「ループ」




冷酷な人間だと思っていた‥‥‥
感情など、とおに落としたものだと思っていた‥‥‥
あいつ会うまでは‥‥‥

「大丈夫ですか?」
車の運転をして、バックミラーで様子を伺った清水が岩城に聞いてきた。
「何が?」
心当たりの無い岩城は答える。
「少し、お疲れみたいですけど」
役者とマネジャーとして長い付き合いで、岩城の体調や心の変化を嗅ぎ取る事ができ、そしてそれを口に出して聞く事もできる数少ない間柄の二人。
香藤とはまた別の意味で岩城の事を知る人間だった。
「そうですか‥‥‥なら、原因は役がつかみ切れてない感じなんですよ。それででしょう」
岩城は今度の映画で再び主役をする事となった。
今までの役とは180°も違う、監督の持宗いわく『冷酷・狡猾・淫靡』である。
「難しいですか?やっぱり‥‥‥」
清水は聞き返すが、この役が成功する事を願っている一人だった。
このステップで岩城は更に飛躍すると清水も感じていたのだった。
「ええ、昔はそんな人間に近かった‥‥‥そう思うんですけどね」
岩城は答えると車のシートに体を預けるようにして、目をつぶった。
温かさに餓えている‥‥‥
そして、それを求めてしまう‥‥‥
そんな心を持っている自分には、あの役は無理なのかもしれない‥‥‥
心の中で岩城は考えていた。





アメリカでのプレミアム試写会
岩城は仕事の都合で先に戻った。
香藤は学校やこまごました事を片付けてから、日本に戻る事になっていた。
向こうでの取材の映像を見た知り合いから、香藤の復帰を気にする言葉を岩城は受け取っていた。
「化けるか、化けないか‥‥‥瀬戸際だよね。香藤君」
あるテレビのプロデューサーの言葉に、身震いが起きる。
「ええ、だから俺も負けられないんです」
岩城は答える。
「そういえば、また映画の主役だってね。がんばるね‥‥‥岩城君も」
岩城のその言葉に思い出したように聞き返される、何気ない言葉に、岩城の心は過剰と言って良いほど反応した。
役をつかみきれてない
失敗に終わる‥‥‥かも
心の中でめぐる気持ちにあせり、岩城は心の平安を失っている自分には気づいてなかったが、香藤が戻るのに心配させたくなかった。
失敗はしたくない‥‥‥
香藤の為にも‥‥‥
自分の成長の為にも‥‥‥
そして、岩城は再び心の中に言葉を飲み込んだ。



マグマのようにドロドロとしたもの
この感情が出口の無い自分の中で渦巻いている
このまま‥‥‥どうなるだろう‥‥‥
知らず知らずに入り込んだものだった。
だからこそ、岩城は殻を超えられずにいた。
原因の感情は香藤を愛しいと思う心だった。
それを凍りつかせれば‥‥‥
その事を岩城は思いつかないでした。
無意識に避けていたのだろう‥‥‥
「疲れた‥‥‥」
誰も居ない控え室で岩城は呟いた。



微かに聞こえるものがあった‥‥‥携帯電話の着信音だった。
横になって仮眠から目を覚ました岩城は、携帯を開く。
其処にあるアドレスは懐かしいものだった。
簡単なメール。
日本に戻って来た事を伝えるだけ物だった。
戻ってきたそう思うだけで心が穏やかになった。
この役には不釣合いな‥‥‥気持ち
彼は、この穏やかさをしらないんだ‥‥‥
この気持ちも香藤と出会ってからのものだ。
よく考えると、香藤にもらってばっかりで、あいつにはこんな気持ちを与えてきた事もあるのだろうか?
そんな気持ちを持ったままの撮影
役がはまるはずも無かった‥‥‥
思ったとおりの持宗監督からの叱咤
いい映画を作ろうとしてだから、自分がふがいなく思う
そんな時にプライベートの事までも持ってこられて、意味も無く怒りがきた。
しかし、持宗監督の言葉に愕然とした。
そんな事を、この人は期待していたのか‥‥‥



