ワン デスタニィ ヘリコプターが、夕闇に差し掛かった天空へ、岩城と香藤、そして金子を乗せて飛び立ったのは、眼 下に一面、白い雪に覆われた樹海を越えるためだった。 雪景色を必要とするコマーシャル撮影に、2人が金子や数人の撮影スタッフとともに、とある高原に 入ったのが、今朝の9時だった。 それから約半日を費やし、計画通りの肯定で撮影は終了した。 出発のため2機のヘリコプターが迎えに来ていたが、香藤の携帯電話が見当たらず、先にクルー達を 乗せたヘリが飛び立った後、30分ほど遅れての出発だった。 雪の季節は天候の変化が早い。夕闇とともに、瞬時に表情を変える。 ほんの30分の遅れ、だった、が、その30分が運命の分かれ道、となった。 飛び立った後、少しして操縦士が後ろの3人に声をかけた。 「少し吹雪いてきていますから、シートベルトをしっかりとしてください。左ドアには絶対に寄りか からないでください」 左側のドア、それは、乗る前に注意されていたことだった。 開閉の具合が甘くなっていて、ロックがしっかりとかからない、と。 香藤は、岩城と並んで座り、その後ろに金子が座っていた。 金子がカチャカチャと、自分のシートベルトの確認をしながら、「お2人とも、ちゃんと締めててく ださいよ」と、心配気に声をかけた。 香藤は自分のベルトをチェックしながら、横の岩城を確認した。 岩城は、シートベルトの金具部分を両手で持ち、左右から合わせようとしていた。 香藤が手を伸ばして、手伝おうとした、そのとき、ガクンと、機体が揺れた。 「ワッ!!」 香藤が声をあげて岩城の腕を掴み、差し込もうとしていた岩城のシートベルトの金具は、再び左右に 離れていった。 「ごめん、岩城さん、かして、俺がするから」 そう言って、香藤が再び腕を伸ばし、岩城の持っている金具を掴もうとした。 そのとき、機体が激しく揺れ、それは明らかに降下していることが、皆にも判った。 各々が驚愕の表情で何がしを口にしている中、操縦士が叫んできた。 「大丈夫ですっ!!風に圧されているだけですっ!!少し下降しますが、もち直しますからっ!!し っかり体を維持してくださいっ!!」 操縦士の言葉が終わるか終わらないかの、それは一瞬の出来事だった。 巨大な風力に圧されるような、不安定な動きとともに、ガクッと、大きく機体が傾いた。 その瞬間、岩城の体が滑るように椅子から左ドアに流れ、ドスンと、大きな音を立ててぶつかった、 と同時に、その岩城の体重に同調するように、ドアがズルッとスライドした。 強烈に流れ込む冷気と雪と風に煽られながら、何かを言わんと口を開いた岩城の眼の端が、斜めにな りながら、香藤を捕らえた。 香藤が「岩城さんっ!!!」と、手を伸ばし叫んだときは、既に岩城の体はドアから消えていた。 瞬時に、香藤は自分のシートベルトを外し、後ろにあったダウンコートを引き掴むと、半開きにスラ イドしているドアに体をすすめ、縁に片手をかけた。 香藤がしようとしていることを察し、金子が、「香藤さんっ!!」と、物凄い形相で叫んだ。 一瞬、振り返った香藤の髪が荒々しく舞い、冷気に曝された空気の中、香藤は大声で叫んだ。 「金子さんっ!!南へ向かうからっ!!必ず助けに来てっ!!」 叫び終わらぬうちに、香藤は自分の体を機体の外へと投げ出した。 そこには躊躇の欠片もなかく、香藤の消えた背中を、金子の叫び声が追っていた。 2人の体が機体から消えるまで、ものの1分かそこらの出来事だった。 金子は機内で、ただ操縦士に向かい叫んでいた。 「待ってくださいっ!!2人が落下しましたっ!!行かないでくださいっ!!」 「出来ませんっ!!ここから出ないと、この機自体、落ちますっ!!」 「しかしっ!!しかしっ!!2人がっ!!」 「一旦戻って、それから救助しますっ!!だから、今は諦めてくださいっ!!」 金子は叫びながら、窓から吹雪く視界の中を、恐れと祈りの気持ちと共に、ずっといつまでも見下ろ していた。 降下していた機体から地上まで、約10メートル・・・いや、15メートルだろうか・・・木々にか かりそうな程の位置だった・・・・降り積もった雪がクッションになり、無事かもしれない・・・い や、何とか無事であってもらわなければ・・・・。 今や、どれだけ機体が揺れ動こうが、金子の体は何も感じることなく、ただ、その胸に泣きそうなほ どの恐怖が押し迫っていた。 岩城がスライドしたドアから滑るように消えていく瞬間を、まさにコマ送りのシーンを見ているよう な正確な映像として、香藤の驚愕の瞳が捕らえていた。 岩城は、傾き落ちてゆく自分の体から右手を伸ばしていた。その手が掴もうとしていたものは、ドア でもなく、ベルトでもなく、ただ、自分に向かう香藤の右手、だった。 