ゴッド セイ ウエルカム






「では、岩城さんはこちらに座っていただいて、伊丹さんはあと数分でいらっしゃいますから・・・何かお飲み物をお持ちしますが・・・何がよろしいですか?」
「冷たいものだったら何でも・・・」
「では、アイスコーヒーを・・・二見先生はいかがですか?」
「ああ・・私も同じで結構です」
二見は、そう告げて、岩城に向いてニコッと笑った。
「今回はすみませんでしたね・・・ご無理をお願いしてしまって・・・」
そんな事を言う二見に、岩城は笑って、「いえ、そんな、無理だなんて・・・喜んで出させていただいています」と、同じく笑顔で答えていた。
「この番組は戸田さんによく呼んでいただいて・・・・、で、今回、誰かもう1人、とおっしゃっるので、テーマを聞いて直ぐ頭にあなたがたお2人の顔が浮かんだものですから・・・・」
「でも、こういったトーク番組は、香藤の方が良かったのでは・・・俺なんかよりずっと上手くしゃべりますから」「いえ、二見先生にお伺いして、僕が岩城京介さんでと、お願いしたんです。先生からお2人のどちらかでよろしいですか、と、言われたときは・・・いいも何も・・大歓迎!!って、僕、狂喜乱舞しちゃいました!!で、それなら、日頃トークでは露出の少ない岩城さんを、って・・・」
そう、司会の戸田は明るいトーンで笑った。
戸田信也がパーソナリティを受け持つ、3年も続いているこのラジオ番組は、いつもテーマを掲げてゲストと共に語る、という、割と硬い内容にも関わらず、大変人気を博していた。
戸田の好感度の高い人となりと、それにくわえて、きちんと深い討論を持ちかける進行が、好評だった。二見宗司は、テーマによっては何度かこの番組に参加したことがあった。
今回のテーマは『愛』。
パネリストとして参加するのは、コンポーザーの二見、俳優の岩城にくわえて、伊丹昂、という、日本画家の3人だった。3人で雑談をしているところへ、伊丹が遅れて入ってきた。
「すみません、遅くなりました」と、頭を下げながら入ってきた伊丹は、45歳で日本画家という肩書きにふさわしい、無精ひげを携えた、静かなムードの男だった。
「紹介します。二見先生はもうご面識はおありですよね、こちらが俳優の岩城京介さんです」戸田はそう言って、岩城を伊丹に紹介した。
「始めまして、岩城です。今日はよろしくお願いいたします」
いつものように、礼節を欠かない立ち振る舞いで、岩城は頭を下げた。
「伊丹です」
静かな物言いで、伊丹も言葉を返した。
誰も気がつかなかったが、そのとき伊丹の視線の色がほんの僅かだが変化し、そして直ぐ元に戻っていた。
「では、よろしければ、ぼちぼちスタートしましょうか」
生ではない気楽さから、戸田がのんびりとスタートの声を皆にかけた。
それから編集作業によって1時間に短縮された内容は、延べ3時間余りに渡っての、トーク、とはとても言えない重い討論会、の結果となった。
この収録が終えたとき、岩城は、直ぐにはまともに歩いてスタジオを出ることが出来ないほど、疲れきっていた。それは、二見がこの番組へ岩城を誘ったことを、心から後悔する結果ともなった。




最初の小1時間ほどは、和やかなムードで会話が交わされ、戸田の上手い進行で、リスナーの質問なども入れ、トークが進んでいた。
『岩城さんは、香藤洋二さんを心から信じて、愛されていると確信できますか?』
自分が愛されているという自信がもてない、というあるリスナーの女性からのこの質問、これが全ての始まりだった。
「というご質問頂いていますが・・・岩城さん、いかがですか?」
戸田が軽く岩城に振った。
香藤とのことに話が及ぶ可能性はあると予測してこの場に参加した岩城だった、が、実際こうやって具体的に質問されると、明瞭な答えが難しかった。
「そう・・ですね・・・う・・ん・・・・・・」
しかしラジオである。沈黙は出来ない。
「香藤を・・・・自分が想うことで・・・その俺の想いをしっかり受け止めてくれて・・またそれを決して裏切るような奴ではない・・と、そのことは・・・心から信じることが出来ています・・・」
「香藤さんも同じでしょうか?」と、戸田が訊いた。
岩城はやや考え、そして答えた。
「・・・だといいと願っています。と言うのも・・・・きっと俺のほうが香藤よりも、より確信して安心できる状況になれることが多いんじゃないかと・・・あいつのほうが・・・その・・・正直ですから・・・言葉が・・・その点、俺は何かと・・・言葉足らずで・・・」
