ノーマル ポジション











『自信を持って服を脱げますか?』

『その服を綺麗に着れますか?』



全国展開をしている、国内随一のスポーツクラブ「トップワークス」が、毎年打ち出すコマーシャル

テーマは、そのたびに話題に上り、テレビ、雑誌、ポスター等の広い広告分野で高い注目度を保っていた。

その「トップワークス」の今年のコマーシャルテーマが、これだった。

既に前半期で2パターン、女性仕様のものが放映されていて、かなりの話題を呼んでいた。

当初から、前期は女性、後期は男性仕様のコマーシャル、と決まっていた。

その後期1本目のテーマ『自信を持って服を脱げますか?』のモデルに、香藤洋二が決定していた。

どちらも、モデルがひとりしか登場しない設定で、『自信を持って服を脱げますか?』のほうは、そのモデルが着ている服を、

サイドから現れる手が、脱がしていく、また逆に、『その服を綺麗に着れますか?』のほうは、服を着せられていく、という、

パターンだった。画面にはそのモデルと、両手、しか映らない。

女性仕様のほうは、手は男性だった。勿論、今回の香藤の場合、現れる手は女性である。

その香藤のコマーシャルの撮りが始まる頃、次の、服を着る仕様の男性モデルを岩城京介では、という、

もっともらしい声が、関係者の中で発せられ始めた。

密かに胸の中では、既に香藤洋二、という設定が決定された段階で、皆の中にあった存在だった。

そして、それはすんなりと決定を見た。

その決定が、後になって、スタッフの予想外の所で、思わぬ反応に対応することになる、とは、今はまだ、誰も知らなかった。







その日、岩城はひとつの仕事が終わり、あるテレビ局を後にしようとしていた。

その後ろから、見覚えのあるスタッフに呼び止められた。

「トップワークス」の仕事の打ち合わせで、何度か顔を合せた撮影チームのひとりだと、直ぐ気がついて、笑顔を向けた。

彼は岩城に1枚のディスクを手渡しながら、今日上がった香藤のコマーシャルだ、と、言った。

香藤に渡すつもりが、岩城に会ったので、預けていいか、との事だった。勿論、問題はなかった。

気軽に預かり、家に持ち帰った。

岩城は帰宅すると居間に入り、CDを取り出した。ひとりで観ようか、それとも香藤が帰宅するのを待とうか、と、

考えていると、玄関から香藤が帰宅した声がしたので、CDはテーブルに置き、とりあえず、迎えに出た。

「おかえり」と、笑顔で迎える岩城に、ただいま、と同じく笑顔で答える香藤だった。

2人で居間へ入ると、香藤が直ぐに、テーブルの上にあるCDに気がついた。

「これは?」

手にとって訊く香藤へ、「ああ、それは・・」と、今日、預かった経緯を岩城は説明した。

「ああそうなんだ・・」と、CDを手に、そう口にすると、「着替えてこようかな・・岩城さん、着替えは?」と、香藤は訊いてきた。

いつもなら、率先して観ようと言いそうな香藤に、「どうした?観ないのか?」と、岩城は訊いた。

香藤は体を戸口に向けながら、「うん、でもまず、着替えてからにしようよ」と、言った。

そうだな、と、岩城はその言葉に従った。

そうやって2人で2階に上がり、岩城は、仕事のまま着て帰ったスーツを脱ぎ、楽なものへと着替えた。

しかし、香藤は、といえば、別に着替える必要もない服装で、そのまま岩城の着替えを手伝っていた。

「なんだ、お前は着替えないのか?」

そう岩城が訊くと、「うん。もういいや」と、言った。

何処となく、釈然としない香藤のムードを感じつつ、岩城は階下へ降りた。

再び居間へ戻った香藤は、「じゃ、晩御飯、作るね」と言い、キッチンへ消えようとした。

えっ?と、岩城は振り返り、「観ないのか?これ」と、手にしたCDを示した。

キッチンに入りながら、「うん、晩御飯、作ったらね」と言う香藤の声が返ってきた。

岩城はソファーで、少しの間考えると、キッチンに響く大きな声で言った。

「そうか。じゃあ、俺が先に観させてもらう」

途端に、ばたばたと大きな音を立てて、香藤が岩城の元へ走ってきた。

「なんだ、いいぞ、お前は、料理してても、俺がひとりで観るから」

そう言う岩城の眼は、少し笑っていた。

岩城の右手にあるCDを咄嗟に掴み取ろうと、香藤が手を伸ばした、が、ヒョイと軽くかわされた。

