ねがい
灰色の空から真っ白な雪が次々と舞い落ちる。 |
降りしきる雪の中を走った。 降り積もった雪に秋月さんが残した跡を辿って。 冷たい空気を吸い込み肺の腑が痛む。 走り続けて心臓が痛む。 だがそれ以上に愛する人を失う恐怖に心が押しつぶされそうに痛む。 どうか間に合ってくれ。 そう心の中で祈りながら走り続けた。 俺が離れを出てから戻るまでどのくらいの時が経ったのだろう。 陸軍のやつらはどのくらいの時間屋敷にいたのだろう。 秋月さんの置手紙を握り締めて離れを飛び出すと雪の上にその跡ははっきり残っていた。 左足を失った秋月さんが這った跡が。 秋月さんの着物は部屋にきちんとたたんで残されていた。 ということは身に纏っているのは昨夜俺が着せた寝巻き用の白い単だけ。 その薄着で雪の上に横たわる冷たさを思い身体が震えた。 降りしきる雪にも消えない跡が残っていることに今だけは感謝しながらそれを辿って駆け出した。 食事も満足に取らずあの部屋の中で殆ど動かずに過ごしていた秋月さん。 そんなに体力はないはず。 ましてこれだけ雪が積もっていれば思うように進めないはずだ。 途中で身体がもたなくて動けなくなっているかもしれない。 そうでなくても全力で走れば追いつけるかもしれない。 そんな望みを胸に走り続けた。 昨夜の秋月さんが脳裏に甦る。 俺がイギリスに渡る前の幸せだった頃の笑顔を見せてくれた。 俺は有頂天になってその笑顔の裏に隠された秋月さんの決心に気づかなかった。 自分の迂闊さを呪い、身勝手さに憤りを感じる。 やっと取り戻した愛しい人を失いたくない。 秋月さんを守るためなら鬼にでもなれる。 その思いこそが秋月さんを一番苦しめているとこの手紙を見るまで気づきもしなかった。 あの戦場から救い出した後、秋月さんは何度も自殺を試みた。 離れに閉じ込めてからは心を閉ざし死を望む言葉を度々口にした。 それは全て幕府軍の同胞への罪悪感ゆえだと思っていた ようやく一緒に暮らせるようになったのに罪悪感にばかり囚われる秋月さんに嫉妬心から苛立ちを感じた。 そしてその苛立ちをぶつけるように秋月さんを抱いた。 それが弱りきった秋月さんの身体に大きな負担になると分かっていても止められなかった。 たとえ身体だけでも受け入れられ求められていることを感じたかった。 俺は自分の気持ちを押し付けてばかりだった。 秋月さんはずっと外務大輔としての俺の立場を按じていてくれたのに。 林の中の少しばかり開けた場所で秋月さんの姿を見つけ駆け寄った。 しかし肩を揺さ振り名を呼んでも返事が返ることは無かった。 すでに冷たくなっている身体が秋月さんの死の事実を俺に突きつけていた。 どうしようもない喪失感に胸が張り裂けそうに痛みその身体に取り縋って泣いた。 泣いて泣いて、もうこの涙は止まらないだろうと思った時にふと匂い袋が目に付いた。 秋月さんがずっと大事に持っていたその中身は蝉の抜け殻。 「あの日」二人で見つけた蝉のさなぎが抜け殻になったもの。 長い時を土の中で過ごした後、羽化して飛び立つ蝉に俺たちを準えていた秋月さん。 いつかまた必ずともに歩ける日が来ると信じ離れている間もこれを見ては俺を思い出してくれていたのだろう。 そうだあの時の蝉のように俺たちは生まれた時が悪かったのだ。 もっともっと先の時代ならば二人並んで日の下を歩けるようになっているに違いない。 それまで俺も眠ることにしよう。 俺が後を追うことを秋月さんは望んではいないだろう。 だけど許して欲しい。 秋月さんのいない世は俺にとって何の意味もないのだから。 血に染まった身体から短刀を抜き取り手紙で包んで刃先を腹に当てた。 死への恐怖は全くなかった。 意識が途切れた後、気づくと自分と秋月さんの身体を見下ろしていた。 俺の行き先は間違いなく地獄なのだろうな。 秋月さんはあの優しい人はきっと極楽に行くだろう。 たとえ地獄と極楽に分かれても生まれ変わった世で必ず秋月さんを見つけてみせる。 雪が舞い落ち続ける灰色の空を見上げ最後に願う。 どうかもっと激しく雪を降らせてくれ。 そして俺たちの骸を誰にも見つからないよう覆い隠してくれ。 短い間しかともに居られなかった今生でせめて身体だけでも二度と引き離されないように。 |
軍部に戻り草加邸には戦犯はいなかった。
終 |
唯一無二の存在・・ 互いに互いのことを思い合っているのに 時代の流れの中で甘い時間を許されなかったこと・・・ そんなふたりを見つめながら 相沢もまたその時代の中で必死に生きていたんだと 今更ながら思います・・・・ 降り積もる雪に自分の罪を隠そうとしない彼の想いが辛いです グレペンさん 切ないお話でした・・・ありがとうございますv |