真夏の昼下がりの夢


ドラマの収録が思ったよりも早く終わった。
いつもなら予定時間を大幅にオーバーして、下手をすると日付が変わる頃になって
しまいがちなのに。
しかも明日の仕事は午後からだ。今夜は久しぶりに家でのんびり過ごせるかもしれない。
香藤はもう家にいるんだろうか?
そう考えるのと同時に頭の中で夜の生活のことが浮かぶ。
自分でも僅かに頬が染まるのを自覚して慌てて頭を振った。

頭を振った拍子に視界の隅に白い花が目に留まる。
控え室のテーブルには誰が置いたのか、小振りの鉢植えが置かれていた。
まるで白い鳥が羽を広げて舞っているようなその花は僅かな空気の動きも感じ取るのか
小さく揺れている。
揺れる華奢な茎と花は、懐かしい景色を思い出させた。

そうだ、この時期になるとよく・・・



時間は何時間か遡って午後、最も一日で気温が高い時間帯を少し過ぎた頃 ───

「たっだいまー、って言ったって岩城さんはまだなんだもんね。」
昼過ぎに雑誌のインタビューとグラビア撮影が終わって、今日の仕事はそこで終了。
金子に送ってもらい、家に入れば蒸し風呂のようなリビングが香藤を出迎えた。
エアコンのスイッチを入れ、寝不足気味の疲れた身体に何とかシャワーだけ浴びさせた
ものの、待ち人がここに到着するのは日付も変わったころだと思われた。
(岩城さんがいないとつまんなーい。
 夕食まではまだ時間があるしちょっと寝ちゃおっか。)
リビングのソファでラフな格好のまま香藤は目を瞑った。


*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-


「ここは・・・?」

香藤は見知らぬ町に立っていた。
『見知らぬ』という言い方は微妙に違うかもしれない。
大体、日本全国どこも似たようなところはいくらでもあるからだ。
だが、どこか見覚えはあるものの一体自分が何故ここにいるのかが分からなかった。
先程までリビングにいたはずだ。時間もリビングにいた時とは微妙に異なるようだ。
帰宅してシャワーを浴びて・・・確かソファに寝転がったのは4:00に近かったはず。
それなのに・・・強い日差し、頭の真上にある太陽。合っているはずがないと思い
ながらも左腕に填められた時計を見る。
(?・・・1:00?なんで・・・? だってその時間はまだスタジオにいた・・・)
確かに日中・・・・・・合っているようである。
狐にでも摘まれているのか、はたまた夢の中・・・そうでなければパラレル・・・
SFの世界・・・。
あと、記憶障害とか・・・?
(なんかひょっとしなくても俺、結構やばい状況になっているんじゃ・・・。)
そう考えると日頃切り替えが早いとか、神経は図太いとか自負している香藤ですら額や
背中に冷たい汗が伝う。
(とにかく、先ずここがどこか調べなくちゃ、でなきゃ岩城さんに会えなくなっちゃう。)
めげそうになる気持ちを何とか奮い立たせ頭をフル回転させる。

ごく普通の住宅地、だが新興住宅地という訳ではないようだ。
どちらかというと古くからある、しかもなかなかの格式ある家が立ち並んでいる。
今時の家にはない白い塗り壁様の塀、そしてその上から見える瓦屋根の広い家屋。
生い茂る庭木。
(でも、どっかで見たような気がするんだよな)
額にかかる前髪を無造作に掻き上げ、記憶の糸を手繰る。


