フェイクスノウ・リアルラブ




人工の雪でも、岩城の上に降れば美しい。
さして寒くもない舞台稽古で、カシミアの黒いロングコートを着る岩城は、しっかり寒そうに見える。
・・・・吐く息が白く見えそうだよ・・・岩城さん・・・
熱気の篭った壇上からは離れて、人気のない客席の隅にたたずむ香藤は、その位置で稽古を見るのは今日で5度目になる。


『・・・どうした・・・?入らないのか?家に・・・』
『もうここで大丈夫だから・・・車に入って・・・風邪引くから・・・』
『・・お前こそ早く行け・・いつまでもそうやってて、どうするんだ・・・』


・・・・愛してるんだね・・・彼女を・・・判るよ・・・


『・・・先に車に乗って・・・そしたら家に入る・・・・・』
『・・・馬鹿だな・・・家に入るまで見送るために、俺はここに立ってるんだろ・・』


・・・・優しい顔しちゃって・・・・岩城さん・・・いい男過ぎ・・・・


『・・・こら・・・またこっち戻ってどうするんだ・・・』
『・・・・だって・・・』


・・・そうそう・・・そこで抱きしめる・・・今朝は俺を抱きしめてたけど・・・


『・・・・ずっとこうしてるのか・・・?』
『・・・ずっとこうしていたい・・・』
『・・・・雪に埋もれるな・・・』
『・・・・一緒に埋もれてる・・・』
『・・・いつまで埋もれてるんだ・・・?』
『ずっと・・・・・・・・・私・・・・』
『・・ん・・・?』
『・・・私・・・本当に・・・あなたに愛してもらってよかった・・・・』
『・・・それは・・・俺が言うセリフだな・・・』
『・・・・・・・・』
『・・・出会えて・・・お前と出会えて・・・本当によかった・・・』


・・・・そして・・キス・・・そして暗転・・・・






岩城は今、来春早々幕が開く舞台稽古の追い込みに入っている。
香藤は、その舞台場から徒歩数分のスタジオで、週一のラジオ収録がある。
この偶然は、なかなか味わえないラッキーなシチュエーションであり、スタジオでの稽古では無理だったが、開演期日が迫り、稽古が上演ホールに移ったとたん、夜9時頃終わる自分の収録の後、香藤はせっせと、このホールに岩城を迎えに顔を出した。
軽くそういった行動をとる気になれたのも、この舞台監督が、香藤の大学の先輩に当たる、割と親しくしていた男だったからだ。
この脚本も、好きだった。
今時にしては驚くほどベタな純愛ものだが、しかし、それがいい。岩城が演じるとなお一層いい。
ただの男女の恋愛が、皆が胸を焦がすシーンへと、しっかり姿を変えている。
誰もが恋をしたい・・・愛されたいと・・・・この舞台を見ればそう思うだろう。
岩城は心から彼女を愛している。
可愛く、大切に思っている。
岩城の愛が100ならば・・・・・相手を演じる女優の愛は・・・・83・・4・・・?くらいだろうか・・



「はい。お疲れ様でした!!また明日よろしくね」
監督の声が響いて、皆それぞれ、散らばって行った。
主演女優が、岩城の胸からすっと離れ、岩城に「お疲れ様でした」と、笑顔で言い、それに岩城も「お疲れ様、また明日」と、答えている。
2人ともが互いに体をはたき、雪を落していた。
そのまま監督にも同じように挨拶をした彼女は、香藤に少し会釈をしながら、その場を後にした。
彼女は上手い。容姿もいい。文句のない一流の女優だ。
そして、とっても真面目だ。今までスキャンダルひとつない。




・・・・彼女の愛は・・・・80・・・・くらい・・・?
・・・・・・岩城さんはね・・・もっと愛してあげられるんだよ・・・・
・・・・彼女が愛せば、その数倍は愛をくれるのに・・・・



