やはり岩城に問いただすしかない、そう思い始めていた香藤の元へ、次の日、その疑問を全て解消してくれる答えを、二見が届けてくれた。それは、岩城が仕事に出た後、昼前に、家まで二見が訪れ、手渡した1枚のCD、だった。
事前に電話を入れ、岩城が不在であることを確認した二見は、今から家に行きたい旨を香藤に了承を取り、1時間後にタクシーで訪れた。
二見が家に来ると電話で口にしたとき、香藤は何も訊かずに、直ぐ承諾した。
わざわざ二見が来ると言う。それも岩城の不在を確かめて。
昨日から自分が感じていた疑問の答えを二見が持ってくると、香藤は直感した。




「突然、申し訳ありません」
居間に通された二見は、頭を下げた後、静かに1枚のCDを香藤の目の前に置いた。
「昨日・・・何かあったんですね?ラジオ収録で」
そう口にする香藤に、二見は小さく頷いた。
「岩城さん・・・いかがでしたか?昨日・・・お帰りになられてから・・」
「普通ではありませんでした・・・・本人は普通にしているつもりだったんでしょうけど」
「そうですか・・・・」
沈んだ声で答え、実は・・・、と、二見は続けた。
「これを聴いていただければ、すべてお判りになると思います。これは、編集される前の、昨日の討論の全てが入っているものです。実際は1時間足らずの放送ですが・・・・今朝、私が戸田さんに頼んで、編集前のものをこれに落としてもらいました」
「・・・昨日は・・先生と戸田さんと岩城と?」
「伊丹昂という、日本画家の4人でした。伊丹氏を私は以前、1度、ある会で一緒になったことがあり、見知っていました。昨日のゲストに私と伊丹氏、それにもう1人、と言われ岩城さんを推したのは私です。岩城さんは快く受けてくださって、収録の運びになりました。なのに・・・私の軽率な行動から、岩城さんにとんでもない不快な思いをおかけすることになってしまい・・・」
「・・・軽率・・・?」
「はい・・・とても軽率でした。もっときちんと伊丹氏を知った上で、岩城さんに声をお掛けするべきでした」
「・・・それは・・いったいどういう?」
「・・・・そのとき初めて判ったのですが・・・伊丹昂氏はクリスチャンだったのです・・・それもかなり深い信仰をお持ちの・・・」
「・・・・・・・」
「それが・・・どういうことか・・・香藤さんも重々ご承知のことと思います・・・そのことを知ってこれを聴いていただきたかったので、お話しておこうと・・・そう考え、持参しました」
「・・・・つまり・・・俺達2人の関係について、話が及んだんですね?」
「話が及んだ・・・というような、柔かなものではありませんでした。それは・・・とても・・・」
そこまで口にして、二見は小さく溜息をついた。
香藤は胸の中で、不透明な不安が渦巻き始めていた。
「とても・・・岩城さんにとって・・・辛い時間になってしまったと・・・今、後悔しても始まらないのですが・・・・きっと岩城さんはとても深い傷を受けられた・・・にもかかわらず、ご自分でもそのときは・・・・余りお考えになれていなかった・・・・そう私には見えました。思いもかけないことでしたから・・・・・・・・だから、私は昨日、帰宅してから、やはりこれは香藤さんにお知らせしておくべきかと考えました。きっと・・・岩城さんは時間が経っていくうちに、色色なことに気づいていかれるだろう・・・と・・・、そしてその過程で・・・香藤さんにおっしゃるタイミングを失ってしまわれるだろう、と・・・」
とつとつと静かに言葉を重ねる二見を、香藤はじっと見つめ耳を傾けていた。
二見が感じたこと・・・、岩城が、無意識に無視しようとしていることが、気がついたときには口にするタイミングをなくし、行き場のない陰を岩城の心の中に生むという、そのことを気遣って、二見は昨日の今日、急ぎ香藤に告げにきたのだ、修復できる唯一の人間として。