「いつまでそんな夢みたいなこと言っているんだ!」
「どうせ、説明したって分かってもらえないじゃないか!もういい!」
背後から、そんな会話と乱暴に扉を閉めるピシャリとした音が聞こえてきた。
(なんだ?喧嘩か?)
振り向こうとしたその時、それらの声の主のうちのひとりなのだろうか白いシャツを
着た少年が香藤の横を走り抜けていく――――― 筈であった。
香藤の腿の辺りに衝撃が走る。
「・・・ってぇ。」
咄嗟に『痛い』という言葉が口を付いて出たが、確かに衝撃は感じたが『痛み』がない。
(もしかして、これって・・・夢の中???)
衝撃の理由は彼の持っていた鞄が当たったからだった。しかも鞄はその弾みで道路に
放り出され、中身もぶちまけたらしい。
(あらら〜〜!)
内心溜息をつきながらも芸能人の悲しい性、瞬時に一呼吸して感情を抑える。
「大丈夫?」
営業スマイル、かつ少々すまなそうな表情を浮かべながら言った。
ところが、である。相手の少年は無言のまましゃがみ込み・・・
そして「クソッ!」とか、ぶつくさ小声で暴言を吐きながら参考書やらペンケースなど
をさっさと拾い集めて鞄に放り込んでいた。
ひと言文句を言ってやりたい気にもなったが今時の学生なんてこんなモンかもしれない
と、仕方なく自分の足元に落ちていた手帳を拾い上げた。
そして彼に渡そうとしたほんの一瞬・・・その手帳に書かれていた名前に目が吸い寄せ
られた。
そこにはあまりにも見覚えのある名前が書かれていたからだ。
――――― 『岩城京介』
(えっ?同姓同名?)
目の前で屈んでいる少年・・・・・・が、ゆっくりと立ち上がり香藤の方を向き、
そして目が合う・・・。
少年の瞳は口論のせいだろうか、少し潤んでいた・・・が、本人はそのことに気づいて
いないのか香藤の眼をそのまま見続ける。
「その生徒手帳、俺のだろ?」
香藤は少年を見つめたまま固まってしまった。
(い・・・岩城・・・さん!?)
すらりとした長身に、漆黒の髪と瞳、そしてその声。
何もかもが最愛の恋人と酷似していたのだ。唯一違うのはその制服姿と・・・少々色気
がないことだろうか?
いや、これはこれで・・・白い開襟シャツが何とも。
などと考えている場合ではないが、そのままそこで香藤の思考はストップしてしまった。

動かない香藤に焦れたのか制服の岩城は香藤の手から手帳を取り上げようとした。
その時、またもや背後から声が聞こえてくる。
「京介!」
香藤は振り向き声の主の顔をハッキリ見てしまった。
そう、確かにあれは岩城の兄―――『雅彦』だ。そして今にも追いかけてきそうな形相
で門の前に仁王立ちしている。
多少、香藤の知っている顔より若く見えるが。
周囲の町並み、すぐ横にいる学生の岩城、自分と同年代のような雅彦・・・・・・
(まさか・・・俺、タイムスリップしてしまったんじゃ・・・?でも夢の中なんじゃ??)
傍らにいる岩城は舌打ちをして家とは反対方向に踵を返した。
「あ、待って!」
咄嗟に岩城の背中を追う。生徒手帳を握り締めたまま。

