エンプティ エリア
今まで、いかに2人の仕事が重なり、忙しい日々が続いても、互いに顔を会わせないでいる期間、互 いの肌に触れることが出来ない期間、それが、もっとも永くてどのくらいだっただろう。 岩城のバリ島でのロケがスタートしたのが、今月の初旬だった。 2週間の予定だった。 2週間でも十分、互いに永く感じる時間になることは間違いなく、香藤は岩城が出かける直前まで、 ぐちぐちと未練たっぷりの言動を見せていた。 「毎日、絶対電話する!」 「ああ、そうだな」 「メールもする!!」 「そうか?」 「岩城さんっ!!」 「んっ?」 「大丈夫?」 「・・・・何が?」 「ひとりで!」 「・・・・・香藤」 「えっ?」 「俺がいくつだと思ってるんだ?」 こんな会話のやり取りが、いい加減ここ数日、続いている。 香藤は、何かといえば、「じゃあ、岩城さんは寂しくないの?」と、必ず最後にこう訊いてくる。 寂しくないわけがない。寂しいに決まっている。 そのことを何度でも、口にして告げれば、香藤も納得するのだろう、が、決まりきったことを言葉に して伝える行為が、岩城には欠落している。 なかなか納得のいく返事が返ってこない岩城へ、香藤は最終手段に出た。 香藤は、ベッドの上で、その会話を始めた。勿論、裸で重なりながら。 一突きされるたびに、ねぇ・・・と、問いかけられ、快感と責務が岩城の頭を押し上げる。 きちんと言葉にして伝える、それが大切だ、と、抱かれているときの頭では、愛の力がその答えを示 してくれる。 しかし、こう責められては、口にしたい言葉も、喘ぎに押しやられ、繋がらない。 岩城は、「か・・とう・・ちょっと・・・待て」と、香藤の腰を両手で押えた。 互いに荒い息を吐きながら、頭上の香藤の顔を不安定な視線で見上げる岩城は、おぼつかない言葉で 気持ちを口にした。 「・・俺も・・・寂しい・・きっと・・凄く・・逢いたい、と・・思うだろうな・・こうやって・・ お前の肌を・・感じたい・・と・・」 香藤の表情は見る間に輝いた。 ひと言「岩城さん・・言い過ぎ」と口にすると、その夜は寝かせてもらえなかった。 無事、岩城が機上の人となり、互いに声を聞くだけの毎日に突入した。 単発2時間ドラマの収録のため、バリで2週間を過ごすことになった岩城だが、詰めたスジュールで の撮影は、香藤のことを考えて、感傷に浸る間もなく、疲れ切ってホテルへ帰ると泥のように寝る、 という毎日だった。 香藤は香藤で、連続ドラマの収録があり、毎朝、金子に迎えられて出ると、夜帰宅、という毎日だっ た。 バリと日本は時差が2時間しかなく、勿論、電話もメールも、隙間を縫っては行き来し、最初の1週 間くらいは、然程、不自由を感じずに毎日をやり過ごせた2人は、ひょっとしたらこのまま、2週間 があっという間に過ぎていってくれる、とさえ、感じ始めていた。 しかし10日目くらいから、やはり、それは幻想だったと、思い知らされた。 香藤の顔を見れない、肌に触れられない、という苛立ちが、岩城の中にも徐々に生まれ、いくら疲れ ていても、眠りが浅かった。 10日目の夜、11時を回った頃、明日は早朝ロケ、ということで、早めにベッドへと入ったが、一 向に眠れない。 1時間ほどして日付変更線を越えた頃、岩城はホテルのラウンジへ降りて、酒を飲んだ。 1人、部屋で過ごす時間も、さすがに飽きてきていた。 寝酒でも飲めば寝れるだろう、と思って、気分を変えるために降りたラウンジだった、が、直ぐに、 ルームサービスにするべきだったと、後悔させられた。 カウンターへ座り、5分もしない間に、1人、その後、グラスを空けるまでに2人、計3人の男に声 をかけられた。そのうちの最後の1人は、うんざりするほどしつこかった。 ホテル内から出る気もなく、ただ階下に下りるだけ、そう思って、黒のストレートパンツに白のシャ ツを無造作に羽織って降りた、そんな岩城が、ひとり、カウンターでグラスを口に運ぶ、その姿は、 本人の意識のないところで、余りに無防備過ぎた。 日に焼けた若い肌と顔立ちは、柑橘系のコロンを漂わせて自信に満ちた態度で岩城を誘い、岩城は、 といえば、誘われれば誘われるほど、そこに香藤を思い出し、求めた。 部屋に戻り、ベッドへ横になる前に、冷たいシャワーを浴びた。 