「座右の銘」 映画の封切りも間近となった、とある金曜日の朝。 オフの岩城はリビングでテレビを見ていた。 民放のワイドショーのトークコーナーに、香藤がゲストで生出演するからだ。映画の宣伝はもちろん、これからの香藤自身の宣伝のためでもある。 岩城はコーヒーを飲みながら、つまらない芸能ニュースを軽妙に味つけする、司会者二人のやりとりを見ていた。 女性司会者の麻本さんは、主婦ならではの視点と、時折見せる鋭いツッコミが持ち味だ。 男性司会者の峰岸さんは、元は俳優なのだが、バラエティ向きのキャラクターと話術が昨今の芸能界事情に合っていたようで、最近ではすっかり司会業に重点を置いて活動している。 かつて新潟の実家にいた頃、岩城は彼が出演していた刑事ドラマを熱心に見ていた事を思い出していた。中でも特に熱心に見ていた俳優は、悪いが峰岸さんではない。 上官の課長と堅い絆で結ばれ、現場では『軍団』と呼ばれる刑事たちを率い、捜査や犯人逮捕に乗り出す『団長』役の俳優に心惹かれていたのだ。 その後岩城自身も俳優という仕事につき、さまざまな荒波にもまれた。そしてあらためて『団長』の俳優として、また人間としての姿勢に、ある時は共感し、またある時は見習うべき点が多いと感じていた。 そうこうしているうちに九時半近くなった。そろそろ香藤の出番である。 「では今日のゲスト、香藤洋二さんです!」 峰岸さんの声と同時に香藤がスタジオに入ってきた。 数種の毛皮をつぎはぎしたジャケットに、黒のインナー、黒のレザーパンツ。家を出た時と同じいでたちだ。 「いやあ…かっこいいですねえ…」 「あ、ありがとうございます」 男性の峰岸さんが賛辞を贈る。単なる社交辞令とは思えないほど感嘆している様子だ。 「もう、ほんとにお美しくて…朝から光栄です!」 麻本さんの目はすっかりハート型になり、仕事を忘れかねない勢いだ。 そんな様子を見て岩城は誇らしく思った。しかし同時に棘のような嫉妬が、ちくりと胸を刺す。 『俺だけの香藤に…』と。そんな自分に気づき、岩城は頬を染めて頭をかいた。誰彼見境なく嫉妬するなんて、これでは香藤をたしなめられない。 そんな岩城の葛藤には構わず、テレビでは香藤の簡単な紹介のVTRが流れていた。そして映画の話になり、本編の見せ場をダイジェストで流しながら、大まかなストーリーの説明が入る。比較的長時間放映されたのは、映画のスポンサーにこのテレビ局も名を連ねているためだろう。ましてハリウッドでプレミアム試写会を控えているとなれば、日本映画界全体の名誉として考えねばなるまい。 大使館焼き討ちのシーン、合戦シーン、ラストの雪景色。そして最後、河原での例のシーンは、唇を合わせる寸前で映像が途切れた。 「ええっ、ここまでですかあ?」 麻本さんが心底がっかりしたように言う。 「ここまでなんですよー。俺ももうちょっと見たかったんですけどねー。後は見に来て下さい!」 香藤がカメラに向かって、大きく頭を下げた。 「あのバカ…」 岩城は額を押さえてあきれた。あんなシーンをもっと見たいと、人前であんなにぬけぬけと言うなんて。 そんな香藤の性格にはいいかげん慣れたはずだった。そして仕事としてある意味割り切ったはずの、スクリーンで愛し合う自分たちの図。しかしそれに素の香藤がかぶさると、やはり恥ずかしさはぬぐえない。 出かける前に玄関での、若干…いやかなり濃厚だった口づけを思い出してしまう、こんな朝は特に。 「いやあ、とてもスケールの大きい作品ですねえ」 「あの大使館の焼けるシーンなんか、『風と共に去りぬ』を思い出しました。このシーンの撮影の時、香藤さん事故に遭われたんですって?」 麻本さんに不意に水を向けられ、香藤はその時の事を話し出した。 「俺は大した事なくて、すぐに撮影に戻れたんですけど…」 話題が吉澄の事に及んだ時、香藤は少し視線を落とし、言葉を選ぶように話し始めた。 「…慣れない京都の長丁場で、俺も……岩城さんも、ずいぶん吉澄さんには力になってもらって…おかげで、気持ちよく撮影できたんですけど…あの時、燃えるセットの中から、吉澄さんフィルムを拾って…」 思えば香藤が公の場で、この事故の事を話すのは初めてであった。 岩城がフィルム越しに見たあの場面の一部始終を、香藤は目の前で見ていたのだ。 容赦なく立ちこめる煙。燃えさかる炎は吉澄のかつらにも燃え移り… その結果としての吉澄の降板に対し、香藤が何も感じてないはずなどなかったのだ。 わかっていたつもりだった。