病院に着き、予め教えられていた関係者出入口から中に入る。 二人を出迎えた清水の表情は硬い物だった。 「香藤さん、お疲れ様です。金子さんもわざわざご足労様です。」 「清水さんっ。岩城さんどうしたの!?先生の話って何なの?どうして金子さんまで…」 「香藤さん。落ち着いてください。」 清水を責める様に矢継ぎ早に質問をする香藤を金子が諌める。 「僕まで立ち会うというのは、状況次第では香藤さんの今後のスケジュールにも影響が出るかもしれないと言う事ですか?」 金子がマネージャーらしく冷静に質問する。 「…ええ。とにかく岩城さんの今の状態について先生からご説明がありますから。まずそれを聞いてください。」 カンファレンスルームへ入ると岩城の兄雅彦が居た。 「お義兄さん。どうして…?」 香藤の問いに清水が答える。 「私がお呼びしたんです。」 「そう…、なんだ。」 雅彦まで呼ばれたとなると岩城の状態は思った以上に深刻なのかもしれない。 香藤は自分の中の不安が膨れ上がっていくのを止められなかった。 「あの…、香藤さん。すみません。そちらの方は…?」 香藤の心情を十分過ぎるほど理解している金子が遠慮がちに質問する。 「あっ、ごめん金子さん。こちらは岩城さんのお兄さんで岩城雅彦さん。お義兄さん。こちらは俺のマネージャ−をしてくれている金子さんです。」 香藤がそれぞれに紹介する。 「初めまして。金子です。」 「どうも。岩城の兄です。」 状況が状況だけにお互いに簡潔な挨拶だけを交わす。 そこへドアがノックされ医師が入ってきた。 医師は何枚かのレントゲン写真やCT写真などを示しながら岩城の状態を説明していく。 「今までの検査では脳に異常は見られません。しかし現在岩城さんは記憶後退の状態にあります。」 「…記憶後退ってどう言う事ですか?」 耳慣れない言葉に香藤が問う。 「記憶後退というのは文字通り記憶が後退する。つまり過去に戻ってしまう事を言います。」 質問を受けて医師が説明する。 「過去に戻るって…」 まだ理解しきれない香藤の様子に医師がはっきりと岩城の病状を説明する。 「岩城さんの記憶は今十歳まで遡ってしまっています。そしてそれ以後現在までの記憶を失くしてしまっているんです。」 「そんな…」 香藤は医師の言葉に愕然とする。 「それでは、今の京介は自分が俳優である事はおろか高校生や中学生の頃の事も忘れてしまっているんですか?」 そう訊ねる雅彦の顔も青ざめていた。 「ええ、そうです。」 「一応お仕事の事も含めて今の状況を岩城さんにご説明したんですけど。やはりお分かりにならないらしくて…。」 医師に続き清水が答える。 「とにかく、これから岩城さんに面会していただきます。それがきっかけで記憶を取り戻されるかもしれませんし。ただし、はじめにご注意しておきますが。たとえ岩城さんがあなた方の事を分からなくても決して責めてはいけません。いいですね。」 「ちょっと待ってください。」 医師に促され岩城の病室へ向かう途中で香藤が立ち止まった。 「どうかなさったんですか香藤さん?」 金子の問いにも答えず俯いて考え込んでいたが、やがて思い切ったように口を開いた。 「清水さん。俺の事岩城さんに話したんですか?」 「申し訳ありません。」 香藤の問いに清水が深々と頭を下げる。 「お二人の関係をどう説明したらいいのか分からなくて…。お話してないんです。本当に申し訳ありません!」 膝に着きそうなほど頭を下げる清水の肩に、慌てて香藤が手を掛ける。 「清水さん、頭を上げてください。清水さんは少しも悪くないんですから。十歳の子供に男同士の恋愛なんて、説明できなくて当然ですよ。だから自分を責めるのは止めてください。」 香藤に促されやっと顔を上げた清水が、まだ気にしている様子を見て更に言葉を重ねる。 「ホントに気にしないで。