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「女って面倒臭い。」 浅井は薄暗くなってきた大学のレンガ道を、俯きながらとぼとぼと歩いていた。 追いかけるべきだったのは分っている。 「私のこと好き?」 「私のこと愛してる?」 「どのくらい?」 毎日の様に交わされる睦言。いつの頃からか、それが酷く台詞じみて聞こえてうんざりと空を見つめてしまう事が多くなっていた。何故女はそんなに言葉を欲しがるのだろうか?彼女は「不安だから」と言った。 「貴方はいつも私を見ていないの。」とも・・・。 「わっけわかんねぇ・・・。」 さっきもほんの些細な事で口論になり、泣きながら走り去る彼女をただ呆然と眺めていた。彼女の怒る理由が全く理解出来なかったのである。 「もう・・・終わりかな。」 そう呟いた言葉の上に、また大きな溜息が被さった。 校門を出て裏道の細い路地に差し掛かった時、少し前を歩く、長く伸びた二つの影が見えた。特に気にする事もなく後ろを歩いていたが、その影がいきなりひとつに重なったのだ。なんだ、カップルだったのか・・。 いくら今自分がささくれだっていたとしても、人のラブシーンを覗く様な無粋な真似はしたくない。 「・・・ったく。他でやれよ。」と漏らしながらも、別の道から帰ろうとくるりと身体を返した。 暫く歩いた後に聞こえた、タイヤの滑る大きな音。 振り返ると、一台の派手な車とその横に人が倒れているのが遠目にも見て取れた。 「さっきのカップルか?」 あんなトコでイチャついてるからだ。と心の中で馬鹿にしながらも足はそちらに向かっていた。 手には救急車を呼ぶための携帯を持って。 小走りでその場によると、たぶんその車の持ち主なのだろう男が「救急車!救急車!」と騒いでいる。 その男の横から倒れている二人を覗きこんだ。 「!!!岩城?!」 顔色を失って倒れている岩城の隣には、あの一回生がいた。 こんな遅くまで手伝わされていたのか。。。 さっきのカップル。。。? 重なって見えた影。。。。 こいつ、確か香藤って言ったっけ。。。 いろいろな事が一瞬で頭を巡っていた俺は、こんな状況であるにも関わらず、固まったまま身体を動かすことが出来なかった。どのくらいそうしていたのだろう、ハッと我に返ると岩城の側へ駆け寄った。 「岩城はどこか打ってるのか?」 そう問いかけると、香藤は一瞬睨むような目を向けた後一通りの説明を聞かせてくれた。もちろん、重なった影については何もふれてはいなかったが。 浅井はある程度、岩城の家庭の事情は知っていた。岩城が未だ頑なに心を閉ざす訳も。 そしてもう一度注意深く岩城の顔を覗きこんだ。 浅井は立ち上がると、まだ青い顔をしてウロウロしている、いかにも軽そうな男の腕を掴みこう言った。 「救急車はいらない。そのかわりこの二人を家まで送って行く事と、こいつのおでこの怪我の治療代に今財布に入ってる金を幾らかこいつに渡せよ・・・ま、ナメときゃ治るだろうけど。それでいいだろう、香藤?」 「浅井・・・さん?」 「あと取りあえず、あんたの名前と住所だけ聞いておこうかな。名刺持ってる?」 「父親には言わないでくれ。」と今にも泣き出しそうな軽薄男は言った。 そして未だ意識がちゃんと覚醒していない岩城を抱えた香藤は、その派手な車に乗り込み自分の家へと向かったのだ。今の状態で岩城の家には帰さないほうがいい。そう言ったのは浅井だった。 1年前にも同じような事があった。7月始めのとても蒸し暑い日で、講義を聴いている最中に岩城が隣で急に震え出したのだ。岩城自身の腕を掴む白く染まった指先が今でも鮮明に思い出される。 何かの持病でも出たのだろうか、と顔を覗きこみ訝しむ俺に「少し経てば治る。」と脂汗の浮いた顔を向けた岩城は、笑みを浮かべようとして失敗した。 苦しそうに歪められた眉は、岩城の心の傷の痛さを物語っているようで、俺はその時、掛ける言葉を探し出すのにとても苦労をした。だがそうして出てきた言葉は「大丈夫か?」という全くもって相応しくない安っぽい問いかけ。大丈夫な訳がないだろう?自分自身のボキャブラリーの貧困さにチッと舌打ちしながら、俺はふらつく岩城の肩を抱えそっと講義室から出て行ったのだが、そのまま俺の腕の中に身体を預けるようにして意識を失ってしまったのだ。 迎えの車を待つ医務室のベットで、意識を取り戻した岩城は俺に向かって「悪かったな。」と言い、今度は小さく笑うのに成功したようだった。 俺は詳しい事は何も分らなかったが、ただ悲しいほどの痛さだけが伝わってきてその顔を見た途端、とても切なくなり、その後鼻の奥がツンと痛くなってきて、あぁ俺は泣くんだなと思った。 でも俺より先に「帰りたくないなぁ。」と溜息混じりに腕で覆った目に涙を浮かべたのは岩城だったのだ。 その時何をすべきか全く検討のつかなかったマヌケな俺は、すぐに迎えに来た家の人(たぶん紺野の会社の人間なのだろう。)