タンポポの恩返し | |
仄暗い寝室には濃密な空気が流れていた。 堪えきれないように零れる嬌声と熱い吐息、そして微かな湿った音だけが聞こえる。 一際高い嬌声が響いた後、荒い呼吸が聞こえてきた。 香藤は荒い息を繰り返す岩城を抱き寄せ、頬に額に瞼にキスを繰り返す。 刹那、意識を彼方に彷徨わせていた岩城の耳に外の音が聞こえてきた。 「外、風が強いみたいだな。」 窓の外では強い風が吹き荒れていた。 香藤も言われて初めて外に意識を向ける。 「ああ、ホントだね。春の嵐ってヤツかな。」 そう応えはしたものの香藤の意識はすぐに岩城へと戻る。 抱き寄せていた手をするりと下へ伸ばすと思いがけず岩城に叩かれた。 「何で?明日オフだから好きにしていいって言ったじゃん。」 「事情が変わった。こんなに風が強いなら明日は外回りの掃除をしないといけないからな。」 「ええ〜っ。」 不服そうな香藤の腕から岩城はさっさと抜け出す。 「仕方ないだろう。俺たちの場合明日を逃したら当分掃除できないんだから。」 「でも〜。」 香藤は情けない顔でまだやる気な自分のモノに目を向けた。 岩城はソレを一瞥すると 「その元気を明日の掃除に使ってくれ。」 と言ってシャワーを浴びに行ってしまった。 翌日、外に出た香藤は想像以上の荒れ方に驚いた。 「うわ〜、結構大変なことになってんなぁ。」 風に飛ばされてきたらしいゴミがあちこちに落ちている。 岩城は家の裏手から掃除を始めていた。 香藤もゴミ袋を片手に玄関の周りからゴミ拾いを始めた。 階段を下りて門までの間が吹き溜まりになったようで多くのゴミが散らばっている。 コンビニ袋に入った弁当のかすやペットボトルまである。 「こんなモンまで空飛んだのか。そういや凄い音してたもんな。」 香藤は昨夜の窓の外を吹き抜ける風のゴォーッという音を思い出した。 「皆ちゃんとゴミはゴミ箱に捨てろよな。ポイ捨てが多いからこんなことになるんだ。」 ブツブツ言いながらポイポイとゴミ袋に放り込んでいた手がはたと止まる。 「分別・・・・全部集め終わってからすればいっか。」 一人で納得して手にしていたゴミを袋に放り込んだ。 続いて庭へ回るとそこには何かの書類と図面らしい紙が落ちていた。 「こんなモンどっから飛んで来たんだ。大事なモンなんだろうけどどうしようもないよね。」 また独り言を言いつつゴミを拾っていると目の端に黄色い色が飛び込んできた。 そちらに目を向けると一輪のタンポポが花を咲かせていた。 「へ〜、いつから咲いてたんだろ。あ、岩城さんに教えてあげなきゃ。」 香藤はゴミ袋を放り出し家の裏へと走った。 連れて来られた岩城も目を細めてタンポポを見つめる。 「昨夜の風にも負けなかったんだね。」 「タンポポは強い植物だからな。倒れてもまた立ち上がるんだ。」 「へ〜。」 二人並んでタンポポを見ていたがやがて岩城が立ち上がり物置から移植ごてを持って来た。 「岩城さん、そんな物持って来てどうするの?」 「タンポポを抜くんだ。」 「え、なんで?」 「あちこちに増えると困るだろう。」 そう言うと岩城は地面を掘り始める。 「せっかく咲いてるのに可哀想だよ。」 岩城はその言葉を聞いていないのかもくもくと地面を掘りタンポポを引き抜いた。 「香藤、見てみろ。」 香藤がそのタンポポを見ると太いまっすぐな根が茎から下向きに伸びていた。 「タンポポってこんな太い根っこなの?」 「そうだ。こんなものが庭中に生えたら困るだろう?」 「う〜ん、確かにそうだね。」 「それにタンポポは多年草だからほっとくと来年も花を咲かすんだ。」 香藤の顔を窺っていた岩城がまた立ち上がり物置へ向かった。 戻って来たその手には植木鉢があった。 「岩城さん、それもしかして・・・」 「ああ、お前があんまり残念がるからな。家の中に置いとくなら大丈夫だろう。」 岩城は手際よく鉢に土を入れ始めた。 香藤は日当たりのよい窓辺に置かれたタンポポに話しかける。 「よかったな、お前。」 岩城はその様子を優しいまなざしで見ていた。 「そうだ、香藤知ってるか?今頃のタンポポは食べられるんだぞ。」 「え、そうなの?」 その言葉に香藤はパタパタと岩城の傍に戻って来た。 「春先の若葉は水にさらしてあく抜きすればいろんな料理に使えるらしい。」 「さすが岩城さん、植物のことに詳しいね。」 尊敬を込めた目で見られ岩城は目の端をうっすら朱に染める。 「根っこは胃腸の調子を整える薬にもなるんだ。」 「へぇ〜、へぇ〜、タンポポって凄いんだね。」 「生薬の名前はそのままタンポポの漢字表記になってる。」 「タンポポって漢字があるの?」 |
