十一、 何度この話題を持ち出した事だろう。 「ねぇ、俺、年内いっぱいなんだよ、ここにいられるの。岩城さんはなんで一緒に来て くんないの?」 今日も洗濯物を取り込むために外に出てきた岩城を捕まえて言うが、なかなか首を縦に 振ってくれない。 どんなに説得しても 「まだ技術が身についていない。もう少し待ってくれ。」 この一点張りだ。 たかだか19歳の自分が5歳年上の人間の、しかも男の人生を動かすのだ。生半可では 無理だろうと思ってはいたが、言葉で解かってもらうのがこんなに難しいとは正直思 っていなかった。 (だって俺たち両思いなのに。) しなやかで素直な身体とは裏腹に意志は頑として動かない。 一度、「一緒に来てくれるって言うまでは・・・。」─── なんてことをしたら泣いて 怒り出す始末だった。 「そんな取引めいたことをするなら二度としない。」 とまで言われてしまい、その後口をきいてもらえるまで優に3日はかかってしまった。 折角香藤の部屋に来て泊まるまでになったのに、振り出しどころかマイナス・スタート になったかと正直かなり焦ったし落ち込みもした。 平に平に謝って、また言葉による説得を試みるが答えはいつも同じだった。 「何でも“その道10年”と言うだろう?まだ半人前以下なんだぞ、俺は。それに他の 工房にお世話になるにしたって俺としては今年の仕事を全て仕上げて見届けてからに したいんだ。何度同じことを言わせるんだ。」 「・・・・・・・・・岩城さん、ホントは俺のこと重荷だと思ってる・・・?」 岩城が自分のことを思っていてくれているのは分かっている。だがそれ以上に思う ところがあるのも事実だろう。 ずっとずっと胸にしまっていた怯えがボロッと出た。 岩城は視線を香藤に向けたまま黒い瞳を見開いていた。 (やっぱり・・・そうだったんだ・・・・・・) 不意に抱き寄せられた。 かなり驚いた。いくら庭木の陰になっているとはいえ・・・いや、そうでなくても岩城 のほうからこんな風にしてくれるなんてことは今までなかったからだ。 「そんな風に香藤に思わせていたなんて・・・」 頭上から悔やむような声が降ってくる。それがどんな顔で言っているのか見ようと思 っても、しっかりと抱え込まれてしまった格好になってそれは叶わない。 額を通して伝わってくる岩城の鼓動と体温は至極香藤を安心させるものだった。 こうしていると護られているような気がする。抱いている時もそう思うけれど。 「俺の方がそうなりたくないと思ったせいで・・・」 “そう” ─── って“重荷”ってこと? 香藤以上に物事に対して深く考え込んでしまう岩城なら、彼の方こそ自分自身が重荷に なる事を恐れるのだと考えるのは分かりそうなものなのに。 (俺、また自分のことばっかり押し付けちゃって・・・) 「ごめん。」 「すまない。」 お互いが相手の事を考え過ぎていて。 同時に謝罪の言葉を口にして。 なんだか、ついさっきまで冷たかった心が急に温かくなってきて自然と笑みが零れる。 お互いにとって唯一、無二な人、それが感じ取れたから。 お互いがお互いにとってそういう存在でありたい。 「代わりがないんだよね。人も、雛人形も。」 自分に言い聞かせるように言った言葉に岩城が答えた。 「一つ一つ俺たちが思いを込めて頭と胴を作る。違う場所で何十、何百と作られた それらが人形屋で一緒になるんだ。その人形の中から親が子供のことを思って選ぶ。 同じものがふたつとあるはずがないだろ?」 岩城さんもその事に気付いていたんだね。 だから人形を自分の手で作りたいと思っていたんだね。 そのために自分が納得いくまでは仕事場から離れるわけにはいかないと・・・。 お互いが人形師、頭師として誇りを持って仕事が出来るようにならなければならない。 「俺、これからもずっと岩城さんと雛人形を作っていきたいと思う。そうだよね、大事 な人形を作るんだ、そのために俺も岩城さんもやらなきゃなんない事はいっぱいある んだもんね。