「判りました」
ひと言口にして、香藤は二見に笑顔を向けた。
「二見先生、本当にありがとうございました。これ、聴かせていただきます」
そう言って、目の前のディスクを手に取った。
「本当にこんなことになって、申し訳ありませんでした。香藤さんにとっても聴いて嬉しいものではないと思います・・・・・・岩城さんは・・・私や・・・そして何よりも香藤さんのことを考えて、ひたすら口を閉じていらっしゃった・・・本当に胸が痛みます・・・」
二見は悲しそうに言葉を述べ、腰を上げた。
そんな二見に、香藤は、気にしないで欲しい、と何度も労い、足を運んでくれたことへ礼を述べ、最後に、「後は全て、俺が責任を持ちますから」と強く口にして送り出した。




そうやって、二見が家を出た後、香藤は直ぐに昨日の収録の全内容を聴いた。
全てを聴き終っても、香藤はじっとソファーで腰を下ろし、目を瞑っていた。
昨日、岩城が自分に訊いたことの全てが始めて理解できた。いや、それ以上の、岩城が口にしなかったその言葉の裏に存在する思いさえも、知ることが出来た。
岩城は、もし自分が岩城とこうならなければ、普通の結婚をし、子供をもうけていただろうと、そう言いたかったのだ。
そして、それは、ひょっとしたら岩城自身が導くことが出来た道かもしれない、
と、そう考えたに違いない。
岩城が「ノー」と言い続けさえすれば、と。
香藤は目を閉じたまま天井を仰ぎ、1人で呟いていた。
「岩城さん・・・・その逆は・・・?もし俺が岩城さんを好きだと言い続けなければ・・・って・・・そうは考えないの?」
香藤の脳裏には、エコーのように伊丹の声がこだまし、泥のような、ねっとりとした不快感が渦巻いていた。
暫くして、背を起しながら、香藤は力ずくでソファーをこぶしで叩くと、クソッ!!とひと言吐き捨てた。
ゆっくりと目を開け、「・・・許せない」と、呟いた香藤の瞳には鈍い炎が点っていた。
耳にした討論の内容は、絶対に許しがたいものだった。また伊丹がそのことを、岩城に向かって言ったという、岩城の心を知りもしない者が勝手に土足でその中に踏み込み荒らした、そのことが香藤には1番、許しがたかった。





伊丹昂について、所在を調べることは、いたって容易かった。
著名な画壇人であり、その絵を扱っている画廊も多く、所属している流派も直ぐに判った。
香藤は、二見が帰ったその夕方には、伊丹の所在を知りえることが出来ていた。
伊丹はその日、ある画廊で開かれている自分の個展に顔を出す予定になっていた。
それは1日違えば適わなかった運だった。
個展を開いている画廊へ問い合わせたところ、その日が最終日で、終了時間に合せて本人が来る予定になっている、ということだった。
香藤が、伊丹の絵の購入を検討している、と言えば、快く知らせてくれた。
無論、香藤にそんな気はさらさらない。ただ、本人を捕まえたい、それだけだった。
個展が終了する夕方5時に合せて、香藤はそこへ足を運んだ。
中へは入らず、画廊からやや離れたところでとめた車内から見守り待っていた香藤は、5時を20分回った頃に、そこを出る伊丹を目にすることが出来た。
顔は既に知っていた。
伊丹は1人ではなかった。
やや年配の男性と連れ立って、ゆっくりと歩を進めていた。
香藤はその2人の後を、どこかで1人になってくれれば、と願いながら、キャップをやや目深にし車を出て徒歩で追った。
暫く歩いた先にある教会の門の前で、2人は別れ、伊丹だけ、その中へ入っていった。
教会の中へ伊丹が入るのを確かめ、香藤も中へ足を運んだ。
薄暗い中、ステンドグラスから映る光を頼りに、伊丹を探した。
横2列、縦10列に並ぶ木製の椅子、その後ろ寄りに伊丹の後姿を認めた。
香藤は静かに進み、同じ列の椅子へ、伊丹から人1人分離れて腰を下ろした。
伊丹以外、誰も居ない空間の中、自分の傍へ座ってくる人間に、当然、伊丹は振り向いた。