あるテレビ局の一番大きなスタジオの中。 春の番組改変期恒例の番組対抗クイズ大会の収録が行われていた。 豪華なセットが組まれ、たくさんの芸能人が集まって華やかなムードに溢れている。 香藤も岩城もこの局の4月からのドラマに出演が決まっていてこの番組にも参加していた。 そして今、二人は回答者席に座っていた。 しかも美味しい映像を狙って隣り合わせの席にされている。 出題ジャンルはダーツで選ばれ『漢字の読み』になった。 その瞬間香藤は内心で頭を抱えた。 (ヤバイ。さっきのスポーツの問題なら結構いい線いってたのに。) 早押しではなく全員が解答を書かなければいけないのだ。 読めないとかなり恥ずかしいことになる。 しかも各コーナーの最下位のチームには全員に罰ゲームがあるのだ。 「岩城さん、香藤さんに答え教えちゃダメですよ。」 「分かってます。今はチームの勝利の方が大事ですから。」 「酷い。俺が読めないって決めつけてるでしょ。」 司会者の冷やかしに岩城は冷静に答え香藤がお約束の抗議をしてスタジオに笑いが起こった。 「では第一問、これはなんと読むでしょう?」 モニターに映し出された文字は≪最中≫ 「名詞でお答えくださいね。さいちゅうではないですよ。」 司会者の補足説明に香藤は胸をなでおろした。 (危ない、危ない、さいちゅうって書くとこだったよ。じゃあもなかだな。) 一問目はサービス問題だったのか全員正解だった。 「では第二問、これはなんと読むでしょう?」 ≪不如帰≫ 全く分からない香藤はちらりと隣を窺うが岩城は素知らぬ振りだった。 さんざん考えた挙句香藤の書いた答えは≪まいご≫だった。 「香藤さん、何でまいごなんですか?」 「え、だって不はできないってことでしょう。帰れないからまいごかなって・・・」 「まいごは迷子でしょう。」 司会者のツッコミにスタジオがどっと沸く。 岩城は眉間に皺が寄りそうになるのを堪え平静を装っていた。 その後、≪竜胆≫≪雲丹≫≪山車≫≪蜻蛉≫≪百日紅≫≪箪笥≫≪蝸牛≫と出題が続いた。 全問正解の岩城に対し、香藤が答えることができたのは≪雲丹≫だけだった。 二問しか正解できていないのは香藤の他はもう一人だけ。 ラストとなる次の問題を答えられなければ最下位確定である。 「では第十問、これが最後の問題です。これはなんと読むでしょう?」 ≪蒲公英≫ 岩城は内心でほっとしていた。 先日話したばかりだから香藤も読めるだろうと。 さすがに最下位になると気にせずにいられなかったのだ。 「あら、香藤さんまた悩んじゃってますね〜。」 しかし香藤はどこかで見たとは思いながら思い出せずにいたのだった。 答えられなければ最下位というプレッシャーが余計に記憶を辿れなくしていた。 「岩城さん、香藤さんを励ましてあげてください。」 司会者に振られ岩城は何とか皆にばれずにヒントを出せないか考えた。 「香藤、今夜のメニューはパスタとサラダがいいな。」 こんな場で珍しいプライベートを匂わせる発言に香藤は驚いて岩城を見た。 その顔に浮かぶ笑みを見た瞬間、香藤の脳裏に先日の記憶が鮮やかに甦った。 「岩城さん、何それ。全然励ましてくれてないじゃん。」 岩城がヒントを与えてくれたと気づかれないよう香藤は不満そうにして見せた。 何も知らない人たちからは二人の会話に笑いが起こった。 「岩城さん、さっきはありがと。助かったよ。」 二人ともこれで仕事が終わりだったので岩城も金子の運転する車に同乗していた。 清水は岩城の気遣いで先に帰っていた。 「お前があまりにできなすぎると俺まで恥ずかしいからな。」 「うっ、ごめんなさい。」 ばつが悪そうに上目遣いになってしまった香藤に岩城は小さく笑う。 「大体この間話したばかりのことを何で忘れるんだ。これなら大丈夫と安心してたのに。」 「だって〜あれできなかったら罰ゲームだったんだよ。そう思ったら焦っちゃって。」 「そうだな。俺もお前のチームの人に申し訳ないと思ったからヒントをやったんだ。」 「なっ、俺のためじゃなかったの?」 「俺とお前のチームの人のためだ。」 岩城の冷たい答えに香藤はがっくりと項垂れた。 二人の会話をクスクス笑いながら聞いていた金子が疑問を投げかけた。 「タンポポのヒントが何でパスタとサラダだったんですか?」 