早咲きの梅
ここは、とある梅園。 温暖な気候が幸いしているのか立春を過ぎ、暦の上では春と言っても一年で最も寒さが 厳しい時期にもかかわらず、確かにここだけには既に春が訪れているようだった。 温泉地に程近い場所ということもあり、そこかしこに観光客と思われる中高年の一行が 梅の前でシャッターを切っていた。 (はああ〜〜〜。今更、家族旅行かよー。俺をいくつだと思ってんの?20歳だぜ、 ハ、タ、チ!) 父親の勤務先の保養所に家族旅行と称して泊りがけで温泉に入り、こうして今、観光を しているのだ。 高校生である妹の洋子ならまだしも、ざっと辺りを見回しても自分と同世代の男性は皆 無だった。連れ立って歩くのは勘弁させてもらいたい。心の中で毒づいていた。 「親父ィ―、あとは3人で回ってきなよ。俺はこの辺で時間つぶしてるからさ。“梅を 愛でる”なんてガラじゃねえよ。」 どこをどう回っても梅しかない風景にへきへきして心中を吐露した。 「なに言ってるの、洋二。そんなことしたらはぐれちゃうじゃないの。」 ご尤もな返答をする母の言葉をやんわりと遮るように意外にも父が自分の意見に加勢した。 「まあ、仕方ないだろう。洋二ももう大人なんだからな、はぐれてしまうようなこと にはならないだろう。私達はもう少し先の方まで回ってくるから・・・そうだな、 1時間程度したらまたここで落ち合うことにすればいいじゃないか。」 厳格ではあるが、意見を押し付けたりせず相手の意見を認めてくれる寛容さを持った 父を言葉には出さないが内心尊敬していた。 「そんじゃ、そーゆーことで。いってらっしゃーい!」 手をひらひらさせて見送る自分を、ちょっと羨ましそうに振り返りながら洋子が見ていた。 ***** 「さてと。」 とはいうもののどこに行ったらよいものか・・・。 親父たちと別れたところで、周りが梅だらけなことには変わりがない。 休日の午後ということもあり何やらイベントも開かれているらしく、耳に琴の音やら 歌声が入ってくるが、洋楽にしか興味のない自分にとっては興味を引かれるものでは なかった。 仕方なく元来た所を戻ることにした。 (そういえばさっき、どっか座れそうなところあったよな。) 座れそうなところ・・・といっても自販機とその横のベンチだけだ。いつの時代のもの なんだか、背もたれに清涼飲料水の広告が書かれている木のヤツだ。 缶コーヒーを買い求め一気に飲み干してしまうと、堂々と人前で吸えるようになって 8ヶ月のタバコを胸ポケットから取り出し慣れた手つきで吸い始める。 「ふーっ。」 うららかな日差しに紫煙が融けていく。ゆったりした時間に包まれる。しばし目を瞑り 都会とは違った時間の流れを楽しんでいた。 (・・・・・・すん。) 鼻をすするような・・・?すすり泣くような声が耳に入った。目を開け辺りを見渡すと そこには小さな男の子がいた。 年齢は小学校1年生くらいだろうか。それにしても着ているものが凄い。平安時代の ような・・・確か直衣とでも言うのだろうか白い衣を身に着けていた。 イベントにでも参加している子供なのかもしれない。でも何でこんなところに1人で いるのだろう、泣いているのはけんかでもしたからなんだろうか? 気にはなるものの、見ず知らずの子供の諍いなど興味もなければ手を差し伸べる義理も ない。シカトを決め込もうとした・・・が、どうにも意識が彼の方に向いてしまう。 「あの・・・さ、どーしたの?友達とケンカでもしたの?それとも誰かとはぐれちゃっ たのかな?」 そう声をかけると男の子は自分の方を振り向いた。 上げられた顔を見て驚いた。まるで女の子と見間違えるくらい色白で睫も長い。でも 意志の強そうな眉と強い光を宿した真っ黒な瞳は明らかに女の子と違ったものだ。 目元にたまった涙はその瞳をまるで光を閉じ込めた黒曜石の断面のように輝かせて 見せていた。 訳もなくドキリとしてしまう。・・・こんな小さな男の子相手に。 「いない・・・。」 ぽつりと少年が言った。いないって誰が? 「だって、まだあたたかくなるまで時間があるからそれまで待っていれば・・・眠って いればいいってみんなで言っていたのに、でも急にまわりがあたたかくなって目を開け たら・・・知ってる人がだれもいないんだ。友だちもいないんだ。」 よく解らない。要は迷子ってことか?セオリー通り「お家はどこ?」と訊いてみる。 が、首を振るだけだった。 (まいったな・・・。) そうは思うものの、放っておくわけにはいかない。