桜吹雪は正義の味方


 映画のクランクアップ記念を兼ねて、香藤が夫婦慰安旅行の予約を入れたのは、山の中に庵形式の離れが散在する隠れ里風の旅館である。隠れ里の雰囲気を売りにしているため宣伝もせず、取材も一切受けていないというが、知る人ぞ知る人気スポットで、芸能人や文化人のリピーターも少なくないらしい。
 利用者に著名人が多いのは、客のプライバシーへの配慮に加えて、お客様のどんなご要望にも原則としてお答えしますという徹底したサービス精神が好評だから。香藤にこの旅館のことを教えてくれた某局プロデューサーは、雪見の宴会と洒落込みたいと希望したという。
「壁一面のはめ殺しの窓から見えるライトアップされた雪の庭園がきれいでさ〜。料理は自由にオーダーできるからフグにしたんだけど、これがまた一流。“原則的にお客様へのご希望は何でもお受けします”っていうから、“雪の庭で宴会したいって言うのはさすがに無理でしょ?”って言ったら、“ご希望があれば、ストーブや暖房器具を使って庭に宴席を設けさせていただきますよ”って…。サービス精神がすごいよね〜。庵ごとに四季折々のお勧めがあって、桜の庵なんて最高らしいよ」
 この話にすぐさま、満開の桜の下で岩城と過ごす一夜を思い浮かべた香藤。つてを使って、桜の庵の予約に成功し、自分の希望について旅館の担当者に何度も連絡をとって打ち合わせしたのだった。
「満開に合わせられたらパーフェクト」と、にんまりした香藤だが、まさか岩城との夜が隠し撮りされる危険性をはらんでいたとは、思いもよらなかったのである。

 香藤が予約した庵に案内された岩城は、庭の桜の美しさに目を見張った。庵の縁側のそばに根をはる桜の大木は満開で、低く庭一面に枝を広げていた。庵の屋根を覆うように桜が枝を広げているので、庭の縁側に立つと、頭上に満開の桜が広がる。奥行きのある畳敷きの縁側には黒の毛せんが敷かれ、庭のほうを向いて二つの座椅子と小さなコタツが置かれていた。毛せんの上に、ひとひら、またひとひらと桜が舞い落ちる。
「今夜はこの夜桜でさしつさされつでいこうと思って。ね、岩城さん?」
 まだ仲居さんがいるんだぞと、小声の岩城が赤面する。
 どうぞお気になさいませんようにと、控えめに笑う藍色の作務衣姿の仲居さんに、二人はお世話になります、と丁寧に頭を下げた。
 24時間使えるというヒノキの内風呂をのぞいてきた香藤が部屋に戻ると、岩城の姿が見えない。窓から顔をのぞかせると、岩城が縁側の隅で桜の幹に手を当てて、満開の桜を見上げていた。
「岩城さん? どうしたの?」
「今夜、楽しませてもらうから、桜にもよろしくって挨拶を、な」
「じゃあ、俺も〜。今夜は二人で桜の下でしっぽり過ごす予定なので、よろしくお願いします。俺たちの夜、桜で覆い隠してね」
「桜にまでのろけるんだな、お前はまったく」と、岩城は苦笑いした。

 岩城と香藤が晩酌でほろよい加減になった頃。
 二人が宿泊する庵の塀をカメラを抱えてよじのぼろうとしている男がいた。芸能人がお忍びで利用する庵と聞いて、スキャンダル写真で一儲けをたくらみ、塀で仕切られた旅館の私有地に苦労して侵入してきたのだ。
 誰が泊まっているのかもわからずに、ホテルでいえば最上階のスィートルームに当たるこの庵に狙いをつけてきたのである。塀を覆い隠すように庵から桜の枝が張り出している。
「邪魔な枝だ」
 男はつかんだ桜の枝を折ろうと力を入れた。
「そこで何をしておられるのですか?」
 ぎくりとして男が振り返ると、桜色の留袖姿の初老の女性が立っていた。
「なんだ、女か」
 居直るつもりで正面に向き直った男はぎょっとした。初老だったはずの女性が塀にかけた足をおろす一呼吸の間に30代くらいに若返ってみえた。
「何をしているのかと聞いておる」
 問い詰める声とともに、強い風にあおられ、男はたじろいだ。女性の体から吹き付けるように風圧が強まり、吹き飛ばされんばかりの桜吹雪が巻き起こって、男は一瞬何も見えなくなった。
 はっとした時はシリモチをついており、女性が無表情で自分を見下ろしていた。男は背筋が冷たくなって、結局、声も出せずに一目散に逃げ出した。

 その時、岩城は、桜の枝の張った塀のほうにふと顔を上げた。
 ゆかた姿でひざ枕してもらい、岩城に髪をすかれて、ご満悦の香藤が、見つめ合う目線をはずされて不満げに鼻を鳴らす。
「岩城さ〜ん、どうしたの〜?」
「いや、今、何か聞こえなかったか?」
 “どうぞごゆるりと”という声が聞こえたような気がしたのだ。
「気のせいだな」
 微笑む岩城。その笑みの上から、はらはらと散る満開の夜桜。
 もうずいぶん前から、岩城と夜桜の組み合わせの美しさにむずむずしていた香藤が、たまらなくなって、むくりと起き上がった。
 岩城の手をとって立ち上がらせ、両手でアルコールで上気した岩城の頬をはさみこむ。
「ひざ枕よりこっちがいい」
 深く口づけたのは香藤だったのか、岩城だったのか。目を閉じて唇を貪り合う二人。
 と、一陣の風が二人に吹き付けた。春一番のように暖かい、勢いのある風がクルクル回り、薄桃色の桜吹雪が二人の体を包み込む。花びらが浴衣の裾を乱し、袖を激しく舞い上げた。愛し合う二人を包むように。
 だがしかし。
 口づけ合い、抱きしめ合う二人は、目を閉じたまま。周りを回る桜吹雪にまったく気づく様子がないのであった。
 
(二人の夜は花園にさせてくださいませね。by ゆみ)

 翌朝。
 仲居さんは、明らかに「怒」の表情の岩城に、「岩城さ〜ん、許してよ〜」と、べそをかく香藤を見送った。夕べ、何かあったのかしらねと、心の中で小首をかしげた仲居さん。でも、すぐに笑顔になった。
「頭のてっぺんと右肩と、おんなじところに桜の花びらをくっつけて。本当に仲むつまじいこと」

2005.3.22 ゆみ  ラブラブぶりは花園で〜。







きゃんv
なんてステキな桜の宴なんでしょうv
そんなのを隠し撮りしようなんていう輩は許しません!
(・・・という私の手にもカメラが! 笑)
桜の精に見守られ甘い甘い夜・・・ご馳走様でしたv

ゆみさん、ありがとうございますv