香藤がぼそっと呟いた。

「・・・どうしても・・・観たい?」

「そりゃそうだろ、お前が出てるCMだからな」

「・・・・観ないほうが・・・・ぃぃ・・・と思うけど・・・」

「・・えっ?」

「だからっ!!今、観ないほうがいいっ!!って言ってるの!!」

「・・・・・・・どうして・・?」

「・・・・・・・・・・・」

「今、観なくったって、どうせ、テレビで流れだしたら、観るだろ?」

そう言いながら、すたすたとデッキへ向かい、CDを入れ、リモコンを手にソファーに戻ると、プレイボタンを押そうとする

岩城の手を、香藤が横に座り、上から押さえた。

「・・・・じゃあ・・・・いいよ・・・。でも、岩城さん、言っとくけど、これ、演技、だからね」

そんな事を言う香藤を見て、「・・・?なに言ってる、当たり前だろ、そんなこと」と、岩城は香藤の手をどけ、ボタンを押した。

数秒して、画像と音声がテレビ画面に流れ始めた。

始まって直ぐに、岩城の体に緊張感が生まれるのを、香藤は横で感じ、やっぱりだよなぁ・・・と、胸でひとりぼやいていた。

このCMを撮っている間中、このバージョンが、もし自分ではなく岩城だったら、かなり頭にくるかも・・・と、ずっと思っていた。

音楽をわざとなくした音のない世界で、実際の発生音のみにした演出画像は、よりリアルな仕上がりになっていた。

着衣の衣擦れの音と、手しか登場していない相手の、含み笑い。

ホテルの1室に入ってきた香藤がベッドサイドへ歩く、その体を女性の、淡いピンク色の爪に飾られたしなやかな手が止める。

そして、その手が、香藤の白いナイロントップのジッパーをジジッと音を立てて下げると、するりと腕から抜き取り、落とす。

続いて同じくホワイトシャツのボタンも外し始める。

シャツを肩から押し下げる手が、そこから現れる美しい肩を、さらりと撫でる。

香藤のあらわになった均整のとれた胸には、シルバーのチェーンネックレスが自然に光っている。

そうされながら、香藤は自分で、ジーンズのベルトを外し始める。

フフッ、と、軽やかな含み笑いが見えない相手から流れ、それに答えるように、香藤が、ニヤッと笑った、その笑顔は、

見る女性を虜にして離さない威力を見事に演じきっていた。

笑みを浮かべる香藤の髪に、女性の手が忍び込んだ、その瞬間、グイッと、その手に強い力で引き寄せられ、

香藤の体は倒れこむように上半身が消え、そのままジーンズが脱げかかっている足が投げ出され、直ぐに、

その足も引き込まれ画面から消えた。

引き込まれながら、画面に流れる、ベッドがきしむスプリング音とリネンの衣擦れの音、そして2人の小さな笑い声、

それらに重なって、最後にテロップが流れる。

『自信を持って服を脱げますか?ートップワークス』と。

30秒余りの映像が終わり、居間はやけにシンとしていた。

岩城の手からリモコンを取り、ストップボタンを押すと、香藤は「・・・あの・・終わったよ・・岩城さん・・・」と、

小さくお伺いをたててみた。

岩城は、やや体を揺らし、「あっ・・ああ・・」と、ひと言口にして、小さく咳払いをした後、「いい出来だな・・・とても」と口にした。

こういう場面で、香藤はいつも思う。

岩城にしてみれば、何変らぬ自分を演じきっているつもりだろう、が、岩城の動揺ほど、判りやすいものはない、と。

嘘がつけない性分が、顕著に現れる。

それに乗るべきか、暴くべきか・・・・。

今回の場合は、とりあえず、香藤は乗っておいた。

「そう?良かった!!じゃ、俺、ご飯作るね」

そう笑顔で口にして、香藤はキッチンへと姿を消した。ソファーを立つ前に、ちゃんと岩城の額にキスをするのも忘れなかった。

自分が愛しているのは、岩城だけだ、と、これから岩城に、十分に伝える時間が、もう少し欲しい。

そんな判りきったことでも、きちんと表現することが必要なときがある。

それが今回だ。



少しして、岩城が「手伝おうか?」と言って、キッチンを覗いた。

「あっ、ありがと。じゃ、これ切って・・・」と、剥いてある玉ねぎを香藤は岩城に渡しながら、そう言いかけ、咄嗟に

「・・・じゃなくて・・・えっと・・・じゃ、これ洗って」と、手にした玉ねぎを置き、今度はレタスを手渡そうとした。

「なんだ、玉ねぎくらい、俺だって切れる」

そう言って、香藤が置いた玉ねぎを手に、岩城は包丁を持った。

