その十 永遠の春
 
 
一端、故郷に帰るのを、中断して、江戸の屋敷に戻った菊地は、今か今かと、浅野が、戻ってくるのを、待っていた。
刀傷を負った京之介の事が、心配で仕方がない。いらいらと、屋敷の中を、菊地は歩き回っていた。
 
「ええぃ!浅野は、まだかっ?」
 
「はい、まだお帰りではございませぬ。」
 
「浅野が、京之介を連れて行きそうな医者に、人を送れ!京之介を探すのだ!」
 
「はっ・・・・・!」
 
何人かの家来が、屋敷の外へ走り出して行こうとした。
 
「それには、及びませぬ・・・・」
 
振り向くと、浅野が、蒼白な顔をして、立っていた。
 
「あ、浅野!!京之介はっ!」
 
浅野は、その菊地の問いには、答えず、ゆっくりと、地面に両の膝を着く。
 
「京之介はと、聞いておるのじゃっ!」
 
痺れを切らして、菊地が叫ぶ。
 
「申し訳ござりませぬっ!!殿っ!」
 
そう叫びながら、浅野が、土下座をした。
 
「き・・・京之介様はっ・・・・ううっ・・・・京之介様は・・・・」
 
体を震わせ、嗚咽をかみ殺しながら、それでも、浅野は言葉を続けようとしたが、どうしても声にならない。
 
「よもや・・・・京之介がっ・・・!」
 
「殿・・・・っ!全ては、この浅野の責任でござりますっ!どうぞ、お許しをっ!」
 
その浅野の声の響きを聞いて、菊地が、愕然とする。
 
「京之介が・・・・死んだ・・・と・・・申す・・のか・・・・浅野・・・・?」
 
驚愕に打ち震えながら、菊地が聞く。
その声に、浅野は、答えられず、泣きながら頭を低く垂れ、地面にひれ伏すように体を折り曲げた。
 
「申しわけござりませぬっ!」
 
涙を、はらはらと、流しながら、浅野が、顔を上げ、懐から、二つに折り曲げた和紙を、震える手で、菊地に差し出した。
その和紙の中を開いて見た途端、力が抜け落ちたかのように、菊地の体がぐらりと揺れた。
 
