プレゼントは思いがけないところからやってくる。

自分たちが一生懸命生きてきた、そのことへの無形のご褒美。

今回は、そうだったのだ、と、岩城は思った。







「待てっ!!香藤っ!!」

「大丈夫だよ、岩城さん」

「駄目だ、行くな、香藤っ!!行かないでくれっ!!」

そんな岩城の声を無視して、香藤が暗い闇で高い場所へと駆け上っていく。

暗闇に香藤の姿が消え、暫くすると香藤の叫ぶ声が響き渡り、岩城の目の前に香藤の体が、ドスンと

いう音をたてて降ってきた。

「香藤っ!!香藤っ!!」

岩城はその体にすがり、泣き叫んでいた。

そんな岩城の耳に、何処からか、自分を呼ぶ声が聞こえてきた。

「・・・ゎき・・ん・・・ぃわ・・さん・・」

それは次第に大きくなり、ついには耳にはっきりとした音声として飛び込んできた。

「岩城さんっ!!岩城さんってばっ!!」

はっとして目を開けると、目の前に自分の体を揺する香藤がいた。

無言でその顔を凝視している、そんな岩城に、香藤が「岩城さん、大丈夫?すごいうなされてたよ」

と言った。

ゆっくりと、自分が夢を見ていたことに気がついた。

香藤が優しく頬を濡らしていた涙をぬぐってくれた。

「もう・・・何、夢見たの?こんな・・・泣くような夢・・・」

「あ・・ああ・・・」

そう答えながら、まだぼんやりとしている頭で、岩城は心から安堵していた。

夢、だった・・・よかった・・・

「・・・すまん・・・とても・・・いやな・・・」

と言いかけて、やめた。口にすることで、何となく不吉なものを呼ぶような気がした。

なに?と、訊く姿勢になっている香藤に、「いや、なんでもない」と、答えた。

そう?と、香藤はそれ以上追求しなかった。

その代わりに、岩城の体をさらにしっかりと自分の腕に抱きこんで、キスをした。

暖かな舌が絡まってきて、岩城はそれに答えるように舌を差し出した。

香藤の魔法のキスは、嫌な不安を消し去ってくれていた。

「・・・・続き・・・したいんだね・・・」

知らず夢中になっていた自分の舌を、岩城は香藤の言葉で気がついた。

イエスともノーとも言いよどむ、そんな岩城が答えるより早く、香藤の手が、岩城のパジャマの裾か

ら忍び込んでいた。

もう、岩城は答える必要がなかった。

後は香藤が自分を救ってくれる。全てを忘れさせてくれる。

ゆっくりと自分の体を香藤に預けた。

甘いタッチで岩城の体を移動していた香藤は、互いの熱い吐息を合図に、背後から岩城に重なった。

そして、眠りの途中にふさわしく、静かにゆっくりと無理のない姿勢から岩城の中に入っていった。

胸を波打たせる岩城の耳に「いい・・・?」と、囁いた。

いい、と、答えたはずの岩城が声は、唇を僅かに動かしただけだった。










香藤は、不満げな顔つきで着替えをしていた。

そんな香藤を眺めながら、岩城は胸でクスクスと笑っていた。

「もう・・・なんで今日、なんだよっ!!」

ついに香藤の口から苦情の一環が流れ出た。

「岩城さん・・・休みとってくれてるのに・・・・」

今日が互いの休みが重なる岩城の誕生日になるはず、だった、そんな日に香藤は金子に拝み倒されて

仕事になった。

いや、金子に頼まれたからではない。岩城に厳しい口調で言われたからだ、「プロだろ、お前、そん

な事でいちいち四の五の言っててどうするんだ」と。

のらりくらりと着替えをしている香藤へ、岩城が、「で、今日の撮りは何処であるんだ?」と訊いて

きた。

「う・・ん。Mビル」

「Mビル?」

既存のビルを使用する大掛かりなセットを抱えての撮影は、天候が雪などに阻まれ、あらゆる全ての

条件がひとつの日にまとまることが難しく、今日を逃すとキャンペーンへのCM放映には間に合わな

い、という金子の説明には、首を縦に振るしかなかった。

「そう。ビルからクレーン吊って、そっから彼女が落下するのを、俺が手を出して捕まえる、っていう・・・

もう・・・007も真っ青だよ」

「・・・・・・」

