水無月の誓い




夢をみた。

―― 1867年。ロンドン。

「バース・・・?えっ、何?」
「Birthday、生まれた日だよ。トーマ、君の生まれた日はいつか、って聞いているのさ」
「生まれた日?えっ、正確なところはわからないな」
日本には幕末期、まだ「誕生日」という概念はなかった。
皆、誕生日には関係なく、正月がくると1つ、年をとる。

「えっ!わからない?」
「ああ、日本人はたいていみんなそうだと思うよ」草加は苦笑した。
「Birthdayっていったら、特別な日なのになあ」
「へー、そうなのか?」
「大切な人のBirthdayには、生まれてきてくれてありがとう、君とめぐりあえてよかった、ってみんなでお祝いするんだ」

秋月のたおやかな横顔が浮かんだ。
―― 生まれてきてくれてありがとう、あなたとめぐりあえてよかった・・・。
秋月の生まれた日はいつだろうか、日本に帰ったら聞いてみよう。
それから自分の生まれた日も、親に聞いてみよう。
秋月も自分に、同じように思ってくれるだろうか。
俺と出会えてよかった、と言ってくれるだろうか・・・。


ガタン、と車が揺れて、香藤は目が覚めた。
どうやら、金子の運転する車で眠ってしまっていたらしい。
「夢・・・か。冬の蝉の草加?でも、あんなシーンあったっけ・・・?」

明日は、香藤の誕生日だった。
マネージャーの金子は、なんとかその日をオフにしようとスケジュールを調整してくれて、誕生日当日のオフは何とか確保されることになった。
が、その分、ここ数週間の香藤のスケジュールはかなりきついものになっていた。
「香藤さん?何かおっしゃいました?」
さしもの香藤も疲労が溜まっていたのだろうか。
金子の声を遠くに聞きながら、何か返さなければと思いつつも、再び眠りにひきこまれていった。


そしてまた、夢をみた。

―― 1871年。東京。
そう、あれは、二人で過ごした最期の夜だった。
やっと心が通じ合ったと思ったあの幸福な一夜。
今までの想い、全てをぶつけるように秋月を抱いた。

ひとしきり互いの熱を交換し合った後だったろうか。
外はまた、雪が降り始めていた。

「ねえ、秋月さん。秋月さんが生まれた日っていつ?」
「ん・・・?何だいきなり・・・」
「西洋では、生まれた日のことをBirthdayって言って、その日を毎年、家族や大切な人たちでお祝いする習慣があるんだって。生まれてきてくれてありがとう。君にめぐりあえてよかった、って」
「ああ、そういえばそんな話を聞いたことがあるな。俺は、自分が生まれたのは冬の季節だった、と聞いたことがあるような気がするけど・・・、はっきりは知らないな」

「えっ、冬?って今くらいってこと?大変だ。お祝いしなくちゃ!」
「大変って・・・。そういうお前はいつなんだ?まあ、日本では、自分の生まれた日を知っている奴のほうが少ないだろうが・・・」
「うん。俺はね、母親が言うには、雨の季節だったみたい。雨の季節なのに、その日だけなぜだか一日中晴れていたから、よく覚えているって」
「なんだか草加らしいな・・・。なあ、草加」
「何?」
「生まれてきてくれてありがとう。お前と会えてよかった」秋月は微笑んでいた。
その笑顔は慈しみにあふれ、泣きたくなるほど美しかった。
西洋でいうところの「聖母」のようだと思った。
「秋月さん・・・。すごく嬉しいんだけど、嬉しいんだけど・・・」照れ隠しのように草加は言い募った。
「なんだ?」
「せっかくだから、また俺のBirthdayにも言って欲しいな、って思って」
それに対して秋月は何も応えず、ただ静かに微笑んでいた・・・。

幸せだった。
秋月を愛していると、心から思った。
ほんの数時間後に、あんなに哀しい運命が待っているなんて、愚かにも思いもしなかった。
今、秋月が腕の中にいる。
笑顔を見せてくれる。
自分から「草加」と呼びかけてくれる。
草加が生まれてきたことを、めぐりあえたことを嬉しいと言ってくれる。
他には何もいらなかった。本当に幸せだったんだ。なのに・・・。

二人に、Birthdayを祝いあう日は、永遠に訪れなかったのだ。


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「香藤さん、着きましたよ。って、香藤さん!? ど、どうしたんですか?何かありました?」
金子の驚きの声に導かれるように、香藤は目を開けた。
頬を、静かに涙が伝っていた。

「大丈夫ですか?」
「ごめん、ごめん。なんか転寝して夢見て泣くなんて、俺、超かっこ悪いよね」
「ここのところ忙しかったですからね。疲れていらっしゃるんじゃないですか?明日はゆっくり休んでください。では、失礼します」
心配する金子に、ちょっと夢見が悪かっただけ、とごまかし別れた。

「ただいまー。・・・岩城さん?あれ?帰ってないの?」
今日は、岩城は、香藤よりは帰りは早いと言っていた。
夜はささやかながらお祝いをしよう、とも言ってくれていた。
だが、家は静まりかえっていて、明かりもない。
―― 靴は・・・? ・・・ある・・・!