岩城さんが思い出してくれれば何も問題はないんだし。それまでは一番の親友って事にしておきましょう。」 「…香藤さん。」 香藤の胸の痛みが分かるだけに誰も何も言えなかった。 病室では岩城の側に看護師が付き添っていた。 ぞろぞろと入ってきた香藤達を岩城が小首を傾げながら見ている。 岩城の姿は包帯を巻かれている以外何一つ変わらないのに、表情やしぐさは明らかに子供のそれで、記憶後退という事実を突きつけている。 最初に香藤が話し掛けた。 「岩城さん。俺が分かる?香藤だよ。」 「…か…とうさん…?」 岩城の瞳が不安そうに揺らぐ。 「そうだよ。香藤洋二。岩城さんと同じ俳優なんだ。ほら、あそこに居る人が俺のマネージャーの金子さん。仕事の時はいつも一緒に居るんだよ。俺と岩城さんはとっても仲のいい友達なんだよ。」 岩城は香藤の指差した金子を見、もう一度香藤を見ると申し訳なさそうに言った。 「ごめんなさい。お兄さんの事思い出せない。お友達なのに…ごめんなさい。」 香藤は胸が押し潰されそうな痛みを感じながらも、泣きそうな顔をしている岩城を慰める。 「謝らなくていいんだよ。分からないのは病気のせいで、岩城さんのせいじゃないんだから。」 香藤は優しく微笑んで頭を撫でると、雅彦に場所を譲った。 「京介、俺が分かるか?」 雅彦が硬い表情で話しかける。岩城は雅彦の顔をじっと見つめた後、おずおずと口を開いた。 「おじさん、お兄ちゃんに似てる。…もしかして雅彦お兄ちゃんなの?」 その瞬間病室に何とも言えない空気が流れた。 「そうだよ。お兄ちゃんだよ。分かってくれたか?」 雅彦は岩城の肩にそっと手を掛け顔見つめる。 「うん。」 岩城は多少戸惑った様子ながらもしっかりと頷いた。 「おじさんになっちゃっててびっくりしたけど、僕も本当は三十三歳なんだから仕方ないよね。」 「京介!」 寂しそうに笑う岩城を雅彦が優しく抱きしめる。 その光景を見て香藤は居た堪れない気持ちになった。 自分の事は分からなかったのに、雅彦の事は分かった。 十歳の頃の岩城の側に自分は居なかったんだから当然の結果だと分かっていても胸が痛んだ。 「京介、お兄ちゃん今日はもう帰るからな。明日久子さんに来て貰うから。いい 子にしてるんだぞ?久子さんの事覚えてるか?」 雅彦が岩城の頭を優しく撫でる。 「本当?久子さんが来てくれるの?」 岩城が嬉しそうに微笑む。 「先生、京介が子供の頃から家に居る人に来て貰おうと思うんですがいいでしょうか?」 「そうですね。精神的に不安定になっていますから見知った人が側に居れば安心するでしょう。どうぞ来て貰ってください。」 医師の了承を得て、雅彦は岩城に向き直る。 「先生のお許しも出たから、明日からは久子さんが側に付いててくれるからな。」 「うん。」 岩城は安心した様に笑顔を浮かべた。 その後、四人は今後の事について話し合うために香藤の家のリビングに居た。 「香藤さん、明日からのスケジュールどうされますか?」 最初に金子が口を開いた。 「明日からもスケジュールどおり仕事をするよ。俺が側に居ても何の役にも立たないし。俺が仕事休んだりしたら記憶が戻った時、岩城さん自分を責めるだろうしね。」 「分かりました。」 仕事に没頭する事によって不安な気持ちから少しでも逃れたいとの香藤の思いを察して、金子は余計な事は言わず簡潔に返事をした。 「お義兄さん、今夜は家に泊まってくださいね。久子さんもこちらに居る間は家に泊まって貰ってください。和室を使って貰えばいいですから。」 「ありがとう。今夜はお言葉に甘える事にするよ。でも久子さんまでお世話になってもいいのかい?」 香藤の申し出をありがたく思うものの雅彦は躊躇った。 「いいんですよ。ホテルだと何かと不便だし、食事もレストランとかお弁当ばっかりになっちゃうし。