「・・・あ・・・そう・・だね・・じゃ、おねがい」

と、何処となく、心もとなげに口にした香藤は、自分の作業に戻った。

ザクッ、ザクッと、2度、包丁を下ろした岩城が、「つっぅ!」と、小さく声を上げた。

即座にそこに眼をやった香藤は、直ぐ岩城の手から包丁を取り、蛇口の水を出して、そこへ岩城の左手を掴み、

流れる水にかざした。

「痛い?」

そう訊いてくる香藤に、いや、ちょっとだから・・・、と、照れたように岩城は答えていた。

水から手を外して見ると、人差し指の先に一筋、切り傷が入っていた。

見る間に、新たな血がじわっと滲んできたその指を、香藤は口に入れると、弱く吸った。

「・・・もう・・・大丈夫だから・・」

そんな言葉を、もそっと、口にする岩城の体を引っ張って、「うん。でも、一応ちゃんとしとかなきゃ、ね」と、

香藤は居間のソファーまで連れて行き、軽く処置をした。

静かにされるままになっている岩城に処置を施しながら、香藤は思った。

やはり、やめさせればよかった・・・と。

気を取り直してキッチンに手伝うと言ってきた、そんな岩城に、瞬間、可愛い、と感じてしまい、嬉しさから頼んだ作業、

しかし香藤は直ぐに、今は慣れない包丁を持たせないほうがいいと判断した。

岩城が自分で考えているほど、混沌とした頭は回復していないはず、と、香藤が判断した岩城は、案の定、

上の空で指を切った。

全てを終えると、岩城がぼそっと、「悪かったな・・・手伝うつもりが、逆に手間を・・」と口に仕掛けたので、

その唇に、チュっと軽くキスをして、「いいの、いいの、そう言ってくれただけでも、俺、嬉しいから」、と、

笑顔で告げ、「じゃ、そこで休んでて、ねっ」と、香藤は再びキッチンに引っ込んだ。

背後から岩城の小さな溜息が追いかけてきた。





食事を終え、2人は一緒に風呂へ入った。

手を引っ張りながら、岩城の体を脱衣所へ押し込み、どうして・・・、と、はっきりとしない愚痴らしき言葉を漏らしている

岩城に、いいからいいから、と、香藤は半強制的に風呂場へ2人で入った。

洗い場に腰を下ろしている岩城の手からタオルを取り、「洗ったげる」と、香藤は、岩城の返事も待たずに、

勝手にその背中を洗い始めた。

濡れないように、左指を気にしながら洗う、そんな岩城だったので、ここまで入ってしまった今となっては、もう逆らわなかった。

それに、岩城は気がついてもいた。

香藤が、自分の今抱えている乱れた感情を、さりげなく修復しようと、努力してくれていることも。

所詮、ただの嫉妬に過ぎない。

あの、香藤にまとわりついていた綺麗な指が、とても滑らかで美しく、女性の指が触れる様が酷く心地よさそうな感触に

感じられ、その当たり前の姿に嫉妬する。

当たり前の関係の中にいる香藤は、とても魅力的に見えた。

向ける笑顔も仕草も、その全てが、見とれるほど素敵だった。

「岩城さん・・・俺、岩城さんがよかったな・・・」

ぼんやりと、体を洗われながらそんな事を考えていた岩城の後ろで、突然、香藤がそう言った。

「・・・えっ?なにが・・・?」

「今回のやつ・・・・俺を呼ぶ手が岩城さん・・・っていうのがよかったな・・俺」

「・・・・そんな事・・・・ありえないだろ」

「・・なんで?」

「なんで・・・って・・・、女性の手じゃなきゃ・・・駄目だろ・・・普通」

「誰が駄目なの?」

「・・・・スポンサーとか・・・・視聴者・・・とか・・・」

そう小さく呟いた岩城の体を洗い終えた香藤は、そうかな・・・・、と言いながら、バスタブに、再び岩城の手を引いて、

一緒に入った。

浴槽から出した岩城の左腕の下に、自分の腕を置きながら、ゆったりと香藤は、岩城の後ろにつかった。

少しして、また香藤が訊いてきた。

「なんで・・・駄目って思うの?」

岩城は少し黙っていた。

自分の考えていることが、上手く頭に構築できなかった。

そして、やっと口を開いた。

「・・・・普通・・・じゃないからだ・・・・・世間で考えられている普通の形は・・・・・・女性だろう・・・やっぱり・・」

「・・・・・・・俺にとっての普通は、岩城さんだよ・・・?」

「・・・・そうでも・・・・こんな公共性の高いものに・・・・」

「公共性・・?俺達、もうとっくに公共化しちゃってるじゃん」