「お疲れ様。岩城さん」
「ああ・・・そっちこそお疲れ様。ちょっと待っててくれるか?着替えてくる」
「うん、ゆっくりね」
今日はクリスマスイブ、2人でこれから外食して帰宅する予定だった。
着替えた、といっても、そのままの姿にマフラーを巻いただけの岩城と共に、ホールから出て、徒歩で予約した店へと向かった。
出てきた岩城の、耳後ろの髪の毛に入り込んでいた白い小さな紙を、香藤は指でつまんで黙ってポケットにしまった。
岩城らしい・・・どうせ、ろくに鏡も見ずに出て来たに違いない。
この雪を、彼女が気づき取っていれば素敵だった・・・・しかし、彼女は、たとえ気がついてもそんなことはしない。それは自分がするべきことではないと、思っている・・・・・悪い意味ではなく、それが彼女の礼儀、なのだ。

「疲れてない?」
「大丈夫だ、もう今日は、通しで確認したくらいだからな」
「もうすぐだもんね・・・きっと受けるよ、これ」
「・・・そうか?」
岩城は、今朝香藤がプレゼントしたマフラーを首に巻いている。
モスグリーンのチェックがよく映っていた。
香藤の視線を感じて、少し照れて笑った岩城に、「よく似合ってる」と、香藤が口にした。
「・・・お前も・・・」と、岩城は香藤の、やや幅広のモノトーン柄のマフラーを見て口にした。
今朝、互いが互いに差し出したクリスマスプレゼントは、偶然、どちらもマフラーだった。
雪が今にも舞い降りてきそうな今夜に、2人は迷わず身に着けて家を出た。



ゆっくり歩きながら、「しかし・・ここまでベタな恋愛ものに出たことなかったな・・・」と、岩城が呟いた。
フフッと、少し笑った香藤が、「甘々・・・」と言い、「でも・・・いい本だから・・・・つい見入っちゃうよ・・・美男美女に・・・」と、岩城の顔を覗き見た。
バカ・・・と、小さく口にした岩城は、「まぁ・・彼女は確かにそうだな・・・綺麗なだけじゃなく、頭もいい・・・ミスもしないし・・・台詞もしっかり入ってる・・俺のほうがいつも襟を正されるよ」と笑った。
「・・・そう・・・じゃ・・・少し抜けてるくらいがいいのかも・・・」
ボソッと口にした香藤の言葉に、岩城が、えっ?何だって・・?と、訊き直しかけたとき、2人は店に到着した。
店のドアを開けながら、「あ・・・雪だよ・・・岩城さん」と、香藤が空を見上げて言った。
イブの夜に用意したように、天空から本物の雪が舞い降りてきた。




2時間あまりをかけて、楽しい会話と美味しい食事を終え、互いに明日の仕事が夕方から、ということもあり、アルコールも結構体に浸透していた。
タクシーに乗り、家路に向かう頃は、しっかり冬景色に辺りが姿を変えていた。
家に着き、タクシーから降りると、外門を開け、香藤が先に玄関口へ向かい、その後を岩城が、雪が舞い落ちる空を見上げながら着いていった。
ドアに手をかけた香藤が、そんな岩城をふと振り向き、じっと見ていた。
「どうした・・?入らないのか?家に?」
そう問うた岩城に、香藤が、ニコッと笑い、唐突に言葉を送った。
「もうここで大丈夫だから・・・車に入って・・・風邪引くから・・・」
嬉しそうに岩城を見つめる香藤を見て、ほんの僅か呆気にとられていた岩城は、小さくクスッと笑い、少し間をおいてから、期待されている言葉を口にした。
「・・お前こそ早く行け・・いつまでもそうやってて、どうするんだ・・・」
「・・・先に車に乗って・・・そしたら家に入るから・・・・・」
香藤が吐く、白い息と共に流れ出る言葉は、予想外に悲しい色を秘めたものだった。
そのトーンに、岩城の心の中でズキンと、痛い鼓動が響いた。
追って口にした台詞には、その表情と共に、そこはかとない切なさが混ざっていた。
「・・・馬鹿だな・・・家に入るまで見送るために、俺はここに立ってるんだろ・・」
香藤の足が、一歩、玄関口から岩城のほうへ踏み出した。
その姿を、岩城はじっと見つめていた。