家ならキッチンも好きに使って貰って構いませんから。」 「そうだな。久子さんの事だから気を遣ってパンやおにぎりで食事を済ませてしまいかねないな。付き添いは気力も体力もいるから食事も睡眠もきちんと摂って貰わないと。そのためにはこちらにお世話になった方がいいな。香藤君、すまないがよろしく頼むよ。」 「はい。」 高齢の久子の事を思えばベッドよりも畳の上の方が身体が休まるだろう。 そう思い至って雅彦は香藤の申し出をありがたく受ける事にした。 香藤と雅彦の話が一段落したところで、岩城の話へと移る。 「先生が仰るには心のどこかに忘れたい事があったり辛い事があってそれから逃れるために自分の一番幸せだった頃に戻ってしまうケースが多いそうなんです。何かお心当たりありませんか?」 清水の問いに香藤の顔が曇る。 「一番幸せだった頃か…。やっぱり岩城さん、俺との事心のどこかで後悔してた のかな?真面目な岩城さんには男同士だって事重荷だったのかもしれない。だからきっと子供に戻っちゃったんだ。」 「そんな!違いますよ!絶対そんな事ありませんっ!!」 「そうですよ。そんな訳ないじゃないですか!」 清水と金子が香藤の言葉を否定する。 「でも…、岩城さん俺の事忘れちゃったんだよ。それってやっぱり…」なおも言い募ろうとする香藤の言葉を雅彦が遮る。 「それは違うよ香藤君。京介の心に何か引っ掛かりがあったとすれば、それはきっと俺達家族に対する負い目だ。自分の幸せのために俺達に嫌な思いをさせているんじゃないかというね。俺に土下座までして愛していると言った君の事を負担に思うはずがないよ。」 「そう…なのかな?」 雅彦の言葉に俯いていた顔を上げる。 「そうですよ。岩城さんがどんなに香藤さんを愛してらっしゃるかは、いつも側にいる私がよく知っていますから。」 「十歳に戻ってしまったのはその頃が家族と一番上手くいっていたからだろう。俺が大学を卒業して家に戻った頃にはあいつはもう反抗期に入っていて、家族とぶつかってばかりいたからな。」 清水と雅彦の言葉に香藤の顔に少し安堵の色が浮かぶ。 「本当にそうなのかな?」 「ええ。お兄様には失礼ですが私もそう思いますよ。でも頭を打っただけでなく他にも何かきっかけがあったと思うんです。ご家族の事を意識するような事が。香藤さん、最近の岩城さんの様子で何か思い当たるような事がありませんでしたか?」 清水に言われてすぐに事故の前日からの岩城の様子が香藤の頭に浮かんだ。 「昨日雪が積もってるのを見てお母さんの事思い出してたみたいです。はしゃぎ過ぎて服を濡らしてよく怒られたって。それに前の晩に何か考え込んでたみたいでした。岩城さんは台本に入り込み過ぎただけだって言ってたけど…。やっぱり何か気になる事があったのかな?」 「もしかしてその台本の中に何か気になるセリフがあったんじゃないでしょうか?」 「そうか。そうかもしれないね。俺取って来る。」 金子の意見に香藤は岩城の部屋から台本を持ってきた。 「この台本を読んでたんだけど…。」 数冊の台本の中から一冊を取り上げ香藤がパラパラと捲る。 皆が見守る中最後まで目を通し終わった香藤が大きく息を吐く。 「ダメだ。わかんないや。俺にはこれといって気になるセリフは無かったように思うけど。」 「俺も見せて貰って構わないかな?」 雅彦の申し出に香藤が台本を渡す。 「どうぞ、見てください。お義兄さんなら何か分かるかもしれない。」 雅彦はゆっくりと台本を捲っていたが、やがてその手が止まった。そして台本を握り締め、搾り出すように言った。 「京介があんな事になったのは俺のせいだ!」 雅彦の言葉に全員が息を呑む。 「…どういう…事ですか?」 最初に口を開いたのは清水だった。 「これを見てください。」 雅彦は硬い表情で台本をテーブルに置くと、ひとつのセリフを指差した。 