花の言葉




香藤はドラマのロケで東京を離れていた。
ともに大御所と呼ばれる脚本家の和田と演出家の真鍋が数年ぶりにコンビを組んだスペシャルドラマでロケは五月下旬から一ヵ月わたって続けられる予定になっていた。


ロケが始まって二週間が経ち撮影は順調に進んでいた。
「九州の南部は梅雨入りしたそうですよ。この辺りも秒読みでしょうか。」
「だろうね。その前にできるだけ進めておかないと。」
時期を考慮してロケの期間は余裕をもって設定されてはいるが早く撮ってしまうにこしたことはない。
朝食の席で和田と真鍋がそう話しているのを香藤は聞くともなしに聞いていた。


ドラマの関係者のために特別に用意された食事会場は庭に面した側がガラス張りになっていて美しい庭園を見ることができた。
和風の造りの庭園には池も設えられていてその辺には花菖蒲が咲いていた。
香藤はその花菖蒲を見て岩城を思い浮かべていた。
(綺麗だなぁ。岩城さんって和の花のイメージだよね。花菖蒲は凛とした岩城さんって感じ。でも俺の腕の中では桜みたいに薄紅に染まったり、牡丹みたいに艶やかだったり・・・)
ロケに出る前からすれ違いが続きもう二ヵ月近くベッドをともにしていなかった。
「はぁ〜っ、岩城さんに会いたい・・・・」
「相変わらずラブラブなのね。」
突然かけられた声に香藤が顔を上げると主演女優の鈴木春香がクスクス笑いながら立っていた。
「春香さん、おはようございます。」
「おはよう、香藤くん。」
「俺、今声に出してました?」
「ええ。思い切り実感こもってたわよ。」
「参ったなぁ。岩城さん不足かなり重症かな。」
香藤は照れたように髪を掻くとまた花菖蒲に目を向けた。
「花菖蒲って岩城さんみたいね、凛としてて。花言葉もピッタリだし。」
「え?」
「花菖蒲の花言葉は『優雅』なのよ。他にも『あなたを信じます』とか『嬉しい知らせ』とかあるけど。」
「そうなんですか。」
「今岩城さん大河ドラマに出てるでしょ。あれ見てると所作が優雅だなぁって。ああいうことって一朝一夕に身につけられる物じゃないからきちんと躾けられて育ったんでしょうね。」
「岩城さんの実家、地元じゃ有名な旧家ですからね。」
香藤の思いがまた岩城へ飛んだのを感じて春香は微笑んだ。
「撮影が順調に終わって早く帰れるといいわね。それとも雨が降ってお休みができた方がいいかしら。」
「順調に進んだ方がいいに決まってます。」
「ホントかしらね。」
「本当ですよ。」
そんな二人のやり取りは和田と真鍋の耳にも届いていた。




六月九日は早朝から小雨が降り始めた。
香藤が部屋の窓から外を眺めていると携帯が岩城からの着信を知らせた。
「もしもし、岩城さん。」
「香藤、おはよう。」
「オハヨ、岩城さん。」
「誕生日おめでとう。」
「ありがとう。」
「顔見て言えないのが残念だよ。」
「俺も。」
「どうだ?撮影は順調か?」
「うん、今のとこはね。でも今日は雨降ってる。」
「休みなのか?」
「まだわかんない。小雨だからすぐ止むかもしれないし。」
「そうか。」
「岩城さんはどう?今は家?」
「いや、楽屋からだ。四時過ぎまで撮影してて今は仮眠から起きたところだ。」
「大丈夫?」
「大丈夫だ。二時間くらいは寝たからな。それに今日の撮りは昼まででその後はオフになったから。」
「そうなんだ。ゆっくり休んでね。」
「ああ。」


香藤は携帯を閉じるとため息をついた。
「雨、どうせならもっと強く降らないかな。そしたら撮影が休みになって岩城さんに会いに帰れるのに。」
身勝手なことを考える自分に喝を入れるように香藤は両頬をパンと叩いた。
「バカなこと言ってないでとりあえず食事食事。」
気分を切り替えるようにそう言って食事会場に向かった。