それには何も答えず、岩城は、のぼせるぞ、と言い、バスタブから出た。

そんな岩城に、香藤も黙って一緒に出た。

少しずつ、岩城の頭にかかっている霧の根源が、香藤に見えてきていた。








「来て・・・岩城さん」

寝室に上がると、岩城の手を引いて、香藤は自分のベッドへ誘った。

僅かに腕に力が入り、香藤の顔を見つめた岩城が、かとう・・、と何かを言いかけた、が、続く言葉を飲み込んで、

誘われるままに岩城は香藤のベッドへと、体を横たえた。

その体を、香藤はゆっくりと腕に抱きこんだ。

体中で岩城を包みながら、香藤は言った。

「・・・俺は、岩城さんが女だったら、好きになってないよ、きっと」

少し岩城の肩が揺らいだ。

優しくその肩を香藤は抱きしめながら、言葉を続けた。

「・・・俺達って、もう、今じゃあ余り攻撃されることもなくなったし、結構夫婦だって、認めてももらってるかなって・・・

そう思うけど・・・・」

「そんな事は言ってない・・・俺は」

「いいから、聞いて」

香藤の手が静かに、岩城の髪をすいていた。

「俺はね・・・岩城さん・・・。どれだけ普通じゃないって、もし、世界中の人間が俺達に石を投げて非難しても、

俺にとっての普通は、岩城さんと生きてることなんだ、って、大声で叫べる」

「・・・・・かとう・・・」

「女性といる俺が、岩城さんはきっと・・・ちょっと・・・感じたんだよね・・・普通かなって」

岩城は胸の動悸が少し高鳴るのを感じていた。

いつからこんなに、俺の心の内を的確に理解するようになったんだ・・・、と、そう胸の中で呟いていた。

「・・・・それで、次に思ったんだよね・・・自分より綺麗かも・・・ってさ・・」

「・・・もういい・・・香藤」

小さな呟きが、腕の中から聞こえてきた。

「駄目だよ、ちゃんと、最後の俺の答えまで聞かなきゃ」

「・・・だから、もう聞かなくてもいい」

「じゃ、言ってみて、俺が言おうとしてること」

「・・・・・・・・・・」

岩城がそれを言えるわけがなかった。

そんな岩城の体を自分の体の下に引き込み、上から香藤は口づけた。最初は軽く、そして深く。

唇を離すと、岩城の顔を見下ろしながら、香藤が答えを送った。

「綺麗だよ・・・何よりも・・・・」

岩城の頬に朱が差し、僅かに目線が横を向いた。

頬に手を沿え、耳へと唇を這わせながら、さらに香藤は続けた。

「可愛い・・・・ほんとに可愛い・・・・」

「・・・もう・・・いいから・・」

相変わらず横を向いている岩城の体に、順次、愛撫を送りながら、その手が腿に入り込む瞬間、僅かな緊張が、

その体を支配するのを香藤は感じた。

ゆっくりと、腿からさらに奥深く手を這わすと、緊張が緩み、替わりに熱い吐息が岩城の口から吐き出されていった。

岩城の手は、自然に香藤の肩へ回され、しばらくすると、それは、香藤の髪の中を彷徨い始めた。

その岩城の指の感触を感じながら、香藤が呟いた。

「・・・好き・・・岩城さんの・・・この手の感触が・・・1番好き・・」

岩城の頭から霧が晴れ、無意識のうちに、「かとう・・・」と、名前を呼びながら、自分からキスを仕掛けていた。

抱くことが、抱かれることが、互いにとって、何よりも自然で普通だと、そう思える時間に、2人でゆっくりと入っていった。









「・・・・どうしましょうか・・」

CMデレクターが資料の山を前に、「トップワークス」の担当者に訊いてきた。

担当者は、「そうだなぁ・・・うちとしては、あり、なんだけど・・・世間的にどうなんだろう」と言った。

そして続けた。

「不快感、っていうものが出るのが1番怖いんだけど・・・不特定多数の眼を対称にしたときに、あくまでも健全なものである、

というのは、うちの1番の必須事項だから・・・」

「そうですよね・・・・それがどう写るか・・・」と、デレクターが迷いながら答えた。

「・・・ただ、そんな中にも、普通過ぎちゃ、面白くもないし・・・だから毎回、ぎりぎりのラインで露出してきたんだけど・・・」

会話が途切れ、互いに悩んでいた。

目の前の資料の山。

それは、香藤のCMが放映され始めてから、寄せられた声の数々だった。

そのどれも、表現の違いはあるにせよ、同じ事を訴えていた。

『画面の手は岩城がいい』もしくは、『岩城であるべき』という、見方を変えれば、それは、香藤を誘う女性の手に対する

