三、


いつもの顔に戻った伸之は、木陰の人物に簡単に挨拶するとすたすたと部屋に入って
上に上がってしまった。
取り残された形になった香藤は少しバツが悪くなり「あ、どうも・・・香藤です。」と
間抜けな挨拶をした。
「こちらこそ、はじめまして。岩城です。」
そう言われてまじまじと声の主を見た。

なるほど、この人の前だったらどんな人でも顔をほころばせるだろう。
そこだけ穏やかな空気が流れているようだった。
しかも純日本的な美形で、普段雛人形を見ている香藤でも見とれてしまうほどだった。
「君は行かなくてもいいのか?」
そう言われて、改めて自分がボーっとしていたことに気がついた。
何故だか焦って、言葉がしどろもどろになる。
「あっ、あ・・・失礼しました!」
ペコリと頭を下げ、急いで階段へ直行する。顔が火照っていることに気付いたのは階段
を上がってからだった。
掌やら手の甲を頬に当て火照りを冷ましてリビングに入る。
(何で、俺こんなことで赤くなってるんだろ?)

結局呼びに行った自分が席につくのに一番遅くなった。
皆はとっくにお茶とお菓子を摘み始めている。
「ありがとう、香藤くん。伸之も下にいたみたいね。」
奥さんに言われて答えた。
「ええ、裏の方なんですか?岩城さんって方と・・・」
言い終えないうちに伸之が話に割って入る。
「別に、たまたま裏に行って、たまたま会ったから挨拶しただけだよ。」
それだけ言うとすぐに席を立ってリビングから出て行ってしまった。
妙な雰囲気だけが残された者の間に流れた。
「何だ、伸之のやつ?」
社長もちょっとびっくりしているらしい。
「俺・・・伸之君の気に触ること言っちゃったかな?」
「そんなことないわよ、伸之の方が変よ。ごめんなさいね、香藤くん。」
「きっと君がいることに慣れないんだろ?元々内気な方だからな。だからこそ君にいて
もらった方がいいんだ。伸之が高校卒業後に進学したとしてもやはり一度は君のように
外に出したいと思っている。その時こんなんじゃ困るだろ?」
なるほど、ご尤もな意見だ。
だが、彼の態度には何か少しそれとは違うような気がしてならなかった。
(何か牽制されてる?)

「そういえばさっきの岩城さんの事だけどねぇ。」
微妙に話題を変えたのは、ばあさんだった。
「そうそう、岩城さんも1年位前からだったかしら、裏の菊地さんの所に修行というか
弟子入りしてるのよ。」
奥さんの説明が始まる。まあ、こういうことは女性の方が情報に長けているのは当たり
前なのか。
「で、詳しいことは分からないんだけど何でも実家は人形屋さんらしいの、ウチや香藤
くん家と同じね。でも家を継ぐ必要はないみたい。お兄さんもいてお勤めしてるって
言うし。それなのに菊地さんの作る顔に感動したって言って、家の人が反対していた
のにこっちに来ちゃったみたい。」
充分詳しい。一緒に聞いていた社長ですら初めて聞くような顔をしていた。

「確かに菊地さんの作る顔はいいからな。なあ、父さん。」
「ああ、以前は別の工房で頭(かしら)を作っていた。主人に気に入られてな、そこの
娘さんと一緒にはなったんだが・・・上手くいかんかったらしい。結局彼はその工房を
出ることになったんだが仕事柄別の土地に行くわけにもいかんだろう?じゃあ、同じ県
でも向こうは西でこっちは中部だが裏の家が空いているから、こっちにどうだとわしが
言ったんだ。」
もうかれこれ10年も前になるらしい。
そして今ではどこの人形屋でもこぞって彼の頭を使いたがっているのだと言っていた。
男性陣は仕事柄よく接する菊地さんの事情の方が詳しいらしい。

『雛人形製造』と一口に言っても製造過程によって工房が分かれている。
大概ここの家や香藤の実家のように直売までやっている家の殆どは胴体を作っている。
「組む」と言うのだが。
胴体製造とは文字通り胴体の製造、そのほか着物の裁断、縫製、着せつけ、振り付け
などを行なう。
顔は話にも出てきた「菊地さん」のように頭師と呼ばれる人が別の工房で作る。
手や足も別の所。
もちろん道具も。
道具だって人形の持ち物と「お道具」と呼ばれる箪笥や牛車でも違うし、ましてや雪洞
、屏風、飾り棚、五月人形なら兜、鎧もすべて別工房の製造となる。
これらを受注し、すべての道具と人形を「組んで」販売するのが製造直売店なのだ。
余程の大手でもこれをすべて一括してやっているところは殆どない。いや、ないんじゃ
ないか?
つまり、分業なのだ。

