八、


決して細くはない腕。
この腕を放したくないと思った。

「俺・・・・・・不器用だよ。ていうか今は仕事だけ、って思える岩城さんの方が
よっぽど器用な人に思えるよ。」
遠回しな台詞で、真意に気付いてくれるだろうか。
「それはこっちに来て彼女と上手くいかなくなった、ってことか?」

違う ───

こんな見当違いな答えをされて前に少しも進まないのなら、いっそのこと率直に伝えた
方がいいのかもしれない。
「俺、恋愛も仕事も現在進行形なんだよ。今、ここで。」
「ここで・・・?」
岩城の動きが止まった。
それは腕に巻きついている腕の力が急に強くなったからなのか、それとも香藤の言葉を
聞いてなのか。

「俺、岩城さんのこと好き・・・なんだ。岩城さんと本気で恋愛したいと思ってる。」
振り払われない腕をどう解釈したらいいのか。
そう思って見た岩城の顔は驚きと困惑が混ざったものだった。
「ごめん、迷惑だよね。気持ち悪いよね。変なこといって困らせちゃったね。」
「いや・・・・・・。」
「でも俺が岩城さんのこと好きなのは本当だから・・・本気だよ?俺、今まで色んな
女の子と付き合ってきたけど岩城さんほど好きになった人いない。信じて?」
サクッと音がした。
岩城が持っていた荷物を置いたのだ。
「香藤、淋しいんだよ。きっと。」
岩城が体勢を変え、空いた手で香藤の頭に手を置く。
まるっきり子ども扱いだ。
「子ども扱いしないでよ。」
そんな言葉すらも子供っぽく見えるのだろう、岩城が少し困ったような顔をした。
「すまない。でもまだ19だろ?子供でいいんじゃないか?」
こういう時ばかりは岩城が途方もなく大人に見える。
きっと同級生だったら・・・いや、自分が岩城の立場だったらこんな風に穏やかに
話せないと思うからだ。
茶化されたり、不快感をあらわにした言葉を浴びせられるか・・・。
だからこそ岩城が冷静な気持ちで、それでいて自分の気持ちを受け入れられていない
のだと思ってしまった。
それでも、こんな風にされれば心は余計に傾いてしまう。
土用波が立つ海の音がやけに大きく聞こえる。


* * * * * * * * * *


秋・・・なのだ。
昼間は残暑が厳しく夏の様相を呈しているが、香藤の部屋に入る西日の角度が変わって
きた。
「眩しぃ・・・」
あの日以来、ふたりきりで話をすることがなくなってしまった。
表面上は皆と談笑するものの「忙しいから。」と長居をしなくなってしまった。
そんな岩城を見ていると、香藤のほうからも誘えなくなってしまう。

溜息をつきながら障子に手をかけた。
それでもつい窓の外を見て無意識に岩城の姿を探してしまう。
締め切られた窓も戸も、まるで岩城の気持ちのように感じる。
「ま、俺の気持ちは伝えたんだし、たまには玉砕するのもいいのかもしれないよね。」
そう思いながら閉めようとした時に、家から岩城が飛び出してくるのが見えた。
様子がいつもと違っている。
(何かあったのかな?)
急に立ち止まった岩城が一瞬顔を上げるような仕種をした。
それは自分の部屋を見上げているかのように感じた。
いや、自分を捜しているのだと感じた。直感で。
この半月余り、まともに話しをしていないとか、避けられているとか、そんなことは
頭から飛んでいた。
階段を駆け降り、ドカドカと1階を突っ切って勝手口から出るがさっきまでいたところ
に岩城がいない。

(そういえば、初めて見た垣根の方・・・・・・・・・岩城さん!?)

声を掛けづらい雰囲気もあったがお構いなしだった。
「岩城さん、どうかしたの? 何かあったの?」
うずくまる様にして動かない岩城を半ば強引に自分のほうに向かせた。

書き損じて紅がはみ出した人形なのかと思った。
凍りついた表情、蒼白の頬、
形の良い唇の端についたものが血だと解るのに時間が要った。
(な・・・に・・・?)

僅かな砂利の音 ───
その音にさえ震える肩。
玄関先に立っていたのは菊地だった。
香藤も菊地も合った視線を逸らすことはお互いにしなかった。
岩城の肩に回した腕に力を入れ、抱き込むようにしてそっと立たせた。
「俺の部屋に行こ? 歩ける?」
無言の岩城を伴って家に入った。背中に痛いほどの視線を感じながら。



夕食は部屋に運んでもらった。
「自分にも何があったか分からないから。」と、奥さんには説明をしたが、何があった
のかおおよその見当がついていた。
想像はしたくなかったが。
部屋に来てからも随分時間が経ったが、ぺたりと座り襟元を握り締めたまま岩城は
動かなかった。

「食べられそう?少しでもいいから・・・みんなも心配してるよ?」
何度か勧めた後、ようやく小さく頷いて箸を取ったが喉を通らないようだった。
そして香藤は自分の考えが当たっていたことを知った。
襟を握っていた手が離れたからだ。
ボタンが取れたシャツ、そこから少しだけ見えた小さく鬱血した首筋。
それを見て生じた感情は自分に嫌気がさすものだ。
菊地が岩城にしたことに対する怒り。
これだけは至極まっとうだ。だが。

この岩城の様子から見てふたりの関係がなかったという安堵。
その首筋に自分も印をつけたいと思う欲望。

(なんで俺、こんな時にこんなこと考えちゃうんだろう。)
それを振り払うように話しかける。
「社長も落ち着くまでいていいって言ってるしさ、ここにいなよ、ね?」
声は震えて・・・いない。大丈夫だ。

「すま・・・ない。」
ようやく岩城が口を開いた。
「何言ってんの?こんな時くらい頼ってよ、って言ったって本当に世話してんのは社長
や奥さんだけどさ。・・・大丈夫だよ。なにか衝突するようなことがあったんだろう
ってじいさんも言ってたし、距離を少し置くのもいいって・・・ね?」
膝に置かれた手にそっと自分の手を重ねた。
「香藤・・・」
「え?」
「香藤には偉そうなこと言って傷つけたのに・・・・・・」
漆黒の瞳が涙で潤み出す。
「そんなこと関係ないよ。」
自分より5歳年上だといってもまだ24なのだ。
いや、年齢は関係ないだろう?勿論性別だって。誰だって寄りかからなくちゃ生きて
いけない。
ましてや、1年以上もひとりで知らない土地で自分の夢のために修行してきた彼を誰が
攻められるのか?
「菊地さんを突きとばして・・・でもあの時香藤しか頭に浮かばなくて・・・」
「ううん、頼ってくれて嬉しいよ。」

『香藤しか』その言葉がどれくらい嬉しかったか。
自分だけに寄りかかってくれればいい。
そう思って抱き寄せた。
肩が涙で濡れていくのが心地よかった。



少しだけイタい・・・でしょうか。つづきます。
‘04.05.15.



★・・・・動き出しましたね・・・香藤の複雑な心境が伝わってくるようです
「書き損じて紅がはみ出した人形なのかと思った・・・」
というくだりがすごい印象的でした・・・・