ベッドへもぐって、目を閉じると、香藤の笑顔が浮かんできた。 香藤に逢いたくて仕方なかった。 次に日、香藤が電話で「もう少しだね」と、嬉しそうに口にした。 岩城は素直に心から「ああ、ほんとにそうだ」と、答えた。 「岩城さん、ナンパ、とかされてないよね!」 いきなり、香藤が、まるで昨夜の岩城を見ていたかのように訊いてきた。岩城は驚き、「そんなことは ない」と、答えたその声が、しっかり嘘を隠し切れない声色になっていた。 「ふーん・・・」 そう答えている香藤の声が、不信感に染まっていた。 「何だ・・そんな事ないって言ってるだろ」 「嘘」 「えっ?」 「岩城さん、1人で動いたね」 「動いた・・って・・そりゃ、2週間もあれば、いつも誰かと一緒ってわけには」 「1人で、バーとか行った?」 「いっ・・・・・・た」 嘘も方便、ということは、岩城にとって、事前の計画性がなければ、到底間に合わないことで、この ときの岩城には、勿論、無理な相談である。また、特にこういった状況に追い込まれると、圧倒的に 香藤のほうが、達者だった。 「いつ?」 「・・・昨夜・・・ちょっと寝れなくて・・」 「どこへ?」 「ホテルの・・・ラウンジで・・ロックを1杯飲んだだけだ!!」 「ふーん・・・それって10分ぐらい!ひとりで!お酒を!飲んでた!ってこと?」 「・・・・・・・そう・・かな・・いや、もっと短かった・・」 「何人に声をかけられたのっ?」 「何人って・・・そんな・・・」 「な・ん・に・ん?」 「・・ふた・・・・3人・・・だった・・か・・な・・」 電話の向こうで、思いっきり深い溜息が返ってきた。それを耳にして、まるで校則を破った生徒のよ うに、岩城は後ろめたい気持になっていった。 今頃になって、何も正直にここまで話さなくても良かった・・と、そんな事を考えていた岩城に、香 藤が「岩城さん!!」と、話しかけてきた。 「岩城さん、あのね、いい加減、自覚しようよ」 「・・・何を?」 「自分の魔力」 「魔力・・・って・・・人を妖怪みたいに・・」 「それとも、何?たまにテストしてるわけ?まだ自分に魅力があるかどうか?1人になって」 「あのナ、香藤、昨日は寝れなくて、それで仕方なく、酒を飲みに降りただけだ!」 「そんなの、ルームサービス取ればいいじゃん」 「ああ!!俺も後からそう思ったよ!!」 そう岩城が言うと、また向こうから思いっきり深い溜息が返ってきた。 「・・・・・あ〜あぁ・・・もう、何か、俺、こうやって、一生ずっと、心配し続けなきゃいけないの かなぁ・・・・」 そんな事を言う香藤がおかしくて、思わず岩城は笑ってしまった。 「何で笑うかなぁ・・・そこで・・」 「・・・お前、一生、って・・・心配するな、俺だって、ちゃんと歳は取る」 「・・・そこが問題なんだよなぁ・・・何か・・岩城さんって・・・ひょっとしたら、歳、取らないか もしれないし・・・・・」 「そんなこと・・あるわけないだろ!!」 「・・・・・・」 「・・・・・」 「・・・どうして寝れなかったの?」 「・・・お前のこと・・・考えて・・・」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 「・・・岩城さん・・・逢いたいよぉ・・・」 「・・・ああ・・俺もだ」 「早く帰ってきて」 「・・それは・・無理・・・」 「けち!!」 けちと言われて、岩城はその日、一日中、香藤が言ったそのままの声色が頭から離れなかった。 岩城も日一日と、時間を折る様に、香藤との再会を待ち望むようになっていた。 いよいよ、明日、岩城が帰ってくる、そんな日は、朝から香藤は上機嫌で、何をしていても顔が笑っ ていた。 そんな香藤へ、金子が「香藤さん、ちょっと・・・」と言って、リハーサルの休憩時間に、やけに改ま って声をかけてきた。 「何?金子さん」と、満面の笑顔で振り向く香藤に比べて、金子の表情に笑顔はなかった。 「何、金子さん、そんな顔して・・・」と、そこまで口にして、香藤は手に持っていたコーヒーをテー ブルに置くと、「まさか、岩城さんに何かあったんじゃないよねっ!!」と、血相を変えて叫んだ。 「・・ち、違います」 金子は慌てて答えた。 「もー、金子さん、驚かさないでよ、それなら、もっと明るい顔で言ってよ」 と、香藤は再び、手にコーヒーを持った。 