その九 桜散る春



小春日和の中、奥州道中へと向かう江戸の門前へと、何十人かの家来を従えた菊地の一行が、ゆっくりと進んで行く。
その中には、馬に跨った浅野に守られるように揺られて行く菊地と京之介の乗った籠の姿も、認められた。

突然、一人の男が、藪から出で立ち、その一行の前に立ちはだかった。
その男の顔を見た途端、浅野の顔色が、変わった。

籠の動きが止まったことを、不信に思った菊地が、顔を出す。

「どうした・・浅野?」

馬の高い雄たけびが、街道に響き渡った。
自分の目に飛び込んできた男の姿に、菊地が、はっとする。

「御主は・・・!」

「まだ、諦めがつかぬとみえるな、香藤殿・・・」

いきり立つ馬を、あやしながら浅野が言った。

「菊地殿と、話がしたい・・」

静かに、だが、熱の篭った声で、洋二郎は言った。

「そこをどかぬと、容赦はせぬぞ!」

浅野は馬から、飛び降りると、刀を鞘から、抜いた。
同じく何人かの家来も、刀を抜き、香藤に向ける。
外の騒がしさに、籠から顔を除かせた京之介は、その信じられぬ光景に目を見張った。

「洋二郎・・・っ!」

京之介の顔を見定めた洋二郎は、一瞬優しい顔を、京之介に送ったが、すぐに浅野を見ると、厳しい顔で言った。

「御主は、刀を持たぬ者を切るほど、落ちぶれた侍か・・・私は、だた、菊地殿に話があるだけだ・・・」

「殿は、御主に用などない!直ちに立ち去れ!」

その浅野の脅しに、そよともせず洋二郎は、菊地の籠に近づいていった。

遠巻きに菊地の家来が刀を向けたまま、睨みをきかせている中を、洋二郎が進む。

「菊地殿、香藤洋二郎、この命をかけて、頼み事をしに参った。どうか、聞いてくだされ!」

「ほう・・・何を頼みにきたというのだ・・」

ゆっくりと、籠から菊地が、現れた。

「殿!お気を付け下され!」

浅野が、すばやく、菊地の側に走り寄った。

「京之介殿を、自由にしていただきたい・・・お願いでござります」

地面に跪くと、洋二郎がそう言った。

「馬鹿を申せ!そなたに、くれてやるとでも、思っておるのか!」

「そのような事は、毛先ほどにも思うておりませぬ。・・・・私は・・・ただ・・・京之介殿の幸せを、願って居るだけでございます。真に、京之介殿を、愛しておられるのなら・・・・どうか、どうか・・・!」

そういうや否や、洋二郎が、平伏し、頭を地面に深く下げ、必死の形相で、菊地に頼み込む。
その場面を、いつのまにか籠の外に出てきた京之介が、愕然と見つめる。
美しい瞳には、すでに玉のような涙が、溢れていた。

「ようじ・・ろう・・・っ!頼むっ・・・やめてくれ!・・・そなたほどの者が・・・私の為にっ・・・!」

駆け寄ろうとした京之介を、浅野が、止める。
それを洋二郎は、横目で見ながら続けた。

「もし・・・京之介殿を、自由にしていただけるのなら・・・私の・・・・この命さえ、投げうっても、惜しくはありませぬ。」

「ほう・・・よう言うたな・・・香藤殿・・・」

「洋二郎・・・!やめてくれ!・・・何故そこまで・・・!こんな私の為に・・・!」

叫ぶ京之介の両腕は、しっかりと後ろから浅野に押さえつけれていて、身動きができない。
腹立だしさに、京之介は、身を捩った。

「お忘れになられたか?京之介殿!そなたが、誰であろうと愛している事に変わりはないと申し上げたはずでござる!」

頭を、まだ深く下げたまま、洋二郎が叫んだ。

「よ・・・・うじ・・ろう・・・」

京之介の頬に、幾筋もの雫が伝う。

その言葉を聞いた菊地の顔色が変わった。

「よもや・・・御主・・・京之介を・・・・・・」

洋二郎は、菊地のその問いには答えず、頭を低く地面に下げたまま、ぴくりとも、動かなかった。
その様子に、全てを察した菊地の顔が、怒りで見る見る赤くなっていく。

「この私の妾を寝取って、ただで済むと思うておるのかっ!」

怒りで、体をわなわなと震わせ、菊地が叫んだ。

「切れ!こやつを、切れ!切るのだ!」

それでも、さらに、洋二郎が、菊地に続ける。

「お願いでござりますっ!!菊地殿!!京之介殿は、真に、幸せであられるか?愛しておられるのなら、京之介殿を、自由の身に・・・!愛とは、その者の幸せを願うものでは、ござりませぬかっ!」