嫉妬、のようなものだった。

妙な話だが、要は、皆、岩城の側に立ってものを言っている。

岩城で撮る予定のふたつ目のバージョンは、次週から製作が始まりコンテも既に出来上がっていた。

「・・・で、香藤くんの空きはどうなの?」

「あっ、それはまだ・・・」

「・・・そう・・・」

担当者は、しばし悩んだ後、こう告げた。

「うん。もし香藤くんがOKなら、いってみようよ、彼らで。2人なら、いい清潔感と色気が混ざって出そうな気がするし・・・

まっ、出るっていっても手だけ、だから・・・いいんじゃないかな、世の中が求めてるってことで」

デレクターはニコッと笑って、「そうですよね、じゃ、さっそく打診してみましょう」と言った。

もとより、デレクターとしては、この2人で撮りたい、と、頭に思い描いていて、トップワークスの承諾待ち、だっただけに、

心の中で密かに、やった、と歓喜の声を上げていた。







金子を通して、その日のうちに香藤にその話は伝わり、香藤は即座に承諾したい気持ちを抑えて、今夜岩城に話してから

返事をする、と、金子に答えた。

関係者から、事務的にこの話が岩城の耳に入る、それでは、きっと上手くいかない、と、香藤は思った。

帰宅した岩城と食事を終え、ゆったりとした時間を過ごす岩城を前に、香藤は、タイミングを見計らって、話しはじめた。

最初、岩城は黙っていた。

自分がこのオファーに対して、どう反応するべきかを悩んでいた。

すでに香藤のCMを眼にしているだけに、自分の感情が上手くコントロールできないでいた。どうなのか・・・・

あの映像を、2人で撮る、それがどう写るか・・・、判断に迷った。

しばらくして、岩城は口を開いた。

「・・・ちょっと・・・・どうなのか・・・判らないんだが・・・」

あの映像から漂う濃厚なインパクト。ジゴロのときとは違う、背後にセックスを思わせる設定、それを香藤と撮る。

茶の間に放出される私生活。

岩城は迷っていた。

「どうして、判らないの?」

香藤が訊いてきた。

「いや・・お前と撮って、どう写るか・・・あの設定で・・・」

そう言いながら、再び混迷した表情を浮かべる岩城だった。

そんな岩城へ、香藤がひと言、口にした。

「・・・女だったら、いいの?」

岩城は瞬間、香藤の眼を見た。そんな岩城へ、香藤はさらに続けた。

「相手が女だったら、安心して、撮れるの?」

「いや・・・ちがう・・・そうじゃなく・・・」

言葉に詰まる岩城に、ふっと笑いかけて、香藤は岩城の体を引き寄せた。

「撮るよ、俺、絶対に。愛し合ってる者同士が、写る映像、それが1番、普通、なんだ」

そう言って、香藤は一層強く、岩城の体を抱きしめた。

「俺の相手が女だった、だから、岩城さんはその設定に、ドキドキしたんだ。あの手が岩城さんだったほうが、

よっぽど普通だよ、俺達が観ても・・・・そして、世間の人間が観ても・・・」

「・・そんなこと・・・」

香藤は、岩城の肩を掴み、引き離すと、その眼を見つめながら、ある意味、挑戦的ともいえる目線で答えた。

「それを、証明したげる、絶対に。どれ程、俺達がもう、普通になってるか」

そんな強気の香藤を前に、岩城の気持ちも変化していった。逃げても仕方がない、と。

時間を待てば変る環境ではない。これからずっと、多分死ぬまで、この環境を生き続ける。

きっと普通ではない、が、自分達には、これが普通である、という、香藤と同じ思い。

大声で叫ぶ必要もないが、逃げる必要もない。

それに、自分には香藤という、強い味方がいる。

岩城はニコッと笑い、「そうだな。じゃ、証明してもらうか」と、口にした。








撮影の日の朝、朝食をとるために、テーブルに座った岩城のそばで、香藤がコーヒーポットを持ってカップに注ぎ始めた。

ありがとう、と、口にする岩城の前に、香藤はおもむろに自分の左手を差し出した。

その薬指には、結婚指輪が光っていた。

驚いて見上げる岩城に、香藤は笑いながら、「今日の撮影、岩城さんも、してきて、指輪」、と、言った。

何も答えず俯く岩城の頬に、軽くキスをしながら、「必ず・・・ね」と、念を押した。

僅かに先に家を出た香藤を見送った後、ひとりになった岩城は、少し考え、指輪をはめた。

