スペシャル





僕にとって、岩城京介と香藤洋二はスペシャルだ。
それは今でも変らない。
大卒の僕、太井吾郎がT局のカメラアシスタントとして入社、3年目で初めて仕事らしい仕事を任されたのが、その時、飛ぶ鳥を落す勢いの、香藤洋二だった。
「1時間の香藤洋二スペシャル番組」
そのサブカメラマンとして、3ヶ月にわたって、彼を追いかけた。
それこそ、寝る間を惜しんで追いかけた。
丁度、彼が岩城京介と新居を構えて、一緒に暮らし始めた年の、やけに寒い冬の頃だった。



密着する側にとって、この寒い時期は辛いが、密着される側も、結構な忍耐がいるだろうと思った。
しかし、ただでさえ仕事ぶりがもたつきがちな、駆け出しの自分に、あの時、香藤洋二は本当に優しかった。
呼び捨てなどできるわけもなく、もちろん香藤さん、岩城さん、であり、それは今でも変らない。
その香藤さんに、仕事の先々へ、カメラを抱えて着いて回る僕は、ある意味、自分のことで頭が一杯だったと思う。
自分が回すフィルムが局へ帰って編集される。
それをディレクターに観られるときは、針のむしろ、だった。
いい絵を撮るのは自分次第、被写体に問題がないことは、皆ご存知なのだ。


1週間でも着いて回れば、まず、誰でも彼のファンになる。
それは確かだ。
香藤さんは、大方の場合、その存在は軽い印象を与えるが、まず、軽くはない。
彼が接する相手から、自分に対する印象を、望む重さで扱われていない、と、そう感じながら、しかしそれをおくびにも出さず、プライドを仕舞い込む場面を、僕はその3ヶ月で何度見ただろう。
いつもそういった場面をやり過ごし、その後に、あの澄んだ眼で何事もなかったかのように、しかし僅かだけその中にギラついたものを宿して、次の仕事へ彼は向かった。
その瞳がいつも言っていた「今に見てろ」と。
その背中は、惚れ惚れするほど、格好良かった。


さりげなく僕に場所を与えて仕事をしやすくしてくれる配慮は、本当に助かったし、嬉しくもあった。
あっという間に、撮りたいシーンが逃げてしまうことも度々ある。
彼は振り向いて笑う。
「太井さん?今、撮ってなかったでしょ・・・だめじゃん、今、俺、超絶かっこよかったのに」
そう言って、もう一度再現してくれる。
本当に彼は、とてつもなく頭が切れて、優しかった。


時々、ほんの少し時間にゆとりが出来たりすると、香藤さんと雑談をさせてもらったりもした。
そういったとき、彼は全く、あきれるほどに自然体だ。
思わずこっちが、大学の友人と話しているような錯覚を起こしたりもした。
会話の中で、チラッと垣間見せる岩城さんへの愛情。
ベタな言い方をすれば、ただ惚気ているだけ、なのだが、その内容はともかく、話しているときの顔がいい。
はちみつ漬けでベタベタになったレモンスライスのようだ。
その顔を撮りたくて、何度もカメラを回そうかと思ったが、ここでカメラを出さない、っていう、わけの判らない妙な礼儀を、自分の中に決めてしまっていた。


そんな僕が撮り続けたものに、岩城京介がどこにも絡んでいない、と、上から駄目ダシをされた。せめて、香藤さんが岩城さんのことを話している場面ぐらい撮ってこい、なんて、僕があえてしなかったことをやれと言う。
2人のことが、世間で華やかに取りざたされていた時期だった。
後1日で密着も終了といったとき、僕は焦った。