パンッ!パンッ!パンッ!
香藤が食事会場のドアを開けると一斉にクラッカーが鳴らされた。
「ハッピーバースデー香藤くん!!」
驚いて立ち尽くしていると春香が花束を持って現れた。
「香藤くん、お誕生日おめでとう。これは皆からよ。」
「・・・・あ、ありがとうございます。」
香藤は皆に向かって頭を下げた。
「さ、香藤くんこちらへ。」
和田に呼ばれて皆の中央へ進むとケーキが運ばれてきた。
「朝からケーキ?って思うかもしれないけれど、まぁお約束ですから。」
ローソクに火が点されハッピーバースデーが合唱される。
香藤がローソクを吹き消すと拍手と「おめでとう」の声が次々にかけられた。
それが一頻り終ると真鍋が香藤の前にやって来た。
「香藤くん、おめでとう。」
「ありがとうございます。」
「このドラマの関係者一同からもうひとつプレゼントがあるんだよ。」
「え?」
「雨、上がるかもしれないけど今日は休みにするから。岩城さんに会いに帰っておいでよ。」
「え・・・いいんですか?」
戸惑う香藤に真鍋はニヤッと笑った。
「『岩城さん不足』がこれ以上悪化して撮影に影響が出ると困るからね。」
「あ・・あれ聞いてらしたんですか。でも仕事には響かせませんから大丈夫です。」
「真鍋さん苛めなくてもいいじゃないですか。プレゼントなんて実は口実で皆もそろそろ休みが欲しかったんですから。」
和田の言葉を肯定するように皆が大きく頷く。
真鍋もイタズラっぽく笑った。
「そういうことだ。今から休みは無しなんて言ったら俺が皆に恨まれる。だから気にしなくていいよ。それと明日は昼までに帰ってくれればいいから。」
「皆さん、本当にありがとうございます!」
香藤はこれ以上ないくらい深く頭を下げた。
頭を上げ踵を返して部屋を出ようとした香藤はポンと肩を叩かれた。
振り向くと和田が穏やかな微笑を湛えていた。
「早く帰りたい気持ちは分かりますが食事はしていかれたらどうですか。」
「あ・・・そうですね。」
香藤が頭を掻くとどっと笑いが起こった。



窓際のいつもの席に座り食事を始める。
池の辺の花菖蒲はしっとりと濡れて花の色が深くなり艶やかに見えた。
それは自分を出迎えてくれる時の岩城の微笑みのように思えた。
「そうだ岩城さんに帰るってメールしなきゃ。」
メールを打ちかけた香藤はふとあることを思いついて手を止めた。


食事を終えると香藤は庭に出て花菖蒲の写真を撮りメールに添付して岩城に送った。
香藤の心はそのメールといっしょに既に岩城の元に飛んでいた。





撮影を終えて楽屋に戻った岩城は携帯をチェックして幸せそうな微笑を浮かべた。
それを見た清水が問いかける。
「香藤さんからのメールですか?」
「ええ。見ますか?」
岩城はそう言って携帯を清水に差し出した。
そのメールは極短い物だった。
《岩城さんこの花の花言葉知ってる?》
添付された画像はしっとりと濡れた花菖蒲。
「これ一通だけですか?」
清水は意味が分からず目を瞬かせた。
「ええ。」
「花菖蒲の花言葉って確か・・・・あなたを信じますとか優雅とか・・・」
「嬉しい知らせ・・・香藤が言ってるのはこの意味ですよ。」
岩城は携帯を受け取ると画像を見て目を細めた。
「嬉しい知らせ・・・ですか?」
「今朝電話したら雨が降ってるって言ってたから撮影が休みになったんだと思いますよ。」
「じゃあ・・・・」
「ええ、これは帰るって言う知らせです。もう家に着いてるかもしれない。」
「それじゃあ早く帰らないといけませんね。私すぐに車回してきます。」
そう言うと清水は足早に駐車場に向かった。
岩城も身支度を整えいつもより少し速い足取りで玄関に向かう。
その心は駆け出し香藤の元へ飛んでいた。



終わり

'07.6.3  グレペン




※花菖蒲が岩城さんのようだというのは本当に・・・v
ふたりを取り巻く人達の暖かさをも感じることが出来て
心がほっこり暖かくなりました
素敵な誕生日をおふたりは過ごしたのでしょうね・・・・v
グレペンさん、素敵なお話ありがとうございます