香藤が必死で伸ばした手は岩城の手をかすることもなく、10cm程の隙間を縫って相手を失った。 皮肉にも、香藤のしっかり装着できていたシートベルトが邪魔をした。 岩城の落下していく体、それが雪の上に落ちるまでの数秒の間、息が止まり、香藤は一呼吸も出来な いでいた。 まさに体中の血流が一瞬にして凍結した瞬間だった。 まんじりともせず、岩城の体が丸くなって白い雪に埋もれるのを、香藤は目の端で認めた。 確認した時には、香藤は既にシートベルトを外し終え、そのまま動きを止めることなく、片手はダウ ンコートに、もう一方の手はドアにかかっていた。 数秒も許されない僅かな猶予の中で、香藤の頭は焼き切れそうになりながら、それでも最低限必須事 項をたたき出していた。 岩城は1人ではこの雪を脱出できない、機体が向かっているのは南、そして方位磁石がダウンのポケ ットにある、と。 金子の叫びを背に機体を蹴り、体を外へ投げ出すと、ヒューっという風を切る音とともに、体が落下 していった。 手にしたダウンを瞬時に体の下へあて、そのまま、ボフッという音とともに、深い雪の中へ丸めた体 が、半身だけ埋まった。 予想したほどの衝撃はなかった。 香藤はすぐに体を起すと、周りを見渡した。 自分が落ちた位置の、いったいどちら側に岩城がいるのか、すぐには判断できなかった。 「岩城さんっ!!」 一声叫んで、膝下まで埋まる雪の中を、1歩、進んだ。 辺りは雪明りで、薄暗くなった中でも、全てを見渡すことが出来た。 相変わらず雪は吹雪いていた。上にいるときよりは、回りに立つ木々が邪魔をして多少穏やかではあ った、が、密集していない山林のため、平面が多く、それ程ともいえなかった。 もう1度「岩城さんっ!!」と、香藤が呼ぶと、小さく、「香藤」という声が返ってきた。 声のするほうへ、ざくざくと雪の中を歩きながら、香藤は、数メートル先にいる岩城を見つけること が出来た。 「岩城さんっ!!」 そう叫んで、香藤は雪の上で膝をついて起き上がっている岩城に抱きついた。 抱きついた勢いで、2人はドサッと雪へ重なり倒れこんだ。 慌てて香藤はその体を抱き起こした。 「岩城さんっ!!大丈夫だった?」 岩城の体から雪を払いながら確認する香藤へ、岩城は「ああ、大丈夫だ」と言い、「低い位置だった し、下が雪だったんで、助かった」と、答えた。 「良かった!!・・・本当に良かったよ!!」 「お前は・・・?シートベルトで大丈夫だ、と、思ってたのに・・・お前も落ちたんだな・・・ヘリ は大丈夫だったのか?金子さんは?」 「うん・・・ヘリは大丈夫、金子さんも・・・俺は・・・俺もシートベルトが外れちゃってさ・・・ 滑って落ちた」 「・・・そうか・・・」 「・・うん・・・」 それだけの会話を交わすと、2人は互いを見つめ、そして、周りを見回した。 相変わらず風と雪、そして夕闇だった。 そんな中でも救いといえば、雪の白さで視界は保てる、地面がフラットに近い、そして、2人が無事 で一緒に居る、ということだった。 香藤が先に口を開いた。 「岩城さん、とにかく南に向かおう、救助も南から入ってくる、きっと」 「何故だ?」 「ヘリは南にあるポートに向かってた。街は南だから」 「そうだな・・・」 そう言って、岩城は少し空を見上げた。 「確かに・・・・ヘリはもう飛べないだろう・・・」 有視界飛行という条件にくわえて悪天候が重なれば、今夜、もうヘリを飛ばすことは不可能だと、岩 城も思った。 空からの救助はない、となれば、明日を待つか、歩いて出るしかなかった。 岩城の考えていることを読みながら、香藤が言った。 「歩かなきゃ、2人とも凍死だよ、岩城さん」 その通りだと、岩城も思った。 「方向は大丈夫だから、安心して」 そう言った香藤は、ダウンのポケットからコンパスを出し、南を確認した。 「・・・!!お前・・・よく咄嗟にそんなもの・・・」 「でしょ!!ちょっと違うよねぇ、俺って、冴えてるって言うの?」 現場でスタッフが持っていたものを使って、遊んだままになっていたコンパス、だった。 笑いながら口にする香藤に、岩城も笑みを浮かべた。 「判った、とにかく、歩こう」 岩城は膝下まで埋まった足を抜き、歩き始めた。 それを見て、香藤もついて歩を進めた。 互いに置かれている事態がいかに深刻であるかは、推し量ることは出来なかった、が、互いが同じ運 命の中にいる、そのことが2人の気持ちに勇気を与えてた。 少し歩き出したとき、香藤がポツンと口にした。 「ごめん・・・岩城さん・・・俺が携帯なんかなくすから・・・」 横で岩城はクスッと笑った。 「そうだな・・・もっと携帯は大事にしてもらいたいな、特にっ!!