「外は雪降りそうだって」
スタジオで仕事を終えた香藤さんが、そう言った。
僕はどこか、困った顔をしていたのだろう。
「どうしたの?太井さん。重た〜くなってるよ、背中が」
笑いながら、香藤さんが声をかけてくれた。
「あ・・・いえ・・・その・・」
言うことや頼むことや聞くことを、何一つ頭で整理できていない僕は、ひたすら焦っていた。
そこへ、マネージャーの金子さんが、香藤さんへ声をかけてきた。
「香藤さん、急いで移動しないと、雪が降ってきてますから・・・」
「あっ・・うん・・・それと、金子さん・・」
「はい、花ですね。もう受け取るだけになってますから、次に行く途中で寄ります」
「サンキュ!!」
そう言って、香藤さんは、嬉しそうに笑った。
「花って・・・?」
馬鹿みたいに、僕は頭に浮かんだことをそのまま質問していた。
「あっ・・今日ね、岩城さんの誕生日、なんだ」
これだ!!
僕の頭では、ライトが煌々と点滅し始めた。
「か・・香藤さん!!あのっ!!僕っ!!それ、撮らせてもらってもいいですか?」
「へっ?」
「あっ・・いえ・・その・・・別にお2人を、っていうわけじゃないんです・・ただ、誕生日に香藤さんが、岩城さんへの花を抱えて帰ったところを・・・家に帰ったところを・・家とか家の中とか撮りませんから・・」
焦っていながらも、僕はよくしゃべった。ある意味必死だった。
そんな僕を、香藤さんと金子さんが、じっと、ちょっと笑いながら見ていた。
「いいよ、でも、帰るの、もう1コ仕事終わってからになるけど」
もう・・・この人は何ていい人なんだ、と、胸で叫んで、「はいっ!!構いません!僕、待ってますから」と、口でも叫んでいた。



そのまま香藤さんに仕事先まで密着して、家に帰るまで一緒に、と、頭に描いていた計画が、機材の不調を知り、あえなく、一端、道を分かつこととなった。
「すみません、社に戻ってから、その後、直接、家のほうで待機させていただきます」
次の仕事先に向かう途中の香藤さんへ、そう伝えて別れたのが、午後5時だった。
香藤さんの仕事の終了予定は、その1時間後、午後7時には帰宅のはずなので、即効で社に戻り、替えのカメラを持ち、香藤さんの自宅へ向かった。
自宅前に無事到着したのが、午後6時過ぎだった。
ほっと胸をなでおろし、僕はカメラを抱えて、自宅門前で、おとなしく身を潜めて待っていた。
空からは遠慮なく雪が舞い降りていたが、そんなことは、今から撮れるはずの絵を考えれば、何も問題はなかった。
花束を抱えて帰る香藤さんは、間違いなく素敵なシーンを演出してくれるに違いない。
子供のようにワクワクする気持ちで、僕は寒ささえ感じる暇もなかった。



30分もしただろうか。
タクシーが1台、門の前で止まり、中から降り立った人間を見て、僕は心臓が飛び出るかと思った。
それは、岩城京介だった。
僕はこの世界に入って、いまだ一度も、彼を直接目にしたことがなかった。
知るのは、香藤さんの口から語られる彼の姿だけ、だった。
黒いロングコートで降り立った彼は、まるで、そこが舞台の上であるかのような、眩暈がするほどの特別な空気をまとっていた。
カメラを抱えた自分は、不審な姿で映ることは当然で、岩城さんはチラと僕を見て、少し怪訝な表情を浮かべた、が、僕があたふたと、ほんの3秒固まっているうちに、すぐに表情を和らげてくれた。
「ああ・・・ひょっとして・・・香藤の・・?」
そんなことを言ってくれるこの人も、凄くいい人だ、と、僕は直感した。
「はい・・すみません。今、香藤さんに密着させてもらっている、T局の太井吾郎といいます」
そう言うと、岩城さんはニコッと笑って、「知ってます」と答えてくれた。
で、こんな所でどうしたの?と、表情で訊かれるのと前後して、僕は説明をした。
「今日、香藤さんがご帰宅されるのを、ここで撮らせていただくことになってまして・・すみません。
ちょっと、ここで待機させてもらっています・・もうすぐ帰ってこられると思いますので・・」
花束のことは、言ってはいけない、と思った。
すこし考えを廻らせる表情で、岩城さんは、「そう」とだけ答えると、こんな僕にちゃんと笑顔で会釈をしてから、門から中に入っていった。
こんなかっこいい2人がカップルになっているなんて・・・罪だ、と、その時僕は思ったりした。
初めて目にした岩城さんの姿に少し高揚した気分を抱えたまま、僕は再び門の前で待った。




