その八  飛び立つ鶯



越後にも、ようやく春らしい日が訪れてきた。
雪が解け、処々に、春の花が咲き始めていた。
老中になることが、内々に決まった菊池の城内では、その支度の為、家来の誰しもが、心浮き立ち、忙しく動き回っている。

その時、突然、早馬が、城内に走り込んできた。
侍の一人が、その使いより文を受け取ると、菊地の居る奥の座敷へと走っていった。

「殿、只今、江戸より早馬が参りまして、これを、殿にと・・・・浅野殿からの文と、思われます。」

家来の差し出したその文を読むなり、菊地の顔色が変わった。

「すぐに、馬を出せ!わしは、江戸に帰るぞ!」

「しかし、殿!・・・・三日後には、上様に、ご挨拶にお伺いする予定でござりまするが・・・・・・」

「かまわん! 上様に急用だと、お伝え申しあげるのだ!わかったな!」

「は、はい、承知いたしました。」

家来は、頭を下げ、座敷を後にした。

「京之介・・・・」

そう呟くと、菊地は、手にした文を握り締めた。


* * *



江戸の菊地の別宅では、疲れた様子の菊地が、胡坐を掻き、酒を飲んでいた。

「申し訳ござりませぬ。殿・・・・よもや、京之介様が、ここまであの男に・・・・」

「よい・・!そなたのせいばかりではない・・・私も、京之介のことを、見くびっておったようじゃ・・・」

杯を、膳に置くと、菊地が、言った。

「こうなったら、京之介を越後に連れて帰るしかないのう・・・・この江戸に置いておく訳にはいかん。」

「今まで、京之介が、どうしても江戸にいたいと申す為、国には連れて帰らなかったが・・・・あの・・・香藤という男も、やはり、気になる。何をしでかすかわからん。」

「はっ・・・」

少し、歪んだ顔で、浅野が答える。

「で、あれから、香藤はどうしておる?・・・」

「音沙汰がございませぬ。どうやら、薬が効いたようでございます。」

「そうか・・・・・・・わしと京之介を見た時のあやつの顔が見たかったのう・・・ふっふっふっ」

そう言うと、菊地が、声を抑えて、低く笑った。

「ともかく、京之介を、二、三日中には、越後に連れて行く・・・」

「承知いたしました。京之介様には・・・?」

「わしから、直接、伝えよう・・・もう、おまえは、下がってよい。」

「はっ・・・失礼いたします」

浅野は、静かに、障子を開けると、座敷を後にした。


* * *


あの日依頼、体の調子を崩してしまった京之介は、すっかり寝込んでしまっていた。
それでも、やっと、今日は、なんとか起きられるようになった。
ゆっくりと床を抜け出し、外の様子を伺おうと障子に手を掛けた時、外に見張りがいるのに気がついた。

抜け出られるはずがない・・・・
 
京之介は、夜具に戻ると、ゆっくりと天井を見上げ、目を閉じる。
優しい洋二郎の笑顔が、浮かんで来た。

真に愛する者との契りを受けたこの身が、偽りの交わりに、もう絶える事ができないのは、十二分にわかっていた。

このまま・・・私は、屍のように生きていくのか・・・
愛する者と過ごす事もできず・・・・・

死ぬ事もできず・・・

そう思った途端、冷たい物が頬を伝った。
まだ・・・泣けるのかと自分でも、驚いた。

・・・もう一度、そなたの笑顔が見たかった・・・・・

睡魔に襲われながら、京之介は、霞んでいく視界の中で、優しく微笑む洋二郎を見た様な気がした。



目が覚めると、傍らに誰かが、座っていた。
一瞬、洋二郎かと思う。徐々にはっきりとしてきた意識と共に、そんな事があるはずはないと自覚した時、再び悲しみが京之介を襲い、両の目を、潤わせる。

「そのように・・・・己を卑下することはなかろう・・・私の愛だけでは、不服か・・・京之介・・・・」

苦しげな、それでもどこか、寂しげにその声の持ち主は、京之介に言った。

「殿のせいでは、ございませぬ・・・・私は・・・私の性を背負って生きていく事が、もうできないのでございます・・・お許し下さい・・・・」

そう言いながら、頬に流れる涙を、拭おうともしない京之介を見て、微かに震える声で菊地が言った。

「それほどまでに・・・・あの男を・・・・愛しておるというのか?」

その問いには、京之介は答えなかった。
しばらく、沈黙が続く。

「二、三日中に、江戸を発つ・・・お前も、一緒にくるのだ・・・越後に連れて行く・・・わかったな、京之介」

吐息を吐きながら菊地は、そう言うと、静かに部屋を後にした。

その言葉を聞いても、京之介は、驚かなかった。洋二郎との事を、知って、自分を江戸に置いておけるほど、菊地が、寛大ではない事は、とうにわかっていた。
今は、菊地が、洋二郎と体を重ねた事に気づいていないということが、せめてもの救いだと、京之介は思った。

洋二郎が、無事でいてさえくれれば、それで良かった。

桜は、やはり、咲かなかったのだ・・・・

そして、これからも、咲くことはないだろう・・・

京之介は、また重たくなっていく己の眼に逆らわず、静かに、その瞳を閉じた。

春のうららかな夕日が、美しい中庭を照らしだす。
一匹の鶯が、ホーホケキョと庭の隅で啼いているのが、薄れていく意識の中で、何故だか京之介の耳に、はっきりと聞こえた。


* * *


あの日から、洋二郎は、夜もほとんど、眠れずに過ごしていた。
京之介の事が心配で、何度も、菊地の別宅へと、足を運んだ。
もし、京之介の身に何かが起これば、屋敷の周りが、騒がしくなるに違いない。
そう思って、毎日のように、足を向ける。

だが、見張りが門に立っており、近くに行く事はできなかった。

京之介は、あの、桜の幹を見たのであろうか・・・
思い止まってくれたのだろうか・・・
私の気持ちは、通じたのであろうか・・・・

宅の様子は、外から、見る限り、不信な動きはなにもなかった。
どうやら、京之介は無事らしい・・・・

丁稚と思われる若い小間使いに、何度か手紙を、京之介にこっそりと、渡してもらえぬかと頼んでみたが、断られた。
もう、後は、捕まるのを覚悟して、夜、屋敷に忍び込むしかないかもしれないと思い始めた時・・・・・
商人風の者が、裏木戸から、出て来るのが、見えた。
侍の一人と話をしている。

聞こえぬものかと、近くに寄って行き、塀の陰に隠れた。

「では・・・明後日、籠をいつもより、一つ多くでございますね、承知いたしやした。どなた様がお乗りになられるんで?・・・ああ・・・あの髪の長い綺麗なお方ですか・・・とうとう菊地様が、お国に連れて帰られるんですかい?それは・・・それは・・・」

「おい、声が大きいぞ!」

侍風の男が、籠屋を、制した。

「あ・・すいやせん・・・・じゃ、あっしはこれで・・・」

髪の長い綺麗な方・・・京之介に違いない!国に連れて帰る!!越後に連れて行くのか!明後日・・・・・

京之介!!

洋二郎は、何かを決心したかのように、険しい顔で、空を見つめた。


ー続くー



レイ


2005年 6月


その7へ その9へ

このままだと2人は別れ別れに!
洋二郎はどう出るのか・・・京之介と会うことが出来るのか・・・
でもちょっぴり菊池の気持ちも分かったり・・・・;;
物語もあと少しです・・・レイさんいつもありがとうございますv