そのセリフは岩城にオファーのあった役の物ではなく脇役の一人の物だった。 <お前のせいで母さんは死んだんだ!母さんはお前が殺した様なものだ!!> 「このセリフにどういう意味があるんですか?」 再び清水が問う。 雅彦は少し躊躇った後苦しそうに言葉を発した。。 「…俺が京介に言ったんです。母が死んで京介が帰って来た時に。おふくろはお前が殺した様なものだって。」 「どうしてそんな酷い事っ…!?」 香藤が詰め寄る。 雅彦は膝の上で拳を握り床を睨む様にして話し始めた。 「あの頃俺達家族は京介と君の関係を軽蔑していた。東京と比べて新潟は田舎だ。古い考え方の人間も多い。京介がAV俳優をしていた事や君と恋愛関係になった事で俺達が後ろ指を差され恥ずかしい思いをしたのも事実だ。そこへマスコミや京介のファンから非難されて…。今思えば自分でも酷い事を言ったと思う。でもあの時は京介に怒りをぶつけるしかなかったんだ!」 最後は叫ぶ様にして当時の苦しかった胸の内を吐き出した雅彦を三人が無言のまま見つめる。 マスコミや見も知らない多数の人間からの一方的な非難を黙って受け続けるしかなかった苦しさ想像すると、やり場の無い怒りを岩城にぶつけてしまった事を誰も責める事は出来なかった。 「きっと京介の心の中にずっと俺の言葉が引っ掛かっていたんでしょう。そして無意識のうちに自分を責めていたんだと思います。母親が死んだのは自分のせいだと。それがこのセリフを見て表面に出てきてしまったんでしょう。」 雅彦は再び台本に目をやる。その顔には後悔の色がはっきりと浮かんでいた。 「お兄様、そんなに御自分をお責めにならないでください。本当にその事が原因かどうか分からないんですから。それにもし仮にそうだとしても原因が分かれば治療の方法も見つかるでしょうし。とにかく明日先生に相談してみましょう。」 清水が敏腕マネージャーらしい気遣いを見せる。 「そうですね。今俺達に出来るのはここまでですね。後は先生に任せることにして今日はもう休みましょう。清水さんも金子さんも遅くまでありがとうございました。」 香藤が清水と金子に労いの言葉を掛ける。 二人を見送った後雅彦を客室に案内し、香藤もベッドに入る。 香藤は寝付けないまま岩城の母が亡くなった時の事を思い出していた。新潟のホテルで激しく自分を求めて来た岩城。あの時は家族との決別を決意した辛さからだと思っていた。 でもきっとそれだけではなく、雅彦の言葉に母の死は自分の責任だと感じ、その辛さから逃れるためでもあったのだ。なぜあの時もっと岩城の心の内を推し量ってやれなかったのだろう。 そう思うと香藤は悔やんでも悔やみ切れなかった。 翌朝、香藤は仕事に向かい、雅彦は清水と一緒に東京駅で久子を出迎え病院へ向かった。 清水が病室のドアをノックし、静かに開ける。 「岩城さん。お兄様と久子さんが来てくださいましたよ。」 その声に岩城が見ていた雑誌からぱっと顔上げる。 「お兄ちゃん。久子さん。」 嬉しそうに笑う岩城に雅彦が声を掛ける。 「京介、久子さんが来てくれたぞ。分かるか?」 雅彦に背中を押され久子が前に出る。 「京介ぼっちゃま。久子ですよ。お分かりになりますか?」 「うん。分かるよ。来てくれてありがとう。」 「京介ぼっちゃま…。」 涙ぐむ久子の肩に雅彦がそっと手を掛ける。 「久子さん、泣かないで。京介が困ってるよ。ところで京介、何見てたんだ。」 その場の雰囲気を和ませようと雅彦が話題を変える。 「雑誌見てたんだ。僕の事が載ってるって看護婦さんがくれたんだ。何か思い出せるかもしれないからって。…でもこれ見ても何にも思い出せない。」 岩城の声が沈み俯いてしまう。 「岩城さん。そんなに急いで思い出そうとしなくてもいいんですよ。先生も焦ら ない方がいいって仰ってますから。」 