やや照れながらぽつぽつと言葉を並べる岩城を、横で二見が優しく見守っていた。
互いに心の中で、以前、二見を巻き込んで起こった1件を思い浮かべていた。
「私も同じです・・・私も何かと口下手で・・・だから、言葉で相手にきちんと想いを伝える作業、というのは、とっても大切なことだと思います」
二見が柔らかく言葉を添えた。
戸田は頷きながら、「いいですねぇ・・・」と、口にした。
「えっ?いいですか?」と、岩城が言うと、戸田は再び続けた。
「いいですよ!!絶対。俺なんか、もう、妻に愛されてるのかって、いっつも思っちゃいますから!もう何ていうか、そんな、言葉云々なんてなくなっちゃってて・・・悲しいなぁ・・・同性のほうが気持ちが通じて分かり合える確率、高いかもしれないですね」
そこまで戸田が言うと、それまで黙って聞いていた伊丹が、急に口を開いた。
「戸田さん、お子さんは?」
「えっ・・ああ、います。2人」
「じゃあ、お2人はお子さんというものを間に、しっかり愛を確立していっている。それに、お子さんのことでは、お2人でお話になられるでしょ?」
「ええ・・まぁ・・それはねぇ・・致し方ないっていうか・・・どうしても目を反らしては進めませんからねぇ・・・」
「それが人間の、普通の生き方、なんですよ」
伊丹の言葉が、その場の空気を静止させた。
咄嗟に戸田が、「普通って・・・そんなことないと」と、言い掛け、それを割って、再び伊丹が言葉を突き刺した。「人間の、あるべき姿なんです。男と女が愛し合い、そこに子供が生まれる、そうやって歴史は繰り返され、子孫は繁栄する・・・だから、神は同性同士の愛を許していないのです」
伊丹が敬虔なクリスチャンである、という、そのことをもっと早く、ここに居る3人は気がつくべきだった。
いや、岩城は無理として、声をかけた戸田は、今深く後悔していた。それは二見も同様だった。
しかし時は既に遅かった。
「う・・・ん・・・どうかなぁ・・・その点は、僕はちょっと・・・意見が違うんですが・・・」
戸田が控えめに抗議した。
二見は黙って見守っていた。伊丹のような人間は、下手に言葉を挟むと、火に油を注ぐことになりかねない、と、考えていた。慎重に、この場に岩城がいる、そこへの害を最低限に抑えたかった。
勿論、岩城も同様に口を閉じていた。直接自分に関する事柄だけに、むやみな発言はできなかった。
自分がここで発言する内容は、すなわちそのまま香藤のものにもなってしまう、ということが、より岩城を慎重にさせていた。
「どう意見が違われるんですか?」
話を辞めるつもりのない伊丹が、戸田へ問いただした。
「それはですね・・・人を愛することに、理屈はない、ということだと思います」
そう戸田は答えた。
「理屈はなくても、責任はあるんです」
「勿論、責任はあります。でも、責任は相手が異性だろうが同性だろうが、感じるものでしょう」
「それは、愛する相手に対する責任、ですよね。私が言っているのはそういった責任ではなく、生きていくうえでの人間としての責任、です」
「子供を作ることが、人間の責任だと、そうおっしゃられるんですか?伊丹さんは」
「少なくとも、その可能性を持っている人間の、です」
「ああ・・・そういった意味ならば・・・・私も責任を果たせていないかもしれませんね・・・子供を作らずに・・・妻とは死に別れましたから・・・」二見がやんわりと口を挟んだ。
「それは、状況がまた別です。同性を伴侶に選ぶ、ということは、はなからその可能性を否定しているわけです・・・・否定する・・・もしくは、放棄する、という・・・」
そこまで話すと伊丹は一旦口を閉じ、戸田もどうすべきか、悩み口を閉じた。
「岩城さん」
皆が避けたいと願っていた呼びかけを、ついに伊丹は始めた。
「はい」
岩城はそれだけ答えて、顔を伊丹に向けた。
もうただ黙って避けられる状況ではなくなっていた。
「岩城さんは、ご兄弟は?」
思いがけない方向からの問いに、一寸驚きながら、「兄が・・・います」と、岩城は答えた。
「そうですか・・・で、お兄様はご結婚は?」
「しています」
「お子様は?」
「います」
「よかったですね」
そう言って、僅かに微笑んだ伊丹の顔を見て、今、伊丹が何を言わんとしているのかを、岩城は知った。そして、次に何を訊いてくるかも、予測することが出来た。