「違うんです・・・が・・あの・・次週に出発予定だった、沖縄でのロケ、なんですが・・」 「うん、それがどうかした?」 このドラマの後半の部分が、沖縄でのロケになっていた。 岩城が帰ってきてから6日後の出発予定だった。 「・・・明日の朝・・・発つことになりました」 「ふーん、明日の朝・・・・ええっ!!!明日の朝!!」 香藤は思わず、コーヒーを床にこぼしかけた。香藤の叫びに、そこら中のスタッフが振り向いた。 「ちょ・・ちょっと待ってよ、金子さん、明日の朝って、何でそんな事になるのっ!!出発、来週のは ずでしょ!!」 「はい・・・そうだったんです・・が、今朝、急遽変更になりまして・・・来週末あたりで、どうも大 型の台風がやってくるらしくて・・・それで明日の朝、と言っても、昼前なんですが・・・出発する ことになってしまい・・」 「ええっ!!どうしてだよ、そんなの、台風が行っちゃってから、撮ればいいじゃん!!」 「ええ・・それもちょっと・・・他の方のスケジュールがどうしても無理、ということと、撮りが結構 押してるんで・・・」 「じゃあ、じゃあ、夕方発つんじゃだめなの?俺だけ、俺だけ後から追いかけるからさ!!」 もう、香藤は必死だった。 岩城が帰宅できるのは、早くて明日午後3時ごろ、その時間に30分でも重なればいい、と思った。 一瞬でもいい、顔が見たい、キスがしたい、抱きしめたい、そんな考えが香藤の頭に充満しているこ となど、金子はすっかり承知の上だった。 金子もそのことを考え、ありとあらゆる策を練ってみたが、どうにもならず、今に至っている。 「すみません・・・それも考えたんですが・・・満席なんです・・・その便しかなくて、飛行機」 「・・・・・・・・」 「すみません・・・ですから、香藤さんにはどうしても、明日、その便に乗っていただかないと・・」 香藤の顔が、見る見る間に泣きそうな顔になっていった。 「・・・だって・・・だって・・・金子さん、逢ってないんだよ・・岩城さんと・・・2週間も・・明 日、やっと・・」 「すみません!!」 これ以上、金子を責めるのは間違っている、と、混乱した香藤の頭でも、判っていた。判ってはいた が、しかし、これはないよ!と、心の中で叫んでいた。 沖縄のロケに明日から出かけて、台風をやり過ごして、帰ってくるのは、早くて10日前後、つまり 延べ1ヶ月近く、岩城に逢えないことになる。 今までで最長期間、だった。 その日、電話でそのことを岩城へ伝えた。 電話口で、それとはっきり判るほど、岩城の落胆が伝わってきた。 しかし、仕事が関わっているため、直ぐに岩城のその声色も、回復した。勿論、精一杯の虚勢を張っ て、のことだった。 「気をつけて行ってこいよ」 そう最後に言う岩城へ、香藤は言った。 「岩城さん・・・言ってよ」 「・・・何を?」 「・・・もう、俺、諦めてるから、明日、ちゃんと飛行機乗るからさ、岩城さんがどんなに寂しがって も・・・だから、ちゃんと言って、お前に逢えなくて寂しいって」 「・・・・寂しい・・香藤、お前に逢いたい・・」 「・・・・うん・・・ごめんね、岩城さん・・・ありがと」 口にすれば、その思いを再確認してしまい、余計辛くなる、そう思いながら、でも、どうしても聞き たかった、岩城からのラブコール、だった。 次の日、香藤はすっかり出発の準備をして、家を出ようとしていた。 金子の車に乗るため玄関を出ようとすると、金子が、「香藤さん、忘れ物ありませんか?」と訊いてき た。珍しいことを訊いてくる、と思いながら、「うん、大丈夫、金子さんがいれば、俺、安心」と、笑 って答えた。が、その笑顔はどこか、崩れていた。 「火・・・火の元、ちゃんとしました?」 「大丈夫!!」 「鍵は?戸締り、ちゃんとしました?」 「・・・もう・・金子さん、どうしちゃったのさ」 そう言いながら、車に乗り込む香藤へ、「いえ・・そうですか。じゃ、行きましょうか」と、そう言っ て、金子も車に乗り込んだ。 金子が車のエンジンをかけたそのとき、背後から物凄いスピードで、タクシーが道へ入ってきたかと 思うと、車の後ろで急停車した。 香藤は「なに?もう、うるさいなぁ・・」と、後ろの窓を振り向いた途端、「ええっ!!」と叫んで、車 から転げるように飛び降りた。 タクシーから降りてきたのは、岩城だった。 