・・・・香藤・・・・ああ・・・お前は・・・・・・


「・・・こら・・・またこっち戻ってどうするんだ・・・」
「・・・・だって・・・」


・・・・・なんて寂しい顔をしてるんだ・・・・


岩城は無意識に、自分から前へ進み、香藤の腕を引き寄せ抱きしめていた。
「・・・・ずっと・・・こうしてるのか・・・?」
香藤の顔が岩城の肩で傾き、首筋にその頬が強く押し付けられた。
離れがたいその感触は、馴染んだものであり、揺らぐ炎を灯すものでもあった。
「・・・ずっと・・・こうしていたい・・・」
手に入らない時間を、その声が心から欲していた。


・・・ああ・・・お前は俺を・・・・


「・・・・雪に・・・埋もれるな・・・」
「・・・・一緒に埋もれてる・・・」
岩城も顔をやや傾け、その耳に唇で触れた。
触れた耳はとても冷たく、そこに囁かれる声を一心に待ち望んでいた。
「・・・いつまで埋もれてるんだ・・・?」
「ずっと・・・・・・・・・私・・・・」
腰に回っていた香藤の腕に、僅かな力が入り、フッと、肩が小さくため息を吐いた。


・・・・・香藤・・・お前は・・・何て・・・俺を愛してるんだ・・・・


「・・・私・・・本当に・・・あなたに愛してもらってよかった・・・・」
偽りのない響きが、雪と共に天から舞い降りていた。
香藤が口にした言葉の余韻は、甘く悲しく、心を揺さぶる実在の想いが込められていた。
「・・・それは・・・」
そこまで口にした岩城は、肩にある香藤の頬を掴み、押し付けるように唇を合わせた。
抱きしめた体をさらに強く囲いながら、香藤の頭をかき抱いてひとしきり唇を貪った。
白い雪が岩城の黒いコート地に落ちては消え、離れた唇の隙間で岩城は呟いた。
「・・・出会えて・・・俺はお前と出会えて・・・本当によかった・・・」
目の前の香藤は、幸せに満面の笑みを浮かべた。



・・・ああ・・・・俺は・・こいつを愛している・・・・・この感情は・・・説明の仕様がない・・・
ただ愛している・・・ただ愛しているということが・・・選ばれた感情・・・相手を選ぶ感情だ・・・


笑みを浮かべた香藤の顔を、じっと見つめる岩城に、香藤が、「入ろ・・・家・・」と、言った。
岩城は、ああ・・・と、曖昧な声を返しながら、離れる体を少し引きとめ、「香藤・・・俺は・・・」
と、言いかけた。
果たして何を口にしようとしていたのか、その時、岩城には、はっきりとしていなかった。
そんな岩城を見て、香藤が短く、「無理」と、口にした。
えっ?と、意表を衝かれた顔の岩城に、香藤は再び口を開いた。
「無理だって・・・岩城さん・・・彼女に俺を求めても・・・」
やや言葉を失った岩城は、少ししてからフッと笑い、「ああ・・・そうだな・・・」と、理解の表情を浮かべ、俯いた。
香藤はここにしか居ない。
それを相手に求めるのは、お門違いだ。
ならば、相手を惑わすほどに自分が演じ切るしかない、愛する人間との切ないまでの逢瀬を・・・・。
偽の雪でも寒さを演じることが出来るのならば、それも出来るはず・・・そう香藤は教えたのだ。
本物の雪が舞う偽りの舞台で・・・・。
岩城が顔を上げたときには、既に香藤は背を向けて玄関のドアをくぐっていた。
その後姿が、岩城の得た理解を受け止め、無言で喜んでいた。





2007.12
比類 真







家の玄関の前・・・・香藤くんの腕を引き・・・・抱きしめる岩城さん・・・
個人的にすごくそのシーンが印象的でしたv
もう本当にうっとりしてしまいます
交わす言葉の意味深なこと そして 2人の想いの深さがにじみ出て・・・・

比類さん 素敵なお話ありがとうございます