少しの間は我慢しなくちゃいけないんだよね?・・・でも、やっぱり 一緒に来て欲しい・・・。」 自分を抱きかかえていた岩城の身体を、今度は香藤が抱き返す。 「ごめん、頭では解かっていても岩城さんが見えない生活なんて今更考えられないんだ もん・・・」 「香藤・・・」 「あんた、お喋りなだけじゃなくて随分我侭なんだな。」 突然の声に、弾かれたようにお互いの身体が動いた。 「浅・・・野・・・・・・!?」 香藤の口から思わず日頃心内で呼んでいた名前が出た。 が、そんなことには介さない風で浅野が言葉を続ける。 「あんた、岩城さんを振り回すつもりかよ、黙って聞いてればベラベラと。よくもまあ 自分の都合ばかり押し付けやがって・・・」 日頃の無愛想な顔とも、以前の中傷の時のような冷たい顔とも違う表情を浅野は浮かべ ていた。いや、浮かべるなんて生易しいものではなく、表情を深く彫り込んでいると 言った方がいいのか。 その表情に岩城の方が反応した。香藤と浅野の間にスッと身体を割り込ませる。 「浅野君、香藤は決して気持ちを押し付けたりなんかしていない、俺のことも真剣に 考えてくれているんだ。そういう言い方はやめてくれないか?」 穏やかだが、強い意志がそこに込められているのが感じられる。 「それに、俺も香藤のことが大事だ。」 (岩城さん!) 初めて愛し合った時以来せがんでもなかなか言ってくれなかった思いを言ってくれる なんて。 こんな状況なのに、無性に感激してしまった。 が・・・。 「どうしてこいつなんだ?俺だって、岩城さんを見てきたのに・・・」 「浅野君?」 「浜でべったりくっついたり、車ン中でも、挙句の果てに・・・なんで後から来た あんたなんかにっ!」 持っていた学生鞄を地面に落とし、そのまま浅野の手が岩城の体の脇をすり抜け香藤に 向かって伸び、襟首を掴んだ。 「くっ!」 相手は自分よりも華奢で力では自分のほうが上のはずだ。だが、浅野が自分に向ける 憎悪のようなものに押されてその手が撥ね退けられない。 「止めるんだ、浅野君!」 割って入る岩城の腕も軽く跳ね除け、却って力が増したような気がした。 「もう、よさないか。」 その声に動きが止まった。 声の主は菊地だった。 「分かっているんだろ?伸之君、自分じゃ駄目だってことぐらい。」 浅野は目を見開いたまま菊地を見つめた。そして瞬きすることなく視線を岩城に向ける とがっくりと項垂れた。 と、同時に香藤の襟首からも手が外される。 「俺にだって分かったさ。年がら年中頭を作っている人間だ、目の前にいる人間が どんな思いでいるかなんて顔を見れば一発でな。だがな、こんな小僧にと思って つい悪あがきしたんだ、悪かったな。」 岩城はただ黙って首を横に振った。 黙っていられなかったのは香藤のほうだった。急に気道が元に戻り咳き込んでいたが、 それも治まると菊地に向かって矢継ぎ早に言った。 「あんたのせいで岩城さんがどんだけ傷ついたか分かってんのかよ?岩城さんが逃げる ところがないって思って無理やり身体を奪おうとしただろ!どんな思いで岩城さんが あんたのところに弟子入りしてきたと思ってるんだ、それを踏みにじりやがって!! なのに岩城さんときたらそれでも・・・」 「止めろ、香藤。それでも菊地さんを尊敬しているのはずっと変わりないんだ。だから それ以上・・・言うな。」 香藤の憤慨を制し、それでも香藤が言いたかった台詞をそっくりそのまま岩城が静かに 言った。 「尊敬・・・か。この間も俺にそう言ったんだよな。所詮それ以上にも以下にもならな いってことか。まぁいいさ、そいつについて行ってやればいいじゃないか。本当は お前だってそうしたいんだろ?」 苦笑しながら菊地が言う。 「そんな・・・まだ、ここを出てもとても頭作りなんて。」 「そんなもんどこにいたってできるさ。技術なんてここまで俺を頼ってきたお前なら どこにいても身につけられる。