星に祈りを




 12月23日、清水の車を見送った岩城は真っ暗な自宅を見上げて小さく息を吐いた。
 玄関のドアを開けると、外気と変わらないほどに家の中の空気もひんやりとしていた。
 リビングに入り、明かりをつけてエアコンのスイッチを入れる。
 疲れた体をソファに預けて、大きく息をつき目を閉じた。


 ーごめん、岩城さん帰国がまた遅れるー


 主演映画の中東ロケに行っている香藤から、そんなメールが入ったのは昨日のことだった。
 いくら安全な地域でロケをしているとはいえ、不安定な情勢のせいで予定通りに撮影が進まないことも多かった。
 当初は15日だった帰国予定が延期になり、それでも23日には帰国するはずだったのだ。
 空港近くで武装勢力と軍が衝突したため、安全が確保されるま封鎖されるとニュースで見た。
 ホテルのある街は安全が確保されていると報道されていても、岩城は不安を抱かずにいられなかった。


 部屋が暖まってくるにつれて少し心の緊張を解いた岩城は目を開ける。
 そして部屋の隅にある大きなクリスマスツリーへと視線を向けた。
 去年香藤が買ってきたツリーは天井に届きそうなほど背の高い物だった。
 オーナメントもたくさん買いこんできて、二人で飾り付けをした。
 最初に帰国が延びると連絡が入った時、岩城はふと思いついてこのツリーを取り出し飾り付けを始めた。
 俳優業と社長業をこなすハードスケジュールの中、毎日少しずつ飾り付けていった。
 23日に帰国した香藤と一緒に最後の仕上げができるようにと。
 昨日の夜は心配でとても飾り付けをする気にはなれなかった。
 岩城はツリーのそばに行くとそっとオーナメントに手を触れた。
 去年、香藤と飾り付けた時のことを思い出す。
 そうしてしばらくツリーに触れていた岩城の瞳に強い光がともった。
 そしてそばに置いてあった箱からオーナメントを取り上げ、飾り付けを始めた。
 

 1時間近くかかって飾り付け、あとはてっぺんの星を残すのみとなった。
 去年は岩城が香藤を抱きあげて取り付けた星。
 岩城はダイニングから椅子を持ってくると、ゆっくりと星を取り付けた。
 香藤たちが早く無事に帰国できるように祈りを込めて。



 翌日、岩城は度々携帯をチェックしたが、香藤からは無事を知らせるメールが一度入っただけで帰国の連絡はなかった。
 また真っ暗な家に帰宅した岩城は、リビングに入るとエアコンのスイッチだけを入れツリーのそばへ行った。
 「香藤、これだけでも一緒にやりたかったのにな」
 そう言うとイルミネーションのスイッチを入れる。
 明滅する光を見ながら改めて、香藤たちの無事の帰国を祈った。



 クリスマス当日、岩城は社長業も含めて完全にオフだった。
 忙しすぎる岩城の体を気遣って清水が計らってくれたのだった。
 帰国していれば香藤もオフで一緒にクリスマスを過ごせるはずだった。
 香藤がいない寂しさを紛らわすために家事にいそしんだ岩城は昼前になってやっとソファーに腰をおろした。
 ソファーの向かいの壁には香藤と岩城のカレンダーが並べて掛けられている。
 その中で香藤はバラの花束を抱え白い息を吐きながら微笑んでいた。
 「香藤、まだホテルに缶詰めか?それとももう飛行機の中か?早くその笑顔を見せてくれ」
 岩城はカレンダーの前に立つとそっと唇を寄せた。

 
 午後も岩城は家事にいそしみ続けた。
 清水が見たら「それでは何のためにオフにしたのかわからないじゃありませんか」と言いそうなほどに。
 今はキッチンで鍋に向かっていた。
 鍋の中身はポトフ、カレーやシチュー以外に自分で作れそうなものをと清水に教えてもらった。
 「野菜もたっぷりとれるし、これなら専属栄養士の香藤さんにも合格点をもらえるはずです」と清水は微笑んでいた。
 味見をして塩、コショウで味を調え、あと少し煮込むことにした。
 リビングに行きツリーに灯をともす。
 庭へ目をやると昼過ぎから降り出した雪で薄っすらと白くなっていた。
 「ホワイトクリスマス…か」
 そう呟いてキッチンに戻りかけた岩城の耳に車の止まる音が聞こえた。
 続いて門の開閉する音、そして階段を駆け上がる音が聞こえ、岩城は玄関に向かった。
 そして靴を履くのももどかしくスリッパのままで扉を開ける。
 そこにはカレンダーから抜け出したような花束を抱えた香藤が立っていた。
 香藤は驚いたような顔をしていたがすぐにカレンダー以上の笑顔になった。
 「岩城さん、ただいま」
 「お帰り、香藤」
 二人はしっかりと抱きしめあう。
 「ごめんね、心配かけて」
 「お前のせいじゃないんだから謝ることない」
 「でも、帰れるようになったこと連絡できなくて、今までずっと不安にさせちゃったから」
 「それも仕方がなかったんだろう」
 「うん、安全だと言われても空港に向かう車内は緊張してたし、空港に着いたのがぎりぎりで乗り継ぎの時も時間がなくて」
 「なら、やっぱり謝ることないじゃないか」
 岩城は体を離すと香藤の顔に手を添えまじまじと見つめる。
 「無事でよかった、本当に」
 「うん」
 もう一度きつく抱きしめあい、唇を合わせる。
 口付けが深くなり、香藤の手が岩城の体を探り始めた時、強い風が吹いた。
 「中、入ろ」
 「ああ」
 二人はしっかりと体を寄せたまま、リビングに向かった。
 一歩中に入った香藤はクン、と鼻を鳴らす。
 「いい匂い。何作ってるの?」
 「ポトフだ。あと少し煮込めば出来上がりのはずだ」
 香藤は鍋の蓋をあけ立ち上る匂いを嗅いだ。
 「美味しそうだね。でも煮込むのはちょっと中断」
 そう言うと香藤は火を止めた。
 二人は何度もキスを繰り返しながらリビングに移動し、もつれ合うようにソファーに倒れこんだ。



 深く激しく求めあい汗ばんだ体をお風呂ですっきりさせてリビングに戻った香藤はクリスマスツリーに目をとめた。
 「ツリー飾ってくれたんだ」
 「なんだ、今気づいたのか?」
 先に戻ってポトフに火を入れていた岩城が少し呆れたように言う。
 「だって岩城さんしか目に入ってなかったから」
 「そうだな、俺もそうだ」
 岩城はツリーのそばに立つ香藤にそっと体を寄せた。
 「そう言えばまだ言ってなかったね。メリークリスマス」
 「メリークリスマス」
 「岩城さんのところに帰ってこられて本当によかった」
 香藤は幸せをかみしめながらツリーを見上げ、紛争地域で暮らす人々に平和な日々が訪れることを祈った。




終わり

2008年12月 グレペン