それは突然の知らせだった。 松の内が明け、新年挨拶の顔見せに事務所を訪れた香藤に、そのことは告げられた。 昨年の暮れに行われた惣社光暁監督の新作「ゆるやかなる残酷」の主演俳優オーディションを受けた香藤は、 すでに1次審査を突破していた。 次回は2月始めに2次審査が行われ、その後順次3次審査、最終審査まで行われることになっていた。 そう、2月初めに行われるはずだった2次審査… 「1月27日に繰り上げ!?冗談でしょ、金子さん」 「いえ…それが…惣社監督側のスケジュールの都合で、その日に繰り上げになったと、 さっき連絡が入ったんです。スミマセン…」 毎年、岩城の誕生日には二人のスケジュール調整をし、オフを合わせてもらうことが恒例となっていた。 今年もその日はどうやって過ごそうかと、お正月明けから案を練っていた香藤にとっては、 青天の霹靂のような知らせだった。 しかし、仕事がらみ、それも今の香藤にとっては大切なオーディション…本当なら、岩城の誕生日と 天秤にかけることは、香藤にとってもっともしたくないことだった。 「せっかくの岩城さんの誕生日なのに…うーん、ついてない……ま、仕方ないけどさ… まさか、夜中までオーディションがあるわけじゃないしね」 自分に言い聞かせるような顔つきでため息をつく香藤の側で、金子はその顔色を伺うように 何か言いたげな素振りを見せていた。 「ん?どうしたの?金子さん。まだ、何かあるの?」 「あ…の…それが…」 「あー、もう、何?とにかく全部言っちゃってよ、金子さん」 「はい、すみません。実は、27日だけで2次と3次と最終選考まで行われることになりまして…」 なおも口ごもる金子の姿に、香藤は少なからぬ不安を抱いていた。 2次から最終選考までを1日で終わらせるということは、かなりの時間拘束される覚悟がいるということである。 もっともそれは、最終選考まで残ればのことであったが、既に香藤の中では何があっても最終選考に残り、 何があってもこの役は自分のものにするという決意が出来ていた。 「…で?まだ、何かあるんでしょ?」 「はぁ…その、オーディションの会場が、やはりあちらサイドの都合で都内ではなく…」 「え?都内じゃないって…どこ?」 「その…」 金子が消え入りそうな声で答えると同時に、香藤の声があたりに響き渡った。 「えぇー!?札幌!?なんで札幌なんだよ?それも、こんな時期に!」 暖冬とはいえ、冬の札幌行きはいつ何時雪に邪魔されるかもしれない。 オーディション当日の早朝便で飛ぶことも可能ではあるが、万が一を考えると、やはり前日移動が妥当ではある。 おまけに、最終選考まで残り、結果発表や諸々のことを考慮すると、その日の内に東京へ帰ってくることさえ 危ぶまれた。 無言のまま立ちつくす香藤に、恐る恐る金子が声をかけた。 「あの…香藤さん…まさか、受けない…とか言わないですよね」 心配のあまり真っ青な顔の金子を振り返り、香藤は笑顔でウィンクしながら答えた。。 「心配しないでよ、金子さん。俺だって、そんなにバカじゃないよ。『冬の蝉』の時の二の舞をするつもりは 無いから。それに、これ以上金子さんや事務所に迷惑かけたりしたら、それこそ岩城さんから愛想尽かされ ちゃうよ。とにかく、このことは俺が直接岩城さんに言うから、安心してよ」 まだ、少し不安げな金子だったが、今はひとまず香藤の言うことを信じるしかなかった。 ******************** 香藤が岩城にそのことを話せたのは、それから1週間も後のことだった。 今期クールの連ドラに出演中の岩城は、正月明けからこっち、連日早朝から深夜までの撮りのため、 香藤とはすれ違いの毎日が続いていた。 久しぶりにその日のうちに帰宅できた岩城を、香藤はベッドで迎えた。 風呂上がりの岩城からは、微かにボディーソープの香りがした。 香藤のベッドの端に腰を下ろした岩城は、いつになく積極的に香藤を引き寄せ唇を合わせてきた。 岩城の腕が香藤の首にまわされ、この1週間を取り戻すかのように、二人はお互いの唇を貪りあった。 「ぁ…ん…ふっ…」 ようやく息をつくために唇を離した岩城に、香藤はもう一度軽くキスをした。 「岩城さん、どしたの?ひょっとして、俺不足?」 「ああ…そうかも…な」 肩で息をしながら、どこか甘い響きを帯びた声で答えた岩城に、香藤はとろけるような快感を覚えた。 「ん、もう〜、岩城さん、それって反則だよ。そんな声でそんな風に言われたら、俺、止まンなく なっちゃうじゃん。