急に返事がなくなった岩城を香藤は振り向いた。

笑顔が消えた岩城がそこにはいた。

「・・・何?心配してくれてるの?」

そう言って、香藤は近寄り、背中から肩を抱いた。

「いや・・・そう言うわけじゃ・・・」

「もう・・大丈夫だよ、落下防止のベルトもつけてるし・・・俺なんかより、落ちる彼女のほうが大変だよ」

「・・ああ・・・そうだな・・・で、どうしてそれが、宝石のCMになるんだ?」

「うふっ・・・あのね、捕まえた互いの両手に指輪が光ってるっていう・・・」

「ああ・・・そういうことか・・・」

「そ・・・そういうこと・・」

怪しく囁いた香藤の唇が、背後から首筋にそって、そのまま岩城の唇を塞いだ。

暫くすると、岩城の体は香藤の腕の中で向きを変え、しっかりと正面から抱きあっていた。

名残惜しげに離れると、「・・・もう・・・」と、香藤が呟いた。

「なんで、そんな、素直に答えるかなぁ・・・」

香藤の言葉に、岩城は腕の中で僅かに体を硬直させ、「ほら・・もう時間」と口を動かしかけた、その唇は

再び香藤に塞がれ、言葉を失った。

最初は抗う素振りの岩城だった、が、次第にあがる香藤のピッチに、その舌と体を散々翻弄され、結局は、

体中の力を奪い取られていた。

互いの唇が離れたときは、息が上がり、岩城はすっかり香藤の腕に体重を委ねていた。

「・・・出したい・・・ねぇ・・岩城さん・・」

熱い息を吐きながら告げる香藤に、岩城はやっとの思いで、「・・ダメ・・だ・・」と、答えた。

誕生日を邪魔された2人の感情は、待たされる分、高揚感も付加されていた。

「岩城さんだって・・・」

そう言って、香藤は岩城の下半身に腰を押し付けた。

「ダメ・・だ・・・香藤・・・もう・・時間が・・」

岩城は両手で香藤の胸を押した。

「だって・・・ねえ・・・いいでしょ・・・」

耳元で囁く香藤の誘いは、無敵の力を発揮していた。

「もう・・・金子さん・・・来るだろ・・香藤・・・やめろ・・」

「・・大丈夫だよ・・・そんな事言って・・・俺が今日ビルから落っこちちゃったら、どうするのさ・・・きっと後悔」

そこまで話した香藤を、岩城はドンと突き飛ばした。

「岩城・・・さん・・・?」

驚いて見つめる香藤を岩城は、僅かに上がっている息の中から、訴えた。

「冗談でも・・・そんな事、言うな!!」

ああ、そうだった・・・この人は、この手の冗談は通じないんだった、と、香藤は気づき「ごめん」

と、素直に謝った。

そうするうちに、玄関のホーンがなり、ほんとに金子が迎えに来てしまった。

「じゃ、岩城さん、終わったら速攻で帰るから」

そんな声を残し出て行った香藤を、岩城は見送った。

岩城も、2人での誕生日を、楽しみにしていなかったわけではない。

出かけた香藤が残した余韻に、岩城はぼんやりとたたずみ、庭を窓から眺めていた。

少しして、岩城はそっと、右手で自分の唇をなぞってみた。

香藤が触れた唇は柔らかかっただろうか・・・。

そんなことを頭に浮かべる自分に、僅かな溜息をついた。

庭の木が少し風にゆれ、ざわざわっと音を立てていた。









「今日はよろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

今日、一緒にCMを撮るモデルに挨拶をした香藤は、監督からコンテを見ながら説明を受け、クレーンへと

乗り込んだ。

リハーサルがスタートし、香藤とモデルを乗せたクレーンは、ゆっくりとビルの窓に沿って持ち上げ

られていった。

5階程度の位置から、モデルは落下し、それを香藤が助ける。勿論、地上に安全幕は張られているが

自身への装着ベルトはなかった。

そのことは既に話が進んでいる段階で、香藤を含め了解済みのことであった。

ただ、香藤がそれをあえて岩城には告げなかっただけ、だった。

モデルはアクション系のスタントをこなす女優なので、身のこなしは慣れていた。

また、5階という低い位置からの落下を、実際の画面上では遥かに高い位置からの落下に見せるよう

