九、


寝起きを共にして3日。
首の痕も薄くなった頃、菊地のところに戻ると岩城が言い出した。

「なにそれ!?平気なの、あんなことされて?」
同じ部屋で布団を並べながら。
買い物に出た車中で。
訥々と話される言葉を繋ぎ合わせれば、ことの一部始終は分かった。
「社長も会長さんも(じいさんのことだ)心配してくれて間に入ってくれたんだ。
 このままここにいるわけにはいかない。」
「確かにそういった事情もあるだろうけど納得できないよ。無理やりキスされたん
 だろ?それどころか・・・」
その先の言葉を岩城が遮った。
「だけど頭作りが出来なくなるのは嫌なんだ。それに頭作りに関してはやっぱり尊敬
 していることには変わりない。もう、あんなことがないというのなら・・・・・・
 続けさせてもらいたい。」
「それ・・・本気で言ってんの?」
「本気も何も・・・俺はここには頭作りの勉強のために来てるんだ。それも菊地さんが
 作るような頭を俺も作りたくて。」
以前人付き合いが苦手とか言っていたがそれはこういうことにも疎くなるものなのか。
頑固といえば頑固。可愛いといえば可愛いし、真っ直ぐで素直だが・・・。
そういうことをしたヤツが一度の失敗で諦めるとでも思うのか?
自分のことにしたって一度告白して振られたくらいで諦めるとでも思っているのだろう
か?

(ホント、男心が解かってないよね。)

この3日間、自分がどんな思いで寝顔を見ていたと思っているのだろう?
「甘いよ・・・岩城さん・・・。」

やっていることはあいつと何一つ変わらない。
腕の中に抱き寄せて     自分と変わらない肩幅
  唇を塞いで         口紅の味のしない唇
  頭を無理やり固定して    掌と指で感じる癖のない髪
  呻き声も舌で絡め取って
 ─── そうして舌を咬まれて
覚悟していた。

(岩城さん?)
閉じられた瞼がゆっくりと開く。
潤んでいた瞳が悲しそうな色を湛えていた。
(なんで抵抗しないの? 何でそんな目をするの?)

戸惑って一瞬力が抜けた腕から岩城はすり抜けていってしまった。



「香藤くん、それ今日何度目の溜息だい?」
「あっ!す、すいません。」
社長がここ数日の、明らかに覇気のない香藤にいささか呆れたように言った。
「伸之も何だか塞いでいるしね。難しい年頃なんだろうけどねぇ。」
(浅野が?)
気にかける余裕もないが(気もないが)引っかかりは感じた。

胴作りは少しずつ追い込みに入っていった。
縫製された各パーツごとの衣装を、糊を使って胴に着せ付けていく。
振り付け(手足に角度をつけること)は、じいさんが横に張り付いて目打ちで位置を
示してくれるのでそこから折り曲げていく。
かなり力のいる仕事だ。
悩み事のある香藤にとっては、人形には申し訳ないがうっ積した思いをぶつけるのに
格好の材料だった。
「おいおい、力任せじゃいかんよ。頭で人形の姿をイメージしなきゃ。」
(そんなこと言ったってさ・・・それにどれもおんなじ形じゃん。)
「何のための手作業なんだ、それに雛人形はそこら辺の人形とは違うぞ?」
確かにそうだ、単なる愛玩の対象だけではない。香藤自身子供の頃からよく祖父に
聞かされていた。
「だからな、子供の成長を願って、その子供の厄災を祓うものだろ。みんな子供に
 対する思いは違うんだからな。わしらは一体一体思いを込めて作らなきゃぁならん。
 だが、お前の気持ちは押し付けるな。職人ってのはそういうもんだ。」

・・・そういえば、今年の春から実家の店を手伝っていた頃、客に言われたことが

った。
「どうしてもこれが気に入っているから、これをそのままもってきて欲しい」と。
その時は内心「なんだ?」と思ったが、その場ではとりあえず客の要求に頷いた。
が、あとで母親に客の要求と、その時の不可解さを話すと回答は簡潔なものだった。
「時々いるわよ、普段は在庫を持っていくでしょ? でも、本当は一体一体少し違う
 から・・・。 配達先で「違う」って言われることもあるくらいよ?
 だからこれからもそうお客さんに言われた時はお父さんか私に言って現品を持って
 行けばいいのよ。」
そんなものかと、ただ単純に言葉だけを鵜呑みにしていた。
「違う」ってのは着物の柄のことか、くらいにしか思っていなかったのだ。
今ようやく結びついた。
みんな子供のために、親や祖父母たちがその子を守ってくれる人形を選ぶ。
自分たち人形師は思いを込めて作る。同じものなんてあるわけ無い。