ほら、ここ、来て」 香藤は岩城の身体を招くように引き寄せ、自分の身体の下にしきこんだ。 そのまま、岩城の額に瞼に頬に顎にと、ひとしきりキスの雨を降らせた後、再び熱く深いキスを唇に落とした。 唇を離した香藤の目には、ほんのりと上気した肌に潤んだ瞳の岩城が映っていた。 香藤はその先に進みたい欲望を押さえ、岩城に誕生日の不在を告げようとした。 「あのね…岩城さん」 香藤の物言いたげな様子に、濡れて焦点もぼやけかけていた岩城の目に、光が戻った。 「なんだ?香藤。何か俺に話したいことでもあるのか?」 「う…ん…実はね、例のオーディションの件なんだけどさ」 「どうした?自信無くしたとか言うなよ、香藤」 「自信ならあるよ。あるからさ…困ってるんだよ」 香藤は前髪をくしゃくしゃとかき上げながら、半身を起こした。 「香藤…?」 「実はね、岩城さん。オーディションの日が繰り上がって27日になったんだ」 「…で、まさか受けないとか言わないだろうな?香藤」 岩城の言葉に、香藤は少しムッとしつつ答えた。 「もー、金子さんだけじゃなくて、岩城さんまで言うんだ。いくら俺が岩城さん命だって言ってもさ、 今の自分が取るべき道くらいは、ちゃんと判断できるよ。なんか俺、信用無い?」 「そんなことは無いさ。おまえは十分大人になったよ」 岩城の右手が優しく香藤の頬を撫でた。 「岩城さん…」 ため息をひとつついて、香藤はオーディションの件を岩城に話し始めた。 「くっそー、なんで札幌なんだよ!27日でもいいよ、でも、東京でやりゃいいじゃん!」 岩城に話し終えた香藤は、あらためて怒りの持って行き場の無さにいらだっていた。 それは、香藤にとって岩城の誕生日の持つ意味の大きさを表していた。 「香藤」 香藤をなだめるように抱き寄せた岩城は、穏やかに話し始めた。 「惣社監督は、もともと北海道を起点に仕事をしてる人だし、今も冬の北海道でのロケを敢行しながら次の作品 の準備をしてるんだ。だから、札幌でオーディションも仕方ないと思う」 「そんなこと…俺だって、わかってるよ…金子さんから、聞いたし…」 「とにかく、おまえはオーディションのことだけ考えて、全力を尽くせばいい。俺の誕生日なんて、来年も 再来年もやってくるだから」 「でも、『今年の誕生日』は今年しか無いんだよ」 「このオーディションも、これしか無いんだぞ。惣社監督なら絶対におまえを活かせるはずだ」 すでに香藤の合格を信じるかのような岩城の言葉に、香藤は面映ゆくもあり、嬉しくもあった。 「岩城さん…ごめんね。せっかくの誕生日にひとりにさせて」 「バカ…そんなことぐらいで、謝るな」 「岩城さん…」 岩城を横たえさせた香藤は、冷めた熱を呼び覚ますように口づけた。 「ホントは…ね…、俺が寂しいん…だ」 口づけながら、なおも香藤はささやき続けた。 「寂しい…ん…だ…」 岩城の深く応えるような唇と舌に、やがてそのささやきも飲み込まれ、二人の吐息は溶け合っていった。 ******************** 香藤が札幌に飛んだのは、26日の午後のことだった。 早朝からドラマの撮影で家を出た岩城とは、会わずじまいの出発となった。 香藤は飛行機に乗り込む前に、岩城にメールを送った。 「行ってきます」 岩城がそのメールを読むのがいつになるのかはわからないが、とにかく何も言わずに飛び立つことは、 香藤にはできなかった。 本当なら直接携帯越しに声で伝えたかった。 しかし、撮影の真っ最中かもしれない現場を思うと、それはできなかった。 ―――そういえば、岩城さんは明日のオフをキャンセルしたんだろうか?――― 二人で一緒に誕生日を過ごすためのオフ。 それがダメになってしまったのなら、岩城が一人でオフを取るとは思えなかった。 しかし、明日のオフをキャンセルして仕事を入れたのかを確認する暇もなく、香藤は出発せざるを得なかった。 そんな香藤の疑問は、機内であっさりと解決した。 「岩城さんの明日のオフはそのままですよ」 金子の言葉に、香藤は目を見張りながら問い返した。 「なんで金子さんがそんなこと知ってンの?」 「えっ?あ…その…清水さんと話すことがあって、その時、聞いたんですけど…その、香藤さんがオフじゃ なくなったんで、岩城さんがどうされるかを聞いたんです。で、そのままオフは取られると」 「そっか…岩城さん、ここ最近忙しかったから、たまには骨休めになっていいかもね」 少し寂しげな顔つきでシートに身体を沈めた香藤が、金子のこめかみに伝う汗に気づくことはなかった。 