その予測どおりの問いを、伊丹はしてきた。
「お相手の香藤さんは?」
「・・・・・・・」
「伊丹さん・・・もう、止めませんか?」
二見が言葉を挟んだ。
「二見先生・・・いいんです」、と、静かに岩城は二見を見て、それから伊丹に言葉を返した。
「香藤には、妹が1人、結婚して子供が1人います」
「ああ・・・ということは、香藤さんは」
そう言いかけた伊丹の言葉を遮って、岩城は答えた、「はい、香藤は長男です」と。
この時点で、既に伊丹はラジオ番組、という状況から離脱していた。
「あなた方の繋がり、それは人間の条理に反した繋がり、だとは思われませんか?」
岩城は黙っていた。
そんな岩城に代わり、戸田が意見を述べた。
「条理、と言っても、それは誰が決めたものですか?正しい、正しくないという、その判断を誰が下すのですか?」
「人間がこの世で生きていく、そのために生を受けたそのときから、神が与えた人間としての正しい道、です。人を愛することでその次の世代に生を託す・・・・勿論、適う限りの範囲で、二見先生のような場合は、責められるべきではありません。責められるは、はなからそのルールを無視して、自分の欲のままに動いた人々、です」
「欲のまま・・・って・・・伊丹先生、それはちょっと言葉が過ぎませんか?なにも異性だから純粋な繋がりで、同性だから不純だ、というものではないでしょう」戸田はややむっとしていた。
二見は悲しい顔をしていた。
岩城は、自分がここに居ることで、二見にいらぬ負担をかけてしまっていることが辛かった。激論にらなぬうちに収めたい、その気持ちから、口を閉じざるを得ない岩城だった。
「不純、ではなく、利己的、なのです」
「利己的・・・・」
閉じようとしていた口から、思わず言葉が漏れてしまった岩城だった。
「そう・・・たとえば・・・香藤さんのご両親は、息子さんが同性を愛し、人生を共に送ると打ち明けられたとき、果たして心の中はどうだったでしょう・・・」
「・・・・香藤の両親は・・・・何もそんな・・・」
「それは、今、ですね。でも、最初はどうだったでしょうか?きっと、大きな戸惑いとショックがあったと思います。しかし、どうしてそれを受け入れるようになられたのでしょうか?」
「・・・・・・」
どう説明すればいいのか、あの永い道のりをここで説明など出来なかった。
それは、自分の家族に対しても同様だった。
岩城は再び黙り、眼を伏せた。
「それは、香藤さんが愛された方が、岩城さんであり、その岩城さんを実際お知りになってから、ご納得されるに十分のものがおありになったのではないでしょうか?」二見がゆっくりと静かに言葉を添えた。
伊丹はその言葉に、同じく静かに反論した。
「それは違います。ひとえに息子さんのお幸せ、それを考えて受け止められたのです」
「では、いいじゃないですか」と、戸田が言った。
「香藤さんが、岩城さんと共に生きることが自分の幸せだと、そう断言される限り、親はそれを受け止めざるを得ません。たとえ心の中では、もしその相手が女性であれば、と思ってみても、岩城さんを選んだ息子にそれは押し付けることは出来ないのです。いえ、出来ない、と、諦められたのです」
「諦めた、などと、どうして伊丹先生こそ断言できるのですか?」
戸田は今となっては、ラジオのパーソナリティとしての立場を離れ口を開いていた。
しかし、伊丹の口から発せられた言葉は、岩城の心に鋭い刃となって突き刺さった。
頭で理解しながら言葉にすることがなかった、烈々と並べ立てられた、残酷な訓示だった。
「それは、もう、自分の息子からは絶対に子供は望めない、言い換えれば、息子に似た可愛い孫を抱くことは出来ない、さらに言えば、香藤家に子孫は望めない、と言う、そういったことがらへの諦めです」
シンとした空間の中、二見がひと言、「伊丹さん、言い過ぎです」と、言葉を投げた。
もう、どれだけ後悔しても始まらない。
しかし、二見は、どうしても口にしておかなければならない、と、感じていた。
岩城のためにも、香藤のためにも、そして、勿論世間のためにも。
「伊丹さん・・・あなたがおっしゃっている事柄、それらは、今、わざわざここで述べていただかなくても、私達はもとより、岩城さん、香藤さん、またそのご家族の方々、全ての方が判っていることなのです。判りながら、あえてその道を選んで生きていかれている、その人間の辛さと勇気が、あなたには判りませんか?」