「岩城さんっ!!」 そう言いながら、岩城に走り寄り、人目もはばからず抱きついた。 「お・・おい、ちょっと待て」 そう言ってうろたえる岩城の手を掴むと、有無をも言わせず、岩城の体を引いて一目散に玄関へと走 り、先ほど閉めたばかりの鍵を開けると、香藤は家の中へ、岩城を引きずり込むように入った。 その背後から、金子が、「香藤さんっ!!3分!!3分ですよ!!もう、ぎりぎりですからっ!!」と 叫ぶ声がかぶってきた。 実は金子は、昨日あれから清水へ電話を入れ、香藤のスケジュールの変更を伝え、調べてみると、岩 城が早朝1番の便に乗ってくれれば、ぎりぎり、こちらの出発に間に合うかもしれない、と、伝えて いた。もちろん、バリでのロケが、既に終了していれば、という話だった。 その日は、帰国するだけのスケジュールになっていたので、清水は岩城へそのことを伝え、急ぎ、飛 行機の手配をした。 金子は、これらについて香藤へはあえて伝えなかった。 間に合うか間に合わないか、本当に微妙なラインだったので、もし香藤へ下手に期待を持たせて、駄 目だったときのことを考えた。 ぎりぎりまで、車を出すのを躊躇していた金子だったが、今は心の底から安堵して、タクシーを降り てきた清水へ、頭を下げて挨拶をした。 互いに自然に笑みがこぼれた。 玄関の中へ岩城の体を引き込んだ香藤は、そのまま壁に岩城を押し付けると、その懐かしい唇を塞い だ。息つく暇もない勢いだった。 岩城の唇をむさぼりながら、香藤の左手は岩城の頭を抱え、右手はその体を引き寄せると、隙間なく 密着させた体を、折れんばかりの力で抱きしめていた。 勿論、岩城も、自分を抱くその懐かしい体を強く両手で抱きしめた。 互いに、何も考えられないほど、頭が炸裂していた。 深く強く舌を絡めながら、香藤がもうひとつの舌を求めると、岩城の舌も同様に、強く吸い付き求め てきた。 互いの鼓動が激しく高鳴り、それは相手にはっきりと伝わるほどだった。 香藤の唇が離れ、僅かな隙間を造った。 荒い息の端から岩城が、「か・・と・・・」と呼びかけた、その唇を、直ぐにまた香藤の口が覆い、再 び何度も角度を変えながら、熱い舌が絡み付いてきた。 どれだけ貪っても、足りない、そう思える程、飢え切っていた。 背後に回されていた香藤の右手が、岩城の尻へ這い降り、布の上から、強く何度も揉み砕いてきた。 熱い舌とせわしく動く指に散々翻弄され、揺さぶられる岩城の腰が力なく砕け、その腰を、香藤の腕 がしっかりと抱え込んだ。 岩城は、全体重を香藤へと預けることの心地よさを、その身で久しぶりに感じながら、頭から生まれ る痺れが、全身へと急速に旋回し始めていた。 香藤の背へ回した両手で、そのシャツを握り、岩城は、僅かなりとも体勢を保とうとした。が、腰か ら下が、何処にあるのかも判らないほど、体全体が浮遊していた。 密着した互いの下半身が、熱を持って硬く欲望を訴え合っていた。 香藤の唇が、岩城の唇から頬へ、そして耳へと這いあがりかけた、そのとき、ドアの外から「香藤さん っ!!時間ですっ!!」と、金子の声が響いた。 互いの体が、ビクッと跳ねた。 香藤は岩城をかき抱いたまま、その官能で潤んだ瞳を見下ろし、岩城はその腕に体を任せながら、燃 えるような香藤の瞳を見上げていた。 数秒、そうやって、互いに無言で見詰め合っていた。 そんな2人の間にある狭い空間で、湿った熱い息だけが、行き来した。 「香藤さんっ!!聞こえてますか?」 再び金子の呼びかけが聞こえ、香藤がひと言、「うん!!後30秒」と、叫んだ。 岩城の体を、ゆっくりと玄関の上がりかまちに座らせ、その前にしゃがむと、目の前の愛しい顔を両 手ではさみ、そして髪をすき、頬へ手のひらを滑らせた。その手に、上からやんわりと岩城の手が重 ねられてきた。 「愛してる・・・岩城さん・・」 香藤が呟いた。 岩城が小さく頷き、俺も、と、濡れた唇を動かした。 官能に潤む岩城の瞳に吸い寄せられ、この場で押し倒したい衝動と、香藤は、必死の思いで戦ってい た。それは、岩城も同様だった。香藤を送り出さなければいけない、という、その思いが、よもすれ ば、引き止めたい欲望に負けてしまいそうだった。 