。
 
絵はともかく・・・・何故・・・短刀を・・・・
嫌な予感がする・・・もう・・京之介は、ここには来ないつもりなのかもしれない・・・
 
そんな空に広がる暗雲のような考えが、洋二郎の頭を過ぎった時、玄関の方で、人が来た気配がした。
 
「京之介!」
 
良かった・・・思い過ごしだった・・・来てくれたのだ・・・私に逢いに・・・
 
逸る心を押さえ、表戸の方へ走り寄る。
 
洋二郎の手が、引き戸を開けようとしたその一瞬早く、扉が開く。
 
「京之介殿ではなくて、申し訳ござらんな・・・・・香藤殿」
 
そこに、立っていたのは、初めて京之介と逢った時、関わり会いになるなと言った、若い男であった。
 
洋二郎は、思わず、胸に潜めた護身用の小刀に、手をかけた。
 
その手を、男が止める。
 
「そなたを、切りに来た訳ではござらん。」
 
その言葉に、洋二郎は、ゆっくりと手を刀から、外した。
 
「それよりも・・・・京之介殿が何処の何方かを御存知てござるか?」
 
その問いには、洋二郎は答えず、苦虫を潰したような顔をして男を睨みつけると、言い放った。
 
「己の名も名乗らぬものに、答える必要などない。」
 
「くっくっくっ・・・確かに・・・・私は、菊地克康様に使える浅野伸之と申す。」
 
「!」
 
「京之介殿の素性を知りたければ、今夜、亥一つに、菊地様の別宅に来るが良い。裏木戸を開けておいてやる。中庭に入ってすぐ右奥の座敷を覗くと良い。」
 
「良きものが、見れるぞ」
 
男はニヤリと笑い、それだけ言うと、踵を返し洋二郎の前から姿を消した。
 
菊池克康・・・・! 聞いた事がある名前・・・・・そうだ・・・・・・二度ほど上様の茶会に父上が呼ばれた時、己も参上し、会ったことがある。
確か、若年寄であるにもかかわらず、無精髭を生やしたうさん臭い男だと、その時思った記憶がある。
父上も、嫌っておられたはずだ。
 
洋二郎は、拳をぐっと握り閉めた。
 
そんな男と、京之介が関わりがあるとは、思いたくなかったが、浅野が、嘘をついているようにも思えなかった。
 
何かの・・・罠か・・・
 
だが・・・もし、このまま・・・京之介に逢えなかったら・・・
 
例え、罠であろうとも・・・行くしかないと洋二郎は、思う。
 
昼間であるにもかかわらず、薄黒い雲が太陽を包み込み、風が吹き、嵐の前触れを感じさせる。
今にも、降って来そうな空を見上げながら、洋二郎は、不安な面持ちを隠す事ができなかった。
 
 
思った通り、午後からは、激しい雨と風が吹き荒れる嵐になった。
それでも、心を落ち着かせようと、筆を取り、浮世絵を描こうとする。
 
京之介のあの日の言葉が蘇る。
 
京之介は、抱くなと言った・・・
嫌だとは言わなかった・・・
 
何故だ・・・
 
私を、好きだと言ってくれた・・・・なのに・・・抱くなと言った・・・
その矛盾の根源を見極めようと、洋二郎は思案する。
 
まさか・・・まさか・・・
 
頭の中で、恐ろしい妄想が渦を巻く。
それを、振り切ろうとするが、嫌な気分は、洋二郎のその努力に反してどんどんと大きくなっていく。
 
この目で確かめるしかない・・・
京之介が誰なのか・・・
 
ますます、激しくなる雨音と比例するように、洋二郎の不安も激しくなっていった。
 
 
* * *
 
 
豪雨の音を聞きながら、ぼんやりと、縁側から見える雨の滴りを見つめていた。
京之介は、懐に手を入れると、洋二郎に黙って持ってきてしまった書きかけの浮世絵を、取り出し文机の上に、広げた。
今日は、洋二郎に会いに行く日であった。きっと私を、今か今かと、待っているに違いない。
 
洋二郎に会いたい・・・・
 
最後に見た洋二郎の寝顔を思い出す。
ああ・・・願わくば、その寝顔をずっと見ていたかった・・・・
永遠に、そなたの腕に身を委ね、体の温もりを、感じていたかった。
 
私には・・・許されるはずのない恋・・・
かなわぬはずの恋・・・・・
 
もう、洋二郎に会いに行く事はできないのは、わかっていた。
もし、体を重ねた事が、菊地にわかれば・・・・
 
洋二郎を危険な目に合わせる訳にはいかない・・・・
 
・・・このまま、綺麗な思い出でとして、私のことを覚えていてほしい・・・・
たった、一度でも、思いを遂げる事ができたのだ・・・
もう、十分過ぎるほど幸せな事だと、京之介は己に言い聞かせようとした。
 