薬指に指輪をした手、それはすなわち、画面に現れる顔のない手に、記名性を持たせることになる。

香藤がそれを望む意味は、十分判っていた。






その日の午後、2人はセットの中でスタンバイをしていた。

こげ茶のウールパンツに留めていないベルト、上半身は裸という姿で立っている岩城に、ヘアメイクが寄り、

岩城の髪を少し乱した。ベルトのバックルを留める、トップを着せる、そして、その岩城の乱れた髪を直す、

それらは全て香藤の役目だった。

香藤は、ジーンズにタンクトップだった。

金子も清水も、2人のそれぞれの指に光るリングを、直ぐにその日、眼で確認していた、が、どちらも何も訊かなかった。

2人がそう決めているのなら、それでいい、と思っていた。また、これがマイナスではなく、必ずプラス展開になる、と、

金子も清水も同じ判断をした。




「じゃあ行きます」

スタートと共に、岩城はシーツのめくれているベッドの縁に腰を下ろした。そして、手にソックスを持った。

後ろで、香藤が、背中から岩城に着せるシャツを手にスタンバイした。

無言のスタートが切られ、膝を折り靴下を履く岩城の裸の背に、香藤の手が、白のシャツを重ねた。

靴下を履き終わった岩城は、そのシャツに手を通そうとする。

それを助けながら、背後からの手が、岩城の体を裏返す。岩城がゆっくりと腰をベッドから上げる。

向かい合った手がシャツのボタンを留める。

岩城は続いて袖口のボタンを留め始め、香藤は、シャツの裾をパンツに入れる。そして、ベルトのバックルを留める。

ラフな薄茶のウールセーターが、香藤の手で岩城の頭からかぶせられ、引き下ろし、頭が抜けた岩城は少し髪を整え、

じゃあ、と、無言で目線を送り、そこから出て行く。

後ろで手が振られる。

髪を整えるのは、香藤の役割だった、が、岩城は自分で整えてしまった。

誰もが一抹の不満を抱える出来だった。

香藤自身も、これは駄目だ、と、感じていた。

その皆の思いを代弁するように、デレクターがひと言口にした。

「ちょっと、堅いなぁ・・・」

堅い、それは、勿論、岩城を指していることは明らかだった。画面には、岩城以外は、両手、しか登場していない。

「岩城くん・・・普通でいいんだよ、普通で・・・そんな、緊張しなくても」

「はい・・・すみません・・・」

それだけ答えると、岩城は少し俯いた。俯いた頭には、デレクターが口にした「普通」という言葉がこだましていた。

普通、それが、1番難しい。特に岩城にとってはそうである、と、香藤は思った。

「じゃ、もう1度」

そう号令が響き、再度、フィルムが回された

今度は、岩城の表情も、それなりの甘さの漂うムードになっていた。仕草も自然に、画面に現れる手に沿っている、

そう見えた。

撮り終えたデレクターも、「うん、いいね。綺麗に撮れてるよ、凄く」と、満足の声を上げていた。

そんな中、香藤がひと言、声を上げた。

「あの・・・すみません、もう1度、お願いします」

「うん、もう1度、撮ろう」

香藤の提案に、いつの間にかスタジオに顔を見せていた、トップワークスの担当者が、そう同調の声をかけた。

岩城は黙っていた。黙って、香藤の思いを読んでいた。

相手の手が香藤である、ということを、意識せずに自然に振舞っている、そのつもりだった。

香藤が納得できない、それは、多分、自分では見えない、第3者として見た感じが、そうさせていると思った。

そして、そこにトップワークスの人間が同調した、ということは、自分は満足のいく演技が出来ていないのだろう、と、

岩城は判断するしかなかった。

では、どこが、どういう風に、なのか。それが難しかった。

求められていること、それを、言葉で理解したかった。

そんな事を考えている岩城に、トップワークスの担当者の声が響いてきた。

「岩城くんが綺麗だっていうこと、そんなことは、皆知ってる。それだけなら、無理に相手は香藤くんじゃなくても、

いいわけだから。こちらが求めているのは・・・・・そうだな・・・どう言えばいいか・・・」

皆、シンとして、次の言葉を待っていた。

少しして、再び言葉が続けられた。

「なんというか・・・・画面の向こうで観る側が、見えぬ相手が香藤くんだ、という確信を持って、観る。

そこで初めて、その動作に心の温まる美しさが出る。結婚している2人だから、同性でも決していやらしさのない