その岩城の手の下から、香藤の手がスルッと抜け、あっ・・・と、呟いた岩城に、香藤は僅かに悲し そうな笑顔を向けると、小さく「ごめんね」と告げ、玄関を開けて出て行った。 3分でも与えられた逢瀬は、互いの心に残酷な心情を残して、あっという間に終わった。 逢えて幸せだった、しかし、逢うと、一層、苦しかった。 岩城の体は、香藤が去った後も、しばし、浮遊したまま、立ち上がることが出来なかった。 バリから帰国した岩城には、次の日から、2日の休みが続いた。 これは、勿論、帰国してからの2人での時間を考慮して、ゆっくりととってあった休みだった。が、 今となっては、むしろ休みであることが辛かった。 家は綺麗に掃除されていて、冷蔵庫には、直ぐ食べれる形で、いくつか食事が用意されていた。 香藤からのメモがテーブルの上に置いてあり、冷蔵庫にある料理の件、帰宅予定について、など、短 く書き記したあと、逢いたい、逢いたい、逢いたい、と3回続けて文字が躍っていた。 岩城はシャワーを浴びると、そのままソファーでぼんやりしていた。その内に、眠っていた。 目が覚めると夜8時を回っていた。 虚無感が体中に充満し、何をする気力も起こらなかった。勿論、食欲もなかった。 むっくりと起き上がると、そのまま2階へと上がり、パジャマに着替えて、再び、今度はベッドに横 になった。 体を丸めて、リネンを抱き込みながら、「かとう・・・」と、小さく口にしてみた。 返事はなく、隣を見ても誰もそこには居なかった。 目を瞑ると、直ぐに香藤の顔が浮かんだ。寂しくて、胸が潰れそうだった。 次の日も、香藤からの電話で、話をしたこと以外、岩城は同じように、ぼんやりと休みを1人、家で 過ごした。 香藤は、そんな岩城を見越して、電話で心配していた。 「ちゃんと食べてる?うたた寝なんかしたら、風邪引くからね」 まるで、岩城の生活を覗き見たような、的確な示唆をしながら、ロケの様子を話題にして、気を紛ら せていた。 電話で話しても、話せば話すほど想いが募り、意味のない事を、半ば上の空で会話していた。 その日は、せっかく香藤が準備してくれていた、グラタンを温めて、岩城は夕食にした。 1人で洗う食器の音は、やけにダイニングの空間に大きな音で響いていた。 やっと次の日から仕事が始まる、と思うと、岩城は嬉しかった。 後1週間、そう考えて、気持ちを持ち直し、岩城はその夜、香藤のベッドで寝ると、夢にしっかり香 藤が出てきた。夢で2人は、笑ってソファーに寝そべりテレビを観ていた。いったい何の番組を観て いたのか、そんな事は一向に思い出せなかった、が、香藤の笑顔と、そのときの幸せな感触だけは、 しっかりと覚えていた。 一旦は手に入ると信じた宝が、目前で消えた、それは、ただ逢えなかった1ヶ月という期間以上に永 い期間になった。 帰国して3日目から仕事が再びスタートした岩城は、表面から見れば、なんら変わらぬ存在だった。 しっかりと、そして誠実な態度で、確実に仕事をこなしていく岩城の姿に、その胸の内にくすぶる痛 みを知る者は、誰一人居なかった。かろうじて、清水だけが、その思いを察し、気を配っていた。 休みが開けた日から、朝、迎えに来た清水の車に乗ると、後ろの席に、コーヒーの入ったポットと、 サンドイッチが置かれていた。 「よろしかったら、食べてくださいね」 そう言って、それ以上何も言わない清水に、ありがとうございます、と、ひと言礼を言って、岩城は それを食べた。朝食など、勿論食べずに出てきた岩城だった。 その日から、毎朝、車には朝食になるものが、用意されていた。 2日目の朝、岩城が、「清水さん、すみません、気を使わせて・・・」と、申し訳なさそうに口にする と、笑いながら清水は、「そんな、たいしたものをご用意できなくて、気になさらないでくださいね」 と、言った後、こう付け加えた。 「・・・言っていいのかどうか・・・実は、香藤さんから、なんです。このこと、出発前から、お願い されていて・・・・きっと、岩城さん、食べないだろうから・・って・・・」 「・・そう・・だったんですか・・・」 そう口にしながら、にわかに目頭が熱くなり、懸命に気をそらそうと、窓の外へ視線を移す岩城だっ た。 そんな岩城をバックミラーで確認しながら、清水は黙って車を走らせた。 香藤さん、早く帰ってきてあげてくださいね、と、心の中で呟いていた。 この世で、確実なことがある。