「そうだぞ。無理に思い出そうとしなくていいからな。」 清水と雅彦の優しい言葉に岩城の顔に笑顔が戻る。 「うん、分かった。」 雅彦と清水は医師の所へ行き昨晩話し合った内容を伝えた。 「そうですか。それが原因だとすると少し難しいですね。岩城さんの自責の念を取り除くにはお母さんの死の状況を再認識させる必要がある。しかしそれは岩城さんの心の傷を広げる事にもなりかねない。もう暫くこのままで様子を見ましょう。」 「分かりました。よろしくお願いします。」 「ありがとうございました。」 医師に礼を述べ病室に戻る。 「京介、俺は仕事があるからもう帰るからな。久子さんや清水さんの言う事ちゃんと聞くんだぞ。いいな。久子さん清水さん、京介の事よろしくお願いします。」 そう言い置いて雅彦は帰って行った。 クリスマスイブを明日に控えた休日の午後、街にはたくさんの恋人たちが溢れていた。 そんな中、清水はあるジュエリーショップへと入った。 「お電話頂きましたインタープロの清水と申しますが。」 清水が店員に名刺を差し出すと簡易の応接コーナーへ案内された。 間も無く責任者らしい女性店員がトレーに小さなケースを乗せて現れた。 「わざわざ御足労頂きまして申し訳ありません。実は岩城京介様からこちらのお品の御注文を承っておりまして。」 そう言って店員が差し出したケースの中には二つの指輪が納まっていた。太陽をモチーフにしたゴールドのリングと三日月をモチーフにしたプラチナのリング。 縦に並べてケースに納められている様は月のカーブに太陽がぴったり嵌って、まるで月が太陽を包み込んでいる様に見えた。店員によれば元々ペアのチョーカーのペンダントヘッドだった物を岩城の依頼で 特別に指輪に仕立てたとの事だった。 「これを岩城さんが…。」 清水は涙ぐみそうになるのを必死に堪え平静を装った。 「ええ。今日こちらにお見え頂く予定になっていたのですが、まだ入院なさっているようなのでお電話させて頂きました。」 「そうでしたか。それでは私がお預かりいたします。わざわざお電話を頂きありがとうございました。」 これを見たら岩城が何か思い出してくれるかもしれない。 そう思った清水はラッピングして貰う前に携帯で写真を撮った。 店員には「あんまり綺麗なので。」と言い訳をした。 岩城の怪我からすでに五日が経っていた。 あと二、三日のうちに退院しなければマスコミが不審に思い騒ぎ出すのは目に見えていた。 (岩城さん。お願いですから早く思い出してください。) 病院に向かいながら清水は強く祈った。 岩城は毎日自分の記事が掲載されている雑誌や出演したドラマのビデオを見て過ごしていた。 少しでも記憶を取り戻す助けになればと、清水が持ってきた物だ。 今日は<春を抱いていた>のビデオを見ていた。 「ねえ久子さん。どうして男なのに男の人を好きになっちゃうのかな?」 岩城がポツリと漏らした疑問に久子は少し考えた後答えた。 「そうですね。きっと魂が惹かれ合うからですよ。」 「魂が…惹かれ合う?」 よく分からないと言った様に岩城が小首を傾げる。 それを見て久子が優しく微笑む。 「そうですよ。きっと誰でも男の人だとか女の人だとか関係なく初めから魂が結ばれている人がいるんですよ。京介ぼっちゃまはこのお話の中の二人を変だと思いますか?」 逆に問われ岩城はすぐに答える。 「ううん。変だなんて思わないよ。だって二人とも相手の人の事とっても好きだって分かるから。でも何でだろう。ドラマの中の事なのに香藤さんの悲しそうな顔を見たら僕まで悲しくなっちゃう。」 「京介ぼっちゃま…。」 久子が岩城の言葉に驚いていると、ドアがノックされ清水が入ってきた。 久子が今の岩城の言葉を伝えるとすぐに部屋を出て行き医師に確認を取って戻って来て久子に頷いて見せた。 