いい旅Love気分 〜栃木県編(日光お決まりコース)〜 



平日のせいか街中は観光客もまばらだった。それだけで少し涼しいような気がする。
今日、都内を出るときは既に30℃の夏日だった。
しかし東北自動車道と日光宇都宮有料道を乗り継いで日光市内に入ると気温の違いも
さることながら湿度も若干低いのだろうか、不快な暑さを感じなかった。

渋滞もなく順調に来られたせいか予定していたチェックインの時間までは少し時間が
ある。
それでは先に寄れる所は寄って行こうとどちらが言うでもなくそう決まった。
常日頃分刻みのスケジュールをお互いこなしているのだ。こうしてたまたま入った
2人一緒のオフ、出来るだけ有効に使いたいと考えるのは当然のことといえた。
この小旅行を言い出したのは香藤だったが一度出てしまえば岩城も目いっぱい楽しもう
と決めていた。


香藤がガイドブックでチェックしておいた明治の館に入ると言う。なんでも小腹が
空いたそうだ。
途中寄ったサービスエリアでも宇都宮名物のギョーザを食べていたのに、よくそんな
に入るもんだ。岩城は心の中で溜息をつきながら後ろをついて行った。

“女給”とでも呼んだ方がよさそうないでたちのウェイトレスがメニューを持って
くる。そもそも明治の館という名前はこの建物に由来しているらしい。
明治時代に建てられ、アメリカの貿易商の別荘として使用していたもの…とテーブル
に置かれたランチョンマット代わりの紙にそう記してある。2人が通されたのは2階
だったが横切った1階もこの2階もその時を思わせる調度品が飾られていた。

不思議と懐かしい感じがするのは『冬の蝉』のロケで使用した洋館やセットが頭に
あるからなのかもしれない。
岩城はそう思った。撮影の合間に見学させてもらったのだ。
同じように思ったのか香藤も漏らした。
「映画の撮影を思い出すね。俺なんか部屋の中のシーンが結構あったからそう思うの
かな。ほら、さっき上ってきた階段のところとかこういった照明とかさ、似ているん
だよね。」
そんな会話をしていると先ほどのウェイトレスが注文を取りに近づいてくる。
午後のお茶という理由でコーヒーと日瑠華(ニルバーナ)というチーズケーキを
オーダーした。
香藤だったらメニューにあるオムライスやハヤシライスもいけるのかもしれないが、
それでは夕食に障るだろう。

さほど時間がかからずにコーヒーとケーキが運ばれてきた。
先にケーキをパクついた香藤が一口食べ感想を述べる。
「岩城さん、これ凄く美味しいよ〜。岩城さんこういうの好みかも!」
そう言われて一口岩城も口に入れる。
「なる程、あまり甘いものは得意じゃないがこれは結構美味しいな。」
ベイクド・と記されていたが殆どレアチーズケーキの味と食感だ。なのに舌の上で
さらっと溶けるように滑らかなチーズが味はしっかりしているのに全然くどくない。
そんなに腹が空いているわけでもなかったのに岩城も(勿論香藤も)ぺろりと平らげ
てしまった。

雰囲気が良いので少々立ち去りがたい気もするが仕方がない。
まあよく考えて見れば今日泊まる老舗の金谷ホテルもここに来る時に通って見たが
洋館風だったような気がする。
店を出たところで岩城が店の外観を眺めていると香藤が携帯のカメラでその姿を撮って
いた。
「いい感じに撮れたよ。待ち受けこれにしようかな。」
香藤がにこやかに笑ってそう言った。その笑顔の方こそ岩城にしてみれば“いい感じ”
なのだが。

