後ろより暖かい腕が回されると心配そうな顔で覗き込んできた。

「岩城さん、どうしたの?」

「香藤‥‥‥」

いつの間にか帰ってきていた香藤の腕に抱かれ、冷えていた心が軽く温まる気がした。

香藤の胸の中に自分を預け、岩城は声を殺して泣いた。

香藤は無言で岩城を抱きしめ続けた。

『あの時、涙は出なかった。

母が死んだのに、家で香藤の前で流した涙は、自分が家から此処まで疎まれていたと言う、悔しさから来る涙だった。

新潟に戻っても、ごたついて母の為に涙を流した事は無かったと思う。

その後は、多忙を極め、母をゆっくり思い起こす事は無かった気がする。

だから‥‥‥』

岩城は、涙声で香藤に告げる。

『岩城さん、大丈夫だよ。お母さんも解かっているからね』

香藤は岩城の心の中に残っていたしこりに気づく。

二人の生活にゆとりが生まれたからこそ、今、心が悲鳴を上げたのだと‥‥‥

ならば、香藤には岩城を安心させる温もりを与える事しか出来なかった。



空の月に雲がかかり、しばらくして明るくなる。

岩城がそれにあわせて顔を上げ、香藤をみつめる。

「落ち着いた?」

香藤の言葉に頷き、顔を伏せて離れようとして、足元を見て驚いた。

「香藤、此処は?何処だ?」

「えっ?家のに‥‥‥あれ?」

一面のススキの野原に目の前に満月のお月様の月明かり‥‥‥

「家の近くの野原に‥‥‥似ている」

岩城は呟いた。

昔、ススキを取った野原に似ているが、その野原は今では家が建って無くなっているはずだった。

「って、言うか近くに家も無いよ‥‥‥ここ」

周りにあった人工的な明かりは見えない。

月明かりが唯一の明かり‥‥‥その中に人影が浮かんだ。

『京介‥‥‥』

「母さん‥‥‥」

「えっ、岩城さん」

女性の優しい声がしたと同時に二人の声がはもり、同じ方向を見ると、岩城の家で見た女性の姿がそこにあった。

「写真どおりの優しい人だね。岩城さん」

香藤が素直に言い返す。

「母さん、俺は‥‥‥」

岩城はその姿に言いよどむ。

女性は優しく微笑むと、岩城に向かって頭を撫でる。

「かあ‥‥‥さん」

岩城の瞳から、再び涙が零れ落ちた。

『元気で良かったわ』

母の声は直接頭に響くような、不思議な声だった。

「でも、俺は母さんの心配も気づかず‥‥‥最後にも会えなかった」

岩城は心の中で燻っている気持ちを、抱きしめている香藤の腕の中で震えながらも伝えた。

『京介‥‥‥何を不安がっているの?幸せなんでしょう?ならば、その幸せを大切にしなさい』

優しさの中に、岩城を叱咤する声で母は言い返した。

「いいのですか?香藤と居ても‥‥‥」

自信ない岩城の言葉に香藤は抱きしめる腕に力を入れる。

『私が反対したら、解かれるとでも?家でお父さんと雅彦に言った啖呵は嘘だったのですか?』

微笑みながらも、聞き返してくる母親

「岩城さんは離しません。何があっても」

香藤はきっぱり言い返した。

『京介、いい人を見つけ出しましたね。香藤さん、京介をよろしくお願いしますね』

「はい!!」

「母さん」

母親の言葉に、間を空けずに返事を返す香藤

驚きながらも心が晴れた岩城の迷いの無い澄んだ声

『行きなさい、帰り道はこの紅葉の葉を見流さないように』

母親は言い返すと、足元の赤い紅葉を示した。

紅葉が一筋の道の様に、ススキ野原に伸びて落ちていた。

香藤と岩城は手をつないだままで、その道に力強く一歩を出したが、

「此処は、何だったのですか?」

不意に聞き返す香藤の言葉に、

『此処は、迷いを持つものが入り込み、道を失うかもしれない所。現世とあの世の境にある場所ってもらってもいいでしょう。

月が出ている間に、さあ、お帰りなさい』

その言葉を最後に、後ろからは闇が迫ろうとしていた。

二人は目印の紅葉を見失わないように、温もりを離さないように先へ進んだ。

振り返りもせずに‥‥‥

『そう、二人で今度こそ幸せになりなさい‥‥‥何があっても、その手を離すことなく、生きている世界で』

最後にこの言葉を聞いて、岩城と香藤は自宅の庭に出たのだった。

「香藤、聞こえたか?」

岩城は、香藤に聞き返す。

「聞こえたよ。岩城さん」

香藤は岩城に答えを返す。

最後の言葉には、母以外に声が重なって聞こえた。

それは、二人の男性の声だった。

二人は言わなくとも、それが秋月と草加の声と思っていた。







古来、月には魔力があると言われている。

これはその力が働いたのであろうか?

答えるものは無い

月の明かりが静かに二人を照らすと、その道しるべのように紅葉の葉が風に揺れる

秋の夜長に起きた二人だけの秘密

誰にも言えないが心の中に満ちる暖かさを抱え、二人はしばし月を見入っていた。



―――――――――― 了――――――――――

 



                                 2004/10   sasa

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これからも変わらず、ずっと幸せに・・・・
それが今はいない岩城さんのお母さんとあのふたりの願い・・・
そしてそれは岩城さんと香藤くんの願いでもある・・・
月が見せた一夜の幻・・・でもその想いは確かなもの・・・
切なくて優しくて・・・・でも幸せで・・・・

sasaさん、ありがとうございますv