愛しているとか、好きだとか。







たとえば、百人いれば、百通りの恋愛観があって。
すると当然、百の恋愛ドラマがあるわけで。
だから幾千、幾万の恋愛小説だって生まれる。
しかし、

―――そもそも、愛を表現する言葉が少なすぎるんだわ。

佐和は、イライラと爪を噛んだ。



あるテレビ局の、ティーラウンジ。
いつもは休憩中のスタッフで賑わうこの場所も、収録時間が重なっているのだろうか、
今は驚くほど人気がない。

窓際の一番奥に陣取って、佐和渚は、小さなパソコン画面を睨みつけていた。
彼女(彼)は、この局で毎週生放送されているワイドショーの、コメンテーターとしての
仕事を無事に終えたばかりだ。今日はもう、この局での仕事はなく、あとは、帰宅する
だけなのだが。

「帰れば帰ったで、待っているのは締め切りが迫っているのに手付かずのままの恋愛
小説が一本・・・・・・はぁあ〜・・・」

頭を抱えて、佐和がぼやく。
携帯用の小型パソコンは、真っ白い画面を映したままで小さくモーター音を鳴らし、
わきに置かれたコーヒーは、一口も飲まれることなくすっかり冷めていた。

「あぁ〜・・・、どこかに素敵なネタ、落ちてないかしら〜・・・・・・・」

佐和の本業は、あくまでも小説家である。
彼女は、物語の書き出しに詰まって、ぐずぐずとテレビ局に居座っていたのだ。
書きたい場面は、彼女の中にたくさんある。だが、これまで発表した作品はすでに両手の
指の数を超えていて。

「あのテーマもこのフレーズも、どこかで書いた気がする・・・はぁ・・・」

その愛の言葉も、この恋の表現も、どこかで使った気がする。
情景は違っていても、恋情を紡ぐ句が、もはや出尽くした感がある。

「なにか、もっとこう、ぐっとくる・・・・・・あぁもおっ!」

一声うなって、佐和はパソコンの電源をおとした。
ここで座り込んでいても、ヒラメキがやってこないのでは自宅にいるのと大差ない。
諦めの溜息を、力いっぱい吐きだして。
ちょっと場所を変えて気分転換しましょ、と立ち上がろうとした、その時、

「あ!」

佐和は視界の端に、一人の男性の後姿をとらえた。

関係者以外立ち入り禁止の一画。寒々しいまでに人気のない広いロビー。
高い天井に何本も突き刺さる太い支柱。その柔らかなカーブに寄り添うように見え隠れ
する、長身の影。
姿勢のよい端整な立ち姿と、シックな色合いのスーツ。そしてなにより、あの艶やかな
黒髪は、佐和の創作意欲をもっとも刺激するあの人物でしかありえない。

―――岩城くん! 岩城くんだわ! って、あぁ! 香藤くんもいる!! 
きゃぁあ、久しぶりだわ〜、二人一緒だなんて、なんてお得な光景なのかしら〜♪

目ざとい佐和でさえたった今、見つけたのだ。二人は、佐和の存在にまったく気づいて
いないようだ。ロビーに面しているものの、佐和はティーラウンジの奥まった場所に
陣取っていたため、お互い目に入らなかったのだろう。

岩城に声をかけようと、うきうきと腰を浮かせた佐和だったが、すぐに支柱の影に
立っていた香藤の姿も見つけて、慌てて椅子に身を沈めた。
ある確信が、あったので。

岩城京介と香藤洋二は、売れっ子俳優であり、恋人同士である。
そんな二人が、こんな時間にこんな場所で偶然に会った、とは考えにくい。

(逢引だわ! 逢引にちがいないわ! いや〜ん、逢引〜!!)

