「あなたが庭で眺めるものは・・・」


Act 1

岩城は、珍しくキッチンにいた。
冷蔵庫の開閉部分には、スタッフにコピーしてもらった料理のレシピが
一望できるようキレイにマグネットで止められている。
テレビとDVDプレイヤーのスイッチもついていて、Vの準備も完璧だ。
岩城の時間が取れなかったため、無理を言って清水さんに食材も買い揃
えてもらった。
それらを前にして、ここ、キッチンに立つ彼の顔は真剣そのものだった。
さて、これからが肝心だ・・・、と、岩城は気持ちを引き締めた。





Act 2

「今日は、晴れそうですねえ」
金子がフロントガラス越しに空を見ながら言った。
香藤は今日の仕事も終わり、金子の運転する車に乗って家まで帰る途中だ
った。
「今日は一日、いい天気だったみたいだね。こっちはスタジオに篭って
たからわかんなかったけど。・・・って、今日って、なんだっけ?」
一日が終わって、そろそろ日も落ちかけている。それに対して「今日」と
いう言葉を使った金子に気づいて、香藤は尋ねる。
「今晩は、中秋の名月ですよ。俗にいうお月見ってやつですか。」
「あ、そうだっけ。」
メディアの仕事をしていると、季節感がとんと薄くなる。先に先にと季
節を先取りして番組作りをするために下手をすると半年先のことを撮っ
ている場合もあるのだ。
金子に言われて、そう言えば季節はもう秋なのだと香藤は車の窓から空を
仰ぎ見る。
「そう言えば、岩城さん、もうお仕事終わられているようですよ」
態となのか、それとも素でなのか、金子が今気がついたかのように香藤
に告げる。
「え、そうなの!?」
思いもかけない言葉に香藤は、運転席の方に身を乗り出した。
香藤の勢いに押されて、金子が吃驚する。
「あ、すみません。途中、社に連絡を入れている時に、脇を通られて・・・。
これから帰られるというような事を清水さんと話されていたので・・・」
「金子さん、い、・・・」
―急いで帰って・・・と、香藤は言いかけたが、
「解ってます。捕まらない程度にお急ぎしますよ」
それより早く、金子は応えた。




Act .3

ピンポーン!
岩城が食材と格闘していると、玄関の呼び鈴が鳴った。
この家のインターフォンを鳴らす人間は限られている。お互いのマネー
ジャーか、それとも・・・・。
「はい」
インターフォンの受話器を取ると、
「もしもーし、岩城くーん?久しぶりー。私、佐和よー。」
聞きなれた明るい声がした。
「佐和さん!?ちょっと待って下さい、すぐ開けます」
急いで、玄関に向かう。
カチャ。
玄関の扉を開けると、佐和と雪人が見えた。佐和がこちらに向かって手
を振っている。雪人はペコリと頭を下げた。
雪人はスポーツバッグを肩にかけ。佐和はキャリーバックを脇に置いて
いる。
久しぶりの訪問に「入ってお茶でも・・」と、岩城は口にしたが、ちょ
っと寄っただけだと佐和は辞退した。
「佐和さん、どこかへご旅行だったんですか?」
「そうなのよー。ちょっと中国まで取材旅行へね。で、ハイ、お土産」
そう言って、中国柄が満載の紙袋を岩城に手渡した。聞くと中身は月餅
だという。
「あっちではユエビンっていうんですって。お供えして飾ってね」
なんでも、一番大きなものを買ってきたとのことだった。
「中国でも、中秋の名月ってお月見行事をするらしいんだけど、こっち
に比べるとすごく派手なのよ。花火も打ち上げたりするんですって。こ
れはね、この時期にしか発売されない特別製よ。普通のものより、とっ
ても大っきいのよ。ま、あなたたちには必要ないかもしれないけど?」
月餅の丸い形は家庭の和を意味する。中国ではこの丸いツヤやかな月餅
を月見団子の代わりに供えるのだそうだ。
「二人の家庭円満を願って・・・ね」と佐和は言った。
ところで、・・・と佐和が岩城の姿をしげしげと見る。
「岩城くん、お料理してたの?」
「え?」
岩城は自分の姿に気づいて、顔を赤らめた。急いで出てきたため、エプ
ロンを着けたまま出てきてしまっている。
「珍しいわね。香藤君も一緒?」
家を横目で見やりながら、楽しそうに佐和がきく。
「いえ、香藤はまだ仕事で・・・。」
今更だが、エプロンを外して岩城は答えた。
「あら・・・?今日は岩城君がお当番なの?よかったらお手伝いしまし
ょうか?」
「あ、いえ。・・ありがとうございます。でも・・・」
言い淀んだ岩城に、佐和がニヤニヤと代わりに答えた。
「なるほど、自分ひとりで作りたいってことなのね?ハイハイ、お邪魔
はしないわよ。やーねー。・・・やっぱり、月餅不要だったかしら?」
そう言って、佐和の言葉に赤面して言葉に詰まった岩城を面白そうに
見ると、クスクスと笑いだした。
「渚・・・」
遠慮がちに、雪人が佐和をたしなめる。
ひとしきり笑った後、佐和と雪人は帰っていった。
相変わらずの佐和に、また揶かわれてしまったと岩城は苦笑する。
そして一つ息を吐くと、先ほどの続きに取り組むべくキッチンに戻った。