色気が出る。また、そうじゃなきゃ困るわけだよ、ある意味、かなりの冒険をしてるんだから。それには、岩城くんが、

その他人行儀な顔を止めてもらわなきゃ」

他人行儀・・・・、岩城の心臓に強く響いてきた言葉が、同じく香藤にも響いていた。

香藤が感じていたこと、何故、これでは駄目だ、と思ったか。

それは、先までの岩城は、緊張している、と言うよりは、全く見知らぬ相手に服を着せられている、

そんなムードが漂うものだった。それならば、わざわざ、相手を香藤にする必要はない。

香藤が感じた同じことを、このスポンサーである担当者は思っていた。

スポンサーの意向と自分の思いが、同じ方向に向いている、そのことを知り、香藤はある警戒心が解けた。

「少し・・・好きにさせてもらっていいですか?」

香藤がひと言口にした。

岩城は香藤を見た。勿論、他の皆も見ていた。

「・・いえ・・・その・・むちゃくちゃ自由に・・・って、言ってる訳じゃないんですが・・・ちょっとだけこちらの・・」

「いいよ、好きにして」

香藤の言葉を切って、担当者が答えた。そして、ニヤッと笑った。

互いが互いの頭の中を知っていると、そう言っている笑いだった。

「じゃあ、もう1度」

と、デレクターが声を上げかけると、岩城の、「ちょっと、待ってください」と言う声が、割って入ってきた。

「どうしたの?岩城くん」

そうデレクターに訊かれ、岩城は、やや言葉に詰まった。しかし、待てと言ったからには、言うしかなかった。

「・・・いえ、あの・・・求められていることが・・・ちょっと自分の頭で、まだはっきりしないと言うか・・・

少し考える時間を・・」

「考えないほうがいい」

再び、担当者が、言いよどむ岩城に言い切った。

えっ、っと、顔を向ける岩城に、「君は、考えないほうが、いい。下手に考えて、余計がんじがらめになるだけだよ、

どう振舞うべきか、っていうことに・・・・真面目な君は、ちょっと脇に置いといて、

今日はなるようになるって、思ってみたら?ねっ?」と言い、笑顔を向けた。

「・・・そう・・ですか・・」

やや不安げな岩城は、担当者を見て、そして次に、チラと香藤に眼をやった。

香藤は何も言わずに、ただ微笑んでいた。

どうしてお前は笑顔でいられるんだ、と、そんな思いを頭に浮かべた岩城に、それ以上の猶予は与えられなかった。

「はい。撮るよ」

そう担当者が声をかけ、その声でデレクターが、「じゃ、いきます。スタンバイお願いします」と、号令をかけた。

岩城は、頭を切替ながら、再びベッドのそばへ行き、腰を下ろした。

その岩城の背中から、香藤の、甘くささやく声が響いてきた、「何も考えないで、俺だけ見て、俺のことだけ考えて」、と。

靴下を手にし、かがみかけていた岩城の心臓が、ドクンと鳴った。

その瞬間、スタートサインが切られた。

岩城の背に、ふわりとシャツが被さってきた。




そこから終了までの30秒余りは、岩城にとって、不安定に体を揺さぶられながら、まさに、全く足が地に着かないまま

迎えたような時空だった。

担当者が、そして香藤が言ったとおり、見事に何も考えていなかった。

何も考えず、自分がどう映っているのかさえも考えられずに迎えた終了の声は、拍手と皆の満足感、驚愕に彩られた

感嘆の声の集合、だった。

その中で、香藤が、始まりと同じように微笑んで自分を見ていた。

そうか、とにかく満足のいく出来が撮れたんだ、と、ただそれだけを、岩城は知った。




背にかけられたシャツ、それに、手を通そうとする岩城の体を、ぐいと、先ほどよりはやや強引な力で、香藤の両手が裏返した。

袖口のボタンを留めながら、ベッドから腰をあげる岩城の前で、香藤の手がシャツのボタンを留め始める。

ボタンに触れる前に、シャツの位置を直す素振りのその手が、ほんの僅かだけ、岩城の素肌に滑り込み、乳首の上を摺った。

その瞬間、僅かに体が揺いだ岩城は、顔を上げ目の前の香藤を見た。

ボタンを留め続けている香藤の表情が、笑いかけながら、その唇が、声を出さずに、あ・い・し・て・る、と形を造って告げた。

続いてその手は、シャツの裾を岩城のパンツに収めながら、そのときも、僅かに股間を刺激して指を滑らせ、そして、

何食わぬ顔でそこから出て行き、ベルトのバックルを留めた。