それを見て久子は岩城に向き直りゆっくりと話し始めた。 「京介ぼっちゃま。さっき香藤さんの悲しそうな顔を見ると悲しくなると仰いましたね?」 「うん。」 「それは香藤さんと京介ぼっちゃまがこのお話の中の二人と同じ様に魂の結ばれ合った恋人同士だからですよ。」 「香藤さんと僕が恋人同士?お話の中の事じゃなくて本当に?」 岩城が驚いた様に久子を見つめる。 「そうでございますよ。」 岩城は戸惑った様に清水に視線を向ける。 「清水さん。本当なの?」 「ええ、本当ですよ。お二人はとても愛し合っておられるんですよ。」 清水が優しく微笑みながら答える。 「僕と香藤さんが恋人同士…。」 「岩城さん、これを見てください。」 まだ戸惑っている様子の岩城に清水が先程携帯で撮った指輪の写真と包みを見せる。 清水は五分間だけ携帯のスイッチを入れる許可を医師に得ていた。 「この指輪、岩城さんが香藤さんのために買われたんですよ。覚えていらっしゃいませんか?」 岩城が携帯の中の指輪をじっと見つめる。 「これを僕が香藤さんために…。…思い出せない。でも分かる気がする。香藤さんって笑うと太陽みたいだから。それに…香藤さんと恋人同士って事嫌じゃない…と思う。」 その言葉に清水と久子は顔を見合わせ微笑んだ。 記憶を失くしていても岩城の心の中にはしっかりと香藤への愛情がある。 香藤と岩城の結びつきの強さを清水と久子は改めて感じていた。 その日の夜、自宅へと向かう車の中で香藤はぐったりとシートに身体を沈めていた。 スケジュールのきつさもさる事ながら、岩城の事を気取られないために普段どおり明るく振舞う事に神経を磨り減らしていた。そんな香藤の様子を見て金子が声を掛ける。 「香藤さん、かなりお疲れの様ですけど大丈夫ですか?」 香藤はフゥーッと大きく息を吐くと天井を見つめた。 「大丈夫だよ。金子さん心配掛けてごめんね。」 「止めてください香藤さん。僕に謝ったりしないでください。タレントの体調を気遣うのはマネージャーとして当然の事なんですから。」 「うん。ありがとう。」 「明日は早くあがれる予定になってますし。明後日はオフですからもう少し頑張ってくださいね。」 「そっか、明後日はオフだったっけ…。」 香藤は金子の言葉に寂びしそうに呟くと窓の外へ目を向けた。 街を彩る煌びやかなイルミネーションも香藤には色褪せて見えた。 クリスマスを二人で過ごしたくて香藤が金子と清水に無理を言って岩城と一緒にオフにして貰った。 イブの夜からずっと岩城と一緒に過ごせるはずだった。 楽しみだったはずのオフが今はとても空しく感じた。 自宅に着いて見上げると久子が居るので明かりが灯っていた。少しほっとしながらも重い足取りで階段を昇り玄関を開けると久子が出迎えてくれた。 「香藤さん、お帰りなさいませ。」 「ただいま、久子さん。」 香藤がリビングのソファーに座るとすぐに温かいお茶が差し出された。 「ありがとう。」 礼を言って一口飲むとその温かさが全身に染み渡る様だった。 香藤が湯飲みをテーブルに戻すのを待って久子が今日の岩城の様子を伝える。 指輪の事は清水と相談の上で黙っておいた。 「ホントに?本当に岩城さんが俺の事そんな風に言ってくれたの?」 香藤の嬉しそうな様子に久子も微笑む。 「ええ、本当でございますよ。きっともうすぐ全部思い出してくださいますよ。」 久子の母の様な慈愛に満ちた笑顔を見て香藤は感謝の気持ちで一杯になった。 「久子さん。」 香藤が姿勢を正し改めて久子に向き直る。 「何でございましょう?」 久子もソファーに座り直す。 「久子さんありがとう。俺久子さんに家に泊まって貰って本当に良かったと思ってる。」 「そんな、とんでもございません。私の方こそとてもありがたく思っています。 清水さんにも本当に良くして頂いて。」 