「突然申し訳ありません。香藤洋二といいます」
振り向かれたタイミングに合せて、香藤はキャップを外しながら軽く会釈をして名乗った。
僅かに驚いた風を見せた伊丹だったが、直ぐ落ち着いた物腰に戻り、「伊丹です」と、小さく名乗った。自分が誰であるのか、完全に理解している、そう香藤は受け取った。
「こんな所へお邪魔して申し訳ありません、他にお会いできる場所がなかったので・・・」
「そうですか・・」
伊丹は前を向き直し、静かに答えた。
何故、香藤が自分に会いに来たのかは、昨日の今日であれば、歴然としていた。
「・・・・・岩城さんが、何かおっしゃられましたか?」
「違います。岩城は何も言いません。勿論、俺が昨日のことを知ったのも、誰に教えてもらったからでもなく、ただ、岩城の様子が少しおかしいと感じたので、
俺が調べて知ったまでです」
「・・・・それで・・・何か私に・・・?」
「聞いておいてもらいたいことがあったので・・・」
「・・・・・何でしょう」
互いに正面を向き、キリストの像を前に言葉だけが交差していた。
香藤はその十字架ではなく、横のマリアの像を見つめながら言葉を切り出し始めた。
「伊丹さん、俺は今日、あなたに理解してもらおうなどと考えて会いに来たわけ
ではありません。あなたが昨日おっしゃったこと、それを全否定する人間も居れば、全肯定する人間も居る、永遠に平行線でしょう・・・・・しかし、あなたは知らない・・・俺達の今に至る行程を・・・・そのことを知っておいてもらいたいのです」
「そんなことを私が知って、どうなるというのです?」
「いえ、とても大切なことです。知ればあなたの頭の中ではっきりするはずです、責めるべきは何処にあるのか、が」
「・・・・?おっしゃっている意味がよく判りませんが・・・」
「岩城に・・・・同性を選ばせたのは、俺です。同性を愛することなど、到底頭になかった岩城に、その道を選ばせたのは、俺です。それも、強い抵抗を示し続けていた岩城を・・・永い・・・時間をかけて、かなり強引に事を押し進め、最後に俺は自分が望むものを手に入れた・・・・・岩城が、俺と生涯を生きることが何よりも幸せなのだと、そう信じることができるまで、俺は諦めなかった」
「それは、お答えになった岩城さんが全く意に反する行動をとられたわけではないでしょう?」
「あなたは岩城を知らない、何ひとつ・・・そんなあなたが岩城について語る資格はない」
「人の心の中は判りません。あなたもご両親の心の中を本当に知っておられるか
どうか判りません」
「そのことについて・・・あなたと議論するつもりはありません。そんなことは
あなたの知ったことではない・・・最低限、俺達の家族に関しては・・・」
一旦閉じた口を、・・ただ・・・と、再び開いて、香藤はゆっくりと目線をとなりの伊丹に移した。
その視線を感じ、伊丹も横の香藤を振り向いた。
そして、香藤は、伊丹に今日1番言いたかったことを、口にした。
「ただ・・・・それを世間に対して、と、あなたがどうしても言うのであれば・・・その罪は俺にある・・・それを間違えず、あなたの神に祈ってください」
伊丹はじっと香藤を見つめ、黙していた。
少しして、ひと言、「私が何を神に祈る、と、いうのですか?」と、口にした。
そんな伊丹に、香藤はゆっくりと続けた。
「判らない・・・、が、俺達の幸せを神に祈ることはない、それだけははっきりしている。別にそんなことを祈って欲しいわけでもないし、出来れば何も祈って欲しくない。あなたがいつの日か・・・ふとしたことで俺達のことを思い出し神に罰することを祈る・・・もしそんなことでもあるとすれば・・・そんなときには、今日、俺が言ったことを必ず思い出して・・・祈る対象を間違えないで欲しい・・・・・絶対に」
伊丹はじっと香藤を見ていた。そんな伊丹の横で、香藤は僅かに頭を下げ、「では・・俺はこれで」