自販機から数メートル離れた所に ある土産物屋へ彼を従えて行き、中を覗き込んだ。ここで何か分かるかもしれないし、 あとは地元の人間に任せた方がいいだろう、という判断だった。 「あのー。」 声を描けると奥から人の良さそうなおばさんが手ぬぐいで手を拭きながら出てきた。 「あら、その鉢植えの梅を買うの?それ、小ぶりだしまだ蕾も固いわよ?」 何を言ってるんだこのおばさん?と思い自分の左手を見ると何故か梅の鉢植えが・・・ なんで???なんで俺こんなもん持ってんだ!? 俺は確かにこいつを・・・と思って横を見ても振り返っても先程の少年の姿はどこにも 見えない。 何がなんだか解らないがとにかくこの場を何とか切り抜けたくて慌てて代金を払い土産 物屋を出た。 「はー、びっくりしたー。どうなってんだ?」 先程のベンチに戻ってそこに鉢植えを置く。何がなんだかさっぱり分からない。 ベンチの前にしゃがみ込み頬杖を付いて溜息をついた。 まさか俺、梅にでも酔ってんじゃないのか? が、むせ返るような香りがそこにあるわけでもなく、ぼんやりとベンチの上の梅を見て いると・・・梅の木が少年に姿を変えた。 「───!! 君!?」 そうだ、何で気が付かなかったんだろう。昔、子供の頃読んだおとぎ話に出てきた梅の 精そのものじゃあないか。 現実離れした話ではあるが、何故かひどくすんなりと納得してしまった。でなければ こんな浮世離れしたきれいな男の子がいるわけないじゃないか。と。 「もしかして君、梅の精だったりするわけ?」 が、当の本人は首を傾げるだけだった。 「“精”って何? ぼく・・・梅なんだけれど・・・。梅と梅の精って違うのかな。」 ポソリと戸惑ったように零れた言葉が心の中にまるで1枚の梅の花びらのように舞い 落ちていく。 少しずつ話される彼の話を聞いていると、その花びら1枚1枚が彼の淋しさを、心細さ を訴えているようで何とかしたい気持ちにさせられる。 でも、俺に出来ることってなんだろう。 「これからは俺が友達になるよ。俺のうちに来ればいい。お袋だって洋子だって親父だ ってきっと君を可愛がってくれるよ、大事にするよ、約束する。」 そうだ、そうだよ。君に淋しい思いはさせないよ。そうして君の笑った顔が見てみたい。 きっと春の日差しのような笑顔なんだろうね。 俺の言葉を聞いた彼・・・いや梅は「ありがとう。」と言ってとびきりの笑顔を見せて 梅の木に変わっていった。 ********** 家族と合流すると大事そうに梅の鉢植えを抱えていた俺を親父もお袋もびっくりした 目で見つめていた。洋子に至っては「なにそれー?“梅を愛でる”なんてお兄ちゃんの ガラじゃないわね。」とからかうがそんなことは気にしなかった。 彼の笑顔が印象的だったから。 だがそれ以来、彼の姿を見ることはない。 どんなに目を凝らしてみても、どんなに強く望んでも・・・ただの一度も。 何年も経ち、住まいも変わり、最愛の人と暮らすようになった今では彼の顔をおぼろげ にしか思い出せなくなってしまっていた。いや思い出すことも稀だったかもしれない。 彼には申し訳ないが。 今になって、しかもふと目が覚めたこんな時にあの時のことを思い出すなんて・・・。 もう一度目をつぶり、鮮明な夢の中の出来事を思い起こすように彼の姿を思い出そうと 試みた。 色白で、艶やかな黒髪、涼やかな眼───── (あれ・・・?それって岩城さん?) 腕の中で眠る岩城さんの顔をそっとのぞき込むと、あの少年の面影と岩城さんの顔が 重なって見えた。 (そうだ先日見せてもらったアルバムの中の岩城さん・・・。子供の頃の・・・。) 俺の強い視線を感じたのか岩城さんの瞼が薄く痙攣し、湖沼の水面のように揺れる黒い 瞳が見えはじめた。 「どうした、香藤・・・もう朝か・・・?」 「ううん、まだ起きるには早い時間だよ。」 また眠りに引き込まれたようだ。安心したような表情を浮かべている。 無防備に自分の胸に収まる岩城さんの寝顔をみているだけで心の中に陽春のような 温かさが満ちてくる。 ここにいたんだね・・・ 春はもう、ここに。 End ‘04.01.17. ちづる |
☆・・・・・読み終わって・・・何とも言えない余韻の残る作品ですねv
素敵・・・・梅の精とも言うべき少年との出会い・・・
きっとそれは香藤がいつか手にする春の象徴だったのかも知れませんね
柔らかい梅の香りに包まれた素敵なお話だと・・・v
ちづるさん心が温かくなるようなお話
本当にありがとうございます