Act .4

一通り、準備は出来たと思う。
後は、香藤が帰ってきてからオーブンに火を入れるだけだ。
慣れないため、品数は少ないながらも料理は丁寧に作られていた。
後は、清水さんが買ってきてくれたススキと萩を生けるだけだ。といっ
ても、引越し祝いにもらった焼き物の花入れにそのまま入れるだけだが。
生けた後は、先ほど佐和にもらった月餅をその隣にお皿を置いて供える。
月見団子も清水さんが買ってきてくれていたが、ちょっと考えてそのまま
戸棚にしまった。
ブルブルブルブルブル・・・・。
家の前に車のつけられる音がする。
しばらくして、香藤の元気な声がした。
「ただいまー。岩城さーん」
「お帰り。香藤」
居間に入ってきた香藤に、ソファに座っていた岩城が答えた。
「岩城さん、今日は早かったんだね。」
「まあな。」
「何してたの?」
テレビが点いているわけでもなく、脇に本があるわけでもない。
香藤は不思議に思って岩城に尋ねる。
「ちょっと・・・な。コーヒー飲むか?」
「あ、俺がするよ・・・」
「俺も飲もうと思っていたから・・・。お前は手を洗って着替えて来い」
「はーい」
子供のように香藤は答えて、岩城に素直に従った。
岩城はコーヒーを淹れながら、同時にオーブンの準備をする。
スイッチを入れながら、香藤の驚く顔と、とんでもなくデレついた顔が
岩城の頭に浮かぶ。嬉しくもあるが、同時にとても気恥ずかしい。心が擽
られるような不思議な感覚だ。


居間に戻ってきた香藤が、岩城の淹れたコーヒーを飲んでいると、オー
ブンからいい匂いが漏れてきた。香藤がクンクンと敏感に反応する。
「岩城さん、珍しいね。料理してたの?」
岩城は少し、そっぽを向きながら香藤に説明した。

先日、料理番組にゲストとして呼ばれたこと。
季節柄ということもあって「お月見にちなんだオリジナル料理」という
のを食べたこと。
そこで口にしたものがとても美味しく香藤にも食べさせてやりたくなり、
スタッフに頼んでレシピと、そしてその番組をDVDに落としてもらったの
だと。

自分のために岩城が慣れない料理をしてくれたというだけでも香藤にと
ってはとてつもなく嬉しいのに、それも、「食べて美味しかったから、
お前にも食べさせたくて・・・」なんて、岩城に少し照れながら言われ
たから堪らない。
香藤はクラクラと幸せに眩暈を起こし、目はジワリと涙ぐんだ。
「ありがとー。俺、超嬉しいーーーVVV岩城さん大・大・大好き!!」
大きな声で叫びながら、香藤は岩城の首ったまに抱きついて、何度もブン
ブンと岩城を振り回した。