に画像処理も行なわれる。

何かに追われている2人が、ビルの窓からクレーンへと飛び移る、その飛び移った拍子に、モデルが

滑り落ちそうになり、それを香藤の手が掴み助ける、という、ストーリー仕立てのCMだった。

最初は低い位置で、窓からクレーンへ飛び移る動作のリハーサルを始めた。

飛び移った先のクレーンの足場が不安定に揺れるので、結構の難題だった。

また、助けるために伸ばす互いの手も、画面に指輪が映るようにするため、何度も、その瞬間の動作

を繰り返し確認していた。

ただ助ければいい、のではないことなど、判りきっていることであった。

真紅のイブニングドレスにハイヒールのモデル、黒のタキシードの香藤、助ける方も助けられる方も

華麗でドラマチックな演技が求められる。

「ああ・・私、こっち側で踏み切った方が、香藤さん、捕まえやすいですね」

「あっ・・そうかも・・・じゃ、ちょっとそっち側で飛んでみてもらえます?」

そして、モデルは先とは反対側の足で踏み切って香藤に飛びついた。

その手を香藤の左手がしっかりと掴み、彼女の腰を抱き上げた。

岩城に比べれば遥かに軽いモデルの体を抱き上げるなど、香藤には難もないことであった。

クレーンの上に引き上げられたモデルは、そのまま香藤の胸に抱きついた。

腕の中でモデルがひと言、「香藤さん・・鍛えてますね」と、言った。

香藤は、「そうそう、男は鍛えてなきゃね。いざっ!!てときにこうやって守れなきゃさっ」と、笑って口にした。

そんな香藤に、モデルは同じく笑いながら、「香藤さんが守りたいのは、私じゃないですけどね」と

言い、「でも、今日は、私、を守ってくださいね」と言ってクスクス笑っていた。

そんな2人が何度か動作を確認しあい、実際にクレーンを上げて撮る段階に移っていった。

モデルの羽織ったコートからのぞいている真紅のドレスの裾を、さっと風がめくり、モデルがひと言「風だわ」と、

寒そうに言った。

少し風が出てきていた。









1人、家でテレビを見ていた岩城は、スイッチを切り、コーヒーを入れようとキッチンへ向かった。

何をしていても、余り楽しくもなかった。

やはり本を読むことにしよう、と、読みかけの本を出し、コーヒーをいれることにした。

ぼんやりと豆を挽き、ふつふつと匂いたつコーヒーの落下する雫を見つめながら、何も考えないように

努力していた。

以前にもあった。

そこで学習したではないか。

こんな俺を、香藤は望んではいないはず。

もっと、強くならなければ・・・と、ひたすら自分に言い聞かせていた。

そうするうちに、コーヒーが出来あがり、カップに注いで居間へ持っていった。

ソファーに腰を下ろそうとして、ふと窓から外を見た。

木々が先ほどよりもやや強く揺れているのが見えた。

風が出てきている・・・・さっきよりも強く・・・・。

岩城の心臓がキュッと絞られたように縮まった。

咄嗟に岩城は眼を閉じ、大きく深呼吸をして、そのまま窓を見ずにソファへ腰を下ろした。

コーヒーを一口飲んで、テーブルに置き、文庫本を手に取ろうとしたそのとき、伸ばした手がカップを倒した。

カツン、という鈍い音を立てて転がったカップから、褐色の液体が流れ、見る間に文庫を湿らせていった。

それはじわじわ這い寄るように文庫に滲み色を付けた。

岩城は本を救い上げることもせず、ただじっとその様を見つめていた。

暫くして、そんな自分に気がつき、はっと思い立ったように岩城はキッチンへ行くと、クロスを手に戻った。

そこを拭くため、カップを持ち上げようとしたそのとき、カップの持ち手が割れて取れていることに気がついた。

陶器がガラスにあたり、丁度角度が悪くて割れただけ、ただそれだけだと岩城は思いながら、既に、

それだけだと思い切れない感情が胸を覆い始めていた。

クロスをテーブルに放ったまま、岩城はソファーに背をつけ、両手で顔を覆った。

ただの偶然・・・・風が出ているのも、カップが割れたのも、自分が昨夜見た夢も・・・、そして、香藤が今日、