それは、時は必ず過ぎて行ってくれる、という、人間の努力を必要と しないこのルールが、今回ほどありがたいと感じたことはなかった。 今日は香藤がロケ先から帰宅する日だった。 朝から、香藤は勿論のこと、岩城も、高鳴る胸を押えられず、車で清水に、「今日、香藤さん、お帰り ですね」と、訊かれ、思い切りあけすけな声で、「はい!」と、答え、清水の笑いを誘った。 嬉しい、そんな簡単な言葉では表現しきれない、喜びだった。 香藤が帰宅するのは夕方過ぎ、その時間 、岩城は某局でバラエティ番組のゲスト出演の収録が、昼過 ぎから入っていた。が、終了すれば、そのまま帰宅できる。 夜には逢える予定だった。 楽屋で1人、昼の休憩をとりながら、岩城の頭は、香藤のことで埋まっていた。自然に顔が緩んだ。 ドアの外からノックが聞こえ、「岩城さん、お願いします」という、入りを伝える声が響くと、岩城は 驚いて、「は・・はい」と、焦って答えていた。 局の廊下をスタジオへと歩きながら、しっかりと頭を切り替える努力をした。 今日の撮りは、バラエティのクイズがらみの番組で、岩城は、5人の回答者の中のゲストの1人だっ た。5つ並べられている回答席へ座り、ある程度の流れの説明を受けた。 実は、当初、この番組は今回の出題テーマを「幕末」とし、ゲスト回答者に、岩城と香藤、両名を予定 していた。映画の宣伝を含めて、それに関わる問題を絡めた内容になっていた。が、香藤の急なスケ ジュール変更のため、ゲストは岩城1人、となった。 岩城も、そのことは事前に了承していた。今となっては、1分1秒でも早く香藤に逢いたい、と思う 気持ちもあったが、それはそれで、仕事が終われば、今日は逢える、ということもあり、1人で出演 となったことが、気が楽になった、ともいえた。 香藤の一問一答が、多分、自分の問題以上に、気になってしまうだろう、と、そう感じていた。 司会者なども定位置に立ち、今にも収録が始ろうとしていた、そんなスタジオで、プロデューサーが 右手を上げて「すみません、ちょっと待機しててください」と声を上げて、スタジオから出て行った。 ややざわつくスタジオへ、1分もしないうちに、プロデューサーが帰ってきて、大きな声でこう告げ た。 「すみません、変更します。予定だった香藤さん、今、入りますから、岩城さんの隣、右へずれて空け てください。今回は回答者6名で行きます」、と。 再び、スタジオ中がばたばた騒がしくなり、そんな騒動の中、岩城は1人、自分の席に座ったまま、 知らず体が固まっていた。今、既に香藤が帰ってきて、この同じスタジオに居る、そう考えると、ド キドキと胸が高鳴り、意識しなければ、振って湧いた再会に、顔が動揺し、全てが映し出されてしま いそうだった。 今日は逢える、そう思っていた。 しかし、それは夜。今はまだ、心の準備が出来ていなかった。 そんな岩城の姿を、スタジオの隅で、清水が見守っていた。 清水の横に金子が走りこんできて、「すみません、急なことばっかりで」と、頭を下げた。 その金子の後ろから、今度は、白のジップアップトップにホワイトデニムの香藤が走りこんできた。 少し息を切らせながら、「清水さん、ごめんなさい、突然で」と、声を残しながら、スタジオの用意さ れた、岩城の隣の席へと走った。 走りながら香藤は、スタジオのスタッフ、出演者へも、頭を下げていた。 そして、席に着き、僅かに顔を横へ向け、岩城へニコッと笑みを送った。 それに答えるべく、顔を向けた岩城の表情は、「じゃ、行きます」という声が、スタジオに響いてもな お、僅かな緊張が浮かんでいた。 香藤が座る瞬間、漂った香りに、岩城は、懐かしさと、切羽詰った焦りのようなものを感じ、どこか 落ち着かなかった。 それは、まるで昨日始まった恋愛に胸を高鳴らす恋の初心者、そんな風情だった。 司会者の声と音楽とともに収録はスタートした。 岩城なら答えられないはずのない、簡単なサービス問題、その1問目に、岩城は答えを詰まらせた。 そんな岩城の膝に置かれた左手を、隣の香藤の右手が、そっと、テーブルの下で、握り締めてきた。 びくっとした岩城のその手と膝は、瞬間、そこを引こうとしたが、その手をさらに強く握り、香藤は 暫くそうしていた。 3問目が過ぎた頃、香藤の手は自然にそこを去った。 