そこでふと気がついた。
「東照宮……いつ見るんだ?明日は別の所に行くようなことを車の中で言っていた
だろ?」
「へ?岩城さん見たい?」
香藤は意外そうな顔をした。
「だって世界遺産だろう?それにここは日光なんだから…お決まりといえばお決まり
かもしれないが左甚五郎の眠り猫とか見ざる言わざる聞かざるとか…。」
取りあえず岩城は思いつくところを言ってみる。そうでもしないと寄ってもらえそうに
ないようだ。
「そっかー。岩城さんまだ本物見たこと無いんだ。俺、小学校の修学旅行でさー東武線
に乗ってここまで来たんだよ。実物って小さいんだよ?知ってた?」
「う…それは人から聞いて知ってはいるが……。やっぱり本物を見ておきたい気は…
する。」
「ぷっ。岩城さん可愛いー!」
「可愛いとか言うな!」
一体この香藤の“可愛い”発言はどうにかならないものなのか。
はっきりものごとを言わないと言うまで攻め立てるくせに、言えば言ったでいつも
これだ。頭にくる。
しかしそういう香藤のことも“可愛い”と口には出さないが思っている岩城だった。

「大丈夫だよ。まだ3時過ぎだし、チェックインなんて夕食に間に合えばいいんだしさ。
これから東照宮に行こう。まあ、車で行くほどの距離じゃないんだけどね。目と鼻の先
だから。でもこの時期この時間だったら
一番近い駐車場も空いているだろうしね。」
そう言われて車に乗り込んだが本当にすぐ近くだ。それに駐車場の出入り口のすぐ前が
参道だ。


杉の巨木に挟まれた参道を歩く。
これだけの木に囲まれているのにあまり圧迫感がないというのは参道の幅の広さと木の
高さがそうさせるのだろう。
参道の先の大きな鳥居をくぐって石段を上がり、更に先に進むと香藤が手招きをする。
「ほら、これが“見ざる言わざる聞かざる”だよ。」
「これが…あの有名なヤツか?」
少々地味な印象を受けたがあの時代にこういった洒落のきいた物を作ること事体が凄い
のだろう。
それに比べると陽明門はさすがに絢爛豪華という言葉がぴったりだった。
黄金色や鮮やかな群青色が目を引く。一つ一つの彫刻も見事なものだ。全てをじっくり
観賞しようとしたら時間がいくらあっても足りないくらいだった。
そうして例の“眠り猫”。
(この張り紙は何とかならないのか?)
内心岩城はそう思う。
確かにこうでもしないと見落とされる箇所に彫られているが少々無粋な気がする。
折角穏やかな顔をして眠っているのが妨げられているようだった。
眠り猫が彫られている“蟇股”(かえるまた)をくぐり後ろを振り返ると眠り猫の裏側
には雀の彫刻があった。
その彫刻がとても印象に残った。

更にその先にある奥社へと行くことにする。
舗装されてはいるが木々に囲まれた坂道を登っていく。
しばらく歩くと額に汗が滲んでくる。それでも時折流れてくる風に爽やかさを感じた。
「たまにはこうして歩くのもいいもんだな。」
「ほんと、スポーツクラブで汗をかくのとは違うよね。」
普段はコンクリートジャングルの中に身を置いている。まあ日本人の多くがそうなのだ
ろうがこうして自然の緑の中にいるとこれが人間本来の姿なのかと実感する。

奥社には徳川家康の霊廟がありそこをぐるりと回って歩いて見る格好になっているが脇
に柵で囲った杉の木があった。
(御神木か何かなのか?)
上部は既に切られてしまっている木だ。見ると“叶杉”と書かれていた。
木の下部は裂けていてそこは小さな祠になっている。
「“諸願成就”って書いてあるな。なにか願い事でもしていくか?」
「うーん、そうだね。やっぱり“俺はいつまでも岩城さんと幸せに暮らせますように”
…かな。」
「お前はそればっかりだな。」
「なんで。岩城さんは違うの?」
香藤が顎の前で手を組んで少々大げさに悲しそうな顔をした。
「俺は、そうだな……お互いに健康で…家内安全なら…。」
「なんだ〜、それじゃあ殆ど一緒じゃん。」
途端に破顔する。
そんな所が可愛いと思うのだが本人には言わないでいる。

叶杉の前には一心に祈る二人の姿があった。



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