菊地という人間が別の土地に行くわけがいかないのも、こうしたパイプが他県に行くと
出来にくいからで、かといって独立してもこれらは昔からのコネで仕入れたりするの
だから新たに立ち上げるのは困難なことなのだ。
独立するということはどの職種でもそうだろうが難しいことだ。それでも現在こうして
やっていけるというのは並大抵の腕ではないのだということは素人に毛が生えた程度の
自分でも想像できた。

「うちでも親王や、おやまでいくつか使っているよ。それと能。」
「能?」
社長が言った能は香藤の家には置いていない。
いやあったのかもしれないが記憶になかった。
「余り置いている店はないと思うよ。能といっても題材は大抵『羽衣』一本だ。実は
組んでいるのは父さんだけで、俺は組めないんだよ。」
「へえ〜?それって、超すげー難しいって事ですか?」
「ははは、面白いこと言うね、香藤くんは。『羽衣』はね、元はうちでもやっていなか
ったんだよ。それが、菊地さんがこっちに住むようになって「せっかく羽衣ゆかりの地
に住んでいるのに。」って言い出してな。それでわしもあれこれ試行錯誤しながら組む
ようになったというわけさ。」
これが結構人気が高いらしく今現在、ここに在庫はないらしい。ちょっと得意そうな顔
をじいさんはしていた。
「お前も仕入れやなんかで忙しいのは分かるがもう少し組むのをしっかりやれ。そう
すりゃ『羽衣』に限らず色々組めるだろ?いいかげんわしを頼るな。何なら香藤くんと
一緒に一から教えるか?」
矛先が自分に向かってきたので、そそくさと「わかった、わかった。」と社長が言い
ながら逃げ出していった。


* * * * * * * * * *


翌日から、じいさんに付きっきりでそれこそ手取り足取り教えてもらうことになった。
何のことはない、今日から月曜日。キリよくやろうということだったらしい。
朝イチで出勤してきたパートのおばちゃん数人と挨拶したが、それ以降は作業内容が
違うため分かれてしまった。女性陣は衣装の裁断や縫製になるからだ。
胴組み(胴体の芯)は男性陣の仕事。しかし社長はデスクワークが主だった。
昨年度の売り上げと在庫を確認してこれからの生産数、しいては仕入れを考えなくては
ならない。父もこうして悩んでいるんだろうか?離れているほど却って身内の大変さが
分かったりする。

黙々と地味な作業が続く。人形のにの字にもなっていないものをただひたすらに作って
同じ作業を繰り返しやっていく。
しかし気を抜いてはいられない。号数(大きさ)の違うものを間違って組んでしまう
ことがあっては困るからだ。
時間が経つにつれて結構広い作業場も材料が並べられ足の踏み場もなくなってくる。



何日か経つとコツもつかめてくる。
じいさんも「なかなかスジがいい。」と褒めてくれたりする。
少しくらいの雑談も出来るくらいの余裕もでてきた。
「そういえば・・・」
思い出したように一緒に作業していた社長が言う。
「『羽衣』って菊地さんのところにあるんじゃないのか?確か出来上がってすぐ、
菊地さんのところに一体、父さんが持っていったはずだ。お礼だとか言って。」
「なんだ?いきなり。」
「いや、あれから考えたんだ、父さん任せにしていたのは事実だからな。ちょっと見て
おきたいと思って。」
「そうだな・・・、あるかもしれんな。」
作業の手は止めず下を向いたままじいさんが答える。が、声には何となく嬉しさが滲み
出ていた。

「じゃあ香藤くん、ふたりで行って見るか?これから。」
作業場からそのまま勝手口に向かい、裏の家に向かう。
表札には『菊地』。
(あの人もここにいるんだ。)
そう思うと胸がどきりとした。





つづきます。
‘04.03.23.



★ご登場です・・・・岩城さんv
そして例の方も登場しそうですv
ああ、どんな風に展開していくのでしょうか??(o^^o)