興奮を抑えつつ、佐和は旧知の二人に視線をあてたまま、がさがさとバッグから
デジカメを取り出した。こんなに距離があっては、二人の様子がよく見えない。
低い姿勢を保ったまま、佐和はテーブルに身を潜ませて、跳べないカエルのように
じりじりと横移動する。岩城と香藤、二人の姿がばっちり見える位置を確保して、
佐和はデジカメをかまえた。ズームを調節して、じっくりとその表情を観察する。

ブロンズ像のように容姿の整った男性が、二人。
それだけでも、「イイ男ウオッチャー」佐和のテンションはガンガン上がるというのに、
なにしろ、目の前にいるのは岩城と香藤である。己の行動の不気味さに思い至ること
なく、佐和は食い入るようにデジカメの画面を覗き込む。

男二人は、佐和に覗かれていることなどもちろん気づくことなく、見つめ合って
微笑みながら、会話を楽しんでいる。
話の内容は遠すぎて佐和には聞こえないが・・・、いや声量は、もとより二人の可聴
範囲であればよいのだろう。口の動きを見れば、岩城も香藤も、囁くように話している
のがわかる。その親密さに、佐和は我慢することなく、思いっきりニヤニヤと顔面に
笑みを貼付けながら二人を眺め続けた。

しかし・・・物足りない。
佐和は、人一人分、間を空けて立っている二人の距離をじれったく思い始めた。

岩城と香藤は、連れ添って早数年。佐和に言わせれば「いつまで新婚気取りなの
かしらv」なラブラブ・バカップルである。こんなに人気のない場所にいるのだから、
ハグとかキスとか、それはそれはもう、盛大にやっちゃいそうなものだが。

二人は、ただ楽しそうに語らっていた。

岩城は、支柱に背をあずけて腕を組んで。香藤は、岩城の正面に立って両手を
ポケットに突っ込んだまま。

その様子は、「恋人同士」というよりも、「仲のいい同業者」のそれで。

―――もう、香藤くんてば、せっかく誰もいないっていうのに、なに遠慮しちゃってるの
かしら。もっとガッと! いつもみたいに岩城くんをガバッとブチュッとやっちゃってっ!!

脳内で自分勝手に叫びつつ、佐和はデジカメを握り締めた。
何しろ今の佐和は、ネタに飢えた恋愛小説家。
そして目の前にいるのは、いつだって佐和の創作を超えるほどの愛情表現を見せ付けて
くれる天下御免の年中無休熱愛カップル。
なんならここでヤるとこまでやっちゃって!とばかりに、佐和が過度の期待(妄想・圧力・
毒テレパシー)をよせてしまうのも、しかたがない。
佐和がいま見たいのは、こんな程度じゃない。もっと激しく、もっと情熱的な恋人同士の
姿が見たい(そしてそれをネタにしたいv)のだ。

佐和はしゃがみこんで顎を椅子に乗せながら、デジカメを覗き込みつつ(キスしろ〜、キス
しろ〜、今すぐキスしろ〜)と二人に呪いを送り続ける。その耳に、ブブーッ、ブブーッ!と
携帯電話の振動音が届いた。
・・・鳴ったのは、香藤のケイタイらしい。
ポケットに手をあてて、それから腕時計を確認し。香藤が、天井に向かって溜息を吐いた。
岩城も苦笑を返し、柱から背中を離す。紅い唇が「じゃぁな」と動いた。
佐和はもう、がっくりと項垂れる。

(あぁぁ・・・そんなアッサリ・・・! 前はもっと、人前だろうとどこだろうと、暑苦しいくらい
イチャコラしてたくせに、すっかり落ち着いちゃって・・・!)

ギリギリ歯噛みしつつ、佐和は不満げに画面の中の二人を睨んだ。
・・・わかっている。八つ当たりだ。勝手に期待しておいて、勝手に裏切られた気分になって
いるだけだ。もはや、望むような「おアツい現場」はないと判ってはいたが、それでも目が
放せずに、佐和は二人を観察し続ける。

佐和の視線にとうとう気づかぬまま。
どうやら、時間いっぱいであるらしい。岩城と香藤は、名残惜しそうに微笑みあって・・・
すっと、香藤が岩城に手を伸ばした。

(えっ!?)

佐和の目が、画面の一点に釘付けになる。

香藤の指先が、岩城の首筋・・・襟の中に差し入れられたのだ。
白い項をくすぐるように蠢く、香藤の長い指。しかし岩城は、拒む素振りさえない。
くすくすと小さく笑いながら、香藤のするに任せている。
くすぐったそうに軽く背中をよじりつつも、微笑が消えることはなく。
細められる黒々とした瞳の、その温度・・・

(えぇっ! きゃあぁぁぁっ!!)