長い間そうして、京之介は洋二郎の絵を見つめ続けた。
 
雨が止み、日が沈みだし、カラスが泣き出しても、絵を見つめ続けた。
 
 
今度こそ・・・・自由になるのだ・・・
 
今度こそ・・・母の居る・・・・天の園へ・・・・
 
 
* * *
 
 
「お支度に参りました。」
 
浅野が、いつものように、京之介の部屋に入ってきた。
静かに座敷に入ってきた浅野に、振り向きもせずに京之介が言う。
 
「今日は、気分がすぐれぬ・・・・殿に、そう伝えてはもらえぬか・・・・」
 
確かに、いつもより幾分顔色のよくない京之介を見て取った浅野が、はっとした。
 
「どうなされました?・・・・そういえば、今日は、嵐でございました。春の花冷えにでも、当たられましたか・・・・・」
 
その答えに、京之介は答えず、じっと閉ざされた障子の向こうを見つめていた。
 
「申し訳ござりませぬ・・・・殿は・・・明日から、所要で、江戸をお発ちになります。それは・・・ご無理かと・・・・」
 
「そうか・・・・」
 
苦しそうに、京之介が、顔を背け、吐息をはいた。
 
その姿に、浅野の心がちくりと痛む。
 
「それでは・・・・いつものお薬を・・・・少しお飲みになれば、お辛くなりますまい・・・」
 
そう言って、茶箪笥の引き出しから、白い薬包みを一袋取り出す。
そっと、盆に載せ、水差しを湯のみとともに、京之介の前に差し出す。
 
京之介は、それを、ちらりと見ると、また顔を背けた。
 
その悲哀に溢れた背中を見ながら、浅野が言う。
 
「今夜さえ、我慢しておいでになれば・・・・殿はしばらくこちらには、来られませんゆえ。」
 
「京之介殿・・・・」
 
静かだが、うぬをもいわさぬような力の篭った声で、浅野が言った。
 
京之介は、また小さな吐息を吐くと、薬の包みを広げ、口に入れ、水と一緒に喉に流し込んだ。
 
 
 
いつものように、着付けが終わると、浅野が、京之介の髪を梳き始めた。
突然、京之介が、言った。
 
「浅野・・・」
 
「はい・・・・」
 
「そなたは・・・私を、哀れと思わぬか・・・」
 
「何を・・・・仰います・・・京之介殿・・・殿は、あれほど京之介殿を御寵愛されておられるではございませぬか?」
 
「殿は、人形を愛でるように、私を愛でているのだ・・・私を人として、愛している訳ではない・・・」
 
そう言うと、京之介が、小さい溜息を漏らしたが、今度は、艶の篭った色香を思わせる吐息に変わっていた。
 
どうやら、薬が効いてきたらしい・・・。
体が徐々に熱くなってくる。自分の意思とは、反対に、欲情し始めた体を、持て余す。
浅野が触れた首筋に、思わずぞくりとした。
 
髪を結い終えた頃には、すでに、瞳が潤み、頬が上気していた。
その京之介の情欲に溢れた顔を見た浅野は、どきりとし、一瞬、目を逸らす。
 
「では、私は、これで失礼いたします。」
 
口早にそういうと、浅野は、部屋の外に出ると震える指で、障子を閉めた。
納まらぬ己の動機に、顔をしかめる。
あのような京之介を見た夜は、なかなか眠れぬ夜になるのを、浅野は、すでに知っていた。
 
 
 
もう少しの、我慢だと・・・徐々に強くなっていく己の欲と、戦いながら、京之介は思う。
 
ああ・・・体が、熱い・・・
自らすでに敷いてある夜具に横になると、着物の襟から左手を胸に滑りいれた。
そっと自分の胸の突起に触れる。体が、びくりと反応した。
あの日の・・・この飾りを思う存分味わった洋二郎の熱い唇を、肌を弄る大きく、広い手を思い出す。
 
「ああ・・・よ・・うじろう・・・・」
 
左手が、着物の裾を割って、堪らなくなった己の秘部に触れる。
右手が、顔といわず、胸といわず、肌を撫で回す。
京之介は自らの肌を弄りながらも、荒くなっていく息を、もう止める事が出来なくなっていた。
 
その様子を、じっと、障子の隙間から、浅野が見ていた事に、京之介は気づかなかった。
聞き取れぬかと思われるほどの声で、京之介の唇から発せられた名を聞いた途端、浅野の顔が、険しい物に変わるのを、夜の帳が不気味に映し出していた。
 



ー続くー


レイ


2005年 5月


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ああ、京之介さん・・・・・涙;;
でも思い悩むその様も艶っぽいこと・・・v
浅野も動き出しそうな様子・・・今後の展開がドキドキです!

レイさんお疲れ様ですv