花曇り


TVの中では桜の許で騒いでいる輩が酒を酌み交わしていた。

─── 少し肌寒いU公園から中継でお伝えしています
    この時間から宴も酣といった感じで盛り上がっています ───

そう、まだ真昼間。しかも天気は・・・
およそ花見と洒落込むには不似合いな曇り空。
灰色の空には、淡い色の桜の花びらが少し色褪せて見えた。
それに反して時折強く吹く風に、派手なブルーのシートが煽られていた。

何もこんな日に花見をしなくとも、もう2〜3日、いや明日まで待っても良かろうに。



そういえば前は、この公園周辺をよく歩いたっけ。
─── AV時代のことだ。

明るいうちから人の往来の多い所を歩けなくなってどのくらい月日が経ったのだろう。
注目されることが嫌いならこんな職業は選んでいない。
けれどされ過ぎてしまったことで、日常生活には少々困難をきたす。
まぁ、それよりも格段にいい至極の時間と場所を得たのだ。それを手放す気はさらさら
ないけれど。


ぼうっとTVを観ながら香藤はそんなことをとりとめもなく考えていた。
ごろんとソファの上に寝そべり、頭を岩城の腿に乗せて。
それでも、極上の幸せを与えてくれる最愛の人と・・・
ごくごく普通に桜の下を歩きたいと思ってしまうのは、TVの中の人たちがほんの少し
羨ましく見えて、部屋の中だけはうららかに感じる陽気のせいなのかもしれない。

「ねぇ、なんかさーこういうのっていかにも日本〜って感じするよね。お花見・・・」

香藤の頭を腿に乗せている岩城といえば、そんな言葉を聞いているのかいないのか
片手に持った文庫本から目を離さないでいた。返事もない。

「こういう花見ってもう何年もしてない・・・ってか岩城さんとしたことなんて
 ないんだよ。岩城さんしてみたくない?ま、今日のような天気じゃヤだけど、
 そうだな〜、週末ならお天気も良さそうだし、まだ桜も散っていないんじゃない
 のかな・・・スケジュール空いてたかな?」

「・・・・・・・・・」

岩城が、小説に没頭してしまうのはよくあることだった。返事が来ないことに不満は
さほど感じない。
だから、思ったことをポツ・・・ポツ・・・と気ままに口に出してみる。
「桜の下の岩城さん・・・きれいだよ?きっと。」
まるで、風もないのにひとひらひとひら花びらを落としていく桜のように。
「たまには羽目を外してさ・・・」

岩城が香藤の頭の上にポフッと本を置いた。
「あれ?俺変なこと言った?」
痛いなどと微塵も感じなのだが、岩城がリアクションを起こしてくれたのかと思うと
嬉しくて、ちょっぴり子供のように大げさに両手を頭に添えた。

「お前は、いつだって羽目を外しているじゃないのか?」
「ええ〜、なにそれ」
香藤を見下ろす目は、春の日差しのように穏やかだったが・・・

「それに・・・・・・・・・」

そう言ったまま、岩城の言葉は途切れた。
そしてその視線が香藤を通り過ぎ、少し遠くを見ているような気がした。

「それに?」
「それに・・・あのTVで映っていたような光景にはあまり良い思い出がないな。」
溜息交じりの言葉。

何かあったの?
心の奥底に沈殿している悲しみや淋しさは、さながら今日の天気のようだ。
春とは名ばかりの灰色の空。これで雨でも降ろうものならさぞかし冷たい雨だろう。

「お前、覚えてないか?」
「へ?何のこと?俺が岩城さんとのことで忘れてることなんてあるわけな・・・ぃ」
とは言うものの、岩城の指す事柄に思い当たるフシがなく、語尾は少々怪しい。

「お前とあそこで花見・・・したことあるぞ?」
「・・・・・・へ?ウソ!?」
そんな大事な思い出だったら、忘れているはずがないのだ。
けれど、嘘の類など岩城の口から出るなんてことは今までに皆無。

「ま、忘れていたほうがいいような思い出だからな。」
言わなければよかったかな。というような少し困ったような岩城の顔。
それでも、やはりそう言われれば訊かずにいられないのは人の性。

「お前がAV撮り始めたばかりの頃だから、もう10年くらい前になるのかな?」
「え゛・・・そんなことあったっけ?」
話さなければよかったという岩城を問い詰めに問い詰め聞き出した。
傷つけないように細心の注意を払いながらだったから時間を要したが。


場所はTVに写っていたあの公園。
それでやっぱりその時の天気も今日のように曇っていたこと。肌寒かったこと。
何人かの男優と、監督スタッフ・・・そしてビデオ出演中の女の子たちをはべらせ
ちょっと周りの人も羨むような光景だったという。