出口の無い怒りに満ち、自分を見失おうとしていた。
でも、香藤には気づかれてしまった。
いや、香藤だから気づいたのかもしれなかった。



家に戻ると、香藤は宣言どおりに起きていた。
「岩城さん、ベッドでする?それとも‥‥‥」
ベッドでは恋人同士で仕事を持ち込まない‥‥‥
香藤との間で取り決めた約束
「勿論‥‥‥、此処で」
この時だけは、何もかも忘れてしまいたかったのに、怒りが消えない俺は、あの言葉を心の中で繰り返していた。
そしてその中でたどり着いた答えに‥‥‥岩城は涙を流していた。
考えたくなかった‥‥‥この考え
知りたくなかった‥‥‥この気持ち
そして、心が凍りつきそうになった‥‥‥
寂しい、悲しい、恋しい‥‥‥その果てに凍りついてしまった心
『そうか‥‥‥この心なのだ』
どこかで解ってしまった自分を冷静に判断している、役者としての心に苦笑してしまった。



暖かさで浮上してしまった自分の心に、ようやくたどり着いた声
「大丈夫?岩城さん」
暖かい腕で自分を抱きしめ、受け止めてくれる‥‥‥いつから、そんな広い心を持ってきたのか?
昔はこの役目は自分のような気がしたのに‥‥‥
心の中で考えても、こいつにはわかるんだろうなと思ってしまった。
「大丈夫だ‥‥‥香藤」
眼を伏せたまま答えるが香藤の腕は岩城を抱きしめたままだった。
「ストレスなら、俺が吸い取るよ」
岩城の心に残っている仕事に、やはり香藤は気が付いていた。
「お前と居るだけで、俺は心安らぐんだ‥‥‥言っただろう?」
岩城は安らいだ口調で告げる。
「本当に?岩城さん、ギリギリまで言わないでしょう」
香藤の声は心配げだが、
「大丈夫だ‥‥‥それより、お前はどうなんだ?」
岩城はそろりと腕を動かし、香藤の足の間に手を滑り込ませた。
熱を持っている香藤自身は我慢できなさそうに主張していた。
「俺の熱‥‥‥岩城さんに収めてもらって‥‥‥良いんだよね」
香藤が耳元で言い返すと、キスをねだるように岩城の顔を上げさせた。
「無論だ‥‥‥」
顔を上げた岩城に表情には、吹っ切れた後が見えた。
「‥‥‥それでこそ、岩城さんだよ」
香藤はクスッと笑い、岩城に意味不明な言葉を告げると、キスをした。
『強気で、誇り高くって‥‥‥それでいても妖艶。俺だけの岩城さん』
心の中でそう思い、唇をむさぼり始める。
岩城の吐息も、何もかも自分の中に取り込むように‥‥‥