お前のは」 「えっ?」 「お前の携帯に入ってる待ち受け、あんな画像見られたら、俺は生きていけないからな」 自分で口にして、岩城は再び肩を揺らしてクスクス笑った。 「あっ!それ、大丈夫、俺、ちゃんとロックしてるから!・・・って、何?そういう問題なわけ?」 「そう・・それだけの問題だ、気にするな」 岩城なりの慰め方に、香藤は小さく、「ありがと」と、呟いた。 話す2人の口に、容赦なく雪が入り込み、厳寒の中の積雪から足を抜きつつ歩く、それは30分もす れば、すぐに互いの息もあがり、1歩1歩の歩幅と速度も低下していった。 しかし、前へ進むしかなかった。 少しずつ口数も減り、1時間を過ぎたあたりでは、2人ともただ前に足を進めることだけ、しか出来 なくなっていた。 岩城が羽織っていたコートは、香藤のダウンに比べ、中綿が薄く、丈も短かった。 「・・・岩城さん・・・・コート・・・・替えよ・・・」 ハアハアと息をしながら、香藤が声をかけた。 岩城は、「大丈夫だ」と、ひと言だけ答えた。 判りきっていた答えだった。 「飛べないんですかっ!!」 「ええ・・・今夜はもう・・この天候で日も落ちましたから・・・しかし明日」 「明日なんて、そんな事っ!!困ります!!どうしても今日、捜索を出してくださいっ!!」 金子はポートに到着するや否や、必死の形相で、そこに集まっている操縦士、山岳警備隊を相手に戦 い叫んでいた。 明日などと言ってはいられない。 今、何とかして捜索を出してもらわなければ、命に関わる。 「責任問題、ですよっ!!そもそもドアが不備だった為に起こった事故、なんですっ!!判ってるん ですかっ!!」 「判っています、重々その点は、申し訳ないと」 「だったら直ぐに、捜索を始めてください!!」 「判ってください、飛ぶのは無理です」 「ヘリが飛べないなら、歩いて捜索に入ればいいでしょうっ!!香藤は南へ向かう、と言っていた、 だから、必ずこっちへ向かって歩いているはずですっ!!」 警備隊の人間達は、どうすべきか、判断を迷っていた。 そんな中、金子が叫んでいた。 「いいですっ!!もう、待っていられません、私に装備を貸してください、それと、道を指示してく ださい、1人で行きますからっ!!」 「金子さん!!」 それには、周りのスタッフも声をあげた。 そんな中、警備隊がやっと決断を出した。 「判りました。行きましょう」と。 そうやって、総勢9名の警備隊が、南から救助に入ったのは、香藤たちがヘリから消えて2時間が経 過した頃だった。 香藤が1歩をすすむ力に、岩城が追いつくことが難しくなり始めるのは、時間の問題だった。 香藤にさえこの過酷な状況は辛かった。 足は鉛のように重く、感覚の有無も定かではなく、1歩を踏み出すたび、100メートルを全力疾走 したかのような体力の消耗を感じた。 それでも香藤は岩城に並歩し、岩城の片足が雪から抜け、前に踏み出すのを待ちながら歩を進めた。 待機時間が徐々に長くなり、ついには足を抜こうとした岩城のその膝が、ガクッと折れた。 前につんのめる岩城の右腕を、香藤は咄嗟に掴み、抱き起こした。 その瞬間、「イッっ・・!」と、岩城のうめき声が口から飛び出した。 驚いた香藤は、その顔を覗き込み、「いっ・・わっき・・・さんっ・・!」と、叫んだ。 寒さに硬直した唇からは、なかなか言葉も出てはくれなかった。 横から見上げた岩城の表情は、苦痛に歪んでいた。 そして、おぼつかない唇が震えながら、「か・・と・・腕を・・・離して・・く・・」と訴えた。 香藤が解放した岩城のその右腕は、瞬時にして、だらんと下へ落ちた。 香藤の頭は直ぐに理解した、岩城は右腕を痛めている、と。 反対側に回り、香藤は左肩を抱えあげようとして、「こっ・・ちは?だい・・じょうぶっ・・?」と 訊いた。 1回、岩城の頭が頷いた。 「どうっ・・・してっ?・・・言わなっ・・・かった・・・のっ・・・!!落ちたっときっ!!・・ 痛めたっ・・・のっ?・・・肩っ・・・?腕っ・・・?折れてそうっ・・・なのっ・・?」 たて続けに訊いてくる香藤を振り向き、岩城は微かに笑った、ように見えた。 訊かれた事に答える気力もなかった、が、今ここで答えても意味も無いことだ、ということも知って いた。 香藤もそれ以上は追求しなかった。 先ほど、コートを交換しようと言ったとき、断った、それは、岩城の性格だと思っていた。 勿論それもあっただろう、が、それ以上の理由があったことを、香藤は今、知った。 岩城は、腕の故障を知らせぬために、断ったのだ。 多分、香藤が岩城を雪の中に見つけたとき、既にそのときから、かなり痛みはあったはずだった。し かし、そんな気配は微塵も感じられなかった。 