と、席を立ちかけた。
そのとき、香藤の耳に聞こえてきた、伊丹が小さく呟いた「神は・・・許すでしょう」と言う声が。
上げかけた腰を止め、香藤は、「許す・・・?」と、口にして伊丹を見た。
そして、確固たる口調で香藤は言葉を続けた。
今まで抑えていた感情が、一気に噴出し、許すなどと口にする、目の前の、神の名を借りた驕りの塊のような男に言い捨てた。
「誰が許し、許さないというんだ!!それに、許されなくとも、俺は全くかまわない。岩城を愛したことで地獄に落ちると言うなら、俺は喜んで落ちてやる、そんな事は全然怖くない」
「あなたが愛した方も一緒に、ですか?」
「違う!」
そう言い切り、香藤は正面の十字架にかかるキリストを見た。
「あなたが言う・・・・神というものが本当に・・・もし本当に存在するならば、きっと2人は望まれない・・・・・たとえばあなたが言う、子供への道が望めない同性を愛したことを罪だ、と、そう言うなら、その罪は俺1人が償えば、必ず岩城は救い上げてくれる・・・・多くを罰することより、罰する人間を1人でも救いたいと・・・・そのために、神はあなたが見てこなかったものを、ちゃんと見ていてくれている・・・俺達は恥ずべきことは何もしていない・・・・だから何も怖くはない」
「では・・・・どうして私に会いにいらしたのですか?」
「あなたの深い憎悪を昨日の討論に感じたからだ・・・・・絶対にその感情は再沸する、と俺は思った。どうしても・・・その胸にあるものを叫ばなければ気がすまないなら、俺に向かって言えばいい・・・・・口を開く対象を間違えるな!・・・もし今後、1度でも岩城に直接何かを訴え再び傷つけた、そのときは・・・俺はあなたを2度と許さない。どんな手を使ってでも、その口を塞いでやる」
これ以上、口を開いていると、さらにエスカレートしそうな自分に無理にでも区切りをつけ、香藤は返事を待たず、背を向け立ち去った。
シンと静まり返っていた教会の空間で、香藤は出口へ中央通路を歩きながら、その背中に、キリストとマリアの慈愛に満ちた視線を感じていた。
伊丹が信じる神は伊丹が創りあげた神だ。
俺達は俺達の信じる神を創造すればいい、心の中に、と、そう香藤は思っていた。
神はひとつではない。しかし悪はひとつだ。悪に染まらぬ限り、その門は開かれている、と







香藤が帰宅したときは、夜8時を回っていた。
既に帰宅していると思っていた岩城の姿がなかった。
今日、岩城は夕方過ぎで仕事は終了するはずだった。
普段であれば然程気にしない多少の時間のずれが、昨日の今日では、香藤も気になった。
とりあえず、岩城の携帯を呼び出してみた。3度目のコールで岩城の声が返ってきてホッとした。
「今、何処?今日はもう仕事、終わってるよね」
「ああ・・・すまない、連絡を1度入れたんだが、出なかったんで、そのままになってた」
伊丹に会っている間、携帯の電源を切っていたことを、香藤は今気がついた。
「ごめん岩城さん。電源切ってた」
「いや、別に、いい。俺もその後、そのままだったから・・・」
「で・・・・今、何してるの?」
「ああ・・・ちょっと本屋に寄ってたら、つい遅くなった」
「うぅん・・・じゃあ、迎えに行くよ、何処?」
「ああ・・大丈夫だ、もう帰るから」
「いいの、いいの、迎えに行きたいんだから」
そうやって、香藤は強引に岩城を車で拾いに向かった。





30分もしないうちに、岩城を車に乗せ、香藤は車を走らせていた。
「どっかで食べて帰ろうか?」
「そうだな」
岩城は普段と変わりなく見えた。
それは、誰が見てもそうだろう、しかし、香藤は違った。
たとえ医者が岩城の胸を開いてみたとしても見つけられない病原を、香藤は見つけることが出来る。