クレーンに乗っているということも・・・。

考えてはいけない。

不安など、自分の強さでなんとでもなる、香藤を愛していることと仕事は切り離さなければ・・と、

何度も胸で呟いた。

暫くそうやってじっと心の中で葛藤を繰り返していた岩城は、思い立ったように背を起し、腰を上げた。

岩城はダイニングテーブルの上に置いていた携帯電話を手に持って、再びソファーへ戻り、ゆっくり

と腰を下ろした。

香藤の番号をプッシュしかけ、途中で止めた。

少し考えて、今度は金子の番号を表示させ、通話ボタンを押そうと指をそこにかけたまま、岩城は結局それも

押すことが出来なかった。

ポツリとひと言、「馬鹿だ・・」と、呟き、携帯を手放した。

今、仕事をしている真っ最中に電話など・・・しかも、用件がない。いや、あるのだが、そのことを説明など、

とても出来るはずはなかった。

嫌な予感がするから、今日は撮影を止めてくれ、と、セリフは頭に見えていたが、それはただ、岩城が胸で

叫ぶことしか許されないセリフだった。

岩城はテレビのリモコンを手に、スイッチを入れ、映った画面を見つめていた、が、少しして、結局テレビの

スイッチを切った。

ソファーにもたれ再び目を閉じた岩城の瞼の内側に、昨夜見た夢が映し出されてきた。

自分の前に横たわった動かない香藤、その香藤にすがり泣く自分。

胸が締め付けられ、恐怖で目を開けた。

小さく溜息をつき、岩城は思い立ったようにソファーから腰をあげると、着替えるために2階へ上がった。

そして、10分後には、岩城は自分の車をMビルへと走らせていた。

知られずにそっと無事を確認する、それだけでいい。

見てどうなるものでもない・・・弱い自分に心の中で罵声を浴びせながら、それでも岩城は、胸を覆う不安に

打ち勝てなかった。










「少し風が出てきてますね」

金子が、クレーンに乗り込む香藤に言った。

香藤は少し辺りを見回しながら、「そうだね」と、答えた。

モデルと香藤を乗せたクレーンは、ウィーンという音を立ててゆっくりと上り始めた。

金子は下から心配そうな顔で、それを見上げていた。

5階位置まで上ったクレーンを、ビル内に待機しているスタッフが引き寄せ、香藤達は一旦ビルの中に移った。

フラットガラスの窓が全開にしてあるフロアには、風が舞い込み、中に立つ人間は髪をなびかせなが

ら作業をしていた。

「じゃ、1回目、いきます」

そう号令がかかり、先に飛び移る香藤が助走をつけるため、窓から後方へ下がろうとしたそのときだった。

「えっ?」

そう小さく口にした香藤が足を止め、そのまま外を窓から見つめた。

「どうしました?」

「あ・・・ううん・・なんでもない」

香藤はそう答えながら、その目はしっかりと、現場のエントランス周りの公開区域に入らない外の道で、

たたずんで上を見上げている岩城を確認していた。

岩城は自分の車によりかかり、じっとビルを見上げていた。

心配して来たのだと、すぐに香藤は判った。

「もう・・・岩城さんってば・・」と、心の中で呟いた香藤は、それでも少し嬉しくも感じていた。

心配されることと愛されることが、今は素直に同じと思える香藤だった。

香藤がクレーンに飛び移るため、走り込む姿勢をとり、下にいる岩城を認め足を止めた、その間は、

ほんの30秒にも満たない時間だった。

「あ・・・ううん・・なんでもない」

そう口にした香藤が、再びスタート位置まで戻るため窓に背を向けた、その瞬間だった。

ガッシャーン、というものすごい衝突音とガラスが割れる音と共に、目の前のクレーンが窓にぶつかってきた。

それは半分、フロアに入り込みながら、再び揺られて外へと飛び出し、もう1度、違う位置へとぶつかってきた。

瞬時に起きた突風は、誰も想像できないほどの威力で、釣り下がっているクレーンを揺さぶった。

大きく窓に向かい斜めになりながらぶつかったクレーンは、その後も数回、あちこちにぶち当たるブーメラン

運動を繰り返しながら、数秒後にやっと動きを止めた。