しかし当時の岩城は自分の悲しみで精一杯で、そんな香藤の心まで思いやる事ができなかったのだ。 そんな自分を、岩城は今さらながら恥じた。 「…今回はこういう結果になってしまいましたけど、この映画は吉澄さんがいたからこそ、無事完成したんだと思ってます。それと、浅野…くんも」 香藤が不意に浅野の名前を出した。つい呼び捨てにしそうになったのだろうか。 「ああ、ああいう時の代役ってね、正直とてもやりづらいんですよねえ。まして浅野くん新人でしょ?」 峰岸さんが俳優らしい意見を述べた。 「…でも、彼もそういうプレッシャーを乗り越えて、一緒に最後まで作り上げる事ができたんでね、本当にがんばってくれたと思ってます」 香藤はそう言って浅野をねぎらった。さまざまな葛藤を乗り越えて相沢役を演じ終えた浅野には、岩城も頭の下がる思いがした。 「この『冬の蝉』は、なんでもハリウッドで!プレミアム試写会するんですって?ハリウッド進出じゃないですか!」 峰岸さんが明るく話題をふった。 「いや、進出って言うにはおこがましいんですけど…ありがたい事に、そういうお話をいただきまして」 あのアメリカ旅行での機内でカルロたちとの出会いがなければ、起こり得なかったかも知れない幸運。岩城もあらためて、縁というものに感謝した。 「すごいですねえ、同じ役者としてうらやましいですよ!」 「あらっ峰岸さん、役者だったんですか?」 「そうですよ!失礼な!」 ひとしきりトークが進んだ後、香藤が真摯な表情で映画について語った。 「この映画は、俺もいろんな方に迷惑や心配をかけたり、いろんな方に協力してもらったおかげで参加できたので、一人でも多くの方に見てもらいたいと思ってます。見てもらえれば、何かが伝わると思います」 そう語る香藤の瞳は、強い光と引力を放っている。見る者すべての目と心をつかんで放さない。 もちろん岩城のもだ。 「ご協力といえば…もちろん岩城さんも?」 ここぞとばかりに麻本さんが突っ込む。 「そりゃあもちろんですよ!もし岩城さんがいなかったら、俺今ここにいられませんから!」 先ほどの凛々しい表情とはうって変わって、垂れた目尻を一段と下げて全国ネットでのろける香藤に、岩城はまたも額を押さえた。 「…香藤のやつ…」 「さあ、それでは岩城さんの話が出たところで、ビデオコーナーです。本邦初公開、香藤さんのお宅拝見です!」 峰岸さんの紹介の後香藤のアップが映り、CMに入った。 岩城はこの映画に携わっている間、香藤をはじめ浅野や吉澄、また宮坂や小野塚など、人間というものの弱さや強さについて考えさせられる事が多かったように思った。 とりわけ何か事が起こるたびに、自分自身の弱さを痛感し、打ちひしがれる事もたびたびだった。そのたびに香藤に助けられ、支えられ、背を押されて乗り越える事ができたのだ。 『もし岩城さんがいなかったら、俺今ここにいられませんから!』 今香藤はそう言った。しかし岩城の方こそ、どんな時も香藤が自分を信じ、離れずに一緒にいてくれたから、無事映画の完成にこぎつけ、今こうしてここにいられるのだと感じていた。 だからもっと強くなりたい。何よりも香藤のために。 岩城は心からそう願った。 知らずに、涙が頬をつたっていた。 CMの後、ゲスト自身がホームビデオカメラで撮影した映像を放映するコーナーとなった。このトークコーナーの目玉の一つである。 岩城は訳あってテレビを消したくなったが、事後に人の口から状況を聞くのも不本意なので、姿勢を正してソファーに座り直した。 ちゃんと見張ってなければいけないと。 テレビではくだんのビデオが放映されていた。玄関の靴脱ぎ場で、香藤が満面の笑みを浮かべて映っている。 『では、これからわが家を案内します。俺たちのスイートホームです!』 『バカっ!』 ビデオ映像からは、香藤と違う男性の声もする。 『だめー?じゃあさ、愛の巣ならいい?』 香藤がそう言った途端、突如どこからか大きなげんこつが現れ、香藤の頭を直撃した。 『いてっ!ひどいよ岩城さーん』 ここでテレビの前の、おそらく岩城以外の視聴者は合点が入った。香藤の他に聞こえるのは岩城の声であったのだ。 「これ、岩城さんが撮られたんですか?」 麻本さんがすかさず突っ込む。 「そうなんですよー。俺が撮ってあげるって言ったのに、『貸せ』ってカメラ取られちゃって」 にこやかに答える香藤。冒頭から岩城は頭を抱えた。 限られた放映時間の中で、こんなくだらないシーンはてっきりカットされるものだと思って、たかをくくっていたのだ。