永遠の春




薄紅の花びらがはらはらと琵琶湖疏水に零れ落ちる。
ここ1000年の都、京都に、今年もまた春がやってきた。


吉澄が俳優業の傍ら、「哲学の道」と呼ばれるこの美しい京の観光名所に和風喫茶を構えて、もう5年になる。
基本的には人を雇ってやってもらっているが、本業が詰まっていないときは、マスターとしてできるだけカウンターに立つ。
芝居が好きで、映画が好きで。
「時代劇を中心に、大作には欠かせない名脇役」という地位を確保するまでそれなりの苦労もあった。
結婚しても出産しても仕事を続けている妻に協力し、家事や子育てもしてきた。
本業の俳優に4割、副業の喫茶営業に3割、そして家庭生活に3割。
―― そんなライフスタイルが、どうやら自分には合っているようだ。


「哲学の道」は桜の名所でもある。
ちょうど満開を迎えた週末が過ぎ、喫茶店も一息ついた、そんな月曜の昼下がりのことだった。
カラン、と入り口のドアについている小ぶりの鐘が鳴り、客の訪れを告げる。
「いらっしゃい」
入ってきたのは、圧倒的な存在感を放つスラリと背の高い男性の二人連れ。
思わず吉澄は目を瞠った。


「こんにちは、ご無沙汰しています」いつまでも聞いていたくなるような、うっとりするような落ち着いたバリトン。
「吉澄さん、こんにちは、お久しぶりです!」いっぽう、こちらは聞くものの心をわきたたせるような快活な声。
「・・・岩城くん、香藤くん・・・!」
それは十数年振りにみる、二人の古い友の姿だった。


「久しぶりって・・・」
これは、1000年の都の春がみせる、幻なのだろうか。
だが・・・、幻でもいい、夢でもいい。
こんなに嬉しい再会はない。


二人はカウンター席に座った。
「わあ、本当に喫茶店だぁ、吉澄さんがマスターやってるなんて、なんか信じられない」
「こら、香藤、失礼だろう。・・・あ、でも、なんというか・・・」
「岩城くんまで、何?」
「なんか、やっぱりちょっと撮影みたいな気がしますね。吉澄さんが喫茶店のマスター役をやってらっしゃる、みたいな」
「えー、そりゃ、職業病って奴じゃない?」
あはは、と三人で笑いあう。


「ね、見て見て、岩城さん。和菓子と飲み物のセットとかあるよ。さすが『和風』喫茶だよねぇ。なんか見た目は普通の喫茶店だから、『どこら辺りが和風?』って思ってたんだけど」
「ほっといてくれ!」香藤の遠慮のない言葉に、吉澄は思わず声をあげる。
「あはは。すいません。冗談ですって。あ、これ、俺この『季節のお薦め和菓子セット』にしようかな。今は桜餅と抹茶のセットだって。あ、でもこの抹茶ってコーヒーに代えられます?」
「大丈夫だよ」笑って吉澄が応じる。実際、そういう客は多い。
「お前、和菓子にコーヒーか? ま、いいが。ああじゃあ、俺もそのセットをお願いできますか?俺はそのまま、お抹茶で」
「え、岩城さん、甘いもの食べるの?」
「せっかく、こんなに素晴らしい春の日だからな、らしいものを食べたいだろ?」
「そうだよね〜。桜も散り始めでほんといい感じだよねぇ。春爛漫って奴?けど、俺にとっては花より団子より岩城さん、だけどねー。ほんと桜よりも綺麗だよv」
「ばかっ・・・、香藤っ!だから男に綺麗とか言うなっ」


――あいかわらずだなぁ
早速当てられ、吉澄は呆れたため息をつく。
だが、懐かしい。
湧き上がる嬉しさは、隠しきれるものではなかった。


「『洋二』、でしょ」
「・・・・・・」
「えっ、何、どうしたの?」不可解な会話に吉澄が口を挟む。
「吉澄さぁん。聞いてよぉー」
「香藤っ!」
「銀婚式にね、岩城さん俺のこと『洋二』って名前で呼んでくれるっていう約束だったのに、呼んでくれないの、ひどいよねぇ。男なら約束は守らなきゃ。俺はね、呼ぶよ。ちゃんと金婚式に、『京介』ってね」
「君らそんな約束までしてるの?」
全くもって呆れるばかりだ。