なぜか香藤は言いようのない悲しみに襲われ、泣きそうな表情で岩城を見つめた。そんな香藤へ、大 丈夫だ、と、言いたかった岩城の口から出たものは、白い息と、だ、という単音だけだった。 岩城の白い肌は、透き通る程の青みに覆われていた。 落ちた肩を脇から抱え上げ、香藤はその体を起した。 軽いはずの岩城の体重は、倍にも感じられ、何とか自分で体を支えようとする岩城の努力は、殆ど助 けにはならなかった。 それでも香藤は何とか持ち上げ、その体を抱きこむようにして前へと次の1歩を踏み出した。 岩城の片足が、引かれるように前へ付いて半歩踏み出した。 「がんっ・・・・ばっ・・・って!!・・・・いっ・・・わ・・・きっ・・・さ・・・」 香藤の力だけではどうにもならない。 岩城にがんばってもらうしかなかった。 極限に置かれたとき人間が使える、気力、という奇跡の力を、ただ香藤は信じていた。 励ましの言葉を、途切れ途切れにも香藤は口にし続け、岩城のかかえ支えた体とともに前へ、前へと ひたすら進んだ。 自分の体さえ鉛のように感じられ、岩城を支えていなければ、とっくに放棄していた肉体だった。 2人の後ろには、真綿の雪面の中に、苦悩の残骸が1本の道となって残っていっていた。 香藤の横で荒い息を吐く岩城の口から、小さな言葉が漏れた。 「・・・・す・・まな・・い・・・かっ・・とう・・・」 「やめ・・・てっ・・・」 誤ってほしくなどなかった。絶対に。 岩城が謝るのなら、自分はいったいどれだけの謝罪の言葉をここで述べなければいけないのだろう。 今ここで岩城を救えなければ、自分をも救えないと同じだった。 そうやって不確かな速度の時間が1時間もたっただろうか。 ふらふらと蛇行しながら進む2人は、前方を見ているようで、ほとんど見れていなかった。 目の前に太い木がそびえている、それが判っていながら、疲労困憊の中にある互いの体は、それを避 けるための僅かな迂回さえも出来なかった。吸い込まれるように硬い木に当たり、ドン、という音と ともに上から積雪がドサドサっと落ち、雪をかぶりながら2人は動きを止めた。 ハアハアと苦しい息を吐きながら、当然のように、現れたすがれる物へ寄りすがった。 数秒して、岩城の体が、木を背にズルズルッと膝を折り落ちていった。 香藤もついて腰を落とし、一旦落としてしまった腰は、想像以上の安楽を2人に感じさせていた。 それはとても危険な感覚、でもあった。 小さく岩城が、かとう、と、呼んだ。 うん、と、言ったような口の動きとともに、香藤は岩城を振り見た。 岩城は目を閉じたまま、雪をかぶった睫が唇とともに微かに震えていた。 香藤はそのとき、何故か岩城が口にしようとしていることを、すぐに判ってしまった。そして、その 通りのことを岩城は言った、「先に行け」、と。 「行けるわけないじゃん・・」 短く香藤は答えた。 「・・・・いいから・・・行け・・」 「行かない」 押し問答を繰り返すだけの体力が互いになかったため、しばし沈黙した。 そして再び、岩城が口を開いた。 「・・・かとう・・・俺は・・・もう・・・これ以上・・・進めない・・・行って・・・救助を・・」 「だめっ!!・・行くよ・・・ほらっ・・・立ってっ!!」 そう言いつつ、香藤は岩城の脇に腕を差込み、引き上げた。 立つ気のない体は、より一層、重く感じられた。 「いわきっ・・・さんっ!!立つんだよっ!!ほらっ!!」 岩城の前から脇と腰に腕を回し、香藤は死に物狂いでその体を立たせようとした。 そのとき近づいた岩城の顔から、寒いはずの空気の中に、僅かな熱を感じた。 とっさに岩城の顔を香藤は両手で挟み込んだ。 激寒にいるとは思えない熱さだった。 「いわきっさんっ・・!!熱っ・・・すごいっ・・・熱・・・いつからっ・・・」 それには何も答えず、岩城は香藤の体を、弱弱しく片手で押し返した。 その手を握り、再び近づくと、もう1度、その手が香藤の胸を押した。 行け、と、岩城は無言で訴えていた。自分を置いて行け、と。 岩城はもう、腰を上げることは不可能だ、と、自分の中で答えを出していた。 体中の自分の感覚がどこにあるのか、寒いのか暑いのか、そんなことも判らず、ただ香藤に抱かれて 眠るベッドが恋しかった。 気弱な自分、情けない自分、踏ん張りきれない自分、そんな自分をどうにも出来ない、この故障を抱 えた自分の体さえも、岩城は恥じ、香藤に申し訳ないと感じた。 もう1歩、いや、せめて自分の力で起き上がることが出来れば・・・香藤の負担も少しは軽くなるだ ろうに・・・と、そんなことを朦朧とした頭で考えている岩城の横で、ドサッという音と同時に、「い いよ」、と言う、香藤の声がした。 