フロアの人間は皆、口々に叫びながら奥へと走り逃げ込み、もちろん香藤も、とっさにしゃがんだ体で、

奥へと転がるように逃げていた。

窓近くにいた撮影隊、外からはしご車の上にいた撮影隊を除けば、香藤が1番、窓に近かった。

そのいずれもが、あやうく難を逃れることが出来ていた。

ガラスの破片が飛び散るフロアは、まさに起こったことの惨状をそのままに、風が起こす物音だけが

不気味に響き、しばし静まり返っていた。

誰かの携帯電話が鳴るのを歯切りに、皆が思い出したかのように口を開き始めた。

「香藤さんっ!!香藤さん!!大丈夫ですかっ!!」

あっという間に、騒々しさに包まれるフロアで、スタッフが叫びながら香藤に駆け寄ってきた。

「今、下から電話で」と、そう口に仕掛けたスタッフを見上げると、その手にある携帯を、香藤は奪いとった。

「ちょ・・ちょっとごめん、貸して!!」

叫びながら、すでに香藤は、ボタンをプッシュしていた。

転がった体をまだ起こしてもいなかった。

呼び出し音を、イラつく思いで待ちながら、電話が着信すると共に、香藤は叫んだ。

「岩城さん!?俺っ!俺だよっ!!俺は大丈夫だから!!」

「・・香藤っ!!」

向こうから、悲壮な叫びが返ってきた。

「大丈夫!!俺は無事だから!!安心して!!」

「・・・か・・・・とう・・・お前・・・どうして・・・」

「うん、後から話す。とにかく今は安心して!!車で待ってて!!」

「・・・判った・・・」

不安そうな声で、岩城は電話を切った。

香藤は、「ありがと」と言って、携帯電話をスタッフへ返し、「無事はもう下には伝わってるよね」

と、訊いた。

「はい、すぐにマネージャーの方から電話が入って、お伝えしてあります」と、スタッフが答えていた。

下から見ていた者には、どれ程の衝撃だっただろう、と、香藤は思った。

ただでさえ、心配をして来ていた岩城の目の前で起こった事故。

その瞬間の岩城の心境は、計り知れない。

とにかく、岩城に無事を知らせる、そのことが、香藤にとっては何よりも優先された。






そうやって、不慮の事故ではあったが、幸いけが人も出なかった。

その日の撮影は中断され、結局、無理を押して臨んだ仕事は、急遽、原案に手を加えることで、数日後、

もっと安全性が確保できるシチュエーションで撮影されることとなった。

下で待っていた岩城の車へと、ビルから降りてきた香藤は乗り込み、そのまま帰宅の途についた。

互いに話したいことが山のようにある、そんな空気だった。

「香藤・・・すまない、一寸、止めていいか?」

そう口にした岩城は、走り出して10分ほどでビル街を出た車を、脇道へ入り込んで停車させた。

「どした?まだ、ドキドキしてる?」

以前、「冬の蝉」の撮影であった一件を、香藤は思い出していた。

今、思い出したわけではない。ビル内で事故直後に岩城に電話をした、その時点ですでに香藤の頭に

はそのことがよぎっていた。だからこそ、何よりも先に無事を岩城に知らせた。

「・・・・いや・・・実は・・・」

そう口に仕掛けながらも言葉を迷っている岩城に、香藤は言った。

「俺が先に言っていい?」

少し戸惑った感の岩城の表情が、頷いた。

「今日ねぇ・・・俺、すっごい感じたんだ・・・」

岩城を見つめながら、香藤は岩城の左手を握った。

何を?と、岩城が無言で訊いていた。

「岩城さんの、俺への、愛」

「・・・・なんだ?」

「それと・・・俺たちは、祝福されてるんだって・・・さ」

「・・・・・誰に?」

「・・・神様」

「・・・・は・・・?」

「俺ね、まさに飛び移る寸前、だったんだよ、あのとき、あの突風が起こったとき」

「・・!!・・・・・」

「でね、クレーンに飛び込もうと助走つけてたとき、見たんだよ、俺、岩城さん、下で車に寄りかかって

ビル見上げてるの・・・」

じっと香藤の言葉に耳を傾けている岩城を、笑顔で見つめながら香藤は言葉を続けた。