それに、あれだけのことを言われた岩城が、そうそう簡単にクリアな気持ちに立ち戻るとも考えられなかった。それ程器用ではないはずだった。
先ほど、書店に入り探し当てた岩城は、宗教書の前で本を手にしていた。
香藤に気がついた岩城は、何事もなくその本を棚に戻し、振り向いた。
優しく笑顔で岩城に「行こ」と言い、香藤はその場を去った。
その後、軽く夕食を済ませた2人は、香藤の運転で帰途に着いた。
車を走らせていると、途中、教会の屋根が見えた。それは、今日、香藤が伊丹に会いに行ったものとは別の、カソリック系の幼稚園に併設している教会だった。
車をその前に止め、香藤は言った「岩城さん、ちょっと、ここ、寄っていこうか」と。
「えっ?」と、岩城は香藤を振り向き、続いて、香藤がここ、と言った建物を見た。
「教会・・・?どうして・・?」
「うん・・・いいでしょ、たまには」
そう言って、香藤は岩城の返事を待たずに車を降りて、岩城の側に回り、ドアを開けた。
躊躇している岩城の手を引いて、その体を外に引き出した。
諦めて、岩城も車を降りた。
幼稚園の進入口とは別にもうけてある誰もいない敷地に足を踏み入れ、こじんまりと建っている教会のドアを押し、2人は24時間開かれている神のゲートをくぐった。
伊丹と会った教会より一回り小さな教会は、そこでもキリストとマリアが、正面で静かに待ってくれていた。
並ぶ木製の椅子の、今度は最前列まで進み、香藤は岩城を促しながら腰を下ろした。
穏やかで静かな空気が漂う空間だった。
岩城が、こんな場所へ自分を連れてきた訳を訊くため、香藤に向かって口を開こうとしたとき、香藤の右手が強く岩城の左手を握った。
そして、一呼吸置くと、おもむろに香藤が話し始めた。
それは、岩城に、でもなく、誰に向かってでもない。ただ、この場所の見えぬ相手に話していた。
「・・・・・この人と・・・・出会うことは運命だったと・・・・・・永い年月がたった今でも、俺はそうだったと・・・信じてる・・・・・・」
穏やかに、そして少し響く香藤の話す声に、岩城は驚きその横顔を見つめた。
そんな岩城に目を向けることなく、香藤はじっと正面を見据えたまま、動揺する岩城の左手を強く握り続けていた。
そして、思い切ったように再び口を開いた。
「そのことが誰かを犠牲にしている、と言われても、俺は絶対に手放せない・・・この人を」
香藤の口から続いて出た言葉に心臓が高鳴り、心が不安定に揺らぎ、堪らず岩城は腰を上げかけた。
その岩城の体を、隣で握っている香藤の右手が、強い力で引き戻した。
「・・香藤・・!」
岩城の訴えを無視して、香藤はさらに言葉を続けた。
「たとえあなたの望みに反しても・・・もう俺は・・・この人と一緒に生きていくことしか出来ない・・・・多くは要らない・・・・この人だけでいい・・・・この人が幸せであれば・・・俺は十分幸せを感じて生きていける・・・・2人が出会えたことにも感謝しながら生きていく・・・・だから・・・少しだけ・・・そっちのルールを曲げてくれ・・・」
握る岩城の手が小刻みに震えるのを感じながら、香藤は口を閉じた。
香藤の放った言葉の余韻が辺りに漂い、キリストの手を介して岩城の体に降り注がれ、見えぬ抱擁の光がその体を包み込んでいった。穏やかな静粛で香藤の目にはその光が見えるようだった。
「・・・香藤・・・・お前・・・・知って・・・」
震える岩城の声が、そんな中で弱々しく響いた。
昨日あれほど平静を保てた自分が、今、弱さをさらけ出し、伊丹が口にした全ての言葉が襲いかかってきた。何も聞いてはいないと言い聞かせていた自分は、やはり全てを聞いて胸に収めていたのだと岩城は悟った。岩城の手を握る力を僅かに緩めながら、香藤が、「昨日・・・」と、口にした。
そして、岩城の方へ向いて話し始めた。