鼻息も荒く、佐和はデジカメに食いついた。
これはどう見てもラブシーンだ。ラブシーンの始まりだ。
最後の最後で、ついに佐和の念願が叶うのか? 香藤は、その手で岩城の首根っこを
つかんで、ガバッとディープなキッスをしてくれちゃうのだろうか!


―――だが、そうではなかった。


香藤は、指先にペンダントのコードをひっかけて、恋人の襟元から引き出した。
そのまま細い首に両腕をまわし、アクセサリーを取り外す。
ペンダントトップは佐和にはよく見えなかったが、長方形のものと、・・・指輪。

コードから指輪だけを抜いて、香藤は、再び岩城の首にペンダントをつけた。
一言二言、二人は小さく交わし。小さく笑い。
香藤の右手が、岩城の左手をそっと持ち上げる。

銀色の指輪を、ゆっくりとゆっくりと、白い人差し指にはめて。
香藤は満足げに、岩城の指先にキスをした―――


(――――っ!!)


その瞬間、佐和は、自分の頭に血液が集まってくる音を聞いた。
ボンッ!と火が出る勢いで赤面した佐和が、思わずデジカメを放って両手で頬を押さ
える。

(今のなに! なんなの今の!! もういやぁあああ!!)

椅子の下に蹲って、吐き出せない雄叫びを腹の中に押し込めて。
佐和は、全身を震わせて身悶える。

情熱的なキスシーンでは、なかった。
お国柄によっては、ほんの挨拶程度のことでしかない。
穏やかな、本当に穏やかなふれあい。

それでも、あの二人の、
交わる視線が、あふれる空気が―――・・・



「・・・はぁ、もう・・・ちっとも落ち着いてないのね・・・」

うっとりと前言撤回して、佐和は上気した頬を撫でながら深呼吸する。
脳に酸素が行き届いたところで、自分のはしたない格好にようやく気がついた。
慌てて立ち上がって、・・・佐和は、唖然とした。

誰もいないと思っていたロビーに、たくさんの人影。

さっきまでの佐和と同じように床に蹲って震えている者、顔面の筋肉が制御不能に
陥っている者、柱にすがって砕けた腰を支えている者、壁に向かって拳を叩きつけて
いる者・・・

・・・どうやら皆、「さっきのアレ」を目撃したらしい。

ロビーに人気がなかったのではなくて、岩城と香藤の様子を見たいがために、彼らは
あらゆる所に姿を潜めていたのだ。
そして今、見事に全員、真っ白な灰になっている・・・

「二人とも罪よねぇ・・・。ま、自業自得っていうべきかしら?」

自分のことはきれいにタナに上げて。
免疫力の差だろうか。誰よりも早く立ち直った佐和は、急いで席に戻ってパソコンを
バッグにしまった。

(香藤くんが岩城くんに堂々と指輪をはめたってことは、今日はもう、岩城くんはオフに
違いないわ)

冷静に頭を働かせて、佐和は冷え切ったコーヒーを飲み干した。
岩城の姿も香藤の姿も、ロビーにはもうない。
だが迷うことなく、佐和は急ぎ足で駐車場に通じる関係者通用口を目指す。
おそらく、岩城とはその近くで会えるはずだ。

(岩城くんをとっ捕まえて、さっきの話、たっぷり聞かせてもらいましょv)

香藤と向き合っていた岩城が、
何を聞き、何を言い、何を思い、何を感じたのか。

それは間違いなく、佐和が今日、ずっと求めていたものに違いない。

ちょっと急で強引なお願いではあるが、人のいい岩城は、たぶん応じてくれる。
香藤が仕事から帰ってくるまでなら、正直に答えてくれるはずだ。
照れながら、ぼそぼそと。半分、怒ったように困ったように。
語られる言葉は、きっと。

愛しているとか、好きだとか。






・ オワリ ・

 
牛馬   2007/01



・・・・・萌えました・・・・・v
途中の香藤くんの仕草から・・・それに応える岩城さんの様子に灰になってしまいました(笑)
素敵!素敵すぎ!私も柱の影で身を潜めたいです!
なんて格好いいのでしょう・・・ふたりの様子が目に浮かんできてとっても幸せな気分になりましたv
佐和さん・・・良い味出しています(o^^o)

牛馬さん、素敵なお話をありがとうございますv