雪の譜
ふたりで暮らすようになって数週間が経つ。 俺のほうから押しかけておいて言うのもなんだけれど、しばらくは慣れなかった。 今だって「あれ?」って思うことがあるしね。でもそれは苦じゃないよ。 もちろん岩城さんのほうはもっと戸惑ったと思うし、慣れるのに時間がかかったと 思うんだけれど。 て、いうか今もまだ慣れていないんだろうけどね。 玄関ドアの前で驚きと怒りと呆れ・・・他にも色々なんだろうか・・・ そんな表情の入り混じった顔をしながらも、岩城さんは俺を部屋に入れてくれた。 ああ、あんな顔を見たのも、あの時が初めてだったんだよね。 それも可愛いと思ったよ。 「いいの!?」って俺が訊いたら 「ここで追い返したら、お前が困るだろうが。」なんて言ってくれたんだっけ。 半ばムスッとしてたけれど。 でもよく考えてみてよ。 俺、合い鍵持ってたんですけど〜。 その日はリビングに無理やり入れた俺のベッドを横目で見ただけで、 「それじゃあ、俺はもう寝るから好きにしろ。」 とだけ言って、さっさと自分の部屋に入ってしまった。 もちろん温かい歓迎を受けるとは思っていなかったけれど、部屋ン中で事の顛末とか 問い質されると思っていた俺としては少し拍子抜けした。 それでも、隣の部屋に岩城さんがいるんだと思っただけで、ちょっと緊張しちゃって なかなか寝付けなかったんだよ。 * * * 翌日は遠くに聞こえるシャワーの音で目が覚めた。 一瞬、自分が何処にいるのか分からなくて焦った。けれど、すぐに“あの”ソファが 目に入って岩城さんのマンションだとホッと安心した。 のろのろと起き上がると丁度リビングのドアが開いて、岩城さんはラフな格好をして 入ってきた。 ちょっと意外。 でもそりゃそうだ、自分の部屋なんだもんね。 シャワーを浴びた直後で、髪も完全には乾いていないようだった。 いつもはキチッとしている前髪が、少し濡れて乱れて額にかかっていて・・・ それが凄く色っぽいと思ったのはナイショだ。 「おはようございます。」 ハッとしてベッドの上でそう言った俺に朝の挨拶を返しもしないで、視線だけチラリと 向けた。 「お前、今日の仕事は?」 それだけ言って。 「あ、俺は今日オフです。岩城さんもオフですよ・・・ね?」 やばい、マネージャーさんとの会話に聞き耳立てていたのバレちゃう? 気持ち的に背中を丸めた。 そんな俺に岩城さんはポソリと 「顔洗うか、シャワー浴びてくるかしてこい。」とだけ言った。 「ちぇっ。」と思いながら入った洗面所、浴室に電気が点いていた。 そしてガスのスイッチも。 それが単に消し忘れていたんじゃないってことはすぐに気が付いた。 洗面台に置かれた洗い立てのタオル。 判りやすくラベルの向けられたシャンプー類。 それって俺のためだよね? 緩んだ口元からお湯が入らないように気をつけながらシャワーを浴びた。 それで喜び勇んで出てくると、既に朝食を採りはじめている岩城さんが目に入った。 ガックシ。 けれどテーブルを見ると、コーヒーメーカーにはちゃんと2杯分のコーヒーが入っていて、 カップも皿も岩城さんの向かい側に俺の分だといわんばかりに置かれていた。 コソコソと(でも嬉しい)座ると、それとほぼ同時にポップアップトースターの食パンが カシャッと音を立てて飛び出てきた。 岩城さんが無言で小さく顎をしゃくる。 俺の分だね。 俺はやっぱり緩む口元を何とか押さえながら、急いでバターを塗ってトーストを パクついた。 明日は俺が目玉焼きくらいは作るね。 あ、お昼から作るよ。何がいい? 心の中で訊いた。 * * * 不思議な人だ。岩城さんは。 何年も前から知っている人なのに。それこそ話しだってしたことがあるのに。 その時の印象はというと、冷たくて、クールで。 俺から見ているとカッコばっかりつけているように思えたのに。 でもそれはこの人の本質じゃないんだと最近になって知った。 すっごく不器用な人で、今ではそれがまたすっごく可愛く見える。 もっと知りたいから、って触ろうとすると逃げられて。 ちょっと臆病な風にも見えた。 それに何日か一緒に生活していると優しい人だということが判る。 一見そっけないのに。 その優しさは、ものすごくかすかなもので、それこそ触ると融けてしまうような ─── 雪だ。 一片の雪で、掌に載せようと思うと水にすらならずに消えてしまうんだけど。 でもその雪はじっとしていると俺の心ン中に静かに静かに積もっていく。 音も立てずに。 そしてまわりの音も消してしまう。 それが不安で 冷たい雪だけじゃ寂しくって。 まるで都会に降った雪みたいにぐちゃぐちゃに踏んづけたい衝動に駆られて外に飛び出し ちゃったこともあったんだけれど、それは自分の足元を汚しただけで余計に冷たくなって・・・ 自己嫌悪。 岩城さんは今、リビングのソファにいる。そこで寝ちゃっているんだ。 それって、俺の帰宅を待っててくれてたの? 玄関の明かりも点いていたよね。 俺は岩城さんを起こさないように、そっと自分の毛布をかけた。 起こしたりなんかしたら、折角のこの人の無防備な顔が間近で見られないじゃん。 岩城さんの部屋からかけるものを・・・とも思ったんだけれど、それはやめた。 一度も入ったことのない岩城さんの寝室から持ってくるのはちょっと失礼だろ? 了承も得てないしさ。 それに、俺のもので岩城さんを温めたかったから。 俺の豹柄の毛布に包まれて、岩城さんはまるでそこだけ雪が降ったみたいに真っ白で・・・ ブラインドから僅かに零れる外の灯りに、その白い頬を輝かせていて・・・ 清浄な空気が流れているようだった。 今ここで、岩城さんを無理にでも抱いてしまえたらと思った。 けれど、あの収録のあとみたいに氷の刃を向けられるくらいなら、ここで我慢だ。 つらそうな顔も見たくないし。 普段は冷たそうな顔が、ほんのりと緩んでいる。 そのまま俺に心も体も預けて融けてくれたらいいのに。 俺のほうは、もう融けちゃってるよ。 そんな俺に少しでも目を向けて欲しくって、 でも無理に向けるんじゃなくって。 岩城さんから向いて欲しくて、作戦を立て始めた。 殊更明るく振舞って、スキンシップもして・・・って。 そうして岩城さんから何か行動を起こしてくれるんだったら、 俺はたとえそれが大雪でもブリザードでも喜んでしまえるんだけどね。 終 ‘04.12.18. ちづる *『ワンクール・ポルノ』('98.11.)と 『セルフィッシュ・ジーン』('99.03.)の 間の話ってことでお読みくださるとありがたいです。 季節的にはその間に雪が降ってもいいかしら・・・と; |
まだ互いの距離が掴めていなかった頃・・・
まだ入り込めないい場所を家に中にも心の中にも持っていた香藤くんの
切ない気持ちも伝わってきます・・・
でもやっぱり彼は前向きで・・・・v
なんかこの頃のふたりを懐かしく感じました
ちづるさん 素敵なお話ありがとうございますv