「ああ、あれはタンポポが料理に使えると知った香藤がネットで調べたメニューなんですよ。」 「そうそう、炒め物なんかにもできるんだって。金子さん知ってた?」 香藤はガバッと顔を上げて金子に問いかけた。 その立ち直りの早さに岩城は苦笑する。 「いえ、知りませんでした。」 「やっぱ知ってる人少ないよね。岩城さんがヒントくれたって誰も気づいてないよね。」 「ええ、おそらく。」 金子の返事に香藤の顔が緩む。 いつも以上に目尻の下がった顔で見つめられ岩城は眉を顰める。 「香藤、なんなんだその顔は。家に入るまではちゃんと俳優の顔してろ。」 「だって俺って幸せ者だと思って。こんなできた奥さんがいるんだもん。」 「誰が奥さんだ。俺を女扱いするなっていつも言ってるだろう。」 文句を言う岩城の目許は僅かに赤くなっていた。 「ごめん。でもとっさにあんなヒント思いつくなんてさすがは岩城さん。」 「別に・・・あれくらい。それよりお前はもう少し勉強しろ。」 「は〜い。」 香藤は藪蛇だったとばかりにペロッと舌を出した。 「岩城さん、ごはん何にする?」 自宅に戻り着替えを済ませて階段を降りながら香藤が尋ねた。 「お前も疲れてるだろ。出前でもいいぞ。」 「うん、でも簡単なものでいいなら俺作るよ。」 「そうか、それなら本当にパスタとサラダにしてもらおうか。」 ダイニングに入った香藤は冷蔵庫を覘いて食材を確かめる。 「オッケー。さすがにタンポポは入れられないけどね。」 「俺も一緒にやるよ。サラダくらいなら手伝えるからな。」 「うん。」 夕食を済ませた二人はリビングに移動する。 香藤はまっすぐ窓際のタンポポのところへ向かった。 「サンキュー。お前のおかげで罰ゲームやらずにすんだよ。」 それを聞いて岩城も傍にやって来た。 「本当だな。こいつが庭に咲かなかったらお前最後の問題答えられなかっただろうからな。」 「うん。」 香藤はばつが悪そうに苦笑いした。 優しいまなざしでタンポポを見ていた岩城がふと思いついたように言った。 「あの問題、このタンポポの恩返しだったのかもな。」 「え?」 「お前が可哀想だって言わなかったら俺は捨ててたからな。」 その言葉に香藤がにやりと笑う。 「何だ、その笑いは?」 「ん?岩城さんってほんとロマンチストだなぁと思って。タンポポの恩返しなんてさ。」 揶揄されて岩城の顔が羞恥に染まる。 「う、煩い。」 「クスッ、照れちゃって。岩城さん可愛い。」 チュッと頬にキスをされ岩城の顔が茹蛸のように真っ赤になった。 「可愛いって言うな。それに植物は本当に人間の言葉を理解してるかもしれないんだぞ。」 「そうなの?」 香藤の顔から冷やかすような笑みが消えたことで岩城は平静を取り戻す。 「ああ、優しい言葉をかけてやると花が長持ちしたり綺麗に咲いたりするんだそうだ。」 「ふ〜ん。・・・それって人間と同じだね。」 香藤の顔にまたにまにまといやな笑みが浮かぶ。 「岩城さんがそんなに綺麗なのも俺が毎日、綺麗、可愛いって言ってるせいかもね。」 「な・・・・何言ってるんだ。」 岩城の顔がまた真っ赤に染まる。 「勿論元から綺麗だったけど益々綺麗になったもん。今夜もいっぱい綺麗って言ってあげる。」 香藤に耳元で囁かれ岩城は逃げるようにその場を離れる。 かと思うと電話の横のメモに何か走り書きをして戻って来た。 「これが読めなきゃ今夜はしない。」 突き出されたそのメモに書かれていたのは≪躑躅≫ 当然香藤には読めるはずもなく・・・ 「岩城さん本気で言ってるの〜?」 一気に情けない顔になる。 「ああ、本気だ。さあ後三十秒以内に答えろよ。」 打って変わって岩城の顔には勝ち誇ったような笑みが浮かんでいた。 もし、タンポポが本当に二人の言葉を理解していたなら。 あまりのバカップル振りに他所でやってくれと思ったに違いない。 おしまい 05.4.4 グレペン ☆おまけ☆ 皆さん、こんにちは、岩城京介です。 皆さんはお分かりでしょうが念のために番組と俺が出した問題の答えです。 最中(もなか) 不如帰(ほととぎす) 竜胆(りんどう) 雲丹(うに) 山車(だし) 蜻蛉(とんぼ) 百日紅(さるすべり) 箪笥(たんす) 蝸牛(かたつむり) 蒲公英(たんぽぽ) 躑躅(つつじ) |
漢字の勉強をさせて貰いました!岩城さんv
でもふたりだけにしか分からない会話を
放送中にするなんて・・・たまりません!
らぶらぶvvv
タンポポを見てもこれからにやけそうです〜(o^^o)
グレペンさん、ありがとうございますv