暫く走ると岩城の走る速度が緩まり、そして走りから歩みに変わった・・・。
周りの景色も住宅街からちょっとした公園になっている。
香藤も体力に自信はあるが、なにぶんにも相手は現役高校生だ。距離が縮んでその腕を
掴めそうな位置に来た時には香藤の息は上がりかけていた。
「岩城・・・さん・・・結構足、速い・・・。」
そう心の中で言ったつもりだったのだが、そのまま口をついていたらしい。
突然自分の名を呼ばれて驚いたのだろう、香藤の前にいた岩城は歩みを止め振り向いた。
「あんた・・・?」
(あ・・・やべ・・・聞こえた?)
「人の・・・見るなよ。」
ムッとした表情でスッと香藤の手から手帳を抜き取った。
名前を言われたことは手帳を見たからだと受け取ったらしく、岩城は別段驚いた風では
なくそのまま手帳を胸ポケットにしまった。
(あ、そう解釈したんだ。)
なぜ名前を知っているのかと問われるのではないかとドキリとしたが、そう岩城が受け
取ったと考えたことは香藤を少し冷静にさせた。
「でもさ、一応俺が手帳を拾ってやったんだからさ、ひと言お礼ぐらい言ってもいいん
 じゃないの?岩城君。」
香藤は少々“君”に力を入れて言ってみた。
(ふふふー。『岩城君』だってー。)
そして、生来のお気楽さが頭を擡げてきた。
(岩城さんを“君”付けできるチャンス!)
そう考えると自分が置かれた状況を楽しんでみようかと考えた。
夢の中かタイムスリップか、そんなことは判らないがここでジタバタしていても始まら
ない。
「・・・すいません・・・でした・・・。」
口調も改めて、頬を僅かに朱に染め目線を逸らしながら目の前の岩城がボソッと話す。
こんなところは今と変わらない。そして、そんなところが可愛いと思う。
「いいんだよ。ところでさ、これからどーすんの?なんか予定ある?」
「え・・・?」
「だって家、飛び出してきちゃったんでしょ?しかもなんか学校に行ってきたか帰って
 きたか、って感じだしさ。」
「あ・・・別に・・・夏期講習もどうせもう間に合わないし。」
とはいえ、そういう香藤にも勿論この後どうしたら良いかなんて判らない。だが、ここ
からは立ち去りがたい。
取りあえずごそごそと上着やズボンのポケットを探った。
幸いなことに財布は持っていたようだ。でも岩城さんが高校生・・・ということは紙幣
は現在(いま)と変わらないんだろうか・・・などと考えながら中身をチェックする。
(そーだよね、16・7年前って言ったって聖徳太子ってことはないか。じゃ、大丈夫だ。)
「じゃあさ、ここで知り合ったのもなんかの縁だしさ、どっかでお茶でもしようか。」
「はぁ?あんた・・・変な人だな・・・俺、女じゃないぜ。」
途端に少しだけ斜に構えたような喋り方に変わった・・・。そうだ、確か知り合った
当時はこんな話し方をしていた。
心優しく繊細で傷付きやすい自分を守るために無意識に身に着けた処世術。
昔はそんな岩城の殻の中に秘めた純粋さを知らずに、単に人付き合いも口も悪い先輩
男優としか見ていなかった。
だが、今は違う。そんな話し方をしているからこそ愛しいと思う、護りたいと思う・・・。
「失礼な。俺、こう見えても役者だぜ。加えてこのルックスだし、女にゃ不自由して
 ねぇっつーの。」
笑いを含んだ口調で言い返してやった。
「え、役者・・・?」
思った通り『役者』という単語に岩城は敏感に反応してくる。
「そ、役者。と言ってもまあ目下、下積み中だけどね。」
この状況で『売れっ子俳優』とはいくらなんでも無理があると考え『下積み』にして
みた。
それでも『役者』の単語で岩城は香藤を羨望の眼差しで見る。口調も改まったものに
変わった。
「そうなんですか。どうりで人目を引く雰囲気だと思いました。」
「それって派手ってこと?」
香藤の突っ込みに焦ったように岩城が言い直す。
「そんな訳じゃ・・・ただ、羨ましいなって思って・・・俺にはそんな華やかさはない
 から・・・。」
そういえば、昔も同じようなことを言っていた。それが岩城の自分の容姿に対する
コンプレックスなのか。
それは岩城が自分の魅力に気づいていないのに他ならないからなのに。
「華やかじゃない・・・って、そんなことないよ、いい顔してんじゃん。なに、役者
 志望なの?」
知っていながら質問するのはもどかしい。だが本来・・・いや今もって充分繊細な岩城
の心を解きほぐすためには焦ってはいけない。
「ええ・・・まぁ・・・。」
香藤とは目を合わさず、恥ずかしそうに話し出す。

「・・・で家族から反対されてるって訳だ。さっきの口論もそれが原因?」
はっとして香藤を見る。何故分かるのか、とでも言いたげに。
「何にでも困難は付きモンさ。俺も初めは家族に反対されたからね。」
「反対、何てものじゃないですよ。俺の意見なんて全然聞いてくれないし、話になら
 ない・・・」
その時のことを思い出したのか岩城の目がまた涙でうっすらと滲み出す。

いつもそうやってひとりで抱え込んで涙を堪えようとしていたのか・・・。
そんな岩城を見ていたくなくて強引に話題を変えようとした。

――――― !

そんな香藤に白い物体が目に入る。
岩城の背後の上空に白い鳥が飛んでいく・・・一瞬、その場の暑ささえ忘れてしまう
ほどの、そのなんとも言い難い一枚の絵画のような情景に目を奪われた。
「どうかしました?」
香藤の視線が自分の後ろにあるのに気づき振り返る。
「ああ、鷺ですか。」
「さぎ?」
「都会の人には珍しいんでしょうね。俗に白鷺とかって呼ばれていますけど、本当は
 小鷺とか中鷺とかって分類されるらしいですよ。俺も詳しくは知らないんですけど。
 この辺は近くに信濃川とか水田があるから・・・そこに行くとたまに見ることがあり
 ますね。行って見ますか?」
確かに羽を休めて佇んでいる鷺も美しいだろうが岩城の背後を飛んでいった情景の方が
数倍も美しいに違いない。
「いいよ・・・ここでさ、すごくきれいだよね・・・。それよりも、さ・・・役者に
 なるって話、諦めないで家族に解ってもらえるように説得しなよ。」
「はぁ、そうですね・・・。」
僅かに岩城の顔が曇る。
「大丈夫だよ、反対しているように感じるのは心配しているからだしさ。それに俺も
 応援しているよ。」
「・・・・・。」
不安そうな岩城を間近に見ていると自分が抑え切れなくなりそうだ。
「じゃあさ・・・おまじない・・・。」
岩城の肩を引き寄せ、そして ―――