そして─────『気持ちを押し付けるな』
人形作りも人を思う気持ちも似ているのかもしれない。



作業所の窓を開け放しておくといささか涼しすぎると思い始めた頃、思いもかけず
岩城のほうから声をかけてきた。
「以前話していた薪能のチケットが届いたんだが・・・行けるかな?」
香藤がその言葉に驚いて見つめると、視線を僅かに逸らせ俯きながらチケットを岩城が
差し出した。
いくら薪能を見たいからといって、なにも自分と一緒に行かなくてもいい訳だ。
それに、岩城にとってチャンスは今年だけではない。来年見ることだって出来る。
その頃にはもう自分がいないのだから。
それなのにあんなことがありながらもこうして誘ってくれたということは・・・
期待していいのだろうか?
「開演の1時間くらい前で間に合うのかな? ここを出るの。」
ドキドキして自分の声も聞こえやしない。


* * * * * * * * * *


簡素な舞台だ。床だけの能舞台。
だが、日が暮れかかり辺りが薄暗くなってくると様相が一変する。
両脇に置かれた篝火。
舞台後方にある本物の松の老木が浮かびあがって見える。
そして海から昇る下弦の月。

そこに天女が舞い降りる。
菊地の手元にあった人形そっくりの能楽師が舞い始める。
朱の着物。金の扇。炎を反射する冠。
鮮やかな衣装を纏いながらもそこは独特な幽玄の世界になる。

そういえば子供の頃、母親が読んでくれたおとぎ話にあった。


  美しい海原に誘われて天女が降り立ちそこで休む
  羽衣を松の木に掛けて
  そこへ漁師の白梁が通りかかり羽衣を手に取ってしまう -----(注)
  美しい羽衣を返そうとしない白梁
羽衣がなくては天に帰れないと泣く天女


なかなか羽衣を返さない白梁をイジワルな人だと子供の時は思ったものだ。
でも、今は違う。
舞いを見せるからと言われてようやく返した白梁に気持ちが同調する。

羽衣を纏って天に戻る天女を彼はどんな思いで見つめていたのだろう。



ぞろぞろと席を立つ観客のざわめきを聞いているのにもかかわらず岩城は席を立とう
とはしなかった。
余韻に浸っているのだろう。その横顔を香藤は見つめていた。
あれだけいた観客もまるで潮が引いたようにいなくなっていた。
「終わっちゃったね・・・」
香藤の声にようやく「そうだな。」と答えると、ようやく周りを見て残っているのが
わずかな人間だけなのが分かったらしい。
急いで立とうとする岩城を止めた。
「いいよ、今行ったって駐車場も道路も混んじゃってるだろうから少し時間を
 ずらそう。」
砂浜や松林を散策している人もごくわずかだが確認できた。

ゆっくりと会場を後にし、松並木を歩く。
しばらく歩くと撤収作業の音も聞こえなくなり、波の音しか聞こえなくなってきた。
そして香藤の耳に別の音が聞こえ始めてくる。自分の鼓動だ。
「今日は、ありがとう。」
先に口を開いたのは岩城だった。
「ううん、俺のほうこそ・・・岩城さん、ありがと。」
鼓動が大きくなる。それもどんどん早く。
呼吸がせり上がり、何かを吐き出さなければ心も体も心臓にのっとられてしまいそう
だった。



ここで切っていいですか?
‘04.05.21.

(注)白梁:はくりょう(白龍の説もあります)




★とても静かな展開です・・・
でも感情は両者とも大きく揺れ動いているのではないでしょうjか・・・
私はそう感じました
限られた時間の中でどれだけふたりの気持ちは近づけるでしょうか?
続きの掲載は7月になります・・・首を長くしてお待ちくださいませv