翌日、雪のちらつく中、香藤は金子と共にオーディション会場へと向かった。 岩城からは、昨夜遅く、香藤の送ったメールに「がんばれ」のひと言の返信が届いていた。 香藤が北海道を訪れたのは「冬の蝉」のロケ以来のことだった。 暖冬のせいか、それとも札幌市内だからなのか、以前よりは積雪が少ないように思えた。 それでも、街中真っ白に覆われた雪景色は、香藤にあの岩城との雪の中のロケを思い出させた。 「冬の蝉」もオーディションから始まった。あの時の、絶望的な状況で臨んだオーディションに比べれば、 今回のオーディションは、ある意味、楽なのかもしれない。もっとも、楽なのは置かれた状況であって、 オーディション自体はいつどんなものでも厳しい事に変わりはなかった。 ―――惣社監督なら絶対におまえを活かせるはずだ――― そう言ってくれた岩城の期待に応えたい。いや、それ以上に、俺はこの役を演りたい。 その思いは、「冬の蝉」で草加を演りたいと思った時と変わりはなかった。 午前中に2次選考を終え、7人に絞られた中に、もちろん香藤の姿もあった。 香藤は午後からの3次選考を終えたら、岩城に電話しようと思っていた。 その3次も無事終えた香藤は、携帯電話を手に、控え室にも帰らずロビーへ直行した。 しかし、香藤の携帯には、岩城の携帯の電源が落ちているか圏外である旨の応答しか返ってこなかった。 しかたなく、香藤は家の電話へかけてみた。何度かの電話の呼び出し音の後、留守番電話の音声に切り替わった。 自分の声で入れた留守録の音声が、むなしく流れるばかりだった。 昨日、金子は、岩城はオフをそのまま取っているはずだと言った。それなのに、携帯もかからない。 家の電話も留守電になっている。岩城が、オフにひとりでどこかへ出かけたというのだろうか? それも、自分の誕生日に。 岩城の性格からすれば、それは考えにくかった。 岩城なら、自分からの電話を待っていてくれるはずだ。ひょっとして緊急に仕事を入れたのかもしれない… そう、俺と一緒に過ごせないオフよりも、仕事をしたほうが寂しくないよね… 香藤は、不安に襲われながらも、なんとか自分に言い聞かせようとしていた。 「香藤さん、もうすぐ最終、始まります。戻ってください」 不安そうな顔つきの香藤をよそに、金子は香藤を最終選考の部屋へと急かした。 「金子さん、岩城さんに連絡がつかないんだ…ホントにオフなんだよね?」 「はい、本当にオフです。とにかく、今はまずはオーディションのことだけを考えてください。 きっと岩城さんがここにいらしても、そうおっしゃると思いますよ」 オーディションのことだけ考える。 そうだ、今は他のことを考えてる時じゃない。 オーディションに全力を尽くすことこそ、今の俺がすべきことだ。 誰のためにでもなく、俺自身のために――― 「金子さん、ありがとう。そうだね。きっと岩城さんもそう言うよ。じゃ、行ってくる」 「香藤さん!」 「え?なに?」 「あの…待ってますから」 金子の当たり前すぎる言葉に少し首をかしげた香藤は、思い直したように唇の端に笑みを浮かべた。 溢れる美貌の上に、戦いに赴く者の精悍さを纏ったような香藤の姿は、金子ならずとも既に勝者は 決しているかのような気にさせた。 最終選考は、惣社監督と一対一のフリートークである。 論客としても知られている監督と、丁々発止のやりとりが待ちかまえているはずだった。 香藤は大きく深呼吸をしてドアを開け、最終選考のための前室へと入っていった。 ******************** 最終選考が全て終わった時には、夜の8時を過ぎていた。 すぐに結果が発表された。それは、金子が思ったとおりのものだった。 「香藤さん、おめでとうございます!やりましたね。さっ、急ぎましょう。車、待たせてますから」 オーディション合格を聞かされて部屋から出てきた香藤は、金子に急かされるまま、会場のホテル前に 待っていた車に乗り込んだ。 「金子さん、急いだら最終の東京便に間に合うの?確か最終って21時半くらいだよね」 香藤の声をよそに、車は走り出した。 香藤は岩城に結果を知らせようと、携帯を取り出した。しかし、何度かのコールの後に戻ってくるのは 電源オフの知らせだった。 「岩城さん、どうしちゃったんだよ…俺からの連絡、待っててくれてるはずなのに…」 オーディション合格の嬉しさを、一時でも早く岩城と分かち合いたかった。 「岩城さん…どこにいるだよ?岩城さん…」 金子のいることも忘れて、香藤は岩城の名前を呼んでいた。 「香藤さん、大丈夫です。