その頃には、岩城の心も、穏やかな流れで、番組へ取り組めるよう、変化していた。 「ハイ!!OKです!!お疲れ様でした!」 声が響き、収録が無事終了した。 岩城のほうを向いて「行こ、岩城さん」と、香藤が促した。 スタジオの出口まで行き、そこで、今日の早い便に乗り、ここへ間に合うように帰ってきた、と言う 説明を、香藤と金子から受けた。 終始、何処となくぎこちない岩城の受け答えに、皆気づいていた、が、それには触れず、楽屋へ向か った。 岩城の楽屋の前に来て、香藤がついて入ろうとするので、金子が「香藤さん、香藤さんは隣ですよ!」 と、一応、たしなめた。 その声に、一瞬振り向いて、ニタッと笑った香藤は、無言でさっさと岩城を押し込みながら、自分も 入り、ドアが閉まった瞬間、ガチャ、っと、内から鍵がかけられる音が響いた。 外に取り残された金子は清水と2人、顔を見合わせ、溜息をついた。 金子が「すみません・・・・」と、小さくなっていると、清水が笑って「お茶でも飲みましょうか」と、 言った。 互いに、今度は3分やそこらでは、ここの鍵は開かない、と、確信していた。 部屋へ入り鍵を閉めるや否や、香藤は岩城の体に飛びついた。 その体にぐいぐい押されながら、岩城は奥にある畳敷きの所まで、半ば引きづられるように移動し、 膝裏がその縁に当たった瞬間、強い力で上から香藤に、半身を押し倒された。 もういちいち、説明など不要だと、香藤の行動はそう言っていた。 しかし、岩城は、そうはいかなかった。 荒い仕草で体からシャツを剥ぎ取られそうになりながら、覆いかぶさる香藤の唇から、渾身の意思で 逃れ、何とか抗議を訴えた。 「ちょっ・・ちょっと待て!!香藤!!止めろっ!!おいっ!」 体全体で、動きを塞がれては、香藤の下から逃げ出すことは難しく、しかし、肩と首を捻りながら、 さらに訴えた。 「止めろ!!香藤!!こんなとこでっ!!帰ってからっ・・」 「帰ってからも、するっ!!」 脳裏が岩城への欲情一色に染まっているときの香藤は、止めようがない。 抗う岩城の体から、難なくシャツを脱がせ、荒い息を吐きながら、ぐいぐいと硬くみなぎった自分の 下半身を押し付けてきた。 もみ合う2つの体は、ずり上がるように、畳の上へと上がり、香藤が這わす舌は、的確に岩城の欲望 をもまた、隠し切れないものへと変えていった。 次第に上がる息に、岩城は不安を覚え、自分も飢え切っていることを自覚する脳が、香藤の雄を欲し て、疼いていた。 「・・・か・・とうっ!!駄目だっ!!こんなとこで・・・外に・・外に、聞こえるっ!!」 その訴えに、僅かに動きを止めた香藤は、今、岩城の上半身から剥ぎ取り横に投げた、ブルーのシャ ツへ手を伸ばして掴み、引き寄せると、それを岩城の口に押し当てて、こう言った。 「これ、噛んで」 そして、僅かに岩城の口へと、シャツの端を押し込んだ。 岩城は、魔法にかかったかのように、知らず口を開け、言われたとおり、押し付けられたシャツをく わえ、噛んでいた。 体は言うことを利かない。 1ヶ月近く、乾された体は、火がついたように、香藤を求めていた。 素直にシャツをくわえた岩城の頬へキスをしながら、「ありがと・・・ごめんね」と、香藤が告げ、も う、抵抗を諦めたその体から、ベルトを外し、ズボンを引き抜いた。 下着の中で疼くペニスを、薄い布の上から、香藤の手に強く握られると、もう、何も考えられないほ ど、岩城の頭ははじけ飛んだ。 ん、ん、んっ、と、顎を挙げ呻く岩城のその指は、言葉とは裏腹に、香藤の髪に絡みつき、不安定に 彷徨った。 香藤の手が、中心から奥へと忍び込むと、疼く穴へと、2本の指が獲物を求めて深く入り込み、知り えた場所を、存分に荒らしまわった。 岩城は両足が震え、力の抜けていくそことは反対に、つま先が力み、畳を押し滑った。 欲しい。 他の誰でもない、香藤が欲しい。香藤だから、欲しい。 喋れぬ想いは、香藤の肩を掴み、引き寄せることで、その先を哀願した。 そんな岩城の足を肩へ抱え込み、香藤は、焦る手つきでズボンのファスナーを下ろすと、既にぬめり を持つ熱い亀頭を、岩城が待つ場所へと、あてた。 自分の双丘の狭間にその熱を感じた瞬間、岩城は、眩暈にも似た陶酔感を覚えた。 ずっと待っていた、何日も、こうやって、香藤に抱かれることを。 