「ええぃ!まだ言うかっ!」

怒りに体を揺すらせ、菊地が家来に、叫んだ。

「こやつを、切れ!この菊地の妾を、寝取ったのだ!切り捨てるには、十分すぎる申し分じゃ!!」

その菊地の声に、一人の家来が、洋二郎に、襲い掛かる。
洋二郎は、なんなくその太刀を、かわすと、その家来の手首を掴み、足蹴りを食らわせ、太刀を奪い取った。
そして、次々に、襲い掛かってくる菊地の家来を、峰打ちで、倒していく。

「くっ!どうやら、噂は嘘ではなかったようだな・・・」

苦虫を踏み潰したような顔をして、菊地が唸る。
後は、数人の家来と、浅野を残すだけになった。

その、最後の数人も、あっけなく洋二郎に倒されてしまう。
それを見た浅野が、京之介の腕を引き、菊地へと渡す。
そして、ゆっくりと、洋二郎に剣を向けた。

「浅野・・・・やれ・・・」

「こやつは、こう見えても、なかなか腕の立つやつでな・・・おまえに倒せるかな・・くっくっくっ」

菊地が、面妖な声を出して、低く笑った。
そして、今度はにやりと笑うと、京之介の後ろに回り、京之介の右手を逆手にすると、しっかりと握った。

「京之介と私は、ゆっくり見物させてもらうとしよう・・・」

じりじりと、浅野が、洋二郎との距離を狭めてくる。

「やめろ・・・浅野・・・・御主を、切りたくない・・・誰も、傷つけたくないのだ・・」

最初の一歩を、踏み込んだのは、当然の如く、浅野だった。
洋二郎は、それをかわすが、いつまでも、激しく迫ってくる剣を、かわしてばかりもいられず、ついに、刀を翳し浅野の一撃を受け止めた。
剣と剣の激しく、ぶつかり合う音が、何度も街道に木霊する。

「はぁはぁ・・・なかなかやる・・・のう・・・香藤殿・・・・」

「御主も・・・はぁはぁ・・・・」

両者共、肩で息をしながら剣を構えたまま、睨み合っている。
その手に汗握る対座に、京之介は、体を強張らせ、ただ洋二郎の身を案ずるしかなかった。

その時、突然、菊地が決着がつかぬ二人に痺れを切らし、洋二郎の注意を逸らす為、京之介の胸元の合わせに手を差し込んだ。

「この体は、わしの手を望んでおるぞ・・・御主で、京之介を満足させることができるのか?ふっふっふっ・・・わしは、こやつのの体を、知り尽くしておる・・・」

そう言うや否や、菊地が、京之介の着物の襟元を広げ、淫猥に肌を弄る。

「あっ・・・!」

京之介が、小さな悲鳴を上げた。

「やめろ!菊地!卑怯だぞ!」

刀を、浅野に向けながらも、洋二郎が、叫ぶ。

「洋二郎!私のことはかまうな!耳を貸しては、ならん!」

と、京之介が、叫ぶ。

菊地は、さらに低く笑うと、着物の裾を割り、手を京之介の敏感な内腿に這わせた。

「・・・っ・・・・やめ・・・!」

京之介が、堪らなくなって叫んだ。

「京之介!!」

思わず洋二郎が、京之介へと目を向けた。

その一瞬の隙をついて、浅野が、洋二郎に剣を振りかざした。
はっとした洋二郎が、慌てて太刀を受けようとしたが、体制を整えるのが一瞬遅れてしまう。
やられた!と、思ったその瞬間、


ザッ!と、刀が、肉を切る音が聞こえた。


己の肉が切れたのだと、思った。
だが、痛みを感じない。
何が、起こったのか、わからなかった。


次の瞬間、信じられぬ光景が、洋二郎の眼を、襲った。


愛しい京之介が、地面に倒れている。
濃紺の着物の肩の辺りだけに、どす黒い色が広がっていた。
それが何であるのか気づいた時、洋二郎は、己の声とは思えぬ叫びを発していた。

「京之介っーーーーー!!!」

「京之介殿!!!」

「京之介!!」

それぞれが、雄たけびを上げた。

洋二郎は、誰よりも早く、京之介を抱き上げる。

「京之介!!何故・・・何故・・っ!!!」

「はっ・・・はっ・・・うぅ・・・よ・・う・・・じろ・・・」

荒い息を吐きながら、京之介が、それでも洋二郎の名を呼ぶ。

「話すなっ!!今、止血をする!!」

見る見る着物に広がっていくどす黒い色と反して、京之介の顔から血の気が引いていき、白い顔がますます白くなっていく。
洋二郎は、震える手で、己の着物の袖を破くと、傷口に宛がう。

