十、


「あのさ、・・・・・・俺、少しは自惚れていいの?」
「え?」
「今日、一緒に来てくれたのは薪能を見るためだけじゃないって・・・思ってもいいの
かな・・・」
なかなか返答がなく、岩城の視線は闇の中の海を向いてしまい自分に向けられない。

「・・・菊地さんには・・・」
(え?)
自分の言ったことに対する答えとは違って、何かはぐらかされたような気がした。
「少し話をした・・・。」
(何を?)
だが、それきり岩城は黙ってしまい、その先が話されない。
余裕がない。岩城の言葉を待つことにも、時間にも。

「俺、期待しちゃうよ?」
言葉を選ぶことにも。
「だって、そうじゃん。あんなことした俺に・・・だよ?いくら前に約束したからって
岩城さんの方から声をかけるなんて・・・そんなの無理だよ。」
目の前に美しい羽衣があってそれに目を奪われないようにするのと同じだ。
ましてや持ち主が美しい天女なら。

「お願いだよ、天女みたいに俺の気持ちを虜にしたまんまにしないでよ。・・・・・・
意地悪だ、天女って。どんなに綺麗に舞ったって、そんなことより白梁はきっとここに
いて欲しいって思っていたと思う。だから、なかなか羽衣を返せなかったんだよ。
俺が欲張りなんじゃない、誰だって岩城さんみたいな人には惹かれるよ。
俺、このままじゃ・・・・・・・・・」

「・・・天女なのは、お前の方だろ?」

(え・・・?)

海にむいていた岩城の視線が自分に向けられ、頬にそっと指先が触れられる。
その指先は冷たくて・・・、頬もその一点がひんやりと冷たくなった。でもそこから
熱くなっていくような気がした。
「俺は自分が残される白梁だと思っていた。だってそうだろ?元々ここにいるのは1年
だって社長から聞かされていたし、お前の話ではいくらでも女友達がいたみたいじゃ
ないか。ましてや、同性で・・・」
頬だけでなく顔全体が熱くなっていく。
「・・・俺は5歳も年上で、いくら本気になっても離れてしまう、そう思っていた。」
顔が熱いのは自分だけでないのだ。
月明かりに照らされていた白い顔が朱に染まっていく。
能舞台の舞手が纏っていた衣よりもずっと淡く、でも、ずっと鮮やかに。
その顔が今までに見たどんな顔よりも綺麗で。
「香藤の方がずっと綺麗だよ。まっすぐ見つめる瞳も心も。俺はそれに気付かないよう
に逃げていた。でも、今は・・・」
そして神々しくて。
「今は、違う。俺も香藤を離したくないと思った。」

ああ、そうだ。
『天にも昇る気持ち』
こういうことを言うのだろう。
そういう意味では今だけ天女なのかもしれない。俺は男だけど。
でも、今だけじゃ嫌だ。これからもずっとずっとふたりで天に昇っていきたいよね。
そうだろ?岩城さん。



「ね、いつからそう思ってくれてたの?」
「よく分からないな。ただ、お前に好きだと言われた時あまり嫌だとか思わなかった。
だた、それが恋愛感情だとは思わなかったし・・・。」
「そんなこと訊くか、普通。」とか言いながらもやっぱり答えてくれる。

「ふう・・・ん。じゃあ、こんなことした時は?嫌だった?」
「・・・・・・」

岩城が閉じていた目を開ける。夜の海と同じように月の光を少しだけ反射し、その光が
揺れていた。
「・・・な・・・い・・・」
「なに?よく聞こえないよ。」
少しだけふくみ笑いをした香藤を岩城が小さく諌めた。
「お前が口をふさ・・・ん・・・」
「なに?」
「・・・・・・ぁっ・・・」

何度も唇を香藤から重ねた。
吐息の湿度は上がって唇から濡れた音も漏れるが、喉は貼りつくように乾いていく。
なのに、カラカラになった喉から出てくる言葉はしっとりしていた。
岩城が香藤を呼ぶ声も。
「かと・・・う・・・」
「岩城さん、ここで・・・・・・いい?」

