扉の外 いつものように私は外を眺めておりました。 それが私の日課なのです。 一体いつからこうしているのか、それさえも覚えていないほど。 日に日に空が高く抜けるようになり、空の色も群青から薄くなってまいりました。 空の雲も山から次々と湧き上がっているような厚いものではなくなり、風をそのまま 形取っているかのような線を描くさまで、その雲を見ていると私の息もすぅっとそこに 吸い込まれていくような気がします。 時折その風に乗って空を甲高い声を発しながら鳥が通り過ぎたり、小さな虫が部屋に 入ってきて少々私を驚かせたりすることもありますけれど、それでさえ私の退屈を しのいでくれるものではありませんでした。 かさかさと乾いた音が聞こえてきました。落ち葉を踏む音です。 そういえば遠くに見える山も青から赤みを帯びた色に変わってきました。もうすっかり 秋なのですね。 きっと私の家のそばをどこかの者たちが歩いているのでしょう。 よくあることです。ざわざわとした話し声と、草と葉それに小枝を踏んでいく音。 それらがだんだんと近付いてきたかと思うとそのまま遠ざかっていきます。 ほぅっと私は溜息をつきました。 いつもそうなのです。 大勢の人たちが私の前を通り過ぎて行くだけで、私には気付いてもくれない。 昔は私のところに毎朝訪ねて来ては、こっそりと私だけに話しかけてくれる方がいま したけれど、最近は滅多にそんなことはありません。この前外の人に話しかけられた のは・・・・・・もう覚えておりません。 正直言って、このような暮らしは私には向いていないのではないかとさえ思えるのです。 季節が移り変わる時期は心が揺れるということをよく聞きますが、まさしく私も・・・ いえ、いつになく思いが揺れておりました。 いっそのこと、この扉の外へ出てしまえば。 意を決しながらもそっと扉に手をかけたその時です。また話し声が聞こえてきたのは。 「ねぇ、岩城さん。予想外にここの旅館いい雰囲気だよね。」 「ああ、一部屋ごと離れになっているからあまり気兼ねも要らないし、落ちつけそう だな。」 私は扉にかけた手を止め、外を窺いました。 どうやらふたりの男性のようです。 おひとかたは少し甘えた感じの話し方をしていますが、とても暖かな愛情を相手の方に 持っているのだと分かるような声音でした。 そしてもうおひとかたの声も、落ち着いた中にひたむきな愛情とでも言うのでしょうか 、とにかく声だけでお互いがお互いのことを思いやっているのだとすぐにわかりました。 空は少し薄暗くなってきていて、悪戯に眩しい明かりが辺りを照らしていましたから、 それらの声の主の足元だけは私も見ることができました。 素足に草履それに同じ着物の裾でしたから、ここの宿に訪れた方なのでしょう。 着物の裾が動くのがまるで1枚の布のように見えますから、おふたりがとてもぴったり とくっ付きあっているのでしょう。 「えへっ、夕食まで時間があるからってちょっと中庭に出てみたけれど結構見た感じ より広いよね。それにここなら誰も見てないしさぁ、ねえ、手ぐらい繋ごうよぉ。」 「なーに言ってんだ。そんなことばかり言ってないで少しは自然を愛でろ。この辺の 木ももう紅葉し始めているじゃないか。」 声が近くなり、落ち葉を踏む音が大きくなってきたかと思うと、突然その音が止み ました。 何かあったのでしょうか。立ち止まるほどこの周りには特別なものがあったとは思え ないのですが。 それに、もっとふたりの声を聞いていたいと思っていましたから少し残念に思ったの です。 ところがしばらくすると、ようやく小さな声が聞こえてきました。 『かとう・・・』と。 その声を聴いた途端、私は何故だか顔が熱くなりました。 それにどきどきしてしまって、そのあと何かふたりで言っていたようですが、それも 聞こえないほどでした。 どうか早くこの動悸がおさまってくれないものかと、胸を押さえていました。 しばらくしてようやく胸の高まりが治まってきたころ、また声が聞こえてきました。 今度は先ほどよりやや大きめの声でした。 「ちょっ・・・ちょっと待て!」 その声のすぐ後にがさがさというまた葉を踏む音が。 「わっ!ひっどーい、岩城さん!!何もそんなに突き飛ばさなくったってぇ〜〜!」 そうして少し男の方にしては情けないような声がして、そのあと少し私の足元が揺れ ました。 「!?・・・いってぇ、何・・・これ?」 「はぁ?どうした香藤。」 「ほら、岩城さん。これ。」 「え?・・・あっ・・・これは・・・何かを祀っているんだろうな。」 「ふ〜ん、何を祀っているんだろうね?」 そう言いながら声の主のふたりは扉の前に溜まっていた枯葉を取り除いてくれました。 男の方としてはやや細めの、そして長い指で、なんだか私のことでその掌や指が汚れて しまうのが申し訳なく感じられました。 そうしている時に目の前にその方々のお顔が拝見できました。もう、とびきり素敵な お顔で。ああ、視線が合わなかったのが残念なようなほっとしたような。 だって、もし目が合ってしまったとしたら私はとても平静な気持ちを保つ自信があり ませんもの。その横顔が一瞬見えただけでも胸が高鳴ってしまって、今思い出すだけ でも・・・。 「ちょっと葉っぱとか取っただけでも結構綺麗になったな。」 「そだね。でもさ、こうなんて言うか、あんまり丁寧に扱われていないみたいだよね。」 そう言いながらまたすうっと指が目の前を通り過ぎていきます。代わる代わる。 「仕方ないものなのかもしれないな。みんな日々の忙しさに感けてしまって、なかなか こういったことに時間を割けないんだろ。俺たちだって人のことは言えないと思う しな。」 「そうかもしれない。けれど特別なことはしていないけど、いつだって俺、神様に感謝 してるよ?岩城さんと出会わせてくれてありがとうってさ。」 「お前らしいな。」 「でしょ!俺、日本中どころか世界中どこの神様にだっていつまでも岩城さんとふたり 、幸せに暮らしたいってお願いしたい気分だよ。そして岩城さんを大切にするってその 神様に誓うんだ。」 「お前は、そうやっていつでもどこでもそんなことを・・・」 その言葉は最後まで聞くことはありませんでした。何故なら香藤と呼ばれていた方が 顔を寄せていきましたから。まるでそれがごく自然なことのように。 私はそのまま見ているのが恥ずかしくなり咄嗟に目を袖で覆ってしまいました。 しばらくすると小さな声が聞こえました。 「この神様の前でも誓うよ。一緒に誓おう?岩城さん。」 そうして、彼らは静かに手を合わせました。 彼らの声に出さない言葉が私の胸にはっきりと聞こえてきました。 ふたり同時に。 しかも同じ言葉が。 彼らはここに来た時と同じように、いえそれよりももっと寄り添いあいながらその場を 去っていきました。 彼らに会うことは二度とないかもしれません。 けれど私をこんなにも幸せな気持ちにしてくれたのです、私は彼らの幸せをこれからも ずっとずっと願い続けていくでしょう。 あら、それは変な話ですわね。 私は幸せを願われ叶える立場ですのに。 でも、それでしたら彼らの幸せはずっと続きますね。 '04.10.07. ちづる |
神様が感じたふたりの想い
それは過去から未来へと続く絆だったのかも知れません
私達も願っています
これからもふたりがずっと寄り添っていけますように・・・・と
ちづるさん、ありがとうございますv