この時点で、既に岩城の頬には朱がさしていた。

たった30秒でも、そこにあるシナリオを忘れてしまえない、そんな岩城の性格。

そこから最大限、引き出せる、日常に持っている岩城の魅力。

その岩城と同じ指輪をはめた自分との間に存在する、愛すべき空間。

香藤は、この多くの人間が眼にする絵に、どうしても言わせたかった、自分達がどれ程、自然で、そして幸せであるか、と。

何の気負いもなく、強い主張もない。ただ、出会った愛を大切に生きている、と。

頬を染めた岩城は、頭からセーターをかぶり、現れた頭の乱れた髪を、香藤の手が、優しくすいた。

岩城の頭はやや下を向いていた、が、突っ立ったまま、その手がするに任せていた。

その表情は、怒りもない、笑顔でもない、無表情でもなく、ただ照れていた。

体を返し、その場を離れる、そのシナリオに向けて岩城が動きかけた瞬間、セーターの肩辺りを両手が掴み、グイっと引いた。

あっという間に、引き寄せられた唇は香藤の唇に合わさり、チュっという音を僅かにたてて、直ぐに離された。

わずか1秒のよそ道を経由して、岩城の体は、また元通りの位置に戻った。

そして直ぐに、目の前で香藤の手が振られ、また無言で、いってらっしゃい、と、今、離れた唇が告げた。

岩城は行くしかなかった。

体を返し、背を向けたまま、後ろ向きに下ろした片手を振ったような、振っていないような、そんな動きを少しだけ見せながら、

スタスタとその場を出て行った。

画面は、香藤の振った片手に光る指輪と、岩城の後ろ向きに振られた指に光る指輪を、しっかり捉えていた。

実際の画面では、その部分がクローズアップされながら、『その服を綺麗に着れますか?ートップワークス』と、

自然にテロップが重なるように仕上げられていた。







証明してあげる、と、香藤に言われ、何が普通であるか、という基準は、多くの声がそれを示してくれたことで、

確かに証明された。

恋愛に基準などない。

岩城には香藤、香藤には岩城、それが自然体である、という、それは2人が永年をかけて勝ち取ったブランドでもあった。

岩城に自分を選ばせた、そのことを決して後悔させない、という、香藤の変ることのない意思。

香藤が自分と生涯かけて共に生きると決めた、その想いに報いたい、という、岩城の意思。

その姿は、形を問わない恋愛の自然な在り方として、常に深く、見る者の胸を揺さぶり続けていた。









テレビ等で流れ始めたコマーシャルを、岩城がまともな形で最後まで目にしたのは、かなり時間がたってからだった。

それは、その年の「コマーシャル・アワード」の金賞に、「トップワークス」のこの一連の作品が選ばれ、

それらが受賞会場で流された、その時だった。

岩城と香藤は2人とも、会場の席で見ていた。

流れる画面を観ていた香藤が、小さな声で言った。

「岩城さん・・・可愛すぎ」

可愛い、などと形容されたいわけではなかった、が、初めてきちんとした形で仕上がったものを目にした岩城は、思っていた。

相手をこの上なく愛しいと思っている、そんな粒子が、確かにその中には舞っていた。

香藤の手が、雄弁にその想いを語っていた。

手しか現れていない、しかしその手が画面の空気を支配している、そのことは、素直に素晴らしいと感じた。

トップワークスの人間は、全てが終了した後、改めて今回のコマーシャルの成功を、舞台上で言葉にして感想を述べた。

受賞の感謝の言葉に続いて、出演者への賛辞を忘れなかった。

最後に、成功の鍵は、と訊かれ、担当者は答えていた、「画面から滲む岩城の初々しさ、それが全てだった」、と。

また、「そのために用意した手は、最高の役割を果たしてくれた」、とも付け加えていた。








2006.07
比類 真




み、見たいです・・・このCM!とってもステキ・・・
読みながら脳内でそのイメージを浮かべてみました・・・
素敵でした(ぽわわわんv)・・・岩城さんの表情が目に浮かぶようです
『出会った愛を大切に生きている』という箇所がすごく印象的でした
ふたりでいることが何よりも普通・・・そのことが嬉しくて涙が出そうでした
人を愛しく想う気持ちが溢れ出ていて・・・・
そしてふたりを見守る周囲の人々の目がとても優しく幸せな気分になりました

比類さん、素敵なお話ありがとうございますv