今更止まれるわけがない。
潤んだ瞳。
そっと自分に回されたしなやかな腕。
意外と細い腰。
自分と同じ体温。
───── そういったものを体中で感じて。

「俺、頭師じゃなくてよかったと心底思うよ。だってこんな岩城さんの顔を見ていたら
きっとその顔を思い出して顔を作っちゃうよ。そんなことをしたら色っぽ過ぎる顔に
なっちゃうじゃん。」
「バカ、何言ってるんだ・・・。」
少し怒った顔も。
「だから人形師でよかったな、って。これからは岩城さんの体の線を思い出しながら
胴を作ちゃおうかな。」
「お前、何考えながら作業しているんだ?」
腰に回された腕を気にしながら岩城が抗議する。
そんな恥らった顔も。
「俺?いつも、それこそ一日中岩城さんのことばっかり考えてるよ。不謹慎?で、今
こうして岩城さんの体温を感じながら今度は人形のことを考えちゃう。」
「人形師の性だな。」
少し溜息をついて優しく微笑んだ顔も。
「岩城さんは、仕事中何考えてるの?俺のこと考えてくれないの?」
「それは・・・っ」
言葉に詰まった岩城を見て答えが分かってしまった。
全てが愛しい。

「ね・・・今すぐ、ここで・・・岩城さんの心も、体も、それと岩城さんが好きな仕事
も全て欲しいんだ。いい?」
「ずいぶん欲張りなんだな、香藤は。しかも、今の今か?手が早すぎだ。」
「そう?だって俺は、もう前から待ってたもん。それに岩城さんだから欲張りになっ
ちゃうんだよ、きっと。」
岩城の目を見つめながら香藤は言った。
「俺のせいにするのか?随分だな。」
少し呆れたような口調も本心から怒っているのではないのがすぐ判る。
「だけど俺は自分のことすら儘ならないと思っているのに・・・それなのにこんな俺
でもお前と同じように欲張っていいのか?」
「もちろんだよ。もう俺、岩城さんのことしか考えられないもん。」

回されていた腕に力が入った。
そっと触れ合った互いの唇。


岩城が自分の許に降りてくる。
そして舞うのは・・・・・・浜辺、松の前。


舞った後も、離さない。


* * * * * * * * * *


「ごめん・・・ね?」
窓の外ばかり見ている岩城に向かって何度言ったことだろう。
歩くことも儘ならなくなった岩城のために駐車場まで車を取りに行き、岩城を抱き上
げて助手席に乗せた。
が、そこから先が・・・・・・・・・。

「お前のせいでこんな時間だ。」
ボソッと返事が零される。
「だって・・・思ってたより岩城さん軽くて、それに・・・」
「それに・・・なんだ?」
「俺につかまってた岩城さん、可愛かったんだもん。」
折角自分のほうを向いた岩城が、やっぱりまた窓の外を向いたままになった。
しかも香藤の後頭部にはなかなか引かない痛みが残った。


「大丈夫?」
本当はこのまま同じ部屋で、同じ布団の中で、などと思うがそれは叶わない。
出来るだけゆっくり車を走らせても離れなければならない時間は来てしまう。
「ここでいい。だいぶ落ち着いたし。」
家の前まで車を着けようとしたが、店の前でいいと言われた。
裏まで車を入れると目立つと考えたからだろうか。ちょっとした分別の差が淋しい。
店の前で車を止めドアを岩城が開ける。
室内灯が点き、はっきりと顔が見える。
このまま帰したくない。
(岩城さんもそう思っているんだよね?)

「おやす・・・」
最後のひと言は、唇の中に消えた。



;;あと少しお付き合い下さい;;
‘04.06.17.



★お待たせしましたv 続編です(*^_^*)
皆さん首がながーくなったことでしょう(笑)。
・・・・で、舞いましたね?
ふたりで月明かりの中、浜で・・・・まあまあまあまあ(煩い)v
互いを「天女」だと言う、なんてらぶな恋人達・・・・
ああ、私も一緒に舞って良いですか??
(こんな素敵な話のコメントとしてどうかと思います・・・ごめんなさい)