「・・・昨日、岩城さんに訊かれたこと・・・・ちゃんと答えてなかったよね・・・・・もし、岩城さんが、俺の想いに答えなかったらって・・・・俺・・・もし岩城さんが俺を好きって言ってくれなくても・・・やっぱり諦めずに言い続けたと思う・・・・・もし岩城さんが誰かと結婚しても・・・・・・それでも諦められなくて・・・・周りでうろうろしながら・・・・・それこそストーカーみたいにさ・・・・・何か理由をつけては岩城さんに会って・・・・電話して・・・・・結局何年たってもそうやって自分の想いを抱えたまま・・・・・岩城さんを好きなまま・・・誰とも結婚なんか出来ずに・・・・1で寂しく生きてたと思う・・・・・」
岩城の膝の上でその手を握る香藤の手の甲に、ポタリと雫が落ちてきた。
香藤は岩城の肩を柔らかく抱き寄せた。
「だから・・・・・岩城さんが俺を好きって言ってくれて・・・・ほんとに良かったんだよ・・」
「・・・か・・・とう・・」
「岩城さんが・・・俺の気持ちに答えてくれて・・・・俺は幸せになれたんだ・・・それ以外の幸せなんて・・・ない・・・幸せになんてなれない・・・」
岩城の手が、いつの間にか強く香藤のシャツの裾を握り締めていた。
そんな岩城の顔を、少し離れて覗き込み、香藤は柔らかく笑いかけた。
「岩城さんを好きになってしまった俺は・・・・岩城さんに好きになってもらう以外、なかったんだよ、自分が幸せになれる道は・・・」
「・・・ちが・う・・俺が・・・・あのとき・・・言いたかったことは・・・」
「違わない」
香藤はやや強く、岩城の体を抱きこんだ。
「俺達は・・・これでよかったんだ・・・・これ以外の道はない・・・・他にどんな道も・・・・。俺が岩城さんと幸せに生きているっていつまでも変ることなく言える、そのことが親の幸せでもあるんだ、って、俺は信じてる・・・・・・」
「・・・・・・俺はっ・・」
一言吐き出すと、あぁっ・・と、岩城は腕の中で声を絞り出した。
「・・・・お前と別れて生きることなんてっ・・・出来ない・・・そんなことはっ判っている・・・判っていていて俺は・・・・・出来ないことをただっ・・・ただ悩んだ振りをして・・・待っている・・・いつも・・・お前が救ってくれるのを・・・・・情けない・・・本当に・・・卑怯だ・・・」
「岩城・・・さん・・・・」
「・・・・昨日だって・・・俺はもっと・・・・ちゃんと言うべきだったんだ・・・・お前ならきっと言ってくれていた・・・なのに俺は・・・黙って・・・ただ黙ってっ・・・・」
岩城の胸の中で沈殿しかけていたものが、香藤の腕の中で言葉にすることで、ひとつずつ浄化されていった。
そんな岩城を腕に、香藤が、「岩城さんって・・・ほんとに馬鹿・・」と、呟いた。
岩城の頭を両腕でかき抱きながら、香藤はふっと前を見た。そして独り言のように口にした。
「・・・馬鹿がつくくらい・・・素直・・・」
香藤は胸の中で、ひっそりと神に願った、この人をちゃんと見ていてくれ、と。
いつか・・・もしいつの日にか・・・その手にこの身をゆだねることがあれば、
そのときは、よく頑張った、と言ってくれ・・・・それを見届けることが出来た自分は、どれ程幸せだろう・・・ただそれだけでいい・・・自分が一緒に居る間は、自分が幸せにする、そっちに行ったら、今度はあんたが幸せにしてくれ、と・・・・。


昨日からの時は流れ、導かれるようにこの場へとたどり着いた2人の体を、優しく慈愛に満ちた手が静かに抱きしめていた。








比類 真
2006・05








今回も読んでいくうちに色んな感情が湧き出て
そして考えさせられました・・・
きっとこういうことって現実に突きつけられる時ってあるのでしょうね
けれどどんなときでも香藤くんが岩城さんを全力で守っていくのでしょうし
また岩城さんもその愛情深さからそれに応えていくのではないかと・・・
二見先生、再登場でしたね!嬉しいです(^o^)。

比類さん、素敵な作品をありがとうございますv