#2:solitary Waltz for intoxicated Dog  〜後編〜
香藤と2人きりになると、岩城は話しかける事もなく慣れた手つきで肩を組み、歩き出した。
が、香藤はいつもにまして千鳥足でなかなか真直ぐ進んでくれない。
言っても無駄だと思いながらも岩城は香藤に注意を促した。
「加藤さん。まっすぐ歩いてください。」
その岩城の一言を聞いて、よろよろとしていた香藤は、ピタリと立ち止まった。
「加藤さん?どうしたんですか?」
突然の香藤の奇行に、岩城は小首をかしげた。
「字が違う。」
「は?」
「だからぁ、字が違うのっ。」
「ジガ、チガウ?」
香藤は少し困った顔をして、岩城を見つめた。
「加藤じゃなくてね、香藤なの。」
岩城はもっと困った顔をして、こう言った。
「加藤さん、言ってる意味がよく分からないんですが…。」
本当に香藤の言っている意味が分からなかった。
岩城は2年間加藤だと思い込んでいたし、
会話らしいものを交わすのは今日が初めてだった。
岩城には、『加藤じゃなくてね、加藤なの。』としか聞き取れない。
酔っ払い特有のおふざけにしか思えなかった。
香藤はそれを感じ取ったのか、
「も〜っ!!これでもくらえっ!!」
と、素早く岩城の肩をガッと掴み、
いきなり香藤に両肩を掴まれた岩城は
本能的に肩をすくめ、顎を引き、目をギュッと瞑る。
(やられるっ!!)と岩城は思った。
しかし、岩城の意に反し、香藤が何かをする気配は無い。
様子伺いに、そっと、片目を開けると、眼前には香藤のニイッと笑った顔があった。
あったかと思うと、
「へへ。ビックリした?キスするかと思った?しないよ〜。男にな〜んか♪。」
なんて事をのたまった。
ニコニコと笑う香藤を見て、
岩城はフッ、と自嘲気味に笑い、
(2年前は、女に見えたって事か?)
と過去を振り返った。
そんな余裕はあったものの、残りの全神経は自分の感情を殺すことに向けられていた。
(こいつはお客様なんだから、我慢だ、我慢。そうそう。我慢、我慢………我慢。)
岩城はまた額に手を置いていた。
「カトウさん。とりあえず、洗面所に行きましょうか。」
「もういいよ。カトウでさ。」
そう言うと香藤は糸が切れたように岩城に凭れ掛かった。
岩城は気を取り直し肩を組みなおすと、香藤を引きずる様に、
2階の店と階段の中央地点にあるレストルームへと向かった。

時間はかかったもののやっとの事でレストルームに辿り着き、香藤を洗面台へとやった。
2階のレストルームには、スタッフ用にとバスタブとシャワーが備え付けられている。
バスタブは足を伸ばせるほど広く、部屋自体も比例するように広い。
「水とって来ますから。」
そう言い残し、岩城が部屋から出ようとしたその時、
「ちょっと、待って……。」
と、香藤に包まれるように後ろから抱きつかれた。
「今度は何なんですか?カトウさん。」
もう香藤に抱きつかれ様が、岩城は驚かない。
ただ溜息が出るだけだった。
「ごめん…。もう、我慢できないよ…。」
耳元で囁かれる。
(お前が何を我慢してたって言うんだ!!)
心の中でつっこみ、文句の一つでも言ってやろうとしたが、
香藤の燃えるように熱い唇が岩城のうなじにソッと降ってきて、
それが、岩城の思考を停止させた。
香藤の世話をしだして早2年。
今までこんな展開はなかった。
香藤の唇は岩城を味わうように、
何かに惹かれるかのごとくゆっくりと、
左の首筋へと向かっていた。
香藤をその気にさせるには、十分過ぎる時間が経っていたようだ。
岩城は、ハッと意識を取り戻した。
「っ!?止めろっ!!頼むっ!!」
嫌な予感がする。
香藤を払い除け様としても、抱き着かれていて動くことも出来ない。
「離せっ!!カトッ……!!やっ…」
岩城はただ、肩を落とした。
「…られた……。」
往々にして嫌な予感ほど当たるものだ。
香藤の胃に納められていたアルコールが盛大に岩城の背中に浴びせられたのだった。
気が付くと香藤は汚れを避けるかのように器用に右肩に凭れ掛かっていた。
「京介君、大丈夫か?」
悲鳴にも近い叫びを聞きつけてシンが駆けつけた。
「ええ。まぁ。」
「こりゃ、ついとらんの。厄日ってやつかのう?」
少し遅れてコンもやって来た。
「そうかもしれませんね。」
うなだれている岩城を2人は気の毒そうに見やった。
「とりあえず、洋二君を向こうの部屋に運ぼうか。」
「そうじゃな。」
「大丈夫ですか?こいつ結構重いですよ?」
岩城は心配しての言葉だったのだが、
「年寄りを馬鹿にすんじゃない。」
と、シンにじろりと睨まれてしまった。
「すいません…。」
岩城はポツリと呟いた。
鼻をフンッとならすと、シンとコンは香藤を引きずって連れて行った。
岩城はそれを見届けるとシャツを脱ぎ、ブランデーの匂いを嗅ぎ取ると、
「ニコラシカの飲ませすぎじゃないのか?」
とか、
「わざわざ、洗面台まで連れてきてやったのに。」
とか、
「一発ぐらい殴っとけばよかった。」
と文句を言いながら、洗面台でシャツの汚れを洗い始めた。