「岩城さんっ?」
慌てて電気をつけ、名を呼びながらリビングに駆け込む。
―― いた・・・!
岩城はソファーに倒れこむような姿勢で目を閉じていた。
疲れからか、少し青ざめた白い頬が痛々しい。

ここのところ、慣れない社長業と俳優業の掛け持ちで、生真面目な岩城はどちらも手を抜かないから、ずいぶん疲れているようだった。
―― だから、ちょっと疲れてソファーで転寝してしまっただけだ。
香藤の理性はそう告げている。
このまま起こさずに、少し寝かせてあげるほうがいいのだろう。
風邪をひくといけないから、何かかけるものを持ってきて・・・。
いやそれより、なかなか起きないようなら、抱いてベッドに運んでしまったほうがいいか。

そんなふうに、つらつらと考えるいっぽうで。
先ほどの夢の名残だろうか、冬の蝉のラストシーンが蘇ってくる。
いや、違う、もっとリアルな感覚・・・。
現実と虚構の狭間に、突き落とされていくようだった。

泣いても叫んでも届かなかった声。
どんなに強く抱きしめても戻らなかった熱・・・。

「ちょっ、や・・・。やだよ、そんなの」
心臓が自分のものではないみたいに、どくどくと音をたてていた。
「岩城さんっ!ちょっと、ねえ、起きてよ。こんなところで寝てたら風邪ひいちゃうよ!」
気がつけば、大声をあげて、岩城の肩を激しく揺すっていた。

「んっ・・・、何?・・・大声出してどうしたんだ?」
岩城はすぐに目を開けてくれた。
触れた肩は、暖かかった。
香藤の胸に安堵が広がる。
と同時に、我に返ると、自分の慌てぶりがこっけいに思え、どうしたらいいのかわからなくなった。
と、とりあえず・・・。
「た、ただいま。岩城さん」
「お帰り」
笑顔とともにすぐに返る言葉に、幸せを噛みしめた。

岩城は少し寝ぼけたような表情でまわりを見回した後、状況を把握したのか、はっとしたように香藤を振り返った。
「すまないっ! 香藤・・・」
「岩城さん?」
「言い訳にしかならないんだが、お前の誕生日プレゼント、手配はしていたんだ。店で今日帰りに受け取ろうと思っていたんだが、ちょっと打ち合わせが押してしまって結局取りに行けなかった。
ならせめて、何か夕飯でもつくってゆっくりしてもらおうと思ったんだが、うっかり眠り込んでしまって・・・」
机の上には、おきっぱなしにされた食材とシャンパンがあった。

うなだれて下を向いてしまった岩城の長いまつげが、透き通るように白い肌にその影を落としている。
その儚げな横顔に、先ほどの夢の中の秋月の面影が重なる。
香藤はなんだかたまらなくなった。

「岩城さんっ!!」
「な、な、なんだっ!?」せっかく起き上がったソファーに、いきなり再び押し倒され、岩城は焦って声をあげた。
「俺、別にプレゼントとか、そういうの、全然、何にもいらないから!」
「か、香藤?」
「あ、いや。いらないっていうか。岩城さんがいろいろ考えてくれたり、プレゼント用意してくれたりするのは、めちゃくちゃ嬉しいんだけど・・・。
と、とにかくね。俺は岩城さんが俺のこと好きでいてくれて、いや、何より元気で笑って、ここに、俺のそばにいてくれるだけで、それだけで最高に幸せだから。
それが何よりの誕生祝いだから。他にはなんにもいらないから!だから・・・。だから、そんな顔しないでよ・・・」

すっと、岩城の両腕が香藤の首筋にまわされた。
香藤にすがりつくように顔を寄せると、そのまま唇を重ねる。
「どうした。何かあったのか?」
岩城は、どこか必死な様子の香藤に、いつもと違う雰囲気を感じ取っていた。
岩城の手が、なだめるように香藤の背をなでる。
香藤は岩城の胸に顔をうずめた。
―― ああ、岩城さんのにおいだ。
涙が出そうだった。
「・・・なんでもないよ。でも、本当にこうして二人でいられるだけで俺、すっごい幸せだからね。・・・ねぇ、岩城さん」
「なんだ・・・?」
「愛してる。俺、本当に、めちゃくちゃ愛してる」香藤は顔をあげると、今度は自分からキスをしかけていった・・・。


