五、


菊地のところから借りてきた『羽衣』を返すらしい。

(これはチャーンス!)
とばかりに香藤が申し出る。
「俺、俺、行きます!それに頭を作っているところも勉強のために見ておきたいし!」
(俺って天才!)
咄嗟に出た台詞を自画自讃した。

ダシに使われた人形には申し訳ないが、能面をつけた人形の顔もこの時は微笑んでいる
ように見えた。
まるで縁結びの女神様のように。
「絶対、岩城さんが玄関に出てくるよね?」
人形に向かって呟く。少々危ない人のようだ。そして、シミュレーションする。
「勉強のため、頭を作っているところを見学させて下さい。勉強のため、頭を作って
いるところを見学させて下さい。勉強のため、頭を・・・・・・」
玄関までの短い間に英単語を覚えるように反芻する。
(よし。)


やはり、玄関で応対してくれたのは岩城だった。
作業中だったのだろう、エプロン姿なのが妙に可愛くて頬が緩むのを抑えるのに苦心
した。
「このお借りしていた人形を返しに来たんですが・・・それと、もしお邪魔でなかった
ら頭を作っているところを見させて下さい、勉強のために。」


ふたりっきりになれないのは仕方ないが、黙々とふたりで作業するのをひたすら眺めて
いるのは少々根気が要った。
例えそれが小一時間でも。
これが岩城とふたりっきりで、岩城の顔だけ見ていれば良いのなら何時間でも苦に
ならないと思うのだが。
それに菊地の前は何故か緊張する。自分の下心を見透かされそうで。

人形の胴も同じだが時期によって出来る作業が違ってくる。
香藤のほうもまだ胴体の芯の部分を作っている段階だったが、こっちでも頭の材料を
混ぜて練って型入れし、乾燥させる段階だ。
「昨今は石膏を使っているところが多いがうちでは全て本来の練りでやっている。
材料は桐の木の粉を細かくした桐粉と正麩糊(しょうふのり)を混ぜて練りこの木型に
入れる・・・・・・。」
等々と菊地が説明する。
形だけは「ふんふん。」と頷くが話は半分も頭に入っていなかった。
(岩城さんの指って長くて器用そう。それに岩城さんって人形の顔よりよっぽどいい顔
してる・・・)
「香藤くん。」
「はっ、はいー?」
間抜けな返事になってしまった。
「どうも気がそぞろのようだが、分かったのかな?」
「はい、おおよそは。でもどうして練りにこだわるんですか?コストや、手間を考え
れば・・・今は石膏でもいい風合いが出るって聞いていますけれど。」
菊地の片眉がピクリと上がった。
(よっしゃー、予習した甲斐があったもんねー。)
香藤が心の中でガッツポーズをとる。

岩城に会うためだったら。と予め妹の洋子に頭作りのことを調べてもらい基本のことは
頭に叩き込んであったのだ。
今この時代、インターネットで大概のことは調べられる。
洋子には「テスト前なのに。」とか「面倒。」とか散々言われたが兄貴風を吹かせて
何とか印刷したものを送ってもらった。
学生時代だってこんなに真面目に予習などしなかった。


「凄いね、香藤くんは。」
2時間ほど見させてもらった後で、香藤を玄関に見送りに来た岩城が言った。
「え?」
「菊地さんと渡り合っていたじゃないか。俺なんか今でもまともに話せないよ。」
(いや〜、俺は今こうして岩城さんのまともに話せて幸せですぅ〜。)
などと香藤の頭の中には花が咲いていたが岩城の話は続いた。
「俺は、人付き合いとか苦手だから菊地さんといても申し訳ないくらい会話が弾まなく
て。」
視線を落とし、心なしか悩んでいるように見えた。
「そんなことないよ、今だってこうして俺と話してるじゃん。でも、人付き合いが苦手
だって・・・まさかこっち来てからあんまり外出とかもしてないの?」
どうりで何週間も見張っていても姿が見えないわけだった。
が、それは都合がいい。やはりあの羽衣は女神様か?
事態は香藤に都合よく進みそうだ。
「じゃあさ、今度の休みの日にどっか出かけない?車は借りられるし。」
戸惑う岩城に有無を言わせず約束を取り付けた。


* * * * * * * * * *


幸運の女神は香藤にばかり微笑んだのではなかった。
何故かどういうわけなのか「浅野!」も同席することになった。
ちゃっかり後部座席に岩城とふたり座っている。
(ちくしょーっ!こりゃー一体どういうわけだ!?)
「香藤さん、しっかり前を見て下さいね。」
勝ち誇ったような声に聞こえるのは気のせいなのか。
普段は家族ともまともに話さないくせに、どうしてこうも岩城の前だとこいつは
にっこり微笑んで話すのか。
「岩城さんは24になられているんですよね?」
優越感を含んだように聞こえる声に怒りのあまり、ふたりっきりだと思って覚えて
おいた(デート)コースも記憶のさなかに消えてなくなってしまいそうだった。

しかし、しっかり年齢のことは頭に叩き込む。
(そうか5つ年上か。落ち着いた感じだったからもっと上かと思った。)
とにかく、お決まりの市内近場観光コースを回ったりする。
松原とか、東照宮とか・・・。
今まで見たことのなかった岩城の表情を見られただけでも収穫だったと思った。
だいぶ予定は狂ったが。
それに間に邪魔が入ったことで却って自覚した。
彼に惹かれていることに。


「香藤くん、浅野くん、今日はどうもありがとう。」
「こちらこそありがとうございました。」
車から降り、お互いにこやかに挨拶をした。あとは車を駐車場に入れるだけだった。

浅野が家に入ったのを見届けてから言った。
「あのさ、岩城さん。俺のことは香藤って呼び捨てにしていいよ。俺、修行中なんだし
さ。岩城さんの方が先輩でしょ?ここでは香藤くんって呼ばれているけれど君付けだと
どうもくすぐったい感じがするよ。」
(本当は岩城さんだから呼び捨てにして欲しいんだ。)
その言葉は思わず言いそうになったが飲み込んだ。
「でも、俺だけ呼び捨てにするのはおかしくないか?」
それもそうだ。
「じゃあ、人前では君付け、ふたりだけの時は呼び捨てとか。」
「そんな器用なこと出来ないぞ。」
クスリと笑って肩をすくめた姿さえどうしようもなく可愛いと思える。
先ほど飲み込んだ言葉が出てきそうになる。
「だって、呼び捨てにされるくらい仲良く・・・親しくなりたいって思っているんだ。」
「えっ?」
ちょっと驚いたような顔。そう、そんな顔だって独り占めしたいとまで思っている。
重症だ。
今まで付き合った女の子にだってそんな風に思ったことはないのに。
でも、こんなことまでいきなり言ってしまったら岩城さんでなくたって困ってしまう
だろうし何より引かれてしまいそうだ。
自分はこんなにも岩城さんに惹かれているのに。

少しの沈黙の後、自分から言った。時間にすれば多分2、3秒の合間がとてつもなく
長いものに思えていたたまれなくなったからだ。
「とにかく呼び捨てでいいよ。俺がそう呼んで欲しいだけなんだ。ね?」
努めて軽い感じで言う。
「そうか、じゃあ俺の事も呼び捨てでいいよ。」
「それは駄目だよ、だって岩城さん俺より結構年上じゃん。そりゃあどう考えても無理
だって。」
そうだ5つも年上の男性。それでも惹かれているのだ。



やっぱりお笑い? つづきます;;
‘04.04.05.



★香藤くんの思考が楽しいです・・・・私v
私も岩城さんに呼び捨てされたい・・・(観点がちがいます・・・)