それに1年半だがそこら辺で5年やっている奴くらい の腕はあるぞ、何たって俺が仕込んだんだからな。だが、俺ではお前に技術は教えて やれても、それ以上のことは教えることは出来ないし、もう教える必要もないだろ? 解かっているんだからな。それに・・・。」 こんなことを言うのは癪に障るが、と付け加えたあと言った。 「こいつがそばにいなくてはいい顔に仕上がらないだろ、違うか?大体、お前が作る顔 ときたら目尻が下がっているからな。見ていて呆れたぞ。顔を書いている時のお前の 顔を見ているこっちの方が恥ずかしくなってくるんだ、さっさとそいつのそばに行っ たほうがいい。」 面白いほど岩城の顔が朱に染まる。 「そいつの実家で取引のある頭師のところにでも世話になればいいだろう?俺が口利き してやってもいい、それくらいのツテはある。ま、俺はまた一人淋しくお前に似た頭 でも作るさ。品がよくて美人なヤツをな。」 今度は香藤が怒りで顔を赤くする番だった。 「仕込んだとか美人とか、あんたが言うといやらしいんだよ!」 * * * * * * * * * * 「何だかふたりともいなくなってしまうなんて、淋しくなるね。」 事情を知らない社長以下奥さんも心底淋しそうだった。 「でも、また遊びに来て頂戴?妹さんも連れて、ね。」 自分の待遇が良かった理由の一つに洋子のこともあったらしい。あわよくば将来嫁にで も・・・と思っていたらしいのだ。 が、良くしてくれた社長夫妻たちには悪いが浅野だけはごめんだ。 まあ、あいつもそう思っているだろうが。 それに確か洋子には彼氏がいたはずだ。『啓太くん』とかいってかなりラブラブの。 (それに連れてくるのなら岩城さんだろ?) 香藤は想像した。 いや、浅野や菊地に会わせるわけにはいかない。 12月の半ば過ぎ、店に早くも雛人形が飾りつけられた後、香藤も岩城も実家に戻ると いうことになっていた。 香藤が実家に戻ることには違いないのだが。 岩城のことを彼らに言う必要はないだろう。実際は別の・・・香藤の実家に程近い頭師 のところに行くのだとは。 浅野もそう思っているに違いない。心中は複雑だろうが。 「岩城さんもご両親のご理解を得られるように願っています。」 浅野が口を開いた。 そしてチラと香藤の目を見る。 「岩城さんがどこで頭を作っていても、俺は岩城さんの方から是非、自分の作った頭を 使って下さいと言われるように腕を磨いていくつもりですよ。『羽衣』は祖父から俺が 伝授してもらいますし。」 やっぱり、だ。ここに岩城を連れてくるわけにはいかない。金輪際岩城をふたりに会 わせられない。 息子のやる気のある言葉に単純に喜んでいる社長を横目にふたりは発った。 「俺と岩城さんで作った人形をあいつに送り付けてやる!」 憤慨する香藤に岩城が言った。 「人形にそんな思いは押し付けるなよ。」 どこかで聞いたようなセリフだ。 そうだね。 「ね、俺、思うんだけどこれからふたりで岩城さん家に行っちゃわない?でさ、一緒に 人形を飾るの。そのあと俺ん家行くんだよ。もちろん岩城さんも人形飾るの手伝って よね。・・・そしていつかふたりで作った人形をお互いの店に飾ろうよ。」 暫く岩城は黙っていたが香藤の言葉に無言で頷いた。 なかなか上げられない顔のせいで表情は良く見えない。でも黙って腕を取った。 ひとつひとつ思いを込めて作った唯一無二の人形を送り出す。 そんな家をふたりで作ろう。 ふたりの思いは天上に昇っていく。 おわり ‘04.07.14. 最後まで読んでいただきありがとうございました。(ちづる) |
★・・・・・・・余韻に浸りますね・・・・・
もう何も言わない方がいいかも知れない
それぐらいに素敵なお話でしたv
これからもきっと色々乗り越えて行かなくてはならない事が多いでしょう
でもきっと・・・このふたりなら・・・ってv
ちづるさん、本当に長い間の連載ありがとうございますm(_ _)m
お疲れ様でしたv
心からの感謝を・・・・・vvvv