「はい、『季節のお薦め和菓子セット』お待ちどうさま」
「ああ、春という感じですね。美味しそうだ」
「あ、コーヒーも美味しいっ!」
「まあ、さすがに和菓子は老舗の和菓子屋から仕入れてるんだけど、コーヒーは俺が入れてるんだ」
「へぇ、すごいですね。でも香藤が入れてくれるコーヒーも美味しいんですよ」
「あ、でも俺の場合、岩城さん限定。なんてたって愛が詰まってますから」
「あー、はい、はい」


それからしばらく、のろけとも、ただいちゃついているだけ、ともいえるような会話が続いた。
のどかな春の日にふさわしい、万年春、な二人。
――まともに付き合っていられるか!
とばかりに、交わされる会話に適当に口を挟みながらも、二人に背を向け、カップを磨いていた吉澄だったが、いつのまにか会話が途切れていたことに気づいて振り返った。
「あれっ?・・・」


・・・そこには、既に誰もいなかった。
食べ終わり、飲み終わった食器と、桜の花びらが1枚、カウンターに舞い落ちている、だけ・・・。


「ご馳走様でしたっ!とっても美味しかったです」
「ありがとうございました。お元気で」
そんな声が聞こえたような気がした・・・。


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「ああ・・・」
――行ってしまったか・・・。なんだ、相変わらずのろけだけ聞かせて、まともな別れの挨拶もなしか。あっ、しかも無銭飲食じゃないか・・・!
おもわず笑ってしまう。
相変わらずの二人。幸せそうな。本当に幸せそうな・・・。
まわりの迷惑顧みず、のろけまくり、いちゃつきまくりの二人・・・。


扉に「CLOSED」の看板をかけ、散歩に出かけることにした。
こんな日くらい、いいだろう。
13年ぶりに懐かしい友と再会できた、こんな嬉しい日、くらいは。


日本を代表する、いや海外の映画賞も何度か受賞しワールドクラスになっていた二人の名優、岩城京介と香藤洋二。
また芸能界きってのおしどり夫婦として知られていた二人が、二人同時に永遠に自分たちの前から去ってしまってから、もう10年以上の月日が流れていた。


自身の出演が幻に終わってしまった「冬の蝉」。あの懐かしい作品での縁以来、吉澄は幸いにも二人とは、何度か共演の機会を得ていた。
残念ながら二人同時に、ということはなかったが。
岩城主演の大河ドラマには、かなり重要な役どころで出演させてもらっていた。
あのときは、1年以上にも渡る長丁場の中、毎日のようにのろけを聞かされて本当にまいったものだった。
香藤が準主役で出演したハリウッド映画にも、ほんのちょい役だったが出演させてもらったことがある。
今となっては貴重な体験だった。


そんな風に二人とはさまざまな時代、状況で関わってきた筈なのに。
なぜか今日、吉澄の前に現れた二人は、あの「冬の蝉」を撮った頃の姿をしていた。いや、香藤の髪が長かったから、そのもう少し後、完成後、二人の舞台挨拶に花束を持って駆けつけた頃くらいの二人だったろうか。
とうに還暦を超えた自分から見ると、まぶしいくらいの若さをたたえた二人。
人生の、春の頃の二人。
「いや、あの二人はいつだって春だったか・・・」思わず苦笑する。


少し風が強くなってきたようだ。
薄紅の花びらが、吉澄の頬をなで、空を覆うほどに舞い上がっていく。
そう、あの突然すぎる知らせを聞いたのも、確かこんな、泣きたくなるほどに美しい春の日だった・・・。
――「13回忌」ってやつか・・・。
他の連中のところにも現れて、あの変わらぬラブラブっぷりを撒き散らしているのだろうか。
律儀なんだか、はた迷惑なんだかわからない二人だ。


最初に二人の訃報を聞いたときも、そして葬儀のときにも、涙は流れなかった吉澄だ。
あまりに突然のことで正直現実感がなかったし、「二人一緒だった」と聞き、ある種の安堵のような気持ちさえ沸いていたものだ。
だから、今も。
涙が一筋流れるのは、悲しいからじゃない。
これは、嬉し涙だ。
確信してはいたけれど、あらためて、二人が今もともにあり、幸せであることを知ることができた安堵の涙なのだ。


桜よ、1000年の都の染井吉野よ。
その薄紅の花びらを、あのはた迷惑な恋人たちの上に永遠に降り注いでやってくれ。
そうして、いつまでたっても恥じらいのないあの恋人たちを、少し隠していてくれるくらいがちょうどいい。
二人はきっといつまでも共にあるだろう。
誰よりも近くで、よりそい合いながら。


その永遠の春の中で・・・。


END

2009年4月  さなこ