シャツの汚れも落ち始めた頃、ガンガンと無遠慮にドアをノックする音がした。
「どうぞ。」
そう言うと、ドアはバンッと派手な音を立てて開いた。
「あぁ、鈴希さん。」
「岩城さん、大丈夫ですか?マスターに様子見て来いって言われて来たんですけど…、
随分そそる格好してるんですね。」
ドアノブに手を掛けたまま、上半身裸の岩城に何が起こったのかを推測し、
鈴希は同情の声を投げかけた。
彼女、名は鈴希と日本人らしいが、半分アフリカン・アメリカンの血が流れている。
母親譲りの大きな目と口とウェーブがかった長い黒髪と、香藤と1・2を争う歌い手で、バーテンダー兼ウエイターとして働いている。
「俺は大丈夫だよ。後でシャワー浴びるし。」
「そうですか?吉澄さんが洒落になんない事言うから、
マスター機嫌悪くなっちゃって。1階は大変ですよ。」
鈴希の言葉には溜息が混じっていた。
「金子さんも大変みたいだね。でも今一番大変なのは、加藤さんかな。」
呼び方は無意識にカトウから加藤に変わっていた。
「まぁ、だいぶ飲まされてたから、無理もないですかね。」
「どれくらい飲まされてたか分かるかな。」
「ずっと見てたわけじゃないから分からないですけど、
レモンが無くなる程ニコラシカを。」
「えっ!?そんなに?」
ニコラシカはブランデーの入ったグラスに蓋をする様にレモンスライスを乗せ、
そのレモンの上にティースプーン1杯程の砂糖を盛った見た目も飲み方も珍しいカクテルで、アルコール度数は40を誇る。
岩城の慌て様に鈴希はカラカラと笑い出した。
「岩城さんったら、物の例えですよ。」
「鈴希さん…、俺は加藤さんの事を考えて…」
「あっ、そうだ。岩城さん。いい事教えてあげますよ。」
鈴希の勢いに、岩城は言いかけたセリフを飲んだ。
「ん?」
「香藤さん、加藤じゃないですよ?」
「は?」
「香る藤って書くんですよ。」
「………?」
「私、よく鈴木と間違えられるから、そういうの判るんです。
じゃぁ、大丈夫そうで良かったです。」
鈴希はそう言うとドアを勢いよく閉め、階段を下りていった。

広いレストルームに一人取り残された岩城は狐につままれ、化かされた気分だった。
「本当に、加藤じゃなかったのか………。」
ふと、我に返り、出しっぱなしだった蛇口を止めるた時、
微かに聞きなれたメロディーが岩城の耳に入ってきた。
それはマスター自慢のゴールドラッカーで仕上げられたトランペットが主役の曲だった。
「『マイ・ウェイ』か…。あいつの、香藤の為にある様な言葉だな………。」
香藤の困ったような顔を思い出し、岩城はついクスリと笑ってしまった。
コンとアオイは2ヶ月ぶりの香藤の寝顔を見て微笑み合っているだろう。
シンはカウンター席でコーヒーの御代わりを待っているに違いない。
(結局、香藤の面倒を見るのは俺しかいないからな。早く戻らないと。
でもその前に、シャワーくらい浴びさせてくれよ。香藤。)
後ろに香藤を感じつつ、岩城は手短に身を清めた。

豪快なトランペットのメロディーに
憂鬱なフルートのオブリガートと
退屈そうなストリングベースのロングトーン、
華々しいピアノのリズムだけがそれらを面白がっていた。
ラグタイムの雰囲気が漂う、ただの音楽好きの演奏だったが、
『マイ・ウェイ』は香藤の子守唄となり、それぞれの思いを乗せて鳴り響いていたという。

こうして『k’s cafe』に2ヶ月に1度訪れる悲喜劇は無事に幕を閉じた。
いつもと違うことがあるとすれば、
香藤のアルコール摂取量がいつも以上に多かった事と、
岩城が初めて香藤を香藤と呼んだ事くらいだろう。

季節はずれの暖かい雨は一晩中降り続いていた。

2006/03/25 tenugui




最後まで読んでくださった方、
この一言に尽きます、
本当にありがとうございました!!
結構オリキャラが出てきますが、
そういうの苦手な方ごめんなさい。
#1からは#0の様な関係になるまでの過去話です。
ちょっとややこしいですがご了承下さいませませ。
先は長そうですが、お付き合いして下さればこれ幸いです。
(tenuguiさんコメント)