そこまで話すと、一旦言葉を切り、二見は岩城を見た。
岩城はただ、目の前にある自分の手を見つめていた。
「神はそれ程、狭量でしょうか?同性が愛し合い、子供を作らずに生きていくことを罪だと、そうおっしゃられますね。しかし、このお2人は、誰を蹴落とすわけでも、騙すわけでもない、盗みを働くのでも人を殺すのでもない、ハンディを背負った分、誰よりも真面目に関係を保とうと努力しておられる、そんな2人が、ただ子供を作れない関係だった、というだけで、神はその門を閉ざされるでしょうか?閉ざされるはもっと他に沢山いる、と、そう私は思います」
救いにはならないかもしれない、が、僅かでも、伊丹にこれ以上の暴言を吐かせない
防壁になれば、と二見は思った。
「そうかもしれませんね」
伊丹が漏らしたその言葉に、その場に僅かだけほっとした空気が生まれた。
「ただ・・・・私が申し上げたいのは・・・・余りにも安易に受け入れすぎている、ということなのです」
もういい加減にしたらどうだ、といった声色で、戸田が「何をですか?」と、訊いた。
伊丹は結局そうやって、自分の胸にあることを、あらいざらい岩城を前にして言葉にした。
今考えれば、伊丹は、最初からゲストが岩城であることを知って、そのためだけに参加したのではないかと、そう思えた。
機会があれば訴えたいと、以前から考えていたことを言う、そのためだけに。
「岩城さんや香藤さんのような、人気商売の方が、そういう関係である、ということを臆することなく公表する。お2人は見目も悪くなく、不潔感もない。そんな2人の関係がさも美しい悲恋のごとく写り、世間は受け入れ、応援さえする。
本人達が知らぬところで、その関係がひとつの愛のスタイルとしてアピールされている、そのことをもっと深くお考えになるべきだと、そう思います」
「どうしろと言うんですか?隠れて生活しろとでも、そう伊丹さんはおっしゃるんですか?」
戸田はもう言葉を選ばなかった。
「そうですね。隠れる・・・・と言うよりは・・・もっと罪悪感を持って生活して欲しいと」
その瞬間、岩城が顔を上げ伊丹を見た。
「・・・それは・・・」
そこまで言葉を発し、岩城は口を閉じた。
伊丹は自分が反論することを待っている、そう思えた。
岩城が反論し、そしてまたそこに反論する。
「なんですか?」
伊丹が問いただしてきた言葉に、岩城はただ「いえ・・・なんでもありません」
と、それだけを口にし、今度は戸田を見た。
「戸田さん・・・申し訳ありません・・・よろしければ・・次に移って頂ければ・・・」
そう控えめに訴えた岩城の言葉に、戸田は我に返った。
「そうですね、すみません、僕が進行しなきゃいけないのに・・・」
そう言うと、「じゃ、次の質問に」と、切り替えかけたそのとき、伊丹が「今のお話は終わるのですか?」と、言った。
それには二見が伊丹を見て、はっきりと口にした。
「ええ、終わりです」
そしてやっと、永い鉛のような時間が閉じた。





全ての収録が終わったのはそれから1時間後だった。
最初に伊丹が「では、これで」と、席を立ち部屋を出て行った。
「では・・・我々も帰りましょうか」
そう二見が岩城に声をかけた。
岩城が黙って座っていたので、二見は「岩城さん?」と、もう1度声をかけた。
「あっ・・?ああ・・すみません、終わりましたね」
そう言っておもむろに椅子を引く岩城に、戸田が「岩城さん・・・もう・・・すみませんでした・・今日は・・」と、頭を下げた。
岩城は「いえ、そんな・・・大丈夫ですから・・・気になさらないでください」と、答えた。
「きちんと編集したものは、放送前にお渡ししますから」
そう言う戸田へ、岩城は弱い笑顔を向けた。
編集・・・確かに、編集しなければ、そのまま放送は出来ないだろう、と、思った。
局の出口で別れ際に、二見が言った。
「岩城さん、今日のことは、私がきちんと調べてからお誘いするべきでした・・・本当に申し訳ありませんでした」
「二見先生・・・どうか、お気になさらないでください。俺がもっと上手く立ち回れればよかったんですが・・・先生にもとても辛い思いをおかけしてしまって・・・」
「私が辛いなど・・・」
そう口にした後、二見はゆっくりと空を見上げ、悲しそうに小さく呟いた。