岩城は横を見た。そこには、岩城の横について座っている香藤がいた。 驚きの表情で見つめる岩城に、香藤は穏やかな表情で言葉をかけた。 「・・・いいよ・・・もう・・歩かなくて・・・」 「・・えっ・・・・な・・」 「・・・俺、別に・・・いいよ・・・ここでこうやってても・・・」 「か・・とう・・・お前・・・何・・・言って・・・」 「・・・だから、いいって・・・・・もう歩かなくって・・・」 「いい・・・って?・・・お前はっ・・・どうして・・・お前がっ・・・・」 「俺・・・岩城さんとなら、別に・・・何にも怖くないし・・・ここでこうやってて・・・もし死んで も・・・・別にかまわない」 「なにっ・・・言ってる・・・死ぬ・・・なんてっ・・・」 「死ぬよ?岩城さん・・・ここに残ってたら・・・そんなこと、判って、俺に行けって・・・言ってん でしょ?」 「・・・・・・」 「俺が・・・行って・・・どうするのさ・・・1人だけ助かって・・・それこそ・・・死ぬ、以上に地 獄だよ・・・ありえない・・・そんなこと・・・」 「・・・・ちが・・・う・・・かとう・・・・」 「何が違うのさ・・・・違わないよ・・・・」 「・・・だめ・・だっ・・・」 「いいんだよ・・・・俺、ほんとに・・・ぜんぜん怖くないし・・・岩城さんと一緒に死んでも・・・ それも幸せ、だよ・・・」 「・・・かとうっ・・・だめだっ・・・たのむ・・・・」 「岩城さんが・・・・動かないなら・・・俺も動かない・・・・岩城さんが歩けば俺も歩く・・・それ だけ、だよ」 そう言って、香藤は岩城に笑みを向けた。 最後の賭け、だった。 岩城に、香藤の命に責任を感じてもらうしかない、香藤の命は自分のものと同じ列車に乗っているの だと・・・。 岩城は自分のためには歩かない、しかし、香藤のためになら歩こうとする・・・・。 たとえそれが岩城の体にとって、限界を遥かに超えた過酷な状態であると知っていても、今はどんな 手段を使ってでも、岩城に立ち上がる気力を持ってもらうしかなかった。 僅かな間を縫って、岩城の声が返ってきた。 「・・・・わかった・・・・悪いが・・・俺を・・・起こして・・・くれ・・・」 岩城の決断は早かった。 瞬時に香藤の胸には、一抹の感動と喜びがこみ上げた。 「ありがと・・・」 小さく答えた香藤は、岩城の体を脇から手を入れ持ち上げると、立たせる代わりに、そのままスライ ドさせて、自分の両足の上に乗せた。 「・・・?なに・・・し・・・てる・・?」 いぶかる岩城の足を折り曲げ、丸くなった岩城の凍えきった体すべてを、自分のダウンで両サイドか らくるみ抱いた。 そして、そっと岩城に告げた。 「・・・歩いて・・・くれる・・ご褒美・・・・5分だけ・・・ね・・・休憩・・・・」 今ほど岩城が愛しかったことがあるだろうか・・・・確かめるつもりなど毛頭ない問いかけ、だった が、そこに見たものは、岩城の自分への計り知れない想い、だった。 どれ程、この人が自分を大切に想ってくれているか・・・そのことが、今、香藤の胸に熱くこみ上げ ていた。 くるまれた体で、岩城は小刻みに震えていた。 香藤はその額に唇をつけると、そのまま目から鼻、頬、耳など、自分の舌でなぞり、付着した雪をぬ ぐっていった。 舌に触れる肌は熱く、くるまれた体は氷のように冷たかった。 「寝たらっ・・・・だめっ・・だよ・・・岩城さん・・」 香藤の声に岩城は微かに頷くしぐさを見せたが、以前、瞼は落ちたまま、だった。 こうやってこのまま2人で眠るように死んでもいい、と、疲れきった香藤の体と脳が、夢のように呼 びかけていた。 自分はいったい何のために、岩城を追って飛び降りたのか、岩城と共に死ぬためだったのか・・・い や、そうではない・・・岩城を救うために、共に生きるために追ったのだ・・・・。 まだ、したいことがある・・・・この人と一緒にしたいこと、一緒に見たい景色・・・まだ言えてい ないさまざまな事・・・聞きたいと思っていた事・・・・今感じること、10年後に感じること、そ して20年後・・・そのずっとずっと先まで、その歳になって感じられることがあるだろう・・・・ それを放棄などできない。 「・・・岩城・・・さん・・・」 香藤は小さく呼びかけた。 そして、岩城の唇にそっとキスをした。 互いの唇はガチガチと震えながら、乾ききった感触で不安定に触れあい、僅かに体を揺らした岩城は それでも与えられた香藤の唇を追いかけようとしていた。 香藤は硬く噛み合わさった歯の隙間から何とか舌を差込み、相手の舌を探り、絡ませた。 弱々しく重なり合う互いの唇が、眠りかけていた脳を僅かながらも刺激していった。 けっして強くはない、すぐに隙間を作ってしまうほどの行為だった。 