*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-


香藤の手がピクリと動き、目を開けた。
右手が温かかった・・・いや熱いくらいだった。岩城が両手で握り締めていたからだ。
「岩・・・城・・・さん・・・?」
(俺、戻ってきたのか?)
「起きたか?帰ってきてからいくら呼んでも起きないから心配したぞ。それにいくら
 暑いとはいえエアコンをつけっ放しのリビングでそんな格好をして寝ていたんじゃ
 風邪をひく。」
額にかかった髪を撫でる指の感触が心地いい。

(ああ、岩城さんだ)
ほっとするのと同時に、目の前の顔とだぶる学生時代の顔をもう一度思い浮かべるため
に瞼を閉じた。
「俺ね・・・今、夢を見てた、岩城さんの。高校生くらいかな・・・すごく可愛いの。」
「なんだってそんな夢。」
そしてその声に誘われて目を開ける。
可愛いという言葉に反応したのか、少し怒ったような、照れたような表情を岩城がしていた。
「なんでだろうね。」
クスリと笑って言葉を続ける。
「でもね、岩城さん夢の中でちょっと泣いていたんだ・・・『役者になりたいのに解って
 もらえない。』って・・・。俺、何とか力になってあげたくて・・・でも・・・。」
(なったんだろうか・・・。)
夢の中とはいえ過去の岩城と出会え、話すことが出来た。それは自分にとっては有意義
だったとは思う。
だが、夢の中の岩城にとってはどうだったのか・・・。
少しでも力になれたんだろうか?
それに自分と会ったことで過去が変わるなんてことがあるのだとしたら?
少し寒く感じたのは、効きすぎたエアコンのせいなのだろうか。
いや、過去や夢の中でどうであろうと岩城と出会い、今こうしている事実は変わらない
し変えさせない。これからも。

「ね、キスして・・・いい?」
そっと背中に腕を回す。
「なんだ?いきなり。」
一瞬驚きで見開かれた瞳は、すぐに細められた。
「いいじゃん。キスで目覚めさせてよ。それに・・・」
「それに・・・なんだ?」
それには答えずに、背中に回した腕に力を入れた。
(それに、さっき、し損ねちゃったからね・・・。)
軽く唇が触れ合うキスをして離れると、岩城の背中越しに白い鳥のようなものが見えた。
「・・・・・・?どうした?」
「そのテーブルに載ってるの何?花?」
黒髪が揺れ、頬を掠めた。

「その花・・・何かに似てる・・・。」
香藤の呟きに岩城が答えた。
「控え室にあった鉢植えなんだけれど、つい懐かしかったんで断ってもらってきたんだ。
これは鷺草って言うんだ。白鷺が羽を広げている姿に花が似ているだろ? ・・・と
言っても白鷺なんてお前は見たことないかもな。」
(ううん・・・見たよ・・・さっき・・・ね。)
そう思いながら、もう一度キスをした。今度は深く。

白い花がふたりの動いた空気の流れにも小さく揺れていた。



end

‘04.08.05.
 ちづる



*夢の中に出てくる岩城さんの実家の周辺・・・。
新潟市内は行ったことがないので少々調べましたが
岩城さんが高校生の時ってどんなだったのかは;
勝手な想像で書いた部分もありますので
実際とは多々違うところがあることと思います。
お許しくだされば幸いです。


★ちづるさん、本当にありがとうございますv
夏の花、鷺草で書いてくださいました
学生服の岩城さん・・・・萌えv
まだ色気がないのね(^^ゞ 可愛いわ!(笑)
そんな岩城さんを見られて良かったね、香籐くんv
私も会いたい!!
白鷺は近くの水辺でよく見かけます・・・・
今度見かけたらこのお話を思い出して
幸せな気持ちになりそうですわ〜vvv
本当に素敵なお話ありがとうございました