に半ば引きずられるようにして黙って帰って行く岩城の背中を、意味不明の焦燥感と苛立たしさで気持を乱されながらも、ただ突っ立って見送るしかなかった。 少ない言葉は時に多くの会話より雄弁に様々な事を物語ったりする。今おもえば明らかにあれは岩城からのSOSだったのだ。今よりずっとガキだった俺はまんまとそれを見逃してしまった。 今度は同じ事は繰り返すまい。 二人を見送った帰り道、あの日のことを思い出していた俺は、あの日と同じチクチクとする胸の痛みに耐えかねてさっきよりも大きな溜息を雲から半分顔を出した月に向かって吐いてみた。 「香藤・・・か。」 ふたりは付き合ってるのだろうか。同性同士であるというという不自然さや違和感は何故か全く感じられないのが不思議に思えた。 恋人の泣き顔よりも、岩城の笑い顔を思い出して胸を痛ませてる自分の方がよっぽど不自然ではないか? 見上げる柔らかな光を湛えた月は、風に流されてくる雲によってまたその姿を隠されてしまっていた。 あれから2時間ほどで岩城は眠りから目覚めた。時計はもう11時を回っていて、俺はベッドに腰掛けて子供のように目を擦っている岩城に、明日が土曜日で助かったねと微笑んで見せる。 浅井の言っていた通り、目覚めた岩城は、暫く不安そうに辺りを見回していたと思うと、バツが悪そうではあったが徐々に何時も通りの表情に戻っていったのだ。ここに連れてきたのは正解だったのだろう。 「ねぇ岩城さん、明日泉教授の家へ行ってみない?」俺は岩城さんの隣へ腰掛けると敢えて大丈夫か?とは聞かず、全く別の話題を振ってみた。 「泉教授?・・・なんで?」 「ん〜・・・ちょっと岩城さんに見てもらいたい物があったから・・・。」 岩城さんは俺の言葉に少し片眉を上げると胡散臭そうな視線を投げて寄こした。 「泉教授と俺に見せたい物と何の関係があるんだ?」 「行けば分るよ。」 「。。。。。なぁ香藤、お前一体なに企んでる?」 なおもニッコリ笑う俺に、益々眉根を寄せ怖い顔で睨んでくる。 綺麗な顔で静かに怒る岩城さんは中々に迫力があるのだ。思わずゾクリと鳥肌が立ってしまうほど・・・。 岩城さんにこの事を話すのはもっと後にしようと思っていたのだが、今日の岩城さんを見ていて考えが変わった。早く助け出してあげたいと心の底から思ったのだ。これは大幅な予定変更だ。 不機嫌オーラを撒き散らしてる岩城さんに、全く動揺をしてないフリをして「お風呂に入っておいでよ。」 とタオルを胸に押し付けた。理由を話そうとしないそんな俺に焦れた岩城さんは、乱暴に俺の胸倉を掴み引き寄せると、事もあろうか再び口づけてきたのだ。 少しカサついてしまった唇。押し付けられたそれに、思いとは裏腹な身体は小さく腰を引いてしまう。 路上で交わしたキスよりは軽いキス。でも割って入ってきた舌はやはり熱く、それは俺の舌にまたも優しく絡んできた。 “わ〜〜〜っっ!!” クチュと音を立てて離れた唇が恥ずかしくて、俺はアタフタと顔を真っ赤にしたまま岩城さんから視線を外して下を向いた。 「・・・なんだよ香藤。いつもの生意気さはどうした。」 先程とは打って変わって妖艶に微笑んで見せた岩城。なに?これってもしかして俺に仕返ししてんの?? “うう〜〜〜。。。腰砕けたし・・やっぱり上手いなぁ”なんて乙女モード全開で赤い顔をしたまま関係ないこと考えてた俺の頭上に「わかったよ。付き合えばいいんだろう?」という言葉を落とすと、岩城さんはスタスタとバスルームへ向かって歩いていった。 「あ・・・う、うちのお風呂狭いからねっ!!」 岩城さんはチラリと視線を向けるも、無言のままパタンとその扉を閉めてしまった。 あぁ、、、、全く!なに言ってんだろう! 今のキスで完全にテンパッてしまった俺ってばカッコ悪いことこの上ない。くっそ〜、まだまだ青いぜ俺。 今日の俺はクルクルと表情を変えまくる岩城さんに翻弄されっぱなしだ。 そして俺は閉まったドアに向かってもう一つ大事な事を言った。 「岩城さん!病院じゃなくてここに来るように言ったのは、浅井さんなんだ!」 暫くしてからドアの向こうから返って来た言葉は「・・・・分かってる。」の一言だけだった。 岩城は、まだ手放した意識が完全に戻っていない時、遠くに聞こえていた声は浅井のものだったと分かっていた。 (悪かったな、浅井。) いつも自分の隣で優しげに笑っている男、自分と似てとても不器用な浅井の顔を思い浮かべ、少し温めのシャワーに顔を打たせたままほんの少しだけ微笑んだ。 香藤が何を考えているか分からないが、どうせあと少しの自由だ。アイツのお遊びに付き合ってみるのもい いかもしれない。 岩城は先程のうろたえた香藤の姿を思い出し、今度は声に出してクスクスと笑った。 |
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