突然の香藤の言葉に久子が恐縮する。 「うん。清水さんにも感謝してる。でも俺久子さんに凄く助けて貰ってるんだよ。帰って来て家に明かりが点いてる事で、家の中が暖かい事で凄く救われてるんだよ。真っ暗な寒い家に一人で居たら俺きっと耐えられなかった。だから凄く感謝してるんだ。ありがとう、久子さん。」 久子に泊まって貰うのは慣れない東京での生活を少しでも助ける事が出来れば、と思っての事だった。 しかし実際に助けられたのは自分の方だった。 もし一人でこの家に居たら自分までおかしくなっていたかも知れない。 そう思うと久子にはいくら感謝しても足りないと思う香藤だった。 その頃岩城の実家では岩城の父が仏壇の前に座っていた。 岩城の母の位牌に手を合わせ語り掛ける。 「母さん、京介はまだ記憶が戻らんのだそうだ。雅彦が怒りに任せて言った事を真に受けて母さんが死んだのは自分のせいだと思っとるらしい。頑固なあいつの事だ儂達が何を言っても聞かんだろう。母さんから何か言ってやってくれんか?頼む。」 無理な事だと分かっていながら父としてそう祈らずにはいられなかった。 その夜、岩城の夢の中に母が現れた。 「京介、立派になって。会いたかったわ。」 「お母さん。」 「京介、あなた私が死んだのは自分のせいだと思っているの?」 母の言葉に岩城は俯き唇をかんだ。 「やっぱりそうなのね。京介、私が死んだのは病気のせいよ。あなたのせいなんかじゃないわ。」 「だって、兄さんが…。それに病気だって俺が心配ばかり掛けたから…。」 「そんな事無いわ。確かにあなたの事は心配だったけれどそれと私が病気になった事とは全然関係ないのよ。雅彦は、いろんな人から責められてあなたに八つ当たりしただけよ。」 岩城の母は子供にする様に岩城の頭を優しく胸に抱きそっと髪を撫でる。 「本当にそうなのかな?」 岩城も子供の様に母の背中に手を回しギュッと抱きつく。 「そうですよ。だからあなたが私が死んだ事に責任を感じる必要は無いのよ。雅彦だって後悔してるのよ。あなたを傷つけてしまったって。雅彦の事許してあげてね。」 「うん。うん…」 母の胸の温かさに、髪を撫でる手の優しさに、岩城の瞳から涙が零れ落ちる。 岩城の母は暫く髪を撫で続けていたが、やがて岩城の肩に手を掛け顔を起こさせた。 「京介、母さんの言った事分かってくれたわね。」 「うん。分かった。」 岩城は涙を流したままで頷く。 「それじゃあいつまでもこんな所に居てはダメよ。早く皆さんの所に帰りなさい。あなたが子供に戻ってしまったって心配してるのよ。香藤さんだって待ってるわ。」 香藤の名前を聞いて岩城の肩がピクリと揺れる。 「俺、香藤の所へ戻っていいのかな?そうしたらまた兄さんや冬美さんまで嫌な思いするんじゃないのかな?それに香藤のご両親も、本当は香藤に普通の結婚をしてほしいと思ってるんじゃないのかな?それなら俺はこのまま香藤の所へは戻らない方がいいのかもしれない。」 俯いてしまった岩城の肩を岩城の母が強く揺する。 「京介!あなた何言ってるの!そんな事をしたら香藤さんはどうなるの?あなた私に言ったでしょ。自分を幸せにしてくれるのは香藤さんだけだって。それと同じ様に香藤さんを幸せにしてあげられるのは京介だけなのよ。香藤さんのご両親もちゃんとそれを分かってくださっているわ。勿論、雅彦も冬美さんもね。だから何も心配しないであなた達が幸せになる事だけ考えればいいのよ。いいわね?」 再び岩城の目から涙が溢れる。 「母さん。母さん!ごめんっ!ごめんね、心配ばかり掛けて。本当にごめんね。」 岩城はもう一度抱きつくと謝罪の言葉を繰り返した。 「いいの、いいのよ。あなたが幸せになってくれればそれでいいのよ。それが私 の一番の願いなんだから。」 母はまた優しく抱きしめるといつまでも髪を撫で続けた。 |