次の瞬間、岩城の体は、強い呻きと共に、のけぞった。 深く、強く、存分に、そして優しく貫く香藤の愛が織り成す形、それが、一気に岩城の中へと入り込 み、全ての襞を押し広げ隙間なく埋め尽くした。 遠慮のない、欲に突き動かされた香藤の腰に、激しく責められながら、岩城は喉奥から次第に激しく なっていく悲鳴を、抑えることが出来なくなっていた。 神経を逆なでされるような、どうにかなってしまいそうな程の狂おしい快感に、頭を振り、黒髪を散 らせ、幾度も這い上がるその声を噛み殺そうとする僅かな理性など、布をくわえた程度では、何の役 にも立たなかった。 そんな岩城の口を、香藤の右手が、くわえた布ごと、上から押さえ込んだ。 香藤の手に押えられ固定された頭は、頭上を畳に擦り付けながら、声にならない快感を訴え続けた。 香藤の荒い息が、岩城の肩に押し付けた、そこを這いまわる口から吐き出され、首筋を熱く湿らせて いった。 岩城の体が痙攣した瞬間、くぐもった叫びが、香藤の手の隙間から漏れ、硬く閉じた眼の端から、熱 い涙が滲んだ。 香藤は自分も、唇を岩城のうなじに押し付けながら、うんっ!んっ!んっ!と、断続的な呻きととも に、体全体を震わせていた。 岩城が絶頂に打ち震え、その波に引き込まれるように、自分も溜め込んだ欲を岩城の中に吐き出しな がら、終わりに到達するかしないかの、そんな狭間で、香藤の手が岩城の口から、噛み締めたシャツ を引き取り、そこを去った。 開放された岩城の口は、酸素を求め、激しく喘ぎ、胸を波打たせていた。 酸素不足と到達した快感の高さで、岩城は脳が朦朧としていた。 そんな岩城に重なりながら、まだ荒い息の中、香藤がその手で岩城の頬を包み込んだ。 「・・・ごめん・・・岩城さん・・・・大丈夫?」 大丈夫だと答え、安心させたい、と思いながらも、岩城はひと言も言葉を送り出せなかった。 そんな岩城から自分自身を引き抜き、香藤は横へずれ、腕を岩城へ回すと強く抱きしめた。背に回し たその手で、岩城の背をゆっくりと摩っていた。 岩城は、香藤に抱き寄せられながら、頭をその胸に埋め、存分に酸素と懐かしい匂いを胸いっぱいに 吸い込んだ。 頭の上から香藤がポツリと、逢いたかった・・逢いたくて気が狂いそうだった・・と、呟いた。 それは岩城も同じこと、どれほど恋焦がれたことか・・・何度、夜、香藤を求めて目を覚ましたこと か・・・しかし、もう、今は、こうして香藤が目の前にいる。 岩城の胸に、言いようのない幸せな気持ちが満ちて、ただ、嬉しい、と、思った。 そのことを素直に言葉にした。 「嬉しい・・・お前が帰ってきて・・・本当に・・・嬉しい・・1人で・・・あの家にいるのは・・・ 絶えられない・・」 香藤の岩城を抱く手に、力が入り、小さく「・・・止めてよ」と、呟きが聞こえた。 胸にある岩城の顔を香藤は両手で包んで、上へ向け、自分の目線の位置に定めると、やっと息が収ま りかけている岩城の唇を軽くついばんだ。そして冗談とも本気とも取れる言葉を口にした。 「そんなこと言って・・も1度、抱いてもいいの?ここで」 岩城は、思わずそのまま頷いてしまいそうだった。 それ程に、今の岩城は満たされていた。 そんな岩城に、香藤は、「早く帰ろう・・・家へ・・」と、言った。 それには、岩城も迷うことなく、しっかりと頷いた。 帰りたい、早く、あの2人の家へ。 互いがこの1ヶ月、1人で過ごす時間を、空虚な思いで彷徨った空間。1人で過ごすあの家は、ただ 広いだけの、邪魔な空間でしかなかった。 そのことを、今回、互いに嫌というほど確認させられた。 それは、怖くもあった。 永遠に帰らぬ相手を待つ空間では、たとえそれが、ただの1分であろうが、耐えられないだろう、と 思った。 待てば帰る、それを知っているからこそ、耐えられる空間だった。 2005.09 比類 真 |
「エンプティ エリア」・・・・
それはもうふたりが互いに離れられない
いない頃・・・出会わなかった頃には戻ることが出来ない
そんなことを表しているように感じます
久し振り肌を合わせるときの香藤くんの激しさ
そしてそれを受け入れる岩城さん・・・素敵ですv
あの家でこれからも彼らの幸せな時間を綴って欲しいと
心から願っています・・・v
比類さん素敵なお話ありがとうございます