ALONE





真っ暗な家の玄関を開ける。
家の中はシンと静まり返り、人の気配は感じられない。
香藤がアメリカに行ってもう随分経つのに未だにこのドアを開ける瞬間が嫌で堪らない。
香藤の不在を思い知らされるこの瞬間が。


  『岩城さんお帰りー!』
  香藤が仕事を干されてからドアを開ければいつも笑顔が出迎えてくれた。
  ドアを開ければ香藤の笑顔が見られる、そう思うと心が弾んだ。
  日中一人で過ごし色々思い悩むこともあったろうにいつも笑顔だった。
  そんな香藤の心中を思いながらもその笑顔に癒されていた。


ダイニングに入って灯を点け、清水さんが用意してくれた夕食をテーブルの上に置いた。
香藤が居なくなってからの俺の食事は殆ど清水さんが用意してくれている。
朝は迎えに来る時に持って来てくれ、昼や夜、現場で弁当が出る時も可能な限り別に栄養バランスを考えた食事を用意してくれる。
どうやら香藤がアメリカに行く前に念入りに頼んだようだ。


  『俺の大事な岩城さんの身体に何されるか 怖いよ』


以前の香藤の言葉を思い出す。俺は食事に関してはあいつに全く信用されて無いらしい。
お茶を煎れて椅子に座る。本当のところ食欲など無かった。
元々食に執着が薄い上に一人の味気ない食卓が輪をかけていた。


  『今日は新しいメニューに挑戦してみたんだ・・・・・どう?』
  『美味しいよ。』と答えるとドキドキした顔が満面の笑みに変わる。
  『よかった〜。』と本当に嬉しそうに笑った。
  そして、こんなふうに工夫したとか俺好みになるようアレンジしてみたとか
  楽しそうに話した。


例え話さなくてもテーブルの向こうに香藤がいるだけで楽しく料理もより美味しく感じた。
今は何を食べても味を感じない気がする。
しかし身体を維持するためには食べなくてはならない。
半ば義務のように食事を口に運ぶ。食事までもが仕事のようだ。



殆どお茶で流し込むようにして食事を終えビールを手にリビングに移る。
ソファーに身体を投げ出しテレビを点け見るともなしに眺める。
最近はスケジュールが過密で帰宅は深夜になることが多い。
こんなふうにたまに早く帰ると時間を持て余し空虚さが押し寄せてくる。
襲い来る孤独感にこの家から逃げたしたくなる。
そんなことをしても無駄なのは分かり過ぎるほどに分かっている。
この飢えと孤独感を癒してくれるのは香藤だけなんだから。



仕事をしていても香藤を渇望する気持ちは常に心の中で渦巻いている。
それを押し隠し、『俳優 岩城京介』を演じ続ける。
『穏やかで人当たりがいい』と言う『俳優 岩城京介』のイメージも確かに俺の一面で無理して作っているわけではない。
しかし枯渇感に苛まれ続ける今はそうあることが苦しく、まさに『演じている』状態だった。
一日中何かを演じ続け、帰宅した時には心身ともにくたくたになっている。
帰宅しても香藤がいないことが俺の心を更に重くする。
香藤はいつもストレスを溜めやすい俺の心を嘘のように軽くしてくれた。
その言葉で、笑顔で、そして熱い身体で。
依存しているつもりは決してない。
それでもいかにいつも香藤に支えられていたのかを思い知る。



テレビを点けたまま明日の台本を頭に入れる。
こうして集中していると少しは孤独感を忘れることができる。
テレビを点けているのは台本を閉じた時、シンと静まりかえっているのが嫌だからだ。



いつもはシャワーで済ませるが今日は久しぶりにゆっくりお湯に浸かった。
全身が温かいお湯に包まれると身体から疲れが抜けていくような気がする。
しかしやはりここでも香藤を思い出さずにはいられない。
俺を抱きこむようにしている香藤の指がやがてイタズラに動き始める。
それはあっけないほど簡単に俺の身体に火を点ける。
一緒に入ることを承諾した時点でこうなることを予想し許しているも同然だった。



寝室に上がると香藤のベッドの脇に膝を付きそっと枕に顔をつけ匂いを嗅ぐ。
我ながら女々しいと思いながらもそうせずにはいられない。
その残り香も徐々に薄れてきて主の不在の長さを物語る。
本当はここで眠るのは辛い。一番濃密な記憶が詰まった部屋だから。
香藤の逞しい胸や力強い腕、そして俺を翻弄する指を鮮明に思い起こさせる。
思い出しても身体が疼くと言うわけではない。
俺の身体を熱くすることは記憶の中の香藤でさえできない。
もうそれは本物の香藤にしかできないこと。
抱かれたいとかではなく寂しさと会いたいと言う気持ちだけがどんどん募っていく。
香藤、香藤、会いたい、会いたい!会いたい!!
だが、どんなに寂しくても疲れが眠りへと誘ってくれた。





朝、目覚めると同時に静まり返った空間にまた一人を思い知らされる。
今日は朝から持宗監督の現場だった。
俺はこの現場にぎりぎりの精神状態で臨んでいた。
それでも持宗監督には満足がいかないらしく厳しい注文が飛ぶ。
容赦ない言葉をぶつけられ、身も心も削るような芝居を求められる。
昼の休憩に入るころにはすでに精神的にボロボロになっていた。
楽屋に入ると倒れこむように畳に身体を投げ出す。
ひと時だけ演じることから開放される。
緩慢な動作で手を伸ばしバッグから携帯を取り出した。
いつもどおりメールが着信していた。
香藤からの一日一通だけの写メールだ。
時差を考えていつも日本時間の正午にメールをくれる。
メッセージは殆ど決まって《今日も元気だよ》などの極短いものだけ。
写真は以前と変わらない明るい笑顔。
いや違う、日に日に逞しさと精悍さを増している。
俺は起き上がると髪と服を調え、写真を撮って香藤に送った。
《俺も元気だ》とこちらもほぼお決まりになった一言を添えて。
笑顔を作ることは難しくなかった、香藤を思えば自然に微笑が浮かぶ。
しかし、それは束の間もこと。
すぐに香藤をライバルとして考える自分が頭を擡げる。
香藤に負けたくない。ずっと胸を張って香藤と並び立っていたい。
その思いだけが今の俺を支えていた。
どんなに辛くてもボロボロになっても誰にも助けてもらうわけにはいかない。
俳優としてより高みを目指すために自らこの仕事を選び、今の状況に身を置いているんだ。




コンコンーーーーードアをノックする音。
また演じ続ける時間が始まる。




END

'06.8.2  グレペン






なんて辛い・・・そして同時に強くなろうとしている岩城さんです
まさに自分自身との闘いですよね・・・
香藤くんとの関係が甘いだけ無いことを改めて知らされます
この潔癖なまでの考え方が岩城さんの魅力でもあるんですよね・・・

グレペンさん、素敵な作品ありがとうございますv