「殿っ!お気を確かにっ!」
 
浅野が、菊地の腕を、とっさに取って、体を支えた。
ぽとりと菊地の手から、和紙の中にあった物が,地面に落ちる。
 
黒い艶やかな髪の一束が、そこにあった。
 
「あ・・・浅野・・・・き・・京之介がっ・・・・ああっ・・・・京之介っ!・・・」
 
浅野に縋りながら、菊地が、咽び泣く。
 
「京之介に・・・会いにいかねば・・・京之介はどこじゃっ!・・・・・」
 
菊地が、唐突に立ち上がり、表門の方へ向かおうとした。
 
「殿っ!京之介様の変わり果てたお姿を、どうかっ・・・御覧になられますなっ!」
 
「あの・・・お美しいお姿のまま・・・覚えておいでくだされ・・・・殿っ!・・・・」
 
歩き出した菊地に縋って、浅野が叫ぶ。
菊地は、その言葉を聞いて、ただ呆然と、佇んだ。
 
「全ては、私の落ち度でございます・・・殿、この浅野は、自害して、殿にお詫びをっ・・・・!」
 
そう叫ぶと、着物の合わせを開き、浅野が、脇差を鞘から、抜いた。
今、まさに、剣を、その腹に突き立てようとした時、菊地が、はっとしたように、叫んだ。
 
「馬鹿者っ!!私を、本当に、一人にするつもりかっ!浅野っ!」
 
菊地が、脇差を、浅野の手から奪い取った。
 
「殿っ・・・・・!殿・・・・・・申し訳ござりませぬっ・・・・・・!!」
 
浅野が、涙で頬を濡らしながら許しを請うように跪き、そのすすり泣く声は、いつまでも、菊地の屋敷に、響いていった。
 
 
* * *
 
 
5月下旬・・・五月晴れ・・・・早朝・・・・
春も終わり、初夏が、もうそこまで来ていた。
江戸から東海道へと続く街道を、旅の身支度をした二人の男が、歩いている。
 
「気をつけて・・・・・・・夕べの雨で、まだ、道が糠っておる。足を滑らせては、ならぬぞ・・・」
 
明るい髪の男が、言った。
 
「大丈夫だ・・・・心配性だな・・・そなたは・・・ふふふ・・・」
 
黒髪で短髪の男が、笑って、答える。
 
「もう少し、歩けば、馬を貸してくれる小屋がある。そこで馬を借りるから・・・」
 
そう言って、明るい髪の男が黒髪の男を、じっと見つめる。
 
「どうした・・・?」
 
黒髪の男が、不思議そうに見つめ返す。
 
「真に・・・・よいのか?最後だぞ・・・もう、江戸には、二度と、戻っては来ない・・・・」
 
「ああ・・・もう・・・いいのだ・・・・・」
 
「最後に・・・もう一目だけでも・・・・・・もしかしたら・・・・」
 
その明るい髪の男の言葉に、しばし、黒髪の男が、考え込むように、俯いた。
 
「いや・・・もう、行かぬ・・・・もう、行かなくても、よいのだ・・・・」
 
そして、消え入りそうな小さな声で、黒髪の男が言った。
 
「・・・・そなたが・・・・・・・てくれたではないか・・・・・」
 
「えっ?・・・・・・」
 
聞き取れなかった明るい髪の男が、聞き返す。
 
「そなたが・・・・もう・・・・咲かせてくれたではないか・・・私の心の中に・・・・」
 
頬を染め、俯きながら、黒髪の男が、そう言った。
 
「京之介・・・・・」
 
洋二郎の瞳から、じんわりと涙が、溢れてくる。
 
「馬鹿・・・・泣くな・・・こんな所で・・・・・」
 
恥ずかしそうに、微笑みながら京之介が、 洋二郎を見た。
 
「浅野に・・・・いつか、礼を言わなくてはな・・・・こうして、二人でいられるのが夢のようだ・・・・」
 
「そうだな・・・・・」
 
「あの時・・・・・・最後に、あやつに聞いたのだ・・・何故・・・・と・・・・」
 
遠い目をしながら、でも、穏やかな顔で、洋二郎が言う。
 
「そなたが微笑むのを見たことがなかった・・・と、あのように微笑まれるのなら、己の全てを捧げてもそうさせてあげたい・・・・と・・・」
 
「浅野は・・・・・・浅野なりに、そなたを愛しておったのだな・・・・」
 
「そうか・・・・・」
 
少し寂しそうに、京之介が、そう言った。
 
「さあ・・・行こうか・・・・京への道は、長いぞ・・・・」
 
そして、また、二人ゆっくりと見つめあい、微笑み合う。
暖かな、日差しが、頭上に降り注ぐ中、洋二郎が、京之介を庇うように寄り添って、歩き始めた。
 
洋二郎は、美しく晴れ渡った雲一つない青い空を、ゆっくりと見上げた。
 
これから、二人で歩いていく道が、永遠の春であることを、祈って・・・・
 
 
 
* * *
 
 
 
そして・・・月日が経ち、また、江戸にも桜の咲く季節がやってきた。
 
一人の、女人が、夫と共に川沿いの桜並木へと、桜を見にやって来る。
 
「まあ・・・不思議なこともあるものだね・・・・この桜・・・・長い間、咲いた事がなかったのに・・・・今年は、綺麗に咲いたよ・・・・・」
 
その桜並木に佇む一本の桜の木が、薄桃色の花を見事に咲かせていた。
 
「染井吉野だったんだね・・・あんた・・・・」
 
そう言って、女は、その桜の木を、見上げた。
 
一陣の春風が吹き、その言葉に答えるようにわずかな花弁が、はらはらと、女の頭上へと、舞い落ちた。
 
 
 
ー完ー
 
 
 
 
レイ
 
 
2005年 6月
 
 
皆様、長い間、駄文を読んでいただいて、有難うございました。数々のお優しいお言葉をかけてくださった皆様の声に励まされて、なんとか、お話を終える事ができました。心より感謝いたしております。
 
そして、このお話を書くにあたりまして、多大な御協力をしていただいたレベッカ様、及び、お世話になりました舞様、この場を借りまして、深く御礼申し上げます。
本当に、有難うございました。
 

その9  作品目次へ

「蕾桜」最終回です!
ああ、おふたりは幸せになれたんですね!
良かった〜vvv
(菊池も浅野も心底悪いって感じでなくて・・・心に残りますv)

レイさん長い連載本当にお疲れ様でしたm(_ _)m
楽しませていただきました
ありがとうございますv