それでも互いが懸命に相手を求め、さまよい、捕らえながら、触れ合おうとした。 それが唯一、眠りへの誘惑を妨げる手段だった。 最後に、香藤がその唇から離れ、小さく「愛してる・・・」、と囁いた。 続いて、「ごめん・・・岩城さん・・・歩くよ」、と、そう告げた香藤の声に、岩城が微かに頷いた。 香藤は、自分のダウンコートを、まず先に脱ぐと、次に岩城のコートを注意深く脱がせた。 もう、岩城は何も言わなかった。 自分の脱いだコートを岩城に着せると、自分は岩城の物を羽織った。 そうやって再び、岩城の脇に両手を差し込むと、ゆっくりと立ち上がらせた。 んんっ・・と、岩城は小さくうめき、木を背にしながら立ち上がった。 岩城の左肩を脇から抱きこみ支えながら、香藤は、短い道のりであってほしいと、そう願いながら、 生きるための1歩を踏み出した。 それから2人が、救助に入った人間たちと遭遇できたのは、およそ小1時間ほどしてからだった。 香藤に抱えられながら歩き始めた岩城は、香藤と共に帰る、という想いに突き動かされている以外、 ひとかけらの力も残ってはいない体、だった。 「・・・ほら・・・・いわき・・・さん・・・もう・・・1・・・歩・・・」 「・・・・きっと・・・・救助が・・・きてっ・・・くれてるから・・・」 「・・・そ・・う・・・足・・・前にっ・・・出して・・・」 岩城の息遣いが、ゼェゼェと、気管から濁った音声で吐き出されてくるのを耳にしながら、もし、岩 城がここで死んでしまうようなことがあったら・・・・もし、この人を失ってしまうようなことにな ったら・・・・と、香藤の胸には、岩城を励ます強気の心と、見えない先への不安が起こす弱気の心 が、行ったり来たりしていた。 自分への愛を担保にして、ぼろぎれのような岩城の体を、それでも前へ進めようとしている自分が、 ひどく残酷な人間に思えた。 「・・・ごめん・・・帰ったら・・・一杯・・・休ませ・・・たげるから・・・」 香藤は胸が焼けるような思いで告げていた。 歩を進めるだびに岩城の頭が揺れ、落ちた右手も揺れた。 雪を踏みしめる音と、互いの吐く息づかいに混ざって、岩城の、聞き逃しそうな微かな声がした、と 思った。 「・・・・あ・・ぃ・・・し・・・か・・と・・・」 それは岩城が呟く声だった。 耳に届く声に、香藤は、この場で岩城の体を抱きしめたまま、雪にその身を預けたい、岩城のかせを 解き楽にしてやりたい、と、その胸に、こらえきれない情愛と切なさがこみ上げていた。 思いのたけのすべてを香藤は必死でこらえながら、横の岩城に呼びかけた。 「・・・・俺も・・・・すご・・・くっ・・・愛し・・・てる・・・からっ・・・だから・・・がん ばって・・・・いわきっ・・・さん・・・」 半歩にも満たない歩幅を踏み出しながら、岩城が再び、うわごとのように呟いていた。 「・・・ぉ・・まぇ・・・・・・・最後・・・まで・・・迷・・・惑・・・・・」 「・・・最後っ・・・じゃ・・・ない・・・でしょっ・・・まだ・・・」 「・・・・し・・・しあ・・・・・・でぁ・・・え・・・・・・・幸せ」 「帰ったらっ!!・・・帰ってからっ・・・聞くっ・・・いくらでもっ・・・聞くからっ・・・」 こんな悲しいラブコールはいらない。 岩城が口にする、愛している、という言葉は、いつもキラキラと輝く幸せを運んでくる。 それを耳にするとき、どれほど幸せな気分に包まれるか・・・ 連れて帰る・・・絶対に・・・俺が見つけて俺が育てた幸せの種を・・・ もはや、岩城はもとより香藤さえ、正確な意識を自分が維持できているのかどうか、今、自分たちが 置かれている現実は、夢ではないのかとさえ、思えた。 白い雪が真綿のように感じられ、ここで倒れて寝てしまえば、どれ程に楽か、幻想の狭間で悪魔の誘 惑が頭にちらつき始めた頃だった。 香藤は、微かな声を聞いた。 それは、声なのか、風の音なのか、それともただ岩城の吐く息なのか、もうろうとした頭が模索しな がら、それでも次第にはっきりと耳に運ばれてくる、自分たちの名前を叫ぶ声を聞いていた。 香藤は、いわき・・・・さんっ・・・、と、呼びかけた。 岩城は何も答えなかった。 「い・・・いわき・・・さん・・・声・・・・呼んでる・・・・救・・・・救助・・・・」 もつれる声で、そう声をかけながら、香藤は、「ここっ!!・・・ここにっ!!」と、叫んだ、が、 叫んだつもりの声は、喉につかえ、かすれ声しか出ていなかった。 香藤はもう1度、「ここですっ!!ここにいますっ!!」と、声を振り絞って叫んだ。 遥か先に、白い雪に混ざって、ざわつく人影と、「いたぞっ!!」「こっちだっ!!」