「ああ・・・どうして、伊丹さんはお判りにならないのでしょう・・・・運命なのですから・・・出会うことは・・・それも神の範疇である・・・と・・」
その日、二見と別れ帰宅した岩城は、我が心中では小波さえたっていない、と、そう自分は感じていた、が、自分が思うよりも受けた傷は深かった。
何も傷を受けてはいない、と、ただ自分で言い聞かせているに過ぎなかった。少なくとも、伊丹が口にした「罪悪感」という単語だけでも、その胸から消し去ろうとしていた。








夕方、家に帰り着くと、香藤は不在だった。
2階に上がり、岩城は服を着替え再び階下へ降りると、何となく居間の窓を開け、庭に向いて腰を下ろした。
夕闇が迫る時刻、辺りはとても静かだった。
何をするでもなく、そうやって庭を眺めていると、30分ほどで香藤が帰宅す音が聞こえた。
「ただいま!!岩城さん??帰ってるんだ」
そんな元気な声と共に居間のドアが開き、岩城が振り向いて「ああ、お帰り」と言うと、香藤はスタスタと岩城の傍へ来て、「どうしたの?」と言いながら、同様に庭に向かって岩城の隣に引っ付いて腰を下ろした。
少し香藤に笑いかけながら、「今日は・・・夕焼けが綺麗だな」と、岩城は呟いた。
「そうだね」
答えながら香藤は、誰にも知られず、本人さえ気がつかない僅かな岩城の心の中の歪みを、肌で感じ取っていた。
そっと岩城の左手に自分の右腕を絡ませ、肩に頭をつけながら、知らぬ振りで口にした。
「今日は、オムライス!!」
「あ・・いいな・・それ」
「でしょ?何か、無性に食べたくなるよね、たまに」
クスッと笑った岩城の髪が風に僅かに揺らいだ。とても美しい情景だった。
少しだけ黙っていた岩城が、香藤、と、呼びかけた。
「ん?」
肩から岩城を見上げると、岩城は以前、庭にその横顔を向けたまま、何気ない風に口を開いた。
「おまえ・・・もし・・・俺とこうなってなかったら・・・どうしてたと思う?」
「・・・?何それ?」
「んっ?だから・・・もし俺と暮らしてなければ、ってことだ」
「それって、俺が岩城さんを好きにならなかったら?ってこと?それなら、あり得ない!!」
「いや・・・そうじゃなく・・・お前が俺を好きになっても・・・俺がそれに答えなかったら・・」
「答えてくれたじゃん」
「だから・・・・もしも・・・ってことだ」
「そんなの・・・考えられないよ・・俺、きっと凄い・・・何年でも待っただろうし」
「そうだな・・・・でも、もしそれでも俺が嫌だ、と言ったら?・・・・たとえば・・・俺が誰かと結婚したとして・・・」
「そんなぁ・・・・でも・・・それはかなりショックかも・・・立ち直れないよ、俺」
「・・・でも・・・いつかは立ち直るだろ?」
「う・・ん・・そうかなぁ・・・絶対立ち直れそうにない・・・僧になって修行にでも出そうだよ」
再び岩城の肩が笑いで小さく揺れた。
そんな岩城の体を横から両手で抱き、岩城の黒髪に横顔を押し付けながら、香藤は訊いた。
「ねぇ・・・何かあった?」
岩城は黙っていた。
「ねぇ・・・何?」
少し力を込めて岩城の体を捻り、その唇に軽くキスを落とした。
岩城は両手を抜き、香藤の首にその腕で絡みつくと、柔かな力で抱き返し、その肩に顎を預けた。
そして、小さくその背に「なんでもない・・・」と、言った。
香藤は、岩城の背中を手のひらでなぞりながら、頭でどうしようか、と、思案していた。
岩城の話に答えながら、香藤の頭では素早く、今日の岩城の仕事内容を詮索していた。ラジオのトーク、二見が一緒、そう考えれば問題はないように思えた。
問いただそうか・・・もう少し待とうか・・・そんな香藤の背中から「早く作ってくれ、オムライス・・・俺も卵くらいなら溶ける」と言う岩城の声がし、香藤は、とりあえず少し待ってみることに結論づけた。





何故、岩城が今日そんなことを自分に訊いてきたのか・・・・、その後、キッチンでも、ずっと香藤の頭から離れなかった疑問、それは、疑問を解消するほどに、岩城の今日纏っている空気が改善されなかったことから、結局、ベッドに入っても、鈍く香藤の頭にくすぶり続けていた。
いつもそうであるように、その夜、岩城は自分から香藤を求め、その腕に滑り込んできた。そして貪欲に、肢体の端々が諦めを感じるまで、香藤に抱かれ生まれる快感に執着した。
そんな岩城を腕に抱き、香藤は自分が感じているものが間違いではないことを確信した。また、岩城が今日持ち帰ったものの深さも、同時に感じていた。