想 い 風(草加編)
煩いほどの蝉時雨の林の中をゆっくりと歩く。 屋敷の裏に広がる雑木林、離れへと向かう道。 よく知っている場所のはずなのに何故か進むべき方向を見失っていた。 立ち止まって辺りを見回す。 その時、微風が背中を撫でた。 立ち止まっていなければ感じなかったかもしれないほどの僅かな風だった。 風の吹いてきた方を見ると愛しい人の背中が見えた。 愛しい人は失ったはずの左足を取り戻していて早足で遠ざかっていく。 このまま見送ったら二度と会えないような気がして後を追った。 しかし呼び止めようとしても声は出ず、足を速めて追いつこうにも思うように動かない。 愛しい人はどんどん遠ざかり、その姿が見えなくなりそうになる。 「ーーーーー!!」 力の限り叫んだはずが、やはり声は出ず愛しい人は消えてしまった。 立ち尽くす俺の背中をまた微風が撫でていった。 ふと意識が覚醒する。 いつの間にか眠ってしまったようだ。 ここのところの激務で疲れが溜まっているのかもしれない。 まだ半覚醒でぼんやりそんな事を考えていると背中に僅かな風を感じた。 一定の間隔で遠慮がちな風が背を撫でる。 その風の送り主を悟った俺は動けなくなった。 ここは秋月さんの暮らす離れ。 遅くに仕事から戻った俺はせめて寝顔だけでも見たいとここへやって来た。 今日は酷く暑く、そのため秋月さんが意識を失っていたと聞き心配だったせいもある。 青白い顔で眠る秋月さんに触れる事もできず、ただ傍に横になって寝顔を見つめ続けた。 そしてそのまま眠りに落ちてしまったらしい。 夜になってもあまり気温は下がっておらず、皆が寝苦しい思いをしているだろう。 秋月さんもその寝苦しさに目を覚ましたのかもしれない。 今、俺が少しでも動けばおそらく秋月さんはその手を止め眠った振りをしてしまうだろう。 秋月さんは決して俺の目を見ようとはしないし、何も言ってはくれない。 死を望む言葉以外は。 ずっと心を閉ざし続ける秋月さんに俺は時々後悔に襲われる。 あの時秋月さんを助けたのは間違いだったのか。 ただ秋月さんの苦しみを長引かせているだけではないのかと。 身体の傷は塞がっても秋月さんの心は痛みに悲鳴を上げ続けている。 そんな秋月さんを閉じ込め、生を強いるのは俺の身勝手でしかないのかもしれない。 そう思っても秋月さんの望む死を与える事はできなかった。 身勝手と言われようと秋月さんを失うなど耐える事はできない。 そんな葛藤を何度も繰り返してきた。 今背中に送られてくる風は俺のしてきた事は間違いではなかったと思わせてくれる。 秋月さんの心の内にはまだ俺への想いが残っているのだと。 これも俺の独りよがりなのかもしれない。 ただ寝苦しそうな俺を見かねただけなのかも。 団扇を手に取った理由が何であれ秋月さんが俺のためにしてくれている事に変わりない。 だから今少し、今少しだけこのままで・・・・・。 終 '05.7.23 グレペン |
お題は「風」
風によって表されるふたりの切ない想い・・・
今だけ・・・ほんの僅かなほんの小さな平穏を
哀しくて美しいです
グレペンさん、素敵なお話ありがとうございます