などを口々に 叫んでいる声を聞きながら、香藤は、「い・・わき・・・さん・・・救助・・・たす・・・助かった ・・よ・・・」と、呟き、その場で岩城と共に倒れこんだ。 救助の人間が、雪に埋もれながら倒れている2人の所まで到達した。そえぞれが口々に呼びかけ、状 態を確認し、2人の体を、タンカを広げて持ち上げようとしていた。 1人は無線で、「無事っ!!確保っ!!無事確保しました!!」と、マイクを握り締めながら、吹き つける風雪の中で叫んでいた。 自分を上から覗き込んでいる救助の人間を、幻を見るかのような目線で捉えていた香藤は、震える声 で、「・・・い・・いわ・・き・・・さん・・・み・・・右手が・・・熱・・・・熱も・・・」と、 それだけ訴えると、眠るように意識を失った。 香藤の体力も、とうに限界を越えていた。 無線で2人が無事救助されたことを知らされた金子は、その場で机に突っ伏して、声を押し殺して泣 いた。 自分がどれほど香藤の、そして岩城のそばで仕事をすることに幸せを感じていたのかを、思い知った 瞬間でもあった。 病院に収容された2人のうち、香藤は1日ベッドで眠っていたが、2日目には起き上がれる状態に回 復した、が、岩城は丸3日間、眠り続けた。 右腕は肩の骨が折れていた。 高熱が2日間続き、3日目にやっと微熱に下がった。 処置を施されている間、岩城は死んだように眠り続け、2日目に回復していた香藤が、ずっと傍に付 き添っていた。 自分もまだ養生が必要な体と、周りに言われながら、そんなことを聞く香藤であるはずがなかった。 岩城が目を覚ましたとき、最初に見た香藤の顔は、岩城が夢の中で追いかけていた顔と同じだった。 3日目の午後を回った時刻、丁度検診を終えた医師が部屋を後にした直後だった。 香藤はすぐに医師を呼び戻すためにブザーを押した。 まだ覚醒半ばの岩城の手を握りながら、「よかった・・・岩城さん・・・目が覚めたんだね・・・よ かったよ・・・ほんとによかった・・・」と、香藤は涙を浮かべながら語りかけていた。 はっきりとしない表情で、それでも岩城は、懸命に笑いかけようと、顔を動かし、握られた手に僅か ながら力を込めた。 そんな岩城に、「うん・・・うん・・・」と、ただ頷くだけの香藤だった。 再び目覚め、自分を判ってくれている、自分の所へ帰ってきてくれた、それだけで充分だった。 その日の夕方になって、金子と清水が2人のところへ訪れた。 そのときは、岩城はもう意識ははっきりとしていた。 ベッドで横になったまま、2人を見上げた岩城は、「心配をかけてしまって・・・」と、そんなこと を弱い口調で口にしていたが、2人とも聞き流していた。 香藤はただ、柔らかな表情でそんな岩城を横で見つめていた。 2人が助かったことへの喜びを口にしながら、金子が、「本当に、あの時はどうしようかと・・・・ もう・・・思い出しても怖いですよ・・・。岩城さんが落ちて、わっ!!って思っていたら、今度は 香藤さんが」と、そこまで口にしたとき、その話の流れに香藤がさりげなく割って入った。 「そうそう、俺まで一緒に落ちちゃうんだからさ、金子さんも真っ青、だったよね」 そう言って、僅かに視線を金子に向けた、その香藤の目が訴えるものを、金子はすぐに察知した。 そして、続く言葉をこう切り替えた、「そうなんですよ、もう・・・・2人一緒に落ちるなんて、あ りえません!!」と。 皆を見上げていた岩城が、小さく口を開いた。 「・・・ほんとに・・・俺も・・・香藤は大丈夫かと・・・シートベルトも・・・」 「岩城さん、ほら、もうあんまりしゃべらないほうがいいよ、今日目が覚めたばっか、なんだから、 一寸寝たら?俺はここにいるから」 そう優しく声をかけられ、岩城も、そうだな、とつぶやいて、ゆっくり目を閉じた。 ベッドで眠る自分は、嘘のようでもあり、香藤が傍にいることは、何よりも安心できることでもあっ た。 目を閉じれば、完全には回復していない岩城の体に、即効で眠りが訪れた。 それを確認した香藤は、金子たちを連れ、外に出た。 フロアーの椅子に腰を下ろし、香藤は告げた。 「2人に言っておかなければいけないことが・・・・俺は、・・・俺もヘリからは落ちたことにし ておいてほしいんだ」 清水は少し驚き、金子はすでに判っていた、という表情をした。 そんな2人に、香藤はゆっくりと言葉を続けた。 「・・・岩城さんには、俺もシートベルトが外れて落ちた、と、言ってあるから・・だから・・・そ ういうことにしてほしい」 そこまで聞いて、清水がゆっくり口を開いた。 「香藤さん、でも、それは・・・・いずれ判ってしまうこと、ではないでしょうか・・・。飛行会社 の不備を問えば、その点に焦点が及ぶのは必須、ですから・・・」 「うん・・・判ってる・・・だから・・・今回のこと、責任問題は一切、問わないでほしい」 「ええっ?」 