「その瞬間、足が止まってさ・・・・で、ああ・・・岩城さん、心配して来てくれてるんだ・・って・・・一寸幸せを感じてさ

・・・ほんと10秒くらいなんだけど・・・で、もう1度飛ぼうとしたと

き、クレーンがぶつかってきた・・・・マジやばかったよ、俺・・・あのまま飛んでたら、絶対死んでた」

香藤は握っていた岩城の手のひらに唇を押し当てて、キスをした。

「凄い・・・岩城さんのパワー・・・俺、岩城さんに助けられたんだ」

「・・・かとう・・・」

「それでね・・・その後、皆が大騒ぎしてる間も、なんだかずっと、俺、ぽわっと幸せでさ・・・ああ

・・・俺たちって、神様がちゃんと見守っていてくれてるんだ、って・・・助かって、俺はもちろん幸せ、

だけど、それは岩城さんの幸せ、でもあるから・・・」

でしょ?と、無言で香藤の目が岩城に問いかけていた。

「じゃ、岩城さん、岩城さんの番」

不意をつかれたように、岩城が、あ・・・・と、思案顔になった。

「・・・いや・・・その・・・たいしたことじゃないんだが・・・」

「うん・・・何?」

「今日・・・俺がここへ来たのは」

「俺を心配して来てくれたんでしょ?」

「もちろん、そうなんだが・・・」

「も〜・・・なに?なに?早く言って!!気になるじゃん」

岩城は自分が言おうとしていることが、とても恥ずかしいような、そんな風に感じ始めていた。

しかし、期待の目で自分を見つめる香藤を前に、口を閉じるわけにもいかなかった。

「今朝・・・お前に起こされただろう・・・俺がうなされていて・・・」

「ああ・・・うん」

「俺はあのとき・・夢を見ていたんだ・・・」

「うん・・・」

香藤は、岩城が夢の中で泣いていたことを思い出していた。

「お前が・・・・どんどん高い所へ登っていって・・・・俺の目の前に落ちてくる・・・落ちたお前に俺がすがって

泣いている・・・そんな怖い夢だった・・・」

「・・・!!岩城さんっ!!それって・・・凄くないっ!!凄いよ!!絶対!!」

半ば興奮気味の香藤だった。

「凄いかどうか・・・・ただ・・・今日、お前を送り出してから・・・どうしても胸から不安が消し去れなかった

・・・・仕事場なんかへ行くべきじゃない、と、判っていても・・・見た夢が頭から離れず・・・俺はここへ来て

しまった・・・・」

「もうっ!!どうしてちゃんと、言わなかったのさ!!」

「言いかけたんだが・・・・言うのが怖かったんだ・・・」

ぼそぼそと言い募る岩城に、香藤がバッと抱きつき、その体を抱きしめた。

肩越しに「愛してくれてるんだ・・・岩城さん・・・俺のこと、めちゃくちゃ愛してくれてるんだ」

と、香藤は幸せのにじむ声色で告げた。

岩城の肩からフッと力が抜け、「ああ・・そうかもな・・・」と、小さくその唇が呟いた。

夢の中にまで香藤を想い、その命を案ずる・・・自分は、あきれるほど身も心も縛られている、このただひとつの

恋に・・・・それでいい・・・きっと、それが人を愛する幸せ、というものなんだと、

岩城は思った。

「誕生日に・・・俺は凄いプレゼントをもらったような・・・そんな気分だな・・・」

そんなことを言う岩城の体から少し離れると、香藤はじっとその顔を見つめ、一言、「だめっ!!」

と、口にした。

「えっ?なにがだ?」

「だめだよ、まだ俺のプレゼント、受け取ってないんだから、さっさと満足しちゃ」

岩城は、ああ、と答えながら、くすっと笑っていた。

そして、家路につくため、再びハンドルを握った。

そんな岩城の頬へ軽くキスをしながら、「来てくれて、ありがと」と、香藤が告げた。

夢に始まり、気忙しい日を過ごし、無事愛する人間を連れて帰ることが出来た岩城は、その夜、香藤から

2つ目のプレゼントを受け取った。





2007.01

比類 真



夢が正夢になるのではないかという岩城さんの心配が切なく伝わってきました
そして実際に起こった事故・・・でも岩城さんの存在が香藤くんを救う
ふたりの目に見えない絆を感じさせてスリルの中でも心が温かくなりましたv
比類さん、素敵なお話ありがとうございますv