岩城さん、待ってますから。もうすぐですから」 金子の声に香藤は我に返った。気がつけば、車は札幌市内からはかなり遠くまで来ているようだった。 「金子さん、この車、空港へ向かってるんじゃないよね。どこに向かってんの?」 「あと10分くらいで着くはずです。香藤さんもよくご存じの場所ですよ」 「えっ?俺が知ってる場所?」 金子の言葉に驚いた香藤は、北海道で自分が知ってる場所を思い出そうとした。 香藤にとっての北海道は、イコール「冬の蝉」の撮影の日々だった。 目を瞑れば今でもすべてが浮かんでくる。 岩城と共に仕事も夜のオフも一緒に過ごすことの出来た至福の時。 「あ、見えました。香藤さん、もう着きますよ。ほら、待ってらっしゃいますから」 やがて、車はロッジ風の建物の前で止まった。 それは見覚えのある建物だった。いや、見覚えがあるどころではなかった。 北海道での「冬の蝉」のロケ隊が宿泊していたホテルだった。 「な…に?金子さん、ここ…どうしてここに?」 驚きのあまりぽかんと口を開けたままの香藤に、笑顔で金子は答えた。 「さぁ、香藤さん。お待ちですよ、岩城さんが。『冬の蝉』の時にお泊まりになった部屋です。 きっと香藤さんのオーディション合格の報告を、首を長くしてお待ちですよ」 「これ…誰が考えたの?岩城さん?」 「ええ、岩城さんからご相談があって、清水さんにも協力していただいて、なんとか上手くいきました。 天候が心配だったんですが、それにも恵まれて良かったです。ああ…こんなことを話してるよりは、 とにかく、早く岩城さんに合格を知らせてあげてください。さっ、香藤さん」 香藤を車の外に押し出すようにして、金子はまた車に乗り込んだ。 「明日の朝8時にはお迎えにあがりますから、今夜はお二人でお祝いをされてください」 車のウィンドウ越しにそう伝えると、金子は運転手に車を出すように告げた。 雪に覆われた木々に囲まれたロッジ風ホテルの前に一人残された香藤は、一息つくと、 愛しの岩城の待つ部屋へと向かった。 「岩城さん!」 勢いよくドアを開けて入った暖かな部屋の中、暖かな空気を纏ってその人はいた。 「おかえり、香藤」 柔らかに微笑みながら香藤を迎える岩城を見たとたん、香藤の中で全てが溶けていった。 椅子から立ち上がって香藤を迎えようとした岩城に、香藤は思い切り抱きついていた。 「岩城さん…岩城さん…岩城さん…」 香藤は何度も岩城の名を呼びながら、何度も岩城の唇にキスを繰り返した。 「ほら、香藤、まずは俺に伝える事があるだろう。待ってたんだぞ」 「う…ん…そだね。岩城さん…」 香藤はもう一度深く口づけると、思い切りの笑顔を浮かべた。 「HAPPY BIRTHDAY!岩城さん」 思わぬ言葉に驚きながらも、岩城は香藤の唇に軽くキスを返した。 「ありがとう、香藤。とっておきのプレゼント、待ってたんだぞ」 「え?あ…ゴメン、岩城さん。ちゃんと買ってるんだけどさ。まさか岩城さんが来るなんて 思ってもみなかったから、家に置いて来ちゃったんだよ。ホント、ごめんなさい」 「バカだな…俺が欲しいとっておきのプレゼント、おまえは今持ってきてるだろ」 「岩城さんの欲しいプレゼント?」 「そう、とっておきのプレゼント…オーディションの結果だ」 岩城は、アッという顔をした香藤の頬を両手で挟み、もう一度軽く口づけた。 「さぁ、俺にとっておきのプレゼントを贈ってくれ」 「うん…あげるよ、岩城さん」 香藤は岩城の耳元で囁いた。 「オーディション、合格したよ、岩城さん」 「おめでとう、香藤」 「ありがとう…岩城さん」 「もう一つ、とっておきのプレゼントを俺にくれ…」 「もう一つ?」 「そうだ…もう一つのとっておきのプレゼント…香藤…おまえだ…」 岩城のその言葉に、香藤の全身は熱いものに満たされていった。 岩城の深い口づけに香藤も応え、二人はラグの上でお互いの熱さを確かめ合う。 やがて、全ての熱はとろけて溶け合っていった。 窓の外、いつの間にかちらついていた雪もやみ、空には冴え冴えと輝く月が出ていた。 しんしんと冷えていく北国の森の中、その場所だけは一晩中熱く燃えて続けていたことは言うまでもなかった。 ******* END ******* 2007/01/25 七海 笙 |
・・・・窓から覗きたいです(え)
岩城さんの願いとマネジャーさん達の粋な計らいで素敵な夜となりましたね!
あのロッジでの熱い夜・・・・再びですね! いえいえそれ以上かもv
笙さん、素敵な作品ありがとうございますv