むさぼるように二人で熱を分け合ううちに、いつの間にか日付が変わっていた。
それに気づいた岩城が微笑みとともに告げる。
「香藤、誕生日おめでとう。・・・生まれてきてくれてありがとう、お前と会えてよかった・・・」
「・・・!」
最愛の人からの最高に嬉しい言葉。
しかも最近の香藤のひそかな一番のお気に入りである「聖母の微笑み」つき。
いつもの香藤なら、確実に舞い上がってしまうようなシチュエーションだ。

しかし抱き合うことで安心し、散ってしまったはずの説明し難い不安が、再び湧き上がってくる。
岩城が言ってくれたのは、まるっきり、さっき見ていた夢の中の、秋月が言った言葉と同じだった。
幸せなのに、恐ろしく哀しい、あの夢と全く同じ・・・。

―― 今、確かに幸せだ。けれど、この幸せは明日も続くのだろうか。明後日は?来年は?遠い未来は?

「あー!!違うだろ、俺!」ぶんぶん頭を振って、ぐしゃぐしゃと髪をかき回す。
「か、香藤?」
そうだ、ここで悩んだり、凹んだりしているようでは、香藤洋二ではない。
そんな男には、岩城京介という奇跡のような人を愛する資格はない!
こんなことくらいで不安になっていてどうする。
「明日も幸せだろうか」なんて考えるんじゃない。
明日も幸せになってやるんだ。
頑張って、今日よりももっと、もっと、幸せになろう!

「岩城さん! 明日、お昼過ぎからって言ってたよね!?」
「あ・・・? ああ」香藤の勢いに押され、岩城は相槌しか返せない。
「俺、明日は一日オフだから、送ってくね。事務所でいいんだよね?で、夜は迎えに行くから。
あ、夕飯はどうしようか。せっかく俺の誕生日だし、どっか予約しとく?あ、遅くなる?なら家でご馳走つくろうか。俺、愛情こめて、栄養があって岩城さんが好きなもの、たくさんつくるよ。
それともホテルのスイートとか予約しとく?ルームサービスなら少しくらい遅くなってもゆっくりディナーできるもんね・・・」突然始まったと思ったら止まらない香藤の機関銃のような言葉に、岩城は面食らう。

「ちょ、ちょっと待て。お前、なにを言ってるんだ。俺の誕生日じゃなくて、お前の誕生日なんだぞ。
せっかく1日オフなんだから、ゆっくりするとか、実家に顔を出すとか、友達と会うとか、お前のしたいことをすればいいだろう」
「そうだね。でもしたいことするんだよ。俺が一番したいことは、岩城さんを大事にすることなの!愛することなの!」
「・・・・・・」思わず赤面して、二の句が告げない岩城だった。

「ね、岩城さん。最近社長業と俳優業の二束わらじで、なんだか大変みたいだけど、大丈夫?俺にできることがあったら何でも言ってよね。そりゃ、仕事そのものを手伝えるわけじゃないけどさ?ね、なんか悩みとか、困っていることとかない?
とにかく、ちょっと疲れてるみたいだから、少し休みとったほうがいいんじゃない?ね、そうしなよ。・・・あ、ごめん・・・。そんなことまで、俺が口出すことじゃなかったか。でもさ、俺心配で・・・」再び始まる機関銃トーク。
「だから、ちょっと待て。なんなんだ、お前は!?」

「だから!俺はね、あらためて誓ったんだよ!」素っ裸のままでこぶしを握りしめ、雄雄しく立ち上がる香藤。
「・・・い、いったい何を誓ったっていうんだ?」なんだかもう頭痛がしてきた岩城だった。
「岩城さん。ずーっと一緒にいようね!で、二人でもっともっと幸せになろうね!」そのまま、ぎゅっと力の限り岩城を抱きしめる。
「ば、ばか。痛い、苦しいっ。なんなんだ、お前は!ほんっとに、わけがわからないぞ!」


俺、今の世の中に生まれてこられてよかった。
岩城さんにめぐりあえてよかった。
恋人(ていうか、もう夫婦だけどさ)になれてよかった。
最愛の人に「生まれてきてくれてありがとう」なんて言ってもらえる誕生日を迎えられてよかった。
今、俺は最高に幸せだ。
岩城さんもきっと、同じくらい幸せでいてくれてる、ってちょっと自惚れてもいる。

けど、これからもずっとずっと二人一緒にいて、もっともっと幸せになるんだ。
あらためて言うのもなんだけど、それが、俺の・・・

水無月の誓い。


END

2009年6月  さなこ