そういわれてみればそんなこともあったような気がするのだ。
確かにその頃は毎年花見をしていたかもしれない。
が、今ひとつその光景と岩城の姿が合致しないのだ。
どんなに想像しても取って付けたような桜の背景にまるで合成写真のような岩城の姿。

「うう〜〜〜ん、ごめんなさい岩城さん。花見のことはぼんやーり思い出せるけれど、
 そこに岩城さんがいないよォ;」

下がり気味の目尻をより一層下げて、上目遣いに岩城を見た。
そんな香藤の髪の上に先ほどの本よりずっと軽く岩城が掌を置いた。

「“いない”というのはあながち間違いじゃないかもな。俺だって、あの時のお前を
 詳しく思い出せと言われても困るだろうし。」
けれど、ふたりが桜の下にいたのは過去の事実。
その岩城の姿を思い出せないのは非常に口惜しい。
否、もしかしたら思い出せない自分を気遣ってそう岩城が言っているのかもしれない。
はたまた、忘れていることをちょっぴり怒っている???

「ごめんなさい。降参です。でもちょっぴりでもいいから岩城さんが覚えてることを
 教えて?そうすれば俺も思い出すかも。」
何を謝っているんだか・・・と思うが、上目遣いの香藤の懇願には弱い。
故意に記憶の奥底にしまい込んでいたうちに、本当に忘れてしまった思い出の中でも
ぼんやりと覚えていることぐらいは目の前で耳を垂れさせた大型犬に言ってもいいの
かもしれない。
それに、話をするうちに曖昧な記憶が少しずつ確かになるということもあるだろう。

「そうだな・・・俺もいついつどうだったとかはうろ覚えなことばかりなんだが、
 最後に、AVの連中と行ったことはそれでもそこそこ覚えているぞ?」

『春抱き』の映画出演が決まり、その結果予定していたAVの仕事が随分と前倒しに
なった時期が丁度花見の時期と重なった。
そのため撮影を終えてから既に酒宴を始めている香藤たちの席に途中参加するような
形になったのだそうだ。

「まぁ考えてみればその時期以外だって、俺もお前も似たようなもんだったと思うぞ?
 ペーペーの時以外は大体いつも他の人間に場所取りもお膳立てもさせておいて・・・
 って感じだったし、下手するとそのまま俺だけ帰ってしまったこともあったしな。」
なるほど、今でもそうだがあまり人ごみが好きではない岩城なら、あまりそういう席に
長居していたとは思えない。

「それであの年は“このメンバーで飲むのは最後になるかもしれない“ってスタッフに
 言われて、撮影後に渋々行ったんだ。何かその時の設定だったサラリーマンのスーツ
 の格好で余計その場に不似合いで今でも覚えているって訳だ。」

確かに。夜ならいざ知らず、昼間にスーツ姿で花見。しかも回りは普段着なのだから
かなり浮いただろう。
それでも、端正な顔立ちに颯爽とスーツを着たこの男が傍らにいるのなら、その場所に
向かってくる間、一緒に撮影をしていた女優もこれ見よがしに腕を取り、身体を寄せて
歩いていたに違いない。
そう思うと、自分が彼の心も身体も綻ばせたと思っても、そして今時分になっても
チクリと胸が痛んだ。

「・・・・・ほうが・・・かも・・・・・・」

チクリと痛んだ胸を庇うように膝を丸めた香藤の姿を見れば、何を思って呟いたのかは
明白だった。

「お前のその時をあまり覚えていなくて残念な気がするよ。きっとその明るい色の
 髪が春の陽に映えて、きれいだっただろうな。でも・・・・・・・・・その髪に
 付く花びらにさえ嫉妬しそうだから、思い出させなくてもいいのかもな。」

その言葉に、冷たく曇りそうになっていた香藤の心へ柔らかい春の日差しが射した。
ならばすぐに復帰していつものような軽口も言えた。
「その頃の俺の目って曇ってたのかな?それこそ今日みたいに花曇りっての?」
腿に乗せられた頭をむっくりと起き上がらせ、きらきらと輝く褐色の瞳はそれだけで
岩城の心を温める。
「お前にしてはいい言葉知っているな。いいさ、今が晴れているなら・・・
 俺の心も・・・な・・・」

唇を寄せ合うふたり。
薄雲の切れ間から陽光が射してきた。





‘05.04.08.
ちづる




まだ互いのことを意識してなかった頃・・・
そんな頃が確かに存在するんですよね
一目惚れじゃ無かったのだから・・・
なんかその場面を考えるとしみじみと考えさせられますv
だからこそ、今・・・この瞬間が大切なものになるのでしょうね

ちづるさん、ありがとうございますv