そろそろかなと、カメラを抱えなおして体制を整えるべく、アングルなどをチェックし始めると、指が結構、かじかんでいることに気がついた。
ゴシゴシと片手を交互に膝で擦りながら、カメラはそのまま構え続けていた。
そんな僕の後ろで、ガチャという、門戸の外れる音がした。
思わず振り向くと、何とそこには岩城さんが居た。
危うくカメラを落しそうになるほど、僕は驚いた。
「すまない、驚かすつもりはなかったんだけど・・・」
岩城さんは、そう言ってから言葉を続けた。
「香藤から電話で、もう少しかかるそうです、帰ってくるのが・・・で、君のことを気にしていたから・・・・よければ、うちへ入って待ってください」
その時の僕は、この世界で、まだそれほど沢山の人に、会っていたわけじゃないけど、でも、この瞬間が僕に与えたものは、かなり大きかった。
「あ・・いえ・・そんな、いいんです!!このままご迷惑でなければ、ここで待たせていただきます」
そんな僕に、岩城さんは少し笑って、「玄関に入るだけでも、寒さは違いますよ、それに、帰る前には電話を入れてくるだろうから・・・香藤が・・それから出ても遅くないでしょう」
僕と同じように吐く白い息が、岩城さんのしゃべる口から出ると、そこには香りが付いているかに感じられた。
門を内から開けたまま、どうぞ、と招き入れる、雪の中に立つ岩城さんを前に、僕は「・・・すみません・・・」と、小さく頭を下げて歩を進めた。
岩城さんは、じっと立っている僕の前へ進んで、こっちです、と、玄関へ招き入れてくれた。
開けられた玄関の整然とした美しさに、僕があたふたと、自分の肩や頭に降り積もった雪を外で払い落し、スニーカーもトントンと小突いていると、岩城さんが、「そのままで大丈夫ですよ」と、少し笑って言ってくれた。
岩城さんは、家の中に上げてくれようとしていた。
僕はそれを固辞した。
この玄関で十分幸せだった。
じゃぁ、と言って、岩城さんが座布団を出してくれたので、それは使わせてもらい、僕は上がりかまちの隅の壁にへばりつくように、小さく鎮座した。
本当に、ここに座らせてもらっただけで、僕は十分幸せだった。なのに、奥に引っ込んだ岩城さんが、10分くらいして、「どうぞ」と、温かいお茶を持ってきてくれた。
「何かあったら、遠慮なく声をかけてください、奥に居ますから・・・香藤から連絡があったら知らせます」
そう言って、僕を1人にしてくれた岩城さんは、側に寄ると、なんだかいい香りがして、でも、じっと顔を見てしまうのが申し訳ないような、照れるような、とにかく、香藤さんと同じく、とてつもなく素敵な人だった。僕は今でも忘れない。その時、湯呑みに添えて差し出された岩城さんの美しい指先を。
僕は、将来いつか必ず、岩城さんを撮らせてもらおうと、心で密かに決心した。



きっと僕は、この心地よい空間で一気に気が緩んだんだと思う。
耳の側で、太井さん、太井さん、と、呼ぶ声がして、自分が不覚にも眠りこけてしまったことに気がつき、飛び跳ねるように体を起こした。
目の前で、岩城さんが僕を笑いながら見ていた。
「香藤、後10分で家に着くそうです」
慌てて時計を見ると、8時前だった。30分も寝てはいなかったことを知り、少しホッとしたが、しかし、こんな場所で寝てしまう自分に、あきれもし、羞恥に頭が混乱した。
「す・・すみません!!僕、寝てしまって」
そんなことをおたおたと口にする僕に、岩城さんはやんわり言葉を挟んだ。
「気にしなくていいですから・・・それより、早くしないと、帰ってきますよ」
縮こまる僕を気遣ってくれているんだ、と思いながら少し落ち着いた僕は、その時やっと気がついた、自分の体にかかっていた青いブランケットを。
あっ・・・これ・・・、と、言葉が出ない僕から、無言でブランケットを引き取って手に持ちながら、岩城さんは玄関を開けてくれた。
この瞬間、僕は理解した。香藤さんがこの人を好きな理由を・・・。
香藤さんに対しては、既に3ヶ月の間で、すっかり理解していたことだった。同性であれ、香藤さんになら、惚れることもあるだろう、と。
そして、今、逆も理解してしまったわけで・・・これは、やはり凄いことだと思わざるを得なかった。