月見といったら、月見酒だ。今日は日本酒を用意して、和室に酒宴の準
備をする。
岩城の料理もキレイに並べられ、縁側にしつらえられた小机に、生けら
れたススキと萩。それに佐和にもらった月餅を眺めながら、今日の出来
事を話す。
「へええ、だから月餅かあ。こんなの、高校の時中華街に行った以来だ
よ。なんか懐かしいなあ。」
「俺も、このユエピン・・っていうんだそうだけどな。家庭円満なんて
意味があるとは知らなかった」
「佐和さんも、粋なことしてくるよね。まあ、面白がってるだけだとも
思うけど・・・」
「また、そんなこと。散々世話になってるんだから・・・」
岩城が香藤をたしなめる。とは言っても、顔は笑っているので岩城も同じ
気持ちらしい。
「でも、そんなに派手なら、あっちで月を愛でてくればいいのに・・・」
「・・やはり、月は日本で見たかったんだそうだ」
岩城も佐和に同じ事を聞いた。取材がてらに、もう数日過ごしても良か
ったのでは・・・と。
―日本人ですもの。やはり日本での月を見たいのよ。それに・・・。
「・・そっか、そうだね。もう一度、中国までいくのもどうかと思うし・
・。」
香藤のセリフに、岩城は少し驚いた。
「なんだ、知ってたのか。番組ではあまり“後の月見”はしないと言っ
ていたぞ。地域にもよるらしいが。」
中国から平安時代に伝えられたという十五夜の月見とは別に、その後日
本で十三夜にも芋をお供えする月見が行われるようになった。この2つ
の月見は両方見ることがよしとされていて、片方だけを見ることは片月
見と呼ばれ縁起が悪いと云われている。
今では、十三夜の月見はすたれている所も多く、関東の一部に少し残っ
ているにすぎない。
「うちはお袋に昔からよく言われてたよ。“縁起悪いんだから、見るんだ
ったら両方見なさい!”ってね」
「なんだか、お前の方がそういうことに詳しいってのは、不思議な感じ
がするな」
「・・・・・ひどい言われようだね。ま、単に家の習慣の問題なんだけ
どさ。」
香藤は一瞬眉間にシワを寄せて見せたが、岩城の料理を口に運ぶと、
「うーん、岩城さんの愛の味がする!」
とすぐに顔を元にもどし、何度目かわからない舌鼓を打つ。それに合わせ
て、どんどんと酒盃も重ねていった。
「次は、今夜のお返しに俺が腕を振るうからさ。期待しててよ」
どれだけ飲んだのか。香藤は少しトロンとしかけた目で岩城にウインクす
る。
「でも、やっぱり小さくても庭付き一戸建てって大事だよね。こうやって、
月見も出来るし・・・」
自分たちの家は決して小さい訳でもないのだが、香藤は岩城の趣味で少
し広めに造った庭を眺めながらシミジミと言った。
「別に庭が無くたって、出来るだろう?月が見えればどこででも・・・」
「あ、・・・ふふふー。もう一つ岩城さんに教えてあげようかなー。その
二つの月見はさ。同じ庭で見なきゃいけないんだよ?」
岩城に何か教えることができるというのがとても嬉しいらしく、香藤が少
し優越感に浸っていう。
「なんだか、それは・・・。ある意味とても排他的な決まりだな。庭が
なきゃ、行事に参加することも出来ないのか?」
岩城が別のところに反応して、香藤はガックリと、頭を垂れた。
「岩城さーん。そうじゃ、な・く・て!」
「ん?」
「来月も!この庭で!一緒に!月見をしようっ!・・て言ったの。」
一つ一つ言葉を区切り、香藤は言った。
「あ、・・・」
岩城がやっと気づいたといった風に、香藤を見返す。
「ほんっと、こういう所はトコトン鈍感なんだからー」
片頬杖をついて、ぶちぶちと香藤はため息をついた。
「すまん、すまん。」
「ま、そこが岩城さんのいい所でもあるんだけどねー。もう・・・、こ
の愛の結晶に免じて、これで許したげるよ」
テーブル越しに岩城に軽くキスをすると、香藤は料理を一つ箸に摘んで見
せ、それをポイっと口に放り込んだ。
「料理の効果、絶大だな・・・」
岩城は一つ息を吐くと、自分が思った以上の香藤の喜びように目を軽く
細めた。
そして、酔いが拍車をかけたらしく、いつにも増してウットリと岩城を
見つめる香藤を岩城自身も眺める。
―そうだな、これからもこの庭で・・ずっとお前と一緒に月を見ていけた
らいい。
「ほら、香藤。俺ばかり見てないで、ちゃんと月も見とけよ・・・」
さっきから少しも空を仰がない香藤に、頭をポンとたたいて言う。
―俺も人のこと言えないか・・・。
それまで香藤を眺めていた自分を少し恥ずかしく思いながら、香藤から視
線を夜空に移し、岩城は苦笑する。
この庭では誰も眺めてくれない月は、そのことに拗ねてしまったように、
今にも雲に隠れようとしていた。





2004.10.10 ころころ





美味しいもの、綺麗な物を、味わったり見たりした時
愛しい人にも見せてあげたい・・・・味わって欲しい・・・
それはとっても自然な心・・・岩城さんのそんな想いが伝わってきて
とっても嬉しくなりますv 
月見といいながら互いを見る・・・・ツボですv

ころころさん、ありがとうございますv