しかもご丁寧に台詞の一つ一つにテロップまでついている。青色が香藤で、赤色が岩城の台詞であった。 しかし当代の人気俳優二人、しかもラブラブカップルと評判の彼等の私生活が垣間見えるフィルムが手元にあるとなれば、あますところなく披露して視聴率を稼ぎたいと思うのがスタッフの心情であり、またぜひ拝見したいと思うのが大衆の心情であろう。それでも、 「…俺が撮って正解だったな…」 岩城はしみじみそう思った。香藤にカメラを持たせた日には、暴走して寝室やらとんでもないものを撮られる可能性は、決して小さくないからだ。 そうこうしているうちに、カメラはリビングルームに入った。 『ここがリビングです。家ん中で、一番いる事が多い場所です』 香藤はそう言って、おもむろにソファに寝そべった。 カメラが香藤の裸足の足下から、たくましい体躯をなめるように動き、最後に眩しい笑顔にたどり着く。 無意識のうちに撮ってしまった香藤の全身像に、自分の心の動きがそのまま映ってしまったようで、岩城は赤くなったり青くなったり大変であった。 この映像を香藤が見るのは、今日が初めてのはずだ。こういう事には人一倍嗅覚の鋭い香藤の事だ、見たらますます図に乗るに違いない。 『いつもこういう体勢で、テレビ見たり、それから…』 しばし間が開いて、カメラに向かって顔色をうかがうようにじっと見つめる香藤。おもむろに枕元のクッションをどかせると、開いたスペースをぽんぽんと叩いた。 香藤の魂胆はわかっていた。しかしまさかこんなところで、いつものように膝まくらをするわけにはいかない事ぐらいわからないのだろうか。 カメラは無情にも香藤から離れ、ダイニングキッチンの方へ向かった。 『えー、もうそっち行っちゃうの?もっとこっちで撮ってよー』 『いいから、こっち来い』 香藤がしぶしぶキッチンに移動し、ひとしきり案内した後、ビデオはいったん消えた。 「いいお台所ですねえ。お料理はお二人でなさってるんですか?」 と、主婦でもある麻本さんがたずねた。 「そうですねー。料理に限らず、家事はだいたい手が空いた方が…ほら、共稼ぎなんで」 なんとも所帯じみた『共稼ぎ』という響きに、岩城はまた赤くなる。 「じゃあ、お二人ともいらっしゃる時は…?」 「料理はだいたい俺ですねー」 「じゃあ、香藤さんの方がお料理得意なんですか?」 「ええまあ。その間岩城さんが掃除したりとか」 麻本さんのツッコミに、気がつけば二人の赤裸々な生活が、どんどん暴かれてきている。香藤もノセられてるだけなのか、はたまたわかってて暴露しているのか。 「じゃあ、今度『突撃!お宅の晩ごはん』でおじゃまして、香藤さんの手料理見せていただいていいですか?」 すかさず峰岸さんが、このワイドショーの人気コーナーへの出演依頼をした。しかしこのコーナーは確か、『事前のアポイントなしで』視聴者宅を訪問し、夕飯を紹介するのが売りだったはずであるが… 「はい、ぜひ、よめすけさんお待ちしてますんで!」 香藤もすかさず出演を快諾した。ちなみによめすけさんとはこのコーナーのレポーターで、確か本職は落語家のはずだ。 再びビデオ映像が流れ、二階のウォークイン・クローゼットを映していた。 『クローゼットです。こっち側が俺で、こっち側が岩城さんのです』 『…言わなくてもわかりそうだな』 「わかります、よーくわかります」 ビデオのテロップつきの岩城の声に、峰岸さんが深くうなずいた。そこに並んだ大量の服は、右と左に分かれて色合いから雰囲気から、まるで互いに異国のようだ。中央の通路は、さしづめ国境か。 岩城国はシックな色合いにオーソドックスなデザインの服。対して香藤国はカラフルな色合いにアニマルプリントなどの派手な柄物が多く、デザインもバラエティに富んでいる。 次に香藤の部屋が映った。クローゼットに入りきれない服やら、ブランド物の箱やらがにぎやかに並んでいる。 『ここが、一応俺の部屋です。って言うより物置です。普段あんまりここにいないんで』 『物置はないだろ、せめて納戸ぐらい言え』 『あ、そうか納戸かー。さすが岩城さん、今度から納戸って言おう』 岩城はまた頭を抱えた。こんな子供と母親のようなやりとりまで放映されるとは。しかもこんな台詞にまでテロップをつける事はないだろう。 カメラは岩城の部屋へ移った。 『岩城さんの部屋です。いつもきちんと片づいてます』 まるで岩城の人柄がうかがえるように、整然とした部屋であった。