サクサクと雪景色の玄関外へカメラを抱えて出て、門の外で待つ僕の前に、5分もしないうちに、香藤さんが、金子さんの車で到着した。
僕はじっとカメラを回していた。
「お疲れ様でした」と、金子さんに見送られながら、車を降りてきた香藤さんは、その顔が見えないくらいの、真紅の薔薇の花束を抱えていた。
その姿は雪の中でかっこ良過ぎて、つまり、この2人は、何をどうやっていたって絵になるんだと、レンズを覗きながら思った。
チラと僕を見て笑ってくれたので、「お疲れ様でした」と、僕も声をかけた。
「香藤さん、その花束は?」と、僕がお決まりの質問をした。
「岩城さんの誕生日の花束ですっ!」って、香藤さんもちゃんと判りきったことを答えてくれた。
周囲が余り入らないように、その姿を撮りながら、これで、僕の仕事も終了だ、と思っていた。
何だか寂しい気がした。
と、香藤さんの、花束を抱えていない左手が、下にまっすぐ伸びたまま、後ろのほうへ向かって、チョイチョイっと手招きをした。
そこにはもちろん、僕しか居ないので、僕に向かって手招きしてくれているはずだ。
香藤さんは何も言わず、玄関に向かって歩いていた。
僕はその手に招かれて、カメラを回しながら遠慮がちに着いていった。
玄関の前に立って、ドアを開ける直前に、その手がまたサインを送ってきた。
香藤さんの指が形どったOKマーク。
僕はまるで恋人にデートの返事をもらったかのように、心臓がバクバクした。
顔もきっと赤面していたはずだ。
カメラを止めず、香藤さんが開けてくれていたドアをそっとくぐって、再び僕は玄関の中へ入ると、さっきと同じく壁に寄ってピントをズームに調節した。そんな僕には目もくれずに、香藤さんが大きな声で、「ただいま!!」と、明るく声をかけた。
奥からパタパタと足音がして、岩城さんが現れた。
「おかえり」
同じく笑顔で答えた岩城さんに、香藤さんが「はい、これ、お誕生日おめでとう」と、靴も脱がないまま持っていた花束を渡し、受け取った岩城さんをやや下から軽く抱きしめた。
そして、離れる前に、頬に軽くキスをした。
ありがとう、と、岩城さんは照れながら、でもとても嬉しそうに花束を持って香藤さんを見ていた。
僕は、静かにカメラを止めた。
そして、「ありがとうございました」と礼を言い、2人に深く頭を下げた。
僕がここに居ることを、出てきた岩城さんは全く驚かなかった。
だから僕は知った。ここまで撮ることを、岩城さんも了解済みだったんだ、と。
「本当に・・ありがとうございました。こんな所まで撮らせていただいて・・・」
そう言うと、香藤さんが、靴を脱ぎながら笑っていた。
「太井さん、さりげなく、凄く遠慮深かったから・・・だから最後はね、僕からの感謝も込めて!!でも、先に言っちゃうと面白くないから」
僕はもう、その時既に、目頭が熱くなるのを必死で抑えてた。
「こちらこそ・・・3ヶ月・・・ほんとうにお世話になりました・・・とても・・・」
とても・・・・何だかんだと、凄く一杯言いたいことはあった、けど、これ以上しゃべっていると、不味いことになりそうだったので、ただそのまま無言で深く頭を下げ続けた。
そんな僕に、香藤さんは、「外で、金子さん、待ってるから、雪だし・・送ってもらうといいよ」なんて、言う。
もう僕は、絶対顔を上げたら、目に溜まったものが零れ落ちるのを必須で、顔を上げた。
僕の情けない顔の滲んだ視界が、目の前の、笑顔を浮かべた2人の姿を写していた。



その後、僕は金子さんの車に乗せてもらった。
何度も断ったけど、全然無視だった。
これから僕が携わるだろうこの世界の人たちは、きっと今回のように、甘くも優しくもない。
だから、こんなことに慣れちゃいけないんだと、心を叱咤しながら、でも、僕が車で金子さんに言ったことは、「香藤さんのお仕事させていただいて・・本当によかったです」なんていう、甘さ丸出しの言葉だった。
金子さんは嬉しそうに「そう言っていただければ、こちらも本当によかったです」と言ってくれた。
ああ、この人も慣れちゃいけない人の1人だ、なんて、思った。




あれから僕は少し出世して、ピンで撮らせてもらえることもある。
今年、久しぶりに香藤さんの番組を受け持つことになった僕は、年月を経ても、全く変らない、いや、ますますかっこ良くなっている香藤さんを、レンズの向こうに見ていた。
香藤さんが素敵なままでいる、ということは、岩城さんもそうだ、ってことだ。
あの冬の寒い日、岩城さんの誕生日に僕は幸せのおすそ分けをもらった。それを少しでも返そうと思っている。
だから、今も、2人は僕にとってのスペシャルに変わりはない。






2008.01
比類 真





まだまだ新米のカメラマンにとってお二人は大きな存在なんですよねv
”慣れちゃいけない”って思う気持ちがとても印象的で・・・でもとっても大切なことだと思いました
これからもきっと彼はいろんな仕事をしていくのでしょうけど
今回のことはとっても大切な経験だったんでしょうねv
比類さん、素敵な作品をありがとうございますv