それには金子も声を上げていた。 「でも、香藤さん、それは・・・これだけのことが起こって、こうむった迷惑は命に関わったわけな んですから・・・」 金子は、先ほど、香藤が言葉をさえぎったのは、あくまで今現段階の、岩城の体が回復していない、 という状況においての心配り、とばかり考えていた。 香藤は、うん・・・、と、一言返事をし、一寸考えて、再び口を開いた。 「・・・・確かに・・・命に関わる大事だった・・・1歩間違えばどうなっていたか・・・俺は岩城 さんを失っていたかもしれない・・・・でも、戻った、無事に・・・それでいいんだ」 「でも・・・」 「事務所が被害をこうむったと・・・それは重々理解して・・・その上で、2人に上と話をしてもら えれば・・・・このことで受けた損失は、必ず、俺たち、埋めるから・・」 金子と清水は互いに顔を見合わせ、どうしたものかと判断を迷っていた。 そんな2人に、香藤は、話さずには理解を得られないと判断し、説得するための必要な言葉を、迷い ながらとつとつと口にし始めた。 「ごめん、清水さんも金子さんも・・・困るよね、でも・・・岩城さんに、これ以上、負担をかけた くない、それだけだから・・・理由は・・・」 「負担・・・・ですか?」 「もう・・・ああいった性格の人だから・・・それはしょうがないんだけど・・・雪の中で生きるか 死ぬかって時に、絶対的に自分の非を優先して考える・・・もともと俺のせいでヘリに乗り遅れたの が悪いのに・・・そんなことは全部放っぽって、歩けない自分を責める・・・俺に支えられなきゃ歩 けない自分を・・・・・で、挙句の果てには・・・・自分を置いて先に行け、って言う・・・・判っ てたんだけどさ・・・思考回路が・・・・もう・・・参るよ・・・俺・・・・」 途切れがちに言葉を繋ぐ香藤を、2人は黙って見ていた。 どれだけ投げやりな口調で話されても、香藤が胸に感じている切ない想いが、手に取るように理解で きた。 「・・・・そんな岩城さんが、だよ?実は俺は落ちたんじゃなくて、岩城さんを追いかけて自分から 飛び降りたって・・・そんなこと知ったらさ・・・どう?もう立ち直れないよ・・・あの人」 「・・・香藤さん・・・・」 うつむいたまましゃべる香藤の声が微かに震えていた。 瞼から鼻筋を伝って、ポタリと雫がひざへ落下した。 「俺は・・・追いかけたくて追いかけてる・・・・支えたくて支えてる・・・そうしなきゃ・・・生 きていけないってこと・・・いい加減判ってほしいよ・・・ほんとっ・・・」 言葉を吐き捨てた香藤の耳に、岩城の声が響いていた、『ただ支えられるだけ、では、生きていけな い』、と・・・・。 香藤が岩城を守りたい、と思うと同じ程、岩城も感じている、香藤が生きる力になりたいと・・。 そんな岩城を愛してやまない自分を知っている。 男の岩城を愛すると決めたときから、共生するスタンスが必要だと、重々判っている。 判っていながら、しかし支えたい、守りたい、という願いは、香藤の中から消えることはなかった。 金子と清水に了解を得た香藤は、その足で、岩城の待つ病室へと戻った。 眠る岩城の手をそっと握りながら、香藤はそうやって、何時間も、岩城が目覚めるまで静かにその顔 を見下ろしていた。 自分に守られたなどと、感じてもらいたいわけではない、が、今、目の前に岩城の寝顔を見ることが 出来る幸せくらいは、伝えてもいいかもしれない。 「・・・でもね・・それでも俺は守りたいんだよ・・・岩城さん・・・」 胸で香藤は呟いていた。 そうだな・・・ 岩城の見えぬ声が再び香藤に声をかけた、そんなお前を、俺は知っている、と・・・・。知りすぎて いるから、怖い・・・と。 あの時、あの厳寒の積雪の中で、震えながら求め合った唇。 互いが、それぞれに、生きなければと、切実に願った。 それは自分のためにではなく、相手のために・・・そして、相手のため、は、そのまま自分のためで もある・・・歩む道が決して二手に分かれることはないと、2人ともが判っていた。 それを知るだけの、充分な道のりを互いに歩いてきたはずだと、過去の歴史が教えていた。 2007.09 比類 真 |
もう途中から涙、涙で・・・
自分の命を盾に無理にでも岩城さんを歩かせようとする香藤くんに
そしてそれに懸命に応えようとする岩城さんに・・・胸が締め付けられる思いでした
共に並んで歩いていくと決めているけれど、守りたいという気持ちはある・・・
極限状態のその思いにも・・・
またふたりが助かった時の金子さんの描写にも涙してしまいました
比類さん、素敵なお話をありがとうございます