その中で、ひときわ大きな本棚が目を引いた。そのガラス戸の前に香藤が立つ。 『岩城さんはいつも本を読んでるので、ここには本がぎっしり詰まってます。これも、ちゃんとあります』 カメラには本棚の一番前に収められた、『冬の蝉』の単行本と文庫本の背表紙が映っていた。 『運命を変えた本です。貸してもらった日に、一晩で全部読んじゃいました……泣きました』 岩城もあの夜の事を思い出していた。目を赤くして読破後、草加役を演りたいと目を輝かせていた香藤。 その直後に出演をめぐって、香藤が事務所とトラブルを起こした事については、正直言って責任を感じていたのだ。 映画が無事に完成し、封切りを待つばかりとなった今となっては、すべて夢のようであった。 『はい、じゃあ次は…』 香藤がとある部屋のドアを開けようとすると、カメラはすうっと逸れて階段を降りた。 『えー、やっぱりだめー?いいでしょ別に』 『もう二階は終わりだ』 『せっかくだからベランダ行こうよー、岩城さーん』 『だめだ、もう行くぞ』 『いいでしょ別にー。待ってよ岩城さーん』 いいでしょと言われても、岩城がいい訳がなかった。ベランダに行くためには、よりによって寝室を通らなければならないからだ。世間一般の夫婦でも、そうそう人様に寝室まで見せたいものではないだろう。それもしつこいようだがテロップつきで。 ビデオはここで終わっていた。ほとんどノーカット上映であった。最後の香藤の『いいでしょツインなんだし』という声は、さすがにカットされていたが。 「いやあ、岩城さんて普段おもしろい方なんですねー。香藤さんとなんだか、夫婦漫才のような掛け合いじゃないですか」 峰岸さんがしみじみと言った。 「そうですかー?いや、でもほんと、岩城さんてかわいいんですよー」 そう語る香藤の目尻は、これ以上下がりようのないほどに垂れ下がっている。 岩城のげんこつは、香藤が帰ってきたらどうしてくれようとばかりにふるふると震えていた。 「なんだか岩城さんて、亭主関白って言うより、香藤さんがなんだか…おしりに敷かれてるような感じじゃありません?」 麻本さんが香藤の様子をうかがうように、しかしずばりと核心をついた発言をした。 「あ、そうかも知れませんねー。峰岸さんちと似てるかも?」 香藤はそう言って、恐妻家で有名な峰岸さんに振った。 「勘弁して下さいよー!でもなんだかちょっと、うちと雰囲気似てたかも知れませんねえ」 峰岸さんは頭をかいてみせた。 「はい、では香藤さんの『書』を見せていただきましょう」 麻本さんがこう切り出した。いよいよトークコーナーも大詰めだ。最後にゲストが、半紙に毛筆で書いた座右の銘や好きな言葉などを掲げて、このコーナーを締めるのだ。 「はい、じゃあ…やっぱりこれでしょう!」 香藤はそう言って、半紙の貼られた巻物をくるくるとほどいて縦に掲げた。 それを見た岩城は、恥ずかしいやら腹立だしいたらで、耳まで赤く染めた。 香藤の掲げた半紙には、墨痕も鮮やかにこう記されていたからだ。 『岩城京介』の四文字が。 その後の事は、岩城はあまり覚えていない。 香藤が帰ったら、どうしてくれようとそればかり考えていたからだ。 「いや、だって、座右の銘って言うか、好きな言葉ったら、これしか思い浮かばないですもん!」 そう言って目尻を極限まで垂らした香藤のにやけ顔と、そして最後の麻本さんの 「岩城さんによろしくお伝え下さい。末永くお幸せに」 という言葉だけが記憶に残っていた。 そんな岩城の心をよそに、テレビでは次のコーナー『突撃!お宅の晩ごはん』が始まっていた。 香藤が帰宅後、岩城が香藤にどうしてくれたのかは定かではない。 そして後日、岩城と香藤の家に、はたして晩ごはん取材のよめすけさんがアポなしで来たのかどうかは、『今のところ』定かではない。 おわり ※この物語はフィクションです。実在する人物および団体とは、一切関係ありません(笑)。 2005.2.18 るなな |
読んでいくうちに実在の番組が頭をよぎった方も多いのかも知れませんね(笑)
映画「冬の蝉」の宣伝をしながらも岩城さんへの愛を語る香藤くんv(笑)
でも冗談の中にも彼なりの真剣さが混じっていて素敵!
言葉や雰囲気がすごく香藤くんらしくって
実際にテレビを見ているような感じになりました〜v
ああん 見てみたいわ〜vvv かじりついて見るのに!
岩城さんの反応も可愛くて好きです
るななさん、楽しませて貰いました〜☆
素敵なお話をありがとうございますv