その七 運命の絆 |
うららかな春の日が、野や山を照らす。蝶が舞い、所々で菜の花が咲いていた。
昨日の激しい嵐の日が嘘のように、今日は初夏をも、思わせる陽気になった。
京之介は、蒼い薄衣を纏い、文机の上に置いた洋二郎の短刀を、じっと見つめていた。
どうしても、思い切ることができない・・・
もう、思い残す事などないと、思った。
短刀を、手に取り、そっと頬に寄せる。
心なしか、洋二郎の香りがした。
洋二郎に、会いたい・・・
これほどまでも、未練がましく、思い続ける自分が情けないと思う・・・
かなわぬ恋に身を焦がしてどうするというのだ・・・
だが、もう一人の自分が、せめて・・・せめて・・・もう一度・・・会うことができたら・・・と、願っている。
こんな暖かな春の日は、どうしても洋二郎の事を考えてしまう。
日の匂いのする洋二郎・・・
もう、あれから・・・七日も経つ・・・今まで、三日と会わぬ日はなかったのに・・・
そうだ・・・会わなくてもよい・・・遠くから見れるだけでも・・・
もう一度・・もう一度だけ・・・
京之介は、洋二郎の母屋から持ち出した短刀と浮世絵を懐にしまい込むと、中庭へ下りて、そっと、裏木戸へ近づく。
裏木戸に手を掛けようとした時、背後から聞きなれた声がした。
「どちらへ、行かれます?京之介殿・・・」
ぎくりとした京之介が、口早に答える。
「桜を見に・・・」
「もう、桜はとうに、散っております。・・・それでも、どうしてもと、仰るのでしたら・・私が、お供いたしましょう」
「いや・・・一人になりたいのだ・・・・・」
「・・・・・・・お一人にすることはできませぬ・・・・・・・京之介殿」
いつもより低い、ぞっとするような声で、浅野が言った。
「何故だ・・・浅野・・・・」
早くなる動悸を抑えながら、京之介が聞き返した。
「・・・・・香藤殿なら・・・・もう二度とお会いすることはできませぬぞ・・・・・」
「!!」
その浅野の言葉に、京之介は、絶句する。
ゆっくりと浅野は、京之介に近づくと、手を取って言った。
「京之介殿のお体は、京之介殿のものでありながら、そうではない事を良くご存知のはず・・・」
そして、京之介の腕を、己に引き寄せ、耳元で囁く。
「昨夜・・・・・・香藤殿は、ここにおいでに・・・・・京之介殿が殿と御一緒の時に・・・・・・」
強張った顔で、京之介が、浅野を見つめる。
「い、今、何と・・・申した・・・・」
震える京之介の声とは、裏腹に、落ち着いた淡々とした声で、浅野が答えた。
「ですから・・・ご覧になられたのです・・・・京之介殿・・・・」
その言葉を聞いた途端、京之介は、世界の全ての音が聞こえなくなった。
今聞いていた小鳥のさえずりが、木の葉のさざめきが、浅野の声が、もう、聞こえない。
気がつくと、浅野を突き飛ばし、外に飛び出していた。
浅野が、背後で何かを叫んでいたようだったが、京之介の耳には、もう届かなかった。
洋二郎に・・知られてしまった!
ああっ!洋二郎に・・・・・!!
洋二郎は、私を軽蔑したのに違いない・・・・抱いた事すら、後悔したかも知れない・・・・・
もう全ては終わりだと思った。
今なら、死ねると思った。
京之介は、頬を流れる涙を拭おうともせず、あてもなく、町の中を走り、いつのまにか桜並木に辿りついていた。
もう、ほとんどの花が散ってしまい、その寂しい姿を京之介の瞳に映し出していた。
荒い息のまま桜の幹に崩れ落ち、懐にしまってあった短刀を取り出す。
その時、懐から短刀と一緒に、洋二郎の浮世絵が零れ落ち、それを、春風が吹き上げ、空へと舞上げた。
一瞬、その浮世絵を捕らえようと、京之介の腕が、空を掴む。
だが、掴もうとする京之介の手をすり抜け、浮世絵は、ひらりひらりと舞い降り、染井吉野の幹へと落ちた。
ふとその幹を見ると、何かで、木の幹を削ったような跡が、目に留まる。
それが、何であるのか理解した時、まるで落雷にあったかのように、京之介の体に電流が走リ抜けた。
ー京之介ー
そう染吉野の幹にはしっかりと、刀で彫り込まれてあった。
震える指で、そっと、その彫り傷に触れてみる。
木の幹は昨日の雨を吸って表面は濡れていたが、その彫り傷は濡れてはいなかった。
きっと、昨夜の内に書かれたものに、違いない。
その事実を知った京之介の瞳から、再び涙が溢れ出す。
洋二郎・・・!ああ!!洋二郎・・・!!
このような私でも・・・・!
そなたは・・・・そなたは・・・・!!
涙が溢れて、もう字が見えない。
京之介は、桜の幹に体を預け、拳を握り締め、嗚咽をかみ殺しながらも、涙を止める事ができなかった。
突然、その泣き崩れる京之介の肩を、誰かが掴んだ。
びくっ、と反応した京之介が振り向くと、そこには、浅野が恐ろしい形相で立っていた。
「それほどまでも・・・それほどまでも・・・・あの男を・・・・・・京之介殿・・・」
浅野の京之介を掴むその手に力が篭る。
「あ・・浅野・・・・」
その、今まで見た事もない顔の浅野に見詰められ、京之介は慄いた。
浅野は、京之介の持っている短刀を、その手から振り払うと、京之介をいきなり抱き締めた。
「何故・・・あのような男を・・・何故・・・・京之介殿・・・私は・・・・ずっと・・・あなた様を・・・ずっと・・・・・」
驚愕に震える京之介を、浅野は強く抱き締めながら、呟いた。
「お母上の元に行く事はなりませぬぞ・・・・京之介殿・・・・・・」
冷たい雫が、京之介の首筋に、ぽとり、またぽとりと、落ちる。
「この浅野が、そうはさせませぬ・・・・この・・・私が、そうはさせませぬ・・・」
もうすでに、体の力が抜けてしまった京之介を、しっかりと抱きとめながら、浅野は、何度もそう呟いた。
二人の頭上には、はらはらと、僅かな桜の花びらが、舞っていた。
ー続くー レイ 2005年 6月 |
なんか浅野の気持ちも伝わってきて複雑な気持ちです・・・
でも京之介さんには辛すぎるそして切ない事に;;
洋二郎と再会出来るのでしょうか?