息の乱れの聞こえる、ベッドの上
桜色に染まった岩城と、それを抱きしめる香藤
お互いの鼓動を感じ、冷めていく熱を感じ取り抱き合っていた。
「岩城さん‥‥‥聞いて」
香藤が耳元で囁く。
「あのね。岩城さん」
香藤がまどろみの中で声をかける。
「なんだ?香藤‥‥‥」
少し安心したのか、眠りに囚われつつある岩城は気だるそうに答える。
「俺はね、岩城さんが岩城さんである以上、元に戻してみせるって思っているよ」
香藤が髪の毛を撫でて言い返す。
「かとっ‥‥‥」
その言葉に驚き、起き上がろうとした岩城を押し留め、言葉を続ける。
「岩城さんの心に俺が居る限りね。そう信じているから、役の上では忘れてもいいんだよ」
言葉はあくまでも優しく、ゆったりとした口調だった。
「役で、俺のこと忘れてもいいんだよ。それが、役にとって大事ならば」
この言葉に岩城は目を見開く。
「此処では、俺のものでしょう。だから‥‥‥役の上ではいいんだよ」
香藤はそんな岩城に気づかないフリをして、言葉をさらに紡ぐ。
「岩城さんが素に戻った時に、待っている俺がいる事を思い出してくれればいいんだ」
香藤はそういい、岩城の耳元にキスを落とす。
「か‥とう‥‥‥」
照れくさそうに言い返し、岩城は目を閉じた。
「俺だって、役にのめりこんでいる時には、岩城さんの事を忘れてるんじゃないのか?といわれる事あったよ。だから‥‥‥おあいこでしょう」
香藤は腕に力を入れると、言葉をさらに紡ぐ。
「‥‥‥いいんだな‥‥‥」
心が軽くなるのが解る。
「そう、いいんだよ‥‥‥」
しかし、香藤の言葉が繋ぎとめる。
「お前‥‥‥本当に大人になったな」
抱いていたつもりが、いつの間にか抱かれていた‥‥‥香藤と一緒にいると、最近そう思う事が多い。
「自分では‥‥‥そんな積もりは無いけどね‥‥‥でも、岩城さんを守れるように成りたいといつも思っていたよ」
香藤が茶目っ気で言い返す。
「本当に‥‥‥おまえは‥‥‥」
岩城は香藤の胸に顔を更にうずめる。
体温、心音、匂い、総てが岩城の心を落ち着かせるものだった。
家に戻れば、岩城はいつもの自分でいられると感じ取られた。
だったら‥‥‥自分がどんな役をやっても、帰れる所があるなら大丈夫だとも思えた。
お互いにお互いを求め、競い、それが無限に続いて切れ目が無い。
まるで輪みたいな関係‥‥‥
岩城は自分をさらに香藤に近づけると、掠め取るよなキスをしたのだった。






『鳥の声がする‥‥‥今日もいい天気だ』
まどろみの中で聞こえてきた声に、そう思い横に居る温もりを探した。
思った所に、温かみを感じずあわてて飛び起きると香藤の姿は見えず、ドアからいい匂いが漂ってきた。
その匂いに、香藤が朝食を作っている事に気が付く。
「ほんとっに、あいつは‥‥‥」
香藤の心に嬉しさを感じると共に、夕べの話も思い起こした。
香藤が呼びに来るまで、岩城は珍しくベッドの上でダラダラしていた。
香藤がそんな岩城に嬉しそうに笑いかけると、シャワー浴びるようにお風呂場に追い立てる。
「香藤、これ」
岩城は思い出したように、いつも持ち歩くバックから、真新しいスケジュール手帳を取り出して香藤に渡す。
「何?」
香藤が受け取ると中身を確認して、嬉しそうに笑った。
その手帳には、岩城のオフ日が書き記されている。
「日本に戻ってきた祝いだ」
岩城はそういい残し、シーツを体に巻きつけた姿でお風呂場に歩いていったのだった。
「いっ‥‥‥岩城さん、朝から目の毒な姿を‥‥‥」
香藤はその背中を見つめ、思わず鼻血が出そうになった。
二人で朝食を食べて何気ない会話と楽しんだ。
そうこうする内に時間が来て、清水が岩城を迎えに来た。
「岩城さん、かまわないからね」
車に乗る岩城に、香藤は最後にこう告げる。
「ああ」
岩城も笑顔で頷くと、車に乗って仕事場に向かった。
「今日もいい天気だな〜〜〜洗濯しよう」
香藤は岩城の乗っている車を見送ると、背を伸ばしてニッコリ笑って呟いた。




「おはようございます。監督」
撮影所での岩城の挨拶
そして、それをみた持宗は武者震いを抑えられなかった‥‥‥



          ―――――了―――――
                               2006・9
                               sasa




「フライトコントロール」を読まれてのお話だということで・・・
仕事とプライベートの線引きに心を悩ませる岩城さんに
私達も本当に心が痛みます・・・
このお話を読んで本当にあの夜どのような時間をふたりが過ごしたのだろうか・・・と
改めて考えています

sasaさん、素敵なお話ありがとうございますv