その時、遠くから、幾人かの走ってくる足音と叫び声が、聞こえてきた。
その声に、唖然とその光景を見ていた浅野が、我に帰る。

「殿、役所の者のようでござります!!ここは、ひとまず、お逃げになられませ!!騒動はいけませぬぞ!」

「だ・・だが・・・き・・きょうの・・すけがっ!」

「京之介様は、この浅野が命に代えましても、お助け申します!」

「お早く・・・・っ!!殿!」

「わ・・わかった・・・京之介を頼むぞ!浅野!」

そういうと、菊地は、籠に乗り込み、一行と共に、足早に去っていった。

「香藤殿!・・・今は、京之介のお命をお助けするのが、先決!・・・この近くに、善庵という医者がおります!まずは・・そちらへっ!」

「うぬっ!・・・・」

洋二郎は、一つ返事でそれに答えると、京之介を抱きかかえ、すでに、街道を走りだしていた。


医者の所に着く頃には、洋二郎の息は、とうに上がっていた。
それでも、荒い息を抑えながら、できるだけ大きな声で叫ぶ。

「頼もう!!善庵殿は、おられるかっ!」

その叫び声を聞いて、女人と医者らしい初老の男が、玄関に現れる。

「どうなされた?」

「刀傷だ!頼む!」

京之介を、まだ、その腕に抱えたまま、洋二郎が叫ぶ。
その京之介の様子を見た途端、医者が顔色を変えて、言った。

「おお・・・これは・・・大変じゃ!早く・・奥の座敷へ!」

医者と女人が、奥座敷に入り、洋二郎、浅野と続く。

「そちらにっ・・・・!」

敷かれてある夜具の上に傷口を上にして、横に寝かせる。

「御二方は、外でお待ちくだされ!」

そういうと、医者は、厳しい趣で襖を閉めた。


* * *


どの位、待っただろうか・・・
永遠にも思われるその時を、洋二郎はただ京之介の無事を祈る事しかできなかった。

突然、医者が、襖から顔を出し、二人の前に現れた。

「京之介はっ!」

詰め寄る洋二郎に、医者は、その厳しい表情を崩さずに、言った。

「できる限りの事は、いたしたが・・・なにせ、傷が深く、出血が多かったので・・助かるかどうかは・・・」

そこまで、言うと、医者は、苦しそうに首を横に振った。

その言葉が、終わらぬうちに、洋二郎と、浅野は、部屋に飛び込んでいた。

「京之介っ!!」

「京之介殿!」

枕元に、二人の男が詰め寄る。

「よ・・・うじ・・ろう・・・」

微かな声で、京之介が、洋二郎の名を呼んだ。

「・・・会えて・・・嬉しかった・・・・・・・うっ・・」

「・・・私を残して行ってはならぬぞ!・・・・・京之介っ!私と共に、生きるのだ!頼むっ!」

必死の形相で、洋二郎が、京之介に話しかける。
洋二郎の両の目からは、涙が止め処もなく、溢れていた。

「はっ・・・・・・そ・・・なたの・・・笑顔が・・・はっ・・・・・見たい・・もう・・・一度・・・わら・・・ってくれ・・・」

息も切れ切れに、京之介が、呟く。
洋二郎は、涙を手で拭うと、思いのたけを込めて、ゆっくりと笑った。
それを見た京之介が、嬉しそうに微笑んだ。

「そなたの・・・笑顔が・・・好き・・・・・・だ・・・・・」

そういうと、京之介は洋二郎の顔へと、震える手を伸ばした。
その手を、洋二郎が、しっかりと握る。

その握った京之介の手が、どんどんと冷たくなっていき、微かに握り返してくれていた京之介の指の力が、洋二郎の掌から消えていく。
美しい黒曜石の瞳からは、光が徐々に失せていくのがわかる。

「京之介殿!!」

涙で、両の目を潤ませて浅野が叫んだ。

そして、ゆっくりと京之介の眼が、閉じられた。

「京之介ーーーーーーーーーっ!!!!」

洋二郎の絶叫が、春の午後に、揺れるように木霊した。




ー続くー




レイ



2005年 6月


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さあ、次は最終回です!
どのような結末が待っているのか・・・ドキドキです;;
どうぞ皆が幸せになれますように・・・・

レイさんあと少しですね(^o^)
いつもありがとうございますv