春の月夜に





山の麓に一直線に伸びる桜並木

ドラマの撮影はそこから始まった。



「一ヶ月?ずいぶん長いんだな」

「うん、特別番組なんだけど

どうしても本物の桜が咲く頃に

撮影したいらしいんだよね〜」

「そうか・・・」

コーヒーを注ぐ岩城さんの表情が曇る。

「寂しい?」

後ろから抱き締めると

岩城さんの身体がびくりと撥ねた。

「うわっ!」

ガチャンという音と共に

コーヒーカップが宙を舞う。

「岩城さんっ!」



床にこぼれたコーヒーと割れたカップを片付けながら

ソファーの方を伺うと岩城さんがぷいっとそっぽを向いた。

「ごめんなさい、岩城さん」

「・・・別に謝らなくてもいい」

隣に座ると岩城さんが俺の肩に頭を乗せた。

「お互い忙しくて、最近はほとんど一緒にいられなかっただろう?」

「うん・・・」

「また会えない日が続くのかと思ったら

一瞬ぼーっとしてしまったんだ。

俺が悪いんだから気にするな」

「・・・・・・・」

「何だ?」

「ぼーっとしたの?」

「ああ」

岩城さんが怪訝そうな表情を浮かべて

俺を見上げる。

「抱き締めた時、岩城さんの感じやすいところに

触れちゃったからじゃないの?」

「!」

岩城さんの白い顔が一瞬で朱に染まり

ごつんと鈍い音がリビングに響いた。




明かりを消すと、真っ暗になった室内に月の光が差し込んだ。

「あと1日・・・」

布団の上に放り出された台本と

書きかけのメールが表示された携帯電話。

「ダメだ・・・どうしても入んない」

ドラマのラストに俺が演じる主人公とヒロインの別れのシーンがあるんだけど

なかなかOKが出ない。

理由はわかってる・・・俺が役に入りきれてないせい・・・なんだよね。

この役を掴んでるつもりだけど

ここだけ主人公の気持ちにシンクロできない。

「・・・・・」

俺は携帯をポケットに入れると

宿泊用に借りている一軒家を出て

ラストシーンを撮る桜並木に向かって歩き出した。




深夜の田舎道を歩いていると

突然携帯電話が鳴り始めた。

「こんな時間に誰だろ・・・って、岩城さん?」



電話を切ると、俺は桜並木に向かって走り始めた。

暗闇の中に白く浮かぶ桜の花が

まるで俺を呼んでいるように見える。

近づいて目を凝らしてみると

桜並木の横に見慣れた車が見えた。

「岩城さん!」

駆け寄ると車の中に岩城さんの姿はない。

「岩城さん・・・どこ?」

桜並木を走り出す。

「岩城さん!」

「香藤、ここだ」

道路を挟んで向かい側の桜並木に岩城さんの姿があった。

コートの上に巻いたストールが

風でふわりと舞い上がる。

俺は近づいてくる岩城さんをぼーっと見つめていた。

「・・・どうしたんだ?香藤」

「岩城さん?」

「・・・・・こんなに驚くとは思わなかったな。

大丈夫か?香藤」

手を伸ばして岩城さんを抱き寄せると

いつもの香りがふわりと鼻をくすぐる。

「かと・・・」

強く抱き締めると岩城さんの温もりとともに

かすかな吐息が耳を掠めた。

「岩城さん・・・岩城さんっ!」

「こっ・・・・かと・・・苦し・・・」






「まったく、窒息するかと思ったぞ!

・・・おい香藤、聞いてるのか?」

「うん、聞いてるよ」

俺は岩城さんの髪についた桜の花びらを取りながら

額にキスをした。

「ずっと岩城さんに会いたいと思ってたから

もしかしたらまぼろしかもしれないと思ったんだよ」

そう言うと岩城さんの表情が曇った。

「何か悩み事でもあるのか?」

「ん〜あるといえばあるけど

もう消えたからいいんだよ」

「は?」

「岩城さんに会ったら、消えちゃった」

「なんだそりゃ」





翌日、ラストシーンは順調に撮影が終わり

俺は金子さんの運転する車で帰途についた。

「香藤さん」

「ん?なに、金子さん」

「ラストシーン、一晩でずいぶん印象が変わりましたけど

何かあったんですか?」

「桜の精に会ったからね」

「は?桜の精・・・ですか」

「うん」


このドラマのヒロインはCG

つまりコンピューターグラフィックで作られた桜の精霊だから

特撮みたいな感じで、俺は指定された位置に

視線を合わせながら演技をすることになる。

・・・それにはすぐに慣れたけど

ラストシーンだけは何故か演技に集中できなかったんだ。

でも・・・昨日、桜並木の中で岩城さんを見つけた時

本物の桜の精が舞い降りてきたような気がして

台本には書かれていない主人公の気持ちが

胸の中にすとんと落ちてきた。

逢えなくなる辛さは来年の春までなんだ。

桜の花は散ってしまうけど

季節が巡ってまた春が来れば

もう一度彼女に会える。

きっと彼女は待っていてくれる

だから主人公にとってヒロインとの別れは

悲しいことじゃないんだ・・・って。




「会いたかったら会いに行けばいい

そう思ったんだよ」

「・・・そういえば、清水さんにお聞きしたんですけど」

「なに?」

「岩城さん、急遽入った映画のロケで

半年ほど海外に行かれるそうですね」

「は?」

車の中に一瞬静寂が訪れた。

「半年?・・・そんなコト聞いてないよ、俺」

「えっ・・・ご存知なかったんですか?」

「そっか・・・だから岩城さん、昨日無理して俺に会いにきたんだ」

ぷるぷると腕が震え始めた。

「前言撤回!やっぱり来年までなんて待ってらんないっ」

「香藤